主張<10> 教育者は若者に「選択肢」を与えよ

人生に「選択肢」はいくらでもある

 

 私は14年間アメリカにいましたが、帰国して非常に気になったのが、日本の大学の学生の様子です。大学に入ってきた頃はすばらしく優秀なのに、学年が進むにつれて視野がどんどん狭くなっていく。これは、教育を施す側の問題で、日本の大学の教育レベルが低いということです。私がおもに見ていた医学の分野に話を絞ると、20代の頃は目を輝かせていた学生たちが、30歳ぐらいになると一様に活気がなくなります。そして、「①このまま医局に残るか、②関連病院に勤務するか、③開業でもしようか」という、わずか三択の狭い思考に陥っています。しかし、人一人の可能性として、海外に出て活躍しよう、もっと修行を積もう、免許をとったら何はともあれ世界を見て回ろう、国内の僻地医療に貢献しようetc. 本来もっとたくさんの選択肢があるはずなのです。特に今はグローバル時代なのですから、高等教育を受けた者が海外にいくらでも活躍の場を持てることは、みなさん知っているはず。それなのに、日本の大学教育の現場にいる教育者の多くが、いにしえの昭和の時代に自分が受けた教育スタイルを、そのまま今の学生に押しつけていました。

 日本の大学の教育者は、自分の研究テーマや業績だけに執心していて、次世代の人材を育てるという意識がないと感じることが多々あります。しかし、大学院生やポスドクは、教授が自身の業績を増やすために論文作成を手伝わせる手駒ではないはず。教育者の一番の誇りは、やはり自分の育てた学生であるべきであり、業績ということなら「どのような教え子を育てたか」でしょう。例えば、研究大国であるアメリカの学会は「有能な若者の見本市」のようなもので、来ている人はみんな「いい人材がいたらスカウトしよう」と思っています。見込みのある人材を見つけたら、「この若者を育てたのは誰だ」ということを必ず確認します。若者の学会発表では同時にその人を教育した教授の能力も見られているのですね。私がアメリカにいたとき、教え子の学会発表ではいつも自身の発表以上に緊張させられたものです。

 グローバル時代の教育者は、「現代における高等教育の本質とはなにか」を常に考えるべきです。そうすれば、己がなすべき仕事は、若者の一人ひとりに「自分が何をしたいか」をきちんと考えさせ、人生にはさまざまな「選択肢」があることに気づかせ、個として独立させることであるとわかるはずです。例えば「日本の常識が合わない」と悩んでいるような学生がいれば、場合によっては「それでいいのだよ」と励まし、海外に送り出したり、自分のツテを紹介したりして、彼ら彼女らにさまざまな選択肢があることを知らせる。ときには自らが既定路線から外れていく姿を見せる。それが、教育者の使命といえます。日本の学生の視野が狭く、既定路線から外れて一歩踏み出すことを極端に恐れる傾向があるのも、結局は、彼らの上に立って教育をしている人間が、自ら「選択」をしてこなかったからです。上の世代の教育者が広い世界にあるさまざまな可能性を知らないがために、狭い日本の中で既定路線を進むしかないと思い込んでしまう学生が少なからずいる。それが、いまの日本の閉塞感を生んでいる原因の一つでもあるでしょう。

 

定年1年前に東大を辞めて3か月で東海大学に異動

 

 私は1996年に、東京大学医学部第一内科教授の任期を1年余り残して、東海大学に移動しました。3月に発表して、7月には赴任。みささんに「え!? どうして?」とずいぶん驚かれましたね。東大から東海大学に異動する人など珍しいですし、一般的には定年後に公的病院の院長に就任するというのがよくあるパターンだったはずです。「退職間近で辞めるなんてもったいない。退職金にペナルティーを受けるでしょうに」などとも言われました。しかし、もともと私は病院長になる気はありませんでした(水面下で打診がきていましたが、お断りしていました)。病院長は私でないとできない仕事ではないですし、ほかに適任者は大勢いるからです。それよりも、帰国してからずっと気になっていた大学教育の改革をやりたいと思っていました。また、私自らが既定路線を外れる姿を学生や若い医師たちに見せて、人生にはさまざまな選択肢があることを、私の身をもって示したかったのです。

 場所や所属を何度も変え、多くの優れた方々に教育を施してもらった私は、自身も教育の場にいたいと強く思っていました。海外で教育を受けて帰国したとき、学生に対して親身になれる自分に気づいたのです。「教育の意味」というものは、いい教育を受けたことがない人にはわからないものかもしれません。いろいろな場面ですばらしいメンターに出会い、育ててもらった経験がないと、よい教育者にはなれません。そういった点で、教育の基本は「恩返し」なのでしょう。

 もちろん、心配がないわけではありませんでした。院長就任の打診を断った時点で、ほかに定年後の行き先があったわけではありません。ただ、リスクを目の前にして迷ったとき、可能性の有無は別として、自分がやりたいことがやれる選択に賭ける気概があるかどうかは、人生のターニングポイントで大きな影響力を発揮します。人間、強い気概があれば、チャンスというものは訪れるものです。このとき大事なのは、「これはどうしても譲れない」という自らのボトムラインを決めておくことです。そうでないと、見栄や外聞、いっときの利益に惑わされ、自らの人生を自ら選択できないつまらない人生を送るはめになります。私にとってそれが教育改革でした。

 そう考えて、私自身が人生を通して得た「経験則」に身を委ねたところ、東海大学から「うちの医学部長になってくれないか」という話がきたのです。当時、東海大学はほかの大学との差別化を図るために医学部教育の改革をしようとしていました。一方の私は、東大の医学部で、学生を海外の大学や病院に短期留学させたり、アメリカ流の講義方法を採用したり、ハーバード大学医学部が1987年に導入したNew Pathwayという学生たちの協同学修のカリキュラムを学生たちに実体験させたりと、さまざまな新しい教育を導入しつつ、あちこちで教育の重要性を説いてまわっていました。そこで私に白羽の矢が立ったのでしょう。

 東海大学では、学生たちに「外の世界」を知ってもらうため、アメリカ、イギリス、オーストラリアでのクラークシップ(学生が医療チームの一員として実際の診療に参加する臨床実習)の仕組みをつくり、若い医師たちをどんどん海外に送り出しました。医師たちには、「日々、気づいたこと/感じたことを、私にメールしなさい」と言ったところ、「英語が伝わらず、仕事も難しく、苦労しています。しかし、大変勉強になっています。先生やレジデントだけでなく、看護師さんや患者さんも含め、みんなに育てられていると感じます」「毎朝7時からプレゼンテーションがあり、準備に追われて1日2時間しか眠れません。ただ、先生たちは『恥ずかしがらずにどんどん質問しなさい』と励ましてくれます」「自分の成長を実感でき、人生の目標がクリアになりました」といった報告が毎日のように送られてきました。これらのメールに最優先で返事を書きながら、私は、短期間の留学であっても若者たちの意識が大きく変わり、彼ら彼女らの知的水準がグッと上がるのをはっきりと感じました。後に、これらの仕組みは他大学にも広がりました。

 

なぜ外から自分を見るべきなのか

 

 私が若者に海外に出ることをしきりに勧めていると、私自身の経験から「欧米に傾倒している」「アメリカを全面的に称賛している」という誤解をする方もいますが、それは大きな間違いです。海外に出て自分の国を外から見ると、自分の国の国民性や文化の良さ、強さ、弱さを相対的に感じ取れるようになります。日本のいいところに改めて気づく一方で、日本での常識がとんでもない非常識なものとして胸に迫ってくるかもしれません。同時に、世界に自分が存在する意味を見いだすことができるようになり、自分自身の良さ、強さ、弱さも感じ取れるようになります。そういうものなのです。また、私がアメリカを面白いと感じるのは、アメリカほど、異なる知識と技術、背景、価値観を持った人が集まる国はないからです。個々の知識と技術はともかく、アメリカに留学すると、日本では絶対に体験にできない「ちがい」というものを実体験できます。そこに価値を見いだしているのです。

 実際に外の世界に、できれば組織の庇護などない「個人」として行って、自分の目で見て、感じ、いろいろな人に出会う。生き残るために現場で必死に感覚を研ぎ澄ませる。海外で学んだ経験のある人はみな実感することですが、そうすることで、はじめて気づくことがたくさんあり、本当の知恵というものが身につきます。明治維新のころの日本には、そのように海外で学んだ後、偉業をなした人が大勢いたように思います。イギリスからたくさんの本を持って帰って自分で読み解き、いくつもの本を著し紹介した福沢諭吉。アメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国で学んだ岩倉使節団。最年少の満6歳でその岩倉使節団に随行した津田梅子。長州ファイブ、薩摩セブン、山川健次郎。アメリカに渡り、後に日本人初のイェール大学教授となった朝河貫一etc. 一度外に出て知恵と自分の価値観を身に着けたとき、彼ら彼女らのように自分のやりたいことやキャリアを見つけられます。

 広い世界をいちど経験すると、それまで日本の中の狭い世界でお山の大将を気取っていたような人も、たいていの場合は自分を過信することがなくなり、謙虚になります。その謙虚さこそが、いっそうの自己研鑽につながり、やがて自分自身に対する大きな自信を生み出します。私が海外に送り出した若い医師たちに関していえば、アメリカのレジデントの生活は日本の研修医の厳しさの比ではありませんから、最初はみんなショックを受け、苦労をします。しかし、その経験をした人たちはみんな、日本の医療を自分なりに考えることができるようになっていきます。また、日本だけでなく、アジア、世界へと考えの視野が広がっていきますし、10年先の時間軸で医療について考えられるようになっていきました。中には、インドに行って実際の貧困を目の当たりにした途端、「これをなんとかするのが、自分の人生のミッションだ」と気づいた若者もいました。このような自分のロールモデルを見つけるチャンス、自分が夢中になれることに出会う機会が、一人でも多くの若者に開かれていてほしいものです。実体験に気付きや心のときめきを得られたとき、「これが私の一生の仕事だ」と思えます。すると、自分のモチベーションや目標が定まり、「多少のリスクがあってもどうにかやってやる!」という気概が持てるようになります。

 人も物も情報もフラットにつながるグローバルな時代。これからの若者は日本の中でどうこうしようとするよりも、思い切って海外に出てしまった方が圧倒的にチャンスは大きいことは確かです。やりたいこと、目指したいロールモデル(お手本となるような人)、メンター(指導者)は、人それぞれでしょうが、それを均一性の高い日本という国の1億2000万人の中から探すのと、全世界の78億7500万人の中から探すのとでは、得られる可能性がまったくちがってきます。

 なにも、私のように海外で何年もすごしながら、延々と激しい他流試合を続けなさいと言っているわけではありません。若者は数カ月であってもいいので、一度は外で他流試合を経験してみることで、自分の価値観を見つけなさいと言っているのですよ。若者に世界の広さを知ってもらい、自分自身や日本のいう国と比較する対象を持ってもらう機会をつくるのは、教育者の義務です。教育者は、「彼は私の教え子です」とつい誇りたくなるような学生を、広い世界に送り出す責任があります。私などは、世界で活躍する教え子がメディアで「私は黒川清先生に教育を受けました」と語ってくれているのを見ると、心の底から嬉しく思うのですがね。

主張<9> 「健康立国日本モデル」を世界に示せ

慢性疾患が世界を襲っている

 

 そう遠くない未来に私たち日本人を取り巻くであろう環境は、おおよそ予測がつきます。少子高齢化が進み、慢性疾患の患者が大量に発生します。慢性疾患を抱えた高齢の家族のケアを労働者が負うようになり、国の生産力はさらに落ちていくでしょう。実際、この30年間、日本のGDPは増えていませんから、そう遠くない時期に日本の社会保障は限界を迎えます。このままでは必然的に、現在の日本の医療制度は維持できなくなります。

 ただ、これは日本にかぎった話ではありません。一般的に、先進国では、国民の生活水準が高く栄養が行き渡ります。産業は第三次産業がメインになるため、人々は発達した交通機関のある都市に住んで、体を動かさなくなります。その結果として、糖尿病、高血圧、脂質異常症といった慢性疾患が増加します。ちなみに、中年に2つ以上の慢性疾患があると、後年の認知症のリスクが高まるという研究結果があります。高齢化社会の進行も相まって、認知症患者も増えていくということですね(認知症については前回の記事で書きましたので、ぜひお読みください)。

 人間の病気というと、これまでは貧しく不衛生な生活環境で発生するマラリア、結核、エイズのような感染症が主たる課題でした。しかし、現在、地球上で大勢の人々を襲い、命を奪い続けているのは、近代的で豊かな生活環境で発生している上記のような非感染性疾患であることが大きな特徴です。これは20世紀半ばまでの感染症を中心とした医学的思考では対応の難しい課題です。経済先進国でも前例がなかったことなので、まだ「理想的な社会モデル」は見つかっていません。

 歴史を振り返ると、人類の健康を脅かしてきた主な疾病は、マラリアや結核、エイズなど、貧困と不衛生な環境から生まれる感染症でした。ところが、現在、世界中で人々の命を脅かしているのは、皮肉にも経済発展と生活水準の向上がもたらした非感染性疾患です。これは、感染源の特定と衛生環境の改善という20世紀半ばまでの医学的思考では解決できない、人類の新しい課題といえます。この課題については、どの先進国もまだ有効的な解決策を見いだせていないのが現状です。

 しかし、どこも解決策を持っていないということは、逆に言えば、「理想的なモデル」を最初に構築できた国が、世界の範となれるということでもあります。そして、わが国はこの課題に最も早くそして最も深刻な形で直面しています。幸か不幸か。いずれにしても、チャンスと捉えるべきでしょう。

 

日本の医療政策に3つの提案

 

 認知症を含む慢性疾患が発生しやすい日本社会は、どのような医療政策をとるべきか。私から3つ、提案しておきます。第一には、国の医療費をできるだけ抑制するため、国民に健康的な生活習慣を根付かせることです。幸いなことに、糖尿病、高血圧、脂質異常症といった慢性疾患の多くは予防できます。認知症も、有効な治療法は見つかっていませんが、上記の慢性疾患を回避することで、ある程度の予防はできると考えられます。国民の一人ひとりが、まず己の健康状態を知り、自分で慢性疾患を予防するようになれば、医療行為は減らせて、国民医療費の高騰も抑えられます。その点では、若年層の喫煙率の低下、飲酒量の減少、トレーニングジムのブームなどはよい傾向ですね。

 第二には、国が国民一人ひとりの健康医療情報を電子データ化して統合し国と国民の共有財産とすることです。そうやって作成したビッグデータは、個人、医療従事者、科学者、医療政策をつくる者などにとって、きわめて有用です。今、国はマイナンバーカードを使ってこのような仕組みをつくろうとしていますね。一部のマスコミや政党が執拗にネガティブキャンペーンを張っていますが、リスクとベネフィットを客観的に判断すべきでしょう。もちろん、個人の健康情報というプライバシーが流出しないようにセキュリティー対策はしっかりととられねばなりませんし、データを収集する政府が国民に信頼されている必要があります。

 第三には、医療制度を改革して、新しい「かかりつけ医」の仕組みを導入することです。これは、以前に『大学病院革命』と『e-Health革命 ITで変わる日本の健康と医療の未来』(ともに日経BP社)という本で詳しく述べましたので、興味のある方はぜひ読んでみてください。簡単に説明すると、普段は自宅の近くにいる「かかりつけ医」と連携して健康管理を行い、重大な病気にかかったら、かかりつけ医が持つ診断データを専門治療のできる大型病院施設と共有し、そこで適切な治療を受けるような仕組みです。かかりつけ医と大型病院施設が患者の電子カルテを共有できれば、大規模病院は再編成され、日本の医療資源はより効率的に運用できるようになります。そのためには、現状、医師ごとに異なるカルテの書式を、教科書的に統一する必要もありますね。

 

過去には自動車や電気製品の製造で成功を収めたが……

 

 日本人は繊細で手先が器用な民族ですから、何かと「物の品質」で勝負したがります。「ものづくり」という言葉も好きですよね。しかし、「高品質の物をつくって広告を打てば大量に売れる」という旧時代のメソッドは、もはや世界には通用しません。すでに、高品質の物は日本以外の国でも生産できるようになっています。実際、電化製品や電子部品などは、中国、台湾、韓国にシェアを大きく奪われてしまいました。工業製品の製造は、かつての日本がアメリカに対してそうだったように、やがて後発国や後発企業に追いつかれる宿命にあります。自動車や電子部品の分野で日本が再逆転することは困難でしょう。

 日本がすでにあるものを、より薄く/より小さく、コツコツとただ改良していた間、間に世界最大の経済大国であるアメリカは、最先端技術研究に国を挙げて莫大な投資を行っていました。そして、その研究成果でソフトウエアという「形のないもの」を生み出し、人々の生活を一変させる「次世代ビジネス」で世界シェアを抑え、世界経済における支配的な地位をキープしています。AI関連事業、AR/VR、バイオテクノロジー産業、ヘルスケア産業、宇宙関連事業、クリーンエネルギー開発産業などなど、名だたる企業があるのがアメリカです。かつて世界経済の第一線にいた日本企業は、例えばApple社のiPhoneの部品などを製造する裏方として、かろうじて存在している状況です。過去に成功を収めた自動車や電気製品を地道に改良し続けることも大事でしょうが、日本はもっと「次世代ビジネス」に注目し、世界にイノベーションを起こるための研究に投資をしておくべきでした。

 

日本の次世代ビジネスは?

 

 これからの日本が世界シェアをとれる可能性がある「次世代ビジネス」は何でしょうか? 現在の世界のニーズは何だと思いますか? それが、私がこの記事の冒頭で述べた地球規模の保健医療の課題である高齢化とそれに伴って増加する人々の慢性疾患です。

 日本の医療と介護をとりまく現状は危機的と言ってよいのですが、実はチャンスでもあります。生活習慣病のまん延、少子高齢化、認知症、皆保険制度、医療人材不足などは、長寿を獲得した21世紀の人類には、必然的に起きる問題だからです。日本はいち早くこの課題に直面し、その対策の先陣を切る状況に置かれているのです。日本は「医療課題先進国」なのであり、それは世界に対する大きなアドバンテージと言えるでしょう。ただし、課題を抱えているだけでは意味がありません。重要なのは、スピード感を持って課題に取り組み、具体的な解決策を立案し、それを実際の医療現場に導入して、一つの「モデル」として確立することです。具体的にはまず、国民の健康医療情報のビッグデータ化を国家戦略とし、もっとスピード感を持って進めるべきです。

 そのためには、既存の医療システムに根づいた既得権益の壁を乗り越え、グローバルな視点から日本の立ち位置を見つめ直し、10年、20年先を見据えた長期的な視野に立つ必要があります。日本人は潔癖症のきらいがあって、新しいものが出てきたときにそのマイナス面を過剰に意識します。そのため、優れたアイデアがあっても、実行に踏み切れないことが少なくありません。確かに、新しい取り組みにはリスクが伴います。しかし、リスクばかりを過度に警戒していては、世界を変革するようなイノベーションは生まれません。これがアメリカでは、例えば、生成AIなどはすでにアメリカのテック企業が主導権を握りつつあります。彼らも生成AIのリスクを認識していますが、それ以上のベネフィットを重視し、10年先を見据えて前に進むことを選択しています。おそらくこのまま、アメリカがAIビジネスの覇権を握るでしょうね。自動運転技術の開発でも同様のことが起きています。

 新しいアイデアのリスクとベネフィットを冷静に比較し、リスクを最小限に抑える仕組みを整えながら研究開発を進め、スピード感を持って実用化する。イノベーションを実現するためには、日本人一人ひとりに意識改革が必要です(たいていの場合、物事に反対するのは国民ですから)。私は、医療従事者や政策決定者に、既存の利害関係にとらわれない、プロフェッショナルとしてのプライドと見識にもとづいた決断を期待しています。日本独自の医療費抑制モデルを構築できれば、それは「健康大国日本モデル」として世界各国がこぞって求めるでしょう。世界のニーズを捉えることができれば、このモデルは単なる制度設計にとどまらずそれ自体が日本の新たな知的財産となり、日本の「新しい商品」となるはずです。

 

「外から見る目」で世界のニーズを捉えよ

 

 ここまで高齢化と慢性疾患について述べてきましたが、病気に関する世界のニーズはまだあります。世界のどんな人々がどんな薬を欲しがっているのかは、相手の立場になってみないと感覚的にはわかりません。例えば、ポリオウイルスによって発生する脊髄性小児麻痺(ポリオ)という疾病は、現在の日本ではワクチン接種によって患者の発生はありません。しかし、アフガニスタン、マラウイ、モザンビーク、パキスタン、マダガスカル、コンゴ民主共和国などでは、いまだに感染が発生しており、世界保健機関(WHO)は、2014年5月5日から現在に至るまで、ポリオウイルスの国際的な広がりが「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態(PHEIC、Public Health Emergency of International Concern)」であることを宣言しています。日本人の多くが「遠海の向こうの病気」と認識しているマラリアにしても、2022年の推定感染者は約2億4900万人、死亡者は60万人もいます。たまたま現在の日本に入ってきていないだけで、これは「人類最悪の健康問題」です。ちなみに、マラリア原虫を媒介するのは熱帯のハマダラカですが、地球温暖化が進行していますから、そのうち日本にも入ってくるでしょう。マラリアにかぎらず、デング熱などのほかの熱帯病でも同様です。決してひとごとではありません。

 日本の製薬企業は優秀で、実はワクチンや治療薬の元になる「シーズ」をたくさん持っています。これは、アメリカやスイス、フランス、イギリスなどの大手製薬企業と比べても遜色ありません。ただ、生み出すシーズの多さの割には、経営的な決断力が乏しいという弱点があるように私には感じられます。経営上のリスクが少しでも見えたら、研究開発をストップして「お蔵入り」にしてしまうのです。「お蔵入り」になっているものの中には、別の使い方によっては有効性を発揮し、大きな利益を生むものもあるはずです。これは大変もったいないことです。

 病気は人の都合を考えません。新型コロナ禍でみなさんもご承知でしょうが、誰もがどこにでも行き来するグローバル社会では、何も対策をうてないでいると病原体はどこまでも広がります。そのようなことが起きる前に、製薬企業は、ワクチンや治療薬を前もって開発しておかねばなりません。世界中に膨大な種類の病気があるのですから、新薬開発にビジネスの可能性はいくらでもあります。日本国内だけを見ているのではなく、世界の枠組みで保健医療を考える、例えば、北里柴三郎のような人物が、現在の日本にもう少しいてくれるとよいのですが……。たしかに研究開発には相応のリスクがありますが、「失敗した責任を負いたくない」「海の向こうの病気など日本には関係ない」などといって手をこまねいているうちに、病気はまん延します。

 日本が持つ優れたシーズを世界に積極的に提供することを目的に、2012年11月、一般社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)というものが設立されました。これは、日本と海外の製薬企業、研究機関、大学の共同研究開発に投資することで、日本の有する医薬品シーズなどを開発途上国向けの感染治療薬、ワクチン、診断薬の製品開発に活かすことを目的とする国際的な非営利組織です。私はそこで2013年から2018年まで第一期の会長兼代表理事を務め、国内の大手製薬企業や政府、研究機関など連携して、開発途上国でまん延するマラリア、結核、顧みられない熱帯病(フィラリア症、狂犬病、ハンセン病など、熱帯地域の貧困層を中心にまん延している感染症疾患)などの感染症を制圧するためのスクリーニングプログラムを実施してきました。

 GHIT Fundは理事会メンバーの約半数が外国人です。会議も申請書もすべて英語で、審査は日本人と外国人とが半分ずつ行っています。こうすることによって、内向きの傾向がある日本人でも常に自らを世界の中に置いて物事を考えるようになり、意識が外向きに変わってくるのです。元ビル&メリンダ・ゲイツ財団もGHITに参加しています(GHIT Fund設立の構想に財団がかかわっています)。彼らの存在は宣伝効果が大きく、また、連携してくれた大学、研究所、企業のスタッフに「私たち日本人も世界につながっている」という意識が芽生えたようでした。現在、GHITには日本のメジャーな製薬企業6社が1年1億円でコミットしています。これらの企業がふだん使っている国際宣伝広告費に比べれば、この1億円は安いものでしょう。日本が持つ優れた医薬品シーズを引き出し、それを世界に約20あるProduct Development Partnersという医療研究開発を専門に行っている国際NGOに託す。その結果、ヒットするものがあれば、後は自社開発して導出してもらう。企業が個別に動くよりもプロセスはずっと早いですし、社外からの予算がつけば弾みにもなります。

 GHIT Fund自体は投資による金銭的なリターンを求めていませんが、製品開発の進捗や成果を投資のリターンとしています。現在、GHITからの投資を受けて、日本の科学や創薬技術を活用した新薬開発案件がすでに40件以上進んでおり、実際に、新薬も開発されています。例えば、世界74カ国で流行し、感染リスクがあるのは6億人、感染者は2億人、うち1億2千万人で病状が進行し、年間に毎年2万人が死亡する住血吸虫症という寄生虫病があります。GHITが2013年から9年間にわたって開発支援してきたその小児用の治療薬「アラプラジカンテル」は、2021年11月にⅢ相試験が完了し、有効性・安全性ともに良好な結果が得られています。今後、アフリカを中心とする5000万人以上の就学前児童に対する新たな治療オプションとなるでしょう。このような成果や実績が評価され、GHITにはステークホルダーたちからさらなる支援が集まっています。

 日本本発の優れた医薬品を実用化し、先進国に対してはある程度の値段で販売する。新興国に対しては国際機関に買い上げてもらって無料配布する。そうすれば、最近は売る物がなくなってきた日本が再び世界で稼げるようになるでしょう。また、新興国での日本の評判も大きく上がるでしょう。新興国の子どもたちが大きくなった時に、「小さいころ、日本の薬に命を救ってもらった」と感謝してくれるようになれば、それが日本という国の強力な「ブランド」となり、日本は再び世界で存在感を発揮するようになるはずです。

主張<8> 高齢化・認知症先進国であることは日本のアドバンテージ

日本を凋落させている原因

 

 日本が抱える大きな問題の1つが、この30年間、主要国の中で日本の経済だけが成長していないという事実です。成長していないどころか、衰退のトレンドにあります。国や地域の生産性の高さの目安となる一人当たりの名目GDPの推移を見ると、日本は2001年に世界5位であったものが、その後、順位を下げ続け2024年には何と世界39位。すでに、お隣の韓国(33位)や台湾(37位)にも追い抜かれてしまいました。加えて、IMFが今年の10月に出した世界経済見通しのレポートでは、「日本の1人あたり名目GDPはさらに減少する」ということですから、日本の凋落はとどまるところを知りません。

 日本を凋落させている原因のいくつかは、すでにこのブログでも述べてきました(例えば、主張<1> 常に「なぜか?」を考えよ)。一つには、グローバル社会の中で予測のできない大きなうねりを見せる世界経済に、日本の社会や産業の構造がまったく対応できていないということ。毎回のように言っていますが、「タテ社会の終焉」ですね。そして第二には、日本が世界一の高齢化社会になっているということ。これが今回のイシューです。

 

世界1位の高齢化社会

 

 この100年間、生命科学や医学の進歩、そして多くの臨床経験の蓄積によって、人類は飛躍的に長寿化しました。人が、より長い時間その人生を謳歌できるようになったことは、基本的にはよいことです。しかし、女性は60歳を、男性は70歳を過ぎたくらいから、生物学的には体が弱くなってきて、認知機能なども衰えはじめます。

 国の人口における高齢者の割合が増えると、年金・医療・介護などを支える財源が不足し、労働資源の問題も発生し、経済先進国であれば経済成長が止まってしまいます。今の日本が陥っているのはまさにこの状態ですね。

 日本の国民の平均寿命は世界1位。手元のデータを見てみると、日清戦争が行われていた1890年代の日本人の平均寿命は男女ともに40歳代だったようです。それが1950年代になると男女共に60歳代となり、直近の2015年では男性80.8歳、女性87.0歳となっています。どんどん伸びていますね。今や、「人生100年時代」などと言われているのは、みなさんご存じのことでしょう。

 私も現在は88歳と、後期高齢者となって久しいのですが、毎日、ものを考えながら仕事をしているおかげか、それなりに元気に働いています。90歳近くの人間が働いているなんて、一昔前の社会の常識では、考えられないことかもしれません。現在、日本国内総人口に占める65歳以上の割合は約30%。日本というのは、実に国民のおよそ3人に1人が高齢者である国なのです。

 

認知症のコストは膨大

 

 人は高齢になると、さまざまな病気の問題が起きるようになります。その代表的なものの1つが「認知症」です。日本における認知症に関係するコストは、近年ではGDPの4%、約16兆円にものぼるといわれています。ちなみに、認知症コストの約50%が、主として女性が家族などをサポートするのにかかる表面に出てこないコストとされています。この数字は決して無視できません。認知症が日本の経済成長を押し下げている要因の一つであることは確かです。

 日本は過去30年にわたって経済成長しておらず、すでにGDPの200%を超える負債を抱えていますから、医療・介護・社会保障の予算は増額が難しい状況にあります。そのような状況下で、2025年には日本の認知症患者は700万人にまで増加し、65歳以上の人口の約3分の1が認知症予備軍となると推定されています。日本はこの課題に対して、早急に対策を講じなくてはいけません。

 

日本発の高齢化・認知症対策

 

 進行する社会の高齢化や増加する認知症患者に対して、さまざまな取り組みがすでに行われています。みなさんもニュースなどで耳にしたことがあるかもしれません。例えば、全国津々浦々に店舗を展開するコンビニエンスストアのネットワークを、高齢者宅への日用品などの配送に活用するビジネスが始まっています。同様の取り組みは、国内のほぼすべての地域に展開している郵便局でも可能かもしれません。コンビニエンスストアと郵便局のどちらも、今後増加が予想される高齢者に対応するための重要なインフラとして役立つでしょう。

 金融機関の窓口も、頻繁に来店する高齢者に特別な配慮をするようになってきました。近年は認知機能の衰えた高齢者をターゲットにした特殊詐欺が横行していますから、これに対応するためです。

 認知症については、コミュニティーにおける認知症の支援者を養成する「認知症サポーター」というプログラムも行われています。養成講座を受講して認定された「認知症サポーター」は、認知症の疑いがある人に注意をうながし、介護者と連携して認知症患者へのケアを行います。このプログラムは非常に評判がよくて、2022年1月の時点ですでに1364万人のサポーターが生まれています。現在、これを日本発の認知症対策として世界展開することが考えられています。

 AIを搭載したロボットの活用も検討されています。認知症の進行を遅らせるためには、患者に外部から認知的な刺激を与えることが重要だとされています。単なる機械的な介護ではこれは難しいですが、例えば会話ができるAIを搭載したロボットのように、人間的なインターフェースを備えたものなら、患者に社会的な刺激を提供することが可能です。AIに関しては、近年、OpenAIが開発したChatGPTのような生成AIが登場しています。私も試してみましたが、まるで人間のように自然な対話ができ、数年前には考えられなかった技術の進歩に驚かされました。生産は終わってしまいましたが、ソフトバンクの「ペッパー」のようなロボットに生成AIを搭載し、より人間に近いコミュニケーションで患者をサポートすることで、患者の生活の質を向上させたり、介護のコストを削減したりすることが期待されます。

 ただ、これらの取り組みは、まだテストマーケティング、調査研究の段階であり、社会全体の連携やさらなる展開にはもう少し時間がかかりそうです。

 

サンプルの多さを活用して「認知症ビッグデータ」をつくれ

 

 2013年にロンドンで開催されたG8サミットをきっかけに、2014年4月、世界認知症審議会(WDC:World Dementia Council)が設立されました。世界各国の産官学民あらゆるメンバーが参画し、グローバルレベルで認知症対策を促進することを目的とする独立・非営利の団体です。議長国イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相(当時)は、「イギリスは認知症対策に国を挙げて取り組みます」ということを、世界に宣言した形になります。

 私もメンバーに招かれ、副議長(Vice Chair)に就任しました。イギリス大使館から突然、「WDCを立ち上げました。ぜひ黒川博士にもご参加いただきたい」という内容のメールが届き、要請されたのです。以前から私が、「認知症対策には早期診断が大事で、それにはバイオテクノロジーだけでなく、デジタルテクノロジーやAIテクノロジーが重要である」と、主張していたからでしょうね。私は、世界各地で開催されるWDCでも同様の提言を続けました。

 デジタルテクノロジーはバイオテクノロジーよりもずっと急速に進歩しています。近年では、人間の健康にまつわるビッグデータを容易に入手・解析できるようになり、これまで以上の多くの相関関係・因果関係を述べられるようになってきました。
年齢、家族歴、遺伝的背景、教育、運動、喫煙、飲酒、睡眠など、認知症を発症する要因には多くの仮説があります。これまではこれらのファクターを個別に検証しなくてはなりませんでしたが、ビッグデータを網羅的に相関解析すれば、さまざまな仮説をまとめて検証できるでしょう。これまで思いつきもしなかった仮説が生まれ、認知症の予防法や治療法の開発が飛躍的に進むかもしれません。

 2020年、これらの私の主張を、イギリスの週刊新聞「The Economist」の記者が取材しにきました(2020年8月29日号)。なかなか勉強しているなと感心したものです。

「The Economist August 29th 2020」

 なぜ私が認知症対策についてこのような主張をしてきたかというと、専門としている腎臓病の分野で似たような経験をしているからです。慢性腎不全の透析治療の分野では、30年ほど前から透析に関するデータを世界中から集め、分析するという長期の臨床研究が行われてきました。当時は「臨床の質問」を公募するというものでしたが、これは現在「ビッグデータ」と呼ばれるもののはしりですね。そしてこの研究は、例えば、「日本の慢性腎不全の治療成績が欧米よりよいのは、シャントの質がよいからである」といったように、慢性腎不全の治療成績の向上やコスト分析に大きな貢献してきました。ビッグデータ(のはしり)の分析で、ブレイクスルーが得られたのです。

 先に述べた通り、日本は認知症先進国であり、大勢の患者がいます。これは、「認知症に関する大量の生データを持っている」ということでもあります。このビッグデータを活用しない手はありません。

 すでに、アメリカのデジタル企業は、人々の健康に関するビッグデータ収集を積極的に行っています。例えば、皆さんが腕に巻いているApple Watch。このスマートウオッチからは、心拍数、エネルギー消費量、血中酸素濃度、活動記録、睡眠情報といったさまざまな生体情報が長期的に収集されています。AppleはApple Health Studyと銘打って、収集したデータを研究機関と共に分析し、健康増進サービスをつくっています。

 

世界が日本に注目している今がチャンスである

 

 高齢化と認知症はあらゆる国で不可避な社会的なリスクです。世界の60歳以上人口は、2017年の約9億6000万人から、2050年にはその2倍の約21億人になると予想されています。そして、2015年時点で世界には約4680万人の認知症患者がいましたが、予測ではこれが20年ごとに倍のペースで増えていき、2030年には7470万人、2050年には1億3100万人になるといわれています。

 2015年時点における認知症に関連する医療・介護コストは、世界全体で約8180億ドル、2030年には2兆ドルに達すると予測されています。この金額を一国の経済規模に置き換えると、世界第18位に相当します。

 そしてやはり、認知症患者の介護はローコストで家族が担うケースが多く、とりわけ女性が負担をします。今まさにこのとき、世界中で多くの女性が認知症の親や家族の介護を引き受けており、社会進出を断念しているのですね。また、介護によって失われる労働力は統計に反映されにくいため、この問題は潜在化しています。

 日本人の高い長寿率と、それを支えている食事・栄養・運動などに関する知恵と経験は、すでに世界中の科学者や医師に知られており、リスペクトされています。経済先進国であると同時に高齢化先進国でもある日本が、今後、高齢化と認知症の問題にどのような対策を講じるのか、世界が期待と関心を寄せて注目している状況です。近年、日本は国際社会で十分な存在感を発揮できていませんでしたが、世界に注目されている現在の状況は、日本にとって大きなチャンスと捉えるべきです。

 日本が率先して国民の医療ビッグデータを収集・活用し、「成熟した長寿社会」という新たなモデルを世界に示す。世界に先駆けてテストマーケティングを行い、高齢化や認知症のコストを削減するノウハウで世界シェアをとる。そうすれば、30年元気がなかった日本が再び主要国の中で存在感を取り戻すことも可能である――為政者や起業家の方々には、そういう感覚をぜひ持ってほしいと思います。

 来年から私は、認知症に関する新たなプロジェクトをはじめる予定です。進展があったところで、またみなさんにお知らせする機会もあるでしょう。楽しみにしていてください。