Golden Weekが終わり、Washington DC、そしてSt Gallenへ

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私といえば、8日の日曜日にも何人かの方たちの会合を重ね、まったく休みのない「Golden Week」となってしまいました。

9日の月曜日は朝から成田へ向かい、到着するなり、Washington DCの午後はいろいろな方との面会と、夜はレセプション。いやいや、忙しいというか、もう少し時間が欲しいです。しかし、これも特に今のような日本にとっては、とても大事な役割かと思って、言ってみれば、「グローバルフリーター」みたいなことをしているのです。

Washington DCの2日目、10日には「Ageing and Health」のシンクタンク活動の「Brain-storming」、私も30分ほどのプレゼン。終了早々に空港へ向かい、London経由でZurichへ。St Gallen Sympoium資料1)へ向かいます。

天気がよさそうなのが、唯一の楽しみ、といった感じでしょうか。やたらと詰まった日程です。

Project Hope: 米国から新しいチームが到着

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Project Hope については、ここで何回か報告しています。

5月連休の最後の6日(金)、新しいチームの5人が米国から夕方に到着。翌日は早速、briefing。今回こちらでまとめ役はGeorgeさん、Iraqでも前任のFredさんたちと支援活動に参加していた方です。

そこで土曜日の夜のコンパに私も参加しました。皆さん、日本の方ですが、Missouri、NYCで活動している医師が2人、さらにUCLAの小児科でナースをしている3人(1人は男性)、皆さん、米国で免許を取得して活動しています。前にも紹介したDr Shimabukuroからすすめられての参加です。前回参加のPCATの角先生も、そして東大医学部の学生さんも岩手から帰ってきたばかり、ということで参加。林先生は岩手で活動しています。今回も基本的にはPCATが日本側を調整しているところです。

今回のチームは2週間の予定で岩手県の何箇所かに行きます。頼もしい限りです。

このような活動がさらに広がり、災害地の復興と皆さんの健康、さらには新しい日本創生にも、役に立ってくれているのです。

開かれた国際チームでの活動は、若者の精神構造を少しずつでも変えていくでしょう。

Basriさん来訪で学ぶこと2つ:災害地現場に子供を連れて行く、冨山和彦さんの会社

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 Dr Basriさんが突然4月23日の土曜日に来日することになった経過はお話しました。

成田空港から羽田空港に到着、午後4時半ごろから30分の打ち合わせ、Dr. Basriさんと彼の娘さん、息子さんの3人の秋田空港への出発を見送り。秋田空港から車で東北を横断、真夜中に宮古、浄土ヶ浜パークホテル (資料1)に無事到着、とすぐメールで知らせが来ました。

翌日、いくつかの被災地を回り、米国から持ってきた援助物資を渡し、その日の最後は盛岡で1泊。翌日の月曜日は早朝に盛岡を出発、秋田空港経由で羽田空港へ、そこからHGPIの事務所へお迎えし30分ほどのde-briefing。東北では桜がきれいだったようです。あわただしく東京駅の近くでさらに歓談し、成田Express13;33発の予定で東京駅へ。これがまた節電のため運休で予定が狂い、違う切符を購入、無事に出発を確認しました。私がホームまでお供していて本当によかった、よかった。

ところで、Basriさんがわざわざ子供さんを日本の被災地に連れてきたのは、このような現場を見る、歩く、感じ取る経験が大事だ、といってそれを実践していることです。これが教育の基本ですね、感心しました。日本では2泊3日の強行軍、2人のお子さんも元気でした。

今度のとんでもなく急な、普通でない大災害のとても難しいお願いに、何とか2日でギリギリに対応してくれたのは、何度もここで紹介している冨山和彦さん (このサイトで「冨山和彦」でサーチしてください。)を思い付いたからです。

今度の災害のすぐ後に冨山さんから電話を頂き、彼の会社IGPI (資料1)が経営する1つに福島交通があり、「原発対策でバスの運転手達のために放射能測定器がいくつも必要だ」けど、何とか当てがないですか、と電話を受けたからです。その後の話で、冨山さんに電話したところ、福島交通のほかにも、岩手県北自動車茨城交通、そして浄土が浜パークホテルも経営しているとわかり、お願いしてみたのです。冨山さんは、その日からStanford大学へ出張で出発の直前だったのですが、担当への連絡をしてくれました。

2日で、全行程を手配、指示してくれたので、Basriさん一行も何とか間に合った、というわけでした。おかげで、大いに感謝されました。

手配の早さ、岩手で対応してくれた担当者の対応と手配とメールなどでの到着の知らせ等々の気配り。しかも、原発の初期からバス運転手達への気配り、そして、ほとんど運行への影響は最小にできたようでした。

これが、経営トップの心がけ、というか基本であることを、この危機にあっても、「運転手の、、」まずは身をもって示していることに感心したのです。

こういうことを言う人、書く人は数多くいますが、予期しない危機に際して、身をもって示してこそ「リーダー」の本当の姿資料1)が浮き出てくるのだな、と思いました。

若いときの数々の「挫折」を乗り越えてきた「挫折力」がなければ、身についてこないリーダーの資質です。

 

大災害の後に現れた、科学者・技術者たちの対応と「社会的責任SSR」

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大災害に対して私達科学者、技術者たちもいろいろな状況に置かれました。いろいろな専門家がテレビなどでコメントしました。皆さん何を感じたでしょうか?それぞれの専門家として。これで多くの人が納得するような説明になっているとお考えでしたか?

勿論、政府の記者会見、東電や保安員の記者会見はあまりに「拙劣」なので、これはひどいと思うことが多かったと思います。「科学者」といってもそれ以上のコメントが出来ない状況もあったでしょう。

基本的には、実際のデータを何も見せずに、解釈や根拠を示さずに、結論だけを、しかも多くの場合、明確に判りやすく言わなかった、いえない理由があったからでしょう、と多くの方たちが感じたでしょう。たぶん、それは本当でしょうね。当事者としては、不確実である、直接確認していないとか、言い逃れと思われても致し方ない対応が続きます。

この情報の時代、後出しのデータが出てくれば、信用はドンドン失われるのです。

主要メデイアも、自分達の今回の初動対応を反省し、将来への特集を出し始めましたね、はじめは皆横並びで、ひどかったですけどね。日経新聞朝刊では、「新しい日本へ」シリーズ第1部「危機からの再出発」が始まりました。なかなかよいシリーズになりそうです。

その第2回が「「井の中」の技術立国」で、私のコメントも引用されています。このカラムでも以前から繰り返し指摘し、使っている「知の鎖国」 資料1(2005)資料2(2005)資料3(2006)、 資料4(2006)資料5(2009)資料6(2009)、、資料7(2010) のコンセプトも引用されています。

科学者も技術者も、日本社会ばかりでなく、世界への対応によって、世界の科学者の間での力量(研究ばかりが科学者の責任ではないのです)が評価されることをしっかり認識して欲しいものです。

ちょっと我田引水ですが、日本学術会議で吉川会長の下で、皆さんと作成した「日本の計画Japan Perspective」は、時代の世界の動きを見据えて、日本の科学者と社会との関わりについて、課題の本質を「タテ割り」ではなく、「横グシ」を刺す形で、明らかに指摘した報告書 だと思います。

科学者も技術者も、自分達の強さと弱さをしっかり認識し、時代の変化と要請、そして社会のあり方への対応する意識をしっかり認識し、行動することが大事です。

グローバル世界にあっての、科学者の社会的責任 SSR 「Scientists’ -as a community- Social Responsibility」です。

 

Project Hopeとの共同活動は続く

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訪れた被災地の写真はここ

「3.11」以後、私たちの主催しているHGPI (Health and Global Policy Institute)Impact JapanProject Hope 共同作業をしていることをお伝えしました。

すでに2チームが参加し、数回にわたって三陸の災害地へ出かけています。そのうちの2回はDr島袋も再度の参加で日本に戻ってきました(が、すぐにまたUCLAに戻りましたが、、)。米国で活躍している日本人医師の何人かも、Project Hopeチームに参加してくれています。皆さん、頼もしい限りです。

HGPIの会員企業を中心とした朝食会で、私が今回の経過簡単に説明したあと、Drs Frederic Gerber and Darrel Porrに、Project HOPEの背景と今回の活動の一部を紹介していただきました。

私の締めくくりは、これからどのように医療計画を進めていくか、の基本的な考え方についてちょっと一言。

参加の皆さんにとても喜んで頂けました。被害地の状況を考えれば、この活動は当分のあいだと考えていますので、次の機会には、多くの方々にご参加いただける別の朝食会もありますので、そちらでも講演をしていただく予定です。

Drs GarberとPorrは、この講演の後すぐに、再び岩手県のほうへ戻りました。

そして、4日後、東京に戻り、再びDe-briefingの会合を持ちました。今回は岩手県知事を含めて、岩手県の行政担当ともずいぶん話をしてきました。このDe-briefingにはPCATで参加し、現地でお会いしたDrs 林Hayashi角Kaku吉田Yoshidaも参加してくれました。さらに新しくProject HopeからのGeorgeが、来日し、参加しました。

Dr Gerberは翌日、南アへ飛び、Nelson Mandela Children Hospital 建設計画 (これもProject Hopeが中心的な役割をしている)へ参加する、ということでした。

林さんはMSF など世界中で活躍しており、角さんもHaitiなどで活動、吉田さんは4人のお子さんを育てながら、今はHarvard School of Public Healthで活動しています。

皆さん、世界広く活動をしていて、話の調子がよく合っていました。

 

TED -5: サーチで出るサイトは誰が決めるか?iPad本の可能性

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タイトルは面白そうでしょう?いかにもTEDらしい話です。今年、私が楽しんだプレゼンからです。

あなたがGoogleでサーチするとき、どんなサイトが出てくるでしょうか?その問題は?その話です。

今回の大災害、原発についての報道、広報にも通じることです。Eli Pariser、9分のプレゼンです。

iPadを使うと、どんな本を作れる可能性があるでしょうか?Mike Mata、4分のプレゼンです。

楽しんでください。

Joi ItoくんがMIT Media Lab所長に:日本を変えよう!

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世界的の若者の憧れの的の1つ、世界でも超有名なMIT。そこの中でもよく知られたMedia Lab の次の所長に、日本よりは世界中でよく知られた伊藤穣一(「Joi」と呼ばれる44歳)くん(資料1)が決まりました。

この20年、彼の発信力はすごいもので、私のサイトの「Blogroll」にも出ていますが、彼のblogでもMIT就任への意気込みが伺えます。

伊藤くんとはこの10年以来のお付き合い、このサイトが出来た頃から、彼の名前が時々出てくると思います。私が小泉総理の頃から主張しはじめた「大学の大相撲化」を日本のメデイアで紹介したのは日経新聞英語で読まれるメデイアで最初に紹介 したのは彼だと思います。

彼も、私も、私の多くの友人も、どちらかといえば日本社会の「外」のキャリアを歩いた人たちなのです。今回のことでも、ちょっとお手伝い。

「3.11」以来、日本の強さと弱さ資料1)が浮き彫りになったように思います。つまり一言で言えば、「「タテ社会」の弱さ、終身雇用、年功序列の男性社会ヒエラルキー」の弱点です。このサイトでも繰り返し、繰り返し指摘してきたテーマです。

これらの「日本の常識」を破るような出来事が次々と出てきていますね、世界ではそんなにおかしなことではないのですが。うれしいことです。日本が変わるには、やはり「外」からの力が必要なのでしょうか。

Joiは若いときから何でも先生に質問するヘンな生徒、Chicago大2年で中退、学士もない、修士も、博士もない、日本的にはとんでもない「変人」。でも実力は世界では誰でも認めているところ。その彼を招聘するMITのすごさ。

ところで、このニュース、日本の主要メデイアではどこかで取り上げていました?何を言いたくて?

そういえばMicrosoftのBill Gatesも、FaceBookのMark Zuckerberg も、Harvard大学中退、AppleのSteve Jobsは貧乏で中退。稀有な例ですけどね。

大学ではしっかり勉強するとして、「大学4年で就職が内定しないと、落ちこぼれ、、」、なんて日本だけの常識なのです。

 

中東の科学技術政策: 中東調査会で講演

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中東調査会という組織があります。三菱商事前会長の佐々木幹夫さんが会長をつとめ、政府特使とした長く活躍された有馬龍夫大使 が理事長を務める会員制組織です。

ここの朝食会で中東の高等教育・科学技術の現況についての話を、というお招きをいただきました。

この会は、去年12月にTunisで開催されたJapan Arab Economic Forumにも貢献され、そこへは私もお招き受けました。

財界の方が多く、私がこのテーマでお話しすることは限られているわけですが、私自分の経験からの範囲で出来るだけ正直に、忌憚のない意見をお話しました。

皆さんも、このサイトでの私の中東・イスラム関係、Egypt, Abu Dhabi, Dubai, Qatar(これらのキーワードで探してください、、)での活動をご存知と思います。このあたりのこと、日本との関係などからの話と、Tunisへ行った1週間後に起こった「革命」と、それ以後の中東と日本の課題、という視点にフォーカスしました。

このような、まったく違う分野の方々と、こちらも出来るだけストレートに、そして意見の交換することで、教えていただけることも多く、いつもありがたく思っています。

また、関連する機会をいただけると、うれしいですね。

世界との輪を広げる、活発な行動を、もっともっと

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東日本災害とその対応は日本の将来を決する大きな危機です。日本の持つ「強さ」と「弱さ」 がはっきりと、日本国内ばかりでなく、世界中に丸見えになっています。どの程度、日本の方達がそれらの「強さ」と「弱さ」のその理由や、背景を理解しているか別として、皆さん「何かおかしい」と感じているでしょう。フラット、情報の広がるグローバル世界にあって、「透明性」が信頼の元にあります。今回のタテ日本社会 (‘Japan Inc’) の対応は、1次情報、実際のデータをドンドンと出さないことにこそあるのです。だから、当事者達の対応が後手後手に回る、そのたびに信用がなくなっていく、国の信頼の低下という悪循環になっているのです。

民主制度が機能するには、広い範囲の国民に多様な情報が提供され、自分達の選択肢が与えられていることが必要なのです。

最近、ユニークな2つの機会に参加しました。

1つはWall Street Journal (WSJ) の編集長 Robert Thompson、東京支局長Jacob Schlesinger他のスタッフ、そして7人ほどの政産官学の「グローバル派の論客」をお招きした、という触れ込みでした。議論噴出、皆さん、グローバル時代に不適応症候群的とも思える日本のことを大変に懸念し、普段から行動している方たちです。会話は全部「off- the-record」ということでしたので、参加者の名前は出さないことにしましょう。

ところで、WSJ からは編集局長、日本支局長以外は数人のコアスタッフが参加ですが、皆さん女性ばかりでした。皆さん、素敵でした。やっぱり「これ」ですね。

もう1つ。日本で活躍している外国の方々が、「Giving Back to Japan」 と題して、日本にある各国の商工会議所(CCJ- Chamber of Commerce of Japan; 私は今年、米国商工会議所大使をしています、、)と、今回の災害で活躍しているいくつかのNGOが集まり、活動支援、ネットワークつくりの機会を作ってくれました。

私にもKeynoteのスピーチを、というありがたいことで、「Re-inventing Japan」というタイトルで、お話させてもらいました。この災害は「危機」であり、だからこそ、今まで言われていても出来なかった種々の「改革」ばかりでなく、この機会を捉えた、日本を大変革する「開国」する「機会」としなければ、お亡くなりになった方々に申しわけない、それには将来を担う若者への未来を作る機会を、「グローバル世界の市民Global citizen」(資料1,2)となることを基本にすべき、そして、そのような目的で設立した「Impact Japan」 を紹介しました。災害地の子供たちのためにいろいろ活動している方たち「KnK国境なき子どもたち」、「PA International」の方たちともお会いできました。

レセプションは大いに盛り上がりました。このような会合を、6ヵ月後に持つことになっています。

世界の皆さんと連携の輪をひろげよう、日本の将来を作る若者達のためにも。

 

San Diegoでの遭遇と、思いがけない再会

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先日、4月はじめのSan Diegoでの会議についてお話ししました。

そのときの1つのパネルで今回の東日本の災害対応Disaster Relief、Project Hopeとのことについて話しました。後で、1人の方からいろいろ支援のことを聞かれ、議論しました。New YorkのDr Raymond Basriです。災害援助にとても関心があり、アフガン、カトリーナ災害など、多くに参加しているのです。またNew York City、Hudson Riverの飛行機の不時着の対応でも指導的役割をされた方でもあります。

その後、何度かこれに関連してメールでやり取りしていましたが、突然、「4日後に日本に行く、大学生の娘と高校生の息子を連れて災害の現地に行きたい、娘は何回かカトリーナ災害にもつれて行ったけど、息子は災害の現場に行った経験がないし、、」と。

この3週間、Project Hopeとの共同作業で、第2団チームの3人の医師が3回現地を回り、そのつど現地へ行く前と後に報告と打ち合わせの会議を行ってきました。

それらも踏まえて、いろいろな方達の協力も頂き、4日後の今日、土曜日の午後に成田到着。羽田へ移動(ココでようやくメール、携帯で連絡が付く、というギリギリ、、)、そこから秋田へ飛ぶ前に空港で3人に(写真)お会いしました。30分ほどの間ですが、現地の地図を渡しながら打ち合わせしました。そこから宮古へ車で移動という予定。前日にようやくこちらの予定が間に合ったかな、という綱渡りでしたが、現地の宮古に到着は真夜中の予定です。

明日の日曜日、現地を何箇所も回りながら、Dr Basriさんがお持ちになった物資の引き渡しは現地の方に依頼しました。

現地で土日の2泊、月曜の夕方前には成田からNew Yorkへむけて出発予定です。

皆さんに、あまりにも急な話で本当にお世話になりました。