「医学生のお勉強」 Chapter5:医療事故(1)

医療事故では皆が loser〔敗者〕であり、winner〔勝者〕はいません
セッションのオリジナルタイトル/Patient Safety and Medical Accidents

 

■from K.K.

医療事故は、ある程度の軽いものは日常的に起こっていると考えられます。平成12年には東海大学でも、患者さんが亡くなるという大きな事故を経験し、私達もテレビの前で謝罪することになりました。東海大学の対応は早く、現在の状況では適切であったと思われます。この理由の一つには、我々がアメリカでのInstitute of Medicineの「To Err is Human」の報告書を受けて、かなり前向きに医療事故についての現状認識があったことが挙げられます。
しかし、とにかく悲しいことです。医療事故では皆がloser〔敗者〕であり、winner〔勝者〕はいません。
このセッションでは東海大学での医療事故に始まって、医療事故の原因になる因子についての議論、医療の現場の大変さと社会からの理解の不足、その対策等について活発な議論が展開できたと思います。
そして、それらの根本にある日本の医療制度と医療保険制度の問題点、さらに日本社会の基本的問題点へと討論は発展し、医療人の社会的責任のあり方等へ展開していきました。
セッションのオリジナルタイトルは「Patient Safety and Medical Accidents」です。
 

■事故は検証しなくては減らない

黒川:
今日は誰が司会をするの? 今年の4月に東海大学でも事故が起こって私もテレビの前で頭を下げさせられたけど…まあ、それはいいんだけど。本当に患者さんが一番気の毒だよね。
この本は最近すごく有名になっちゃったけど、タイトルは『To Err is Human』、「人間は間違うものだ」。これ読んだ? この「医療の安全性」というのを『学術の動向』の去年の2月号に書いていたんだよ。おととしの12月にこの原稿を書いたんだけど、そのときにたまたまインターネットから情報を得たんで、「To Err is Human」ってサブタイトルにつけたんだ。その後去年の3月か4月にこのタイトルの本がアメリカのナショナル・アカデミーからでたから、どさっと40冊購入して厚生省とかいろいろなところに配った。日本医師会の坪井会長にも送った。たまたま坪井先生がそれを持ってアメリカの世界医師会に出席したら「褒められた」とか言っていた。
それでこの原稿を医療審議会とか中央薬事審議会とかの委員に配っていたんだ。委員会の人から、「これはいいですよ」なんて言われてたら、そうしたら自分のところで医療事故が起こった。

司会:
では、今日は医療事故についてやりたいと思います。まずこの先生の記事を読んで何か思ったことはありますか? なんでもいいですが。

黒川:
1年くらい前に、東海大学で起きた事故のこと知ってる?
患者さんは小児科に入院している1歳半の女の子なんだけど、自分で食事を摂ることが難しかった。家が病院のそばで時々退院はしていたんだけど、栄養状態が悪いからずっと入院してた。お父さんもお母さんも一人っ子の女の子ですごく可愛がっていた。しかも「すごく子供がほしかったんだけどなかなかできなくて、ようやくできた子供だから」って言って、すごく可愛がっていたんだけど、体が弱くて成長があまりよくなかった。だから点滴したり経鼻で栄養も与えていた。という状況だった。鼻からチューブが入っていて、腕には静注のチューブがあって、間違えるといけないからといって、いつも片方から入れるチューブは赤くして、その赤いチューブに入れる液体も赤い注射器に吸うようにしていた。いつもと同じ看護婦さんがそのようにやってたんだけど、その日はたまたま間違えて経鼻チューブから入れる液体を静注のほうにつないでしまった。だから死んじゃった。看護婦さんはパニックだよね。それはそうだよね、自分がその患者さんをすごく可愛がっていたから、「なんでこんなことしたのか」って、すぐに気がついたけど、精神錯乱状態になってしまった。その看護婦さんには精神科のお医者さんをつけているけど、彼女はなかなかリカバーできないって聞いている。今、訴訟事件になって民事裁判から刑事裁判になるかもしれない。彼女もある意味ではすごい被害者なわけ。すごくかわいそうだよね。それが事故の経緯。
この事例で何が問題だったかというと、チューブを入れて経管栄養しているような人は、間違いなく点滴をしているじゃない。それでも間違える可能性が常にあるから、大人の場合は静注につながる注射のチューブと、経鼻チューブにつながるのをつながらないような仕組みにしておいたわけ。だから間違いようがない。だって接続しようとしてもつながらないんだから。だけど赤ちゃん用にはそういうのがなかった。メーカーに「作ってくれ」と前から言っていたんだけど、「ない」って言うから色を変えて対応していたんだ。それでも間違える可能性はゼロではない。それでその事故が起こってからすぐに、メーカーが子供用でも合わないのを作ってくれたんだ。メーカーが申請していたのを厚生省が事故の2日後に承認したんだよ。厚生省もタイミングが悪いんだ。厚生省の言い分では「きちんと順番にのっとっていました」って言うんだけどね。でもそこでまた問題があるんだよ。メーカーの人が「子供用の新しいのを作りました」と言って、持ってきたけど使い物にならない。なぜかというと、メーカーの人たちは接続が合わないのを一生懸命作るわけ。だけどメーカーの研究所でそういうのを作る人は看護婦さんでもないし、お医者さんでもない。現場のユーザーと話をしていないから、現場が本当に何がほしいかというのを知らない。しかも、そういうのを「ほしい」とメーカーに言う人は病院長とか用度係長とか、そういう人でしょ。その人たちも現場にいないから本当のニーズがわからない。だから現場の本当のニーズがなんで、何に困っているのかということを、「実際に開発する人」と「エンドユーザー」とが一緒にやらなくちゃいけないのに、厚生省はすぐにどこかの教授とかに相談したがる。現場の人の意見を取り入れるという発想がとぼしいんだ。
医療事故っていうのはどこにもウィナー=勝者がいない。すべてがルーザー=敗者なんだ。起こそうと思わなくても起こる。東海大学の事故だって本当に家族もかわいそうだし、看護婦さんもいつまでもダメージからリカバーできないし。医療事故はある確率で常に起こっていると思うんだけど、その背景はどうしたらいい?

司会:
それでは、自分の周りで事故を知っているとか、身近に起こったとか、ということはありますか?

黒川:
自分たちが当事者になるかもしれないからね。

――:
われわれは「明日はわが身」って感じですから。

――:
去年の統計では1年間に320件とか、1年間に事故として報告された件数で350件とか。急に増えた。

司会:
みなさんの身の周りにないですか?

――:
おばあちゃんの話なんですが、医療事故までいかなかったんですけど。近くの病院に通ってるんです。ちょっと高血圧気味なのでいつも下げる薬をもらってるんですが薬を飲もうとして、たまたま説明を読んだんです。そうしたら血圧を上げる薬だった。びっくりして看護婦さんに言ったんです。でも医者は一言も謝らず、薬剤師さんが頭を下げたって聞いてます。それにもおばあちゃんはあまり納得がいかなかったんですけど。

黒川:
どこにミスがあったの? それを検証しないと、どうして起こったかがわからなくて、次にどうやったら起こりにくくなるのかがでてこない。お医者さんの処方を薬剤師が間違えたのか。最初からお医者さんの処方が間違っていたのか。

――:
そのへんが曖昧で、おばあちゃんも何十年もその病院とつきあっているから、そこまでは強く言えなかった。

黒川:
それは病院内部の問題だな。

――:
お昼のときに5年生の方にちょっとうかがったら、医者が自分がそういう事故に巻き込まれたときの損害賠償のために、保険をかけているということがあるらしいですが、みなさん、いくらくらいかけているんですか?

――:
日本にはあるんですか?

黒川:
あるよ。大学病院ではみんな入っていると思うよ。クラークシップとかがあるから。

――:
例えば開業医の方が、「自分がもし」というときにも入っているのでしょうか?

黒川:
入っているよ。

――:
看護婦さんも入っていますか?

黒川:
入ってるね。一つはなぜ看護婦さんが入るかという話だけど、医療事故が起こっている現場では、看護婦さんがかかわっている場合の確率が非常に高いんですよ。というのは最終的に注射をするとか、採血するとか、患者さんに処置をしているのは看護婦さんが多いでしょ。お医者さんの場合は薬の処方ミスはあるけど、薬のオーダーだと患者さんにいくまでに処方、誰かが見る、薬局にいく、薬がくる、看護婦さんが見る、といういくつかのプロセスがあるから事故になりにくい。
東京医科歯科大学病院で起こった事故は、研修医が一桁間違えて処方を書いて、その処方箋が薬局にいって、薬局でおかしいと思ったんだけど、そのまま出してしまった。おかしいと思っているんだ。実際、現場に薬が来たとき、「あれ?」「そうかな?」と看護婦さんも気がついたんだけど、そのまま患者さんに飲ませてしまった。みんながちょっとおかしいと気がつくことで、普通はブレーキがかかるわけ。
横浜市立大学病院の事故もそうだった。レポートを見せてもらうと、看護婦さんが2人の患者さんを連れてオペ出しをしたときに、患者さんを取り違えたんだそうだ。そのときの問題は、みんながどれくらい知っているかわからないけど、麻酔をする先生っていうのはその患者さんを見るわけじゃない。そのときに、「この人は今日は心臓の手術だから開胸だな」「この人は肺だな」と見ているわけでしょ。そのときも麻酔医と執刀医、オペ室の看護婦さんは、「心臓の手術で開胸するのに胸毛を剃ってない」と思った。「なんでやってないんだ」と話をして、「あれ?」と思った。もう一つの問題は、心臓だったら当然麻酔の先生とかが心音を聴くじゃない。ところがあまり心雑音はなくて、「それは麻酔がかかってるから血管が拡張して聞こえないのかな」と考えた。「ちゃんと心音を聴取できないんじゃないの」と私は思ったんだけど。何人もがどこかで何かおかしいと思ってるんです。それをもう1回チェックしない。何重にもおかしいと思っていても、そのまま手術をしてしまった。それに横浜市立大学病院の決定的なミスは、主治医と執刀医が違う人だったから患者さんを取り違えてることに気がつかなかった。外科の病棟でしょ。ここではあまり考えられないんだけど、受け持ちの先生とオペをする先生は普通同じ人なんだ。オペする前に主治医が病棟に行って回診して、必ず執刀医と一緒にオペ室に入るわけでしょ。でもあそこはそうではなかった。そんなこと考えられないね。だって普段診ている主治医が一緒に入らない手術だなんて。とんでもないミスがいくつもあるから、それはシステムの問題。

――:
患者側が手術する先生の顔を知らないってことはよくあるんですか? 誰が手術したか知らないんですか?

黒川:
患者さんが自分で主治医と思ってる人が、「私が手術しますよ」と話をしてるのが普通なんだよ。それをしていない。

――:
そういうのがしょっちゅうあるかと思うと、ちょっと怖いですね。

黒川:
あなたもお医者さんになるのに、「そういうことがしょっちゅう私の前で起こるのかしら」と思うとすると、それはシステムとして問題がある。みんな、何か発言してよ。間違っててもいいんだから。

――:
さっきのおばあちゃんの話にもありましたが、もし患者の立場だったら、間違いはどこに苦情を言えばいいんでしょうか?

――:
直接そのお医者さんに言うんじゃないですか?

――:
言ったらもみ消されちゃうんじゃないかなあ。

――:
おばあちゃんも裁判にしようと思ったらできたんじゃないかなあ。でも、どうも薬を飲んでいなかったらしくて、そこまでことを大きくしたくなかったらしい。

――:
普通の商品については消費者センターのようなところがありますよね。医療界はそういうセンターはないんでしょうか? 病院の相談所とか。

黒川:
投書箱とか?

――:
それは効力があるんですか?

黒川:
それを見てどうするかは病院側の問題だから。

――:
先生からいただいた資料でも思ったんですが、なんで日本はマスコミに発表しないといけないのでしょうか?

黒川:
最近は、病院で「事故が起きたら公表します」って言っているけど、これはどういう意味を持っていると思う?

――:
密室性を解除するためでしょうか?

――:
えぐられると悪いことばっかりだから、先に言ってしまえば。

――:
よくわからないけど、本当は厚生省とか当事者間で解決すべき問題で、マスコミには関係ないんじゃないんでしょうか。

――:
でもそれを「隠していた」って、報道されるわけでしょ。

――:
公表するのに記者会見を開くと案内を出すんですか?

黒川:
よくわからない。最近病院も医療事故について公表するようになってきて、各病院で公表する条件を「検討してます」と新聞なんかに言っているけど、なんのために何をするのか。

――:
視聴者に「この病院はミスしてます」と正直に言わなくちゃならない。

――:
たまたま自分が内容を良く知っているニュースがでてくるとわかると思うんだけど、マスコミの報道は実は取材がすごく浅いことが多いと思う。取材をする人の一方的な考え、見方をそのまま流していることが多いから、それなら記者会見をするほうがいいのかもしれない。なぜかというと一方的に取材されて一方的な報道をされるでしょ。そうなるよりはいいんじゃないかな。
日本医大の場合は、今言われているけど、あれは少なくとも手術をした大学側が、「こういう事例があって患者さん側ともめごとになってます」と、最初に言ってたらマスコミの対応も違ってたと思うけど、患者さん側からだったし、日本医大は「そんなことはない」と反論してきたから叩きたくなるよね、マスコミは。それでかなり違いがでてくるんじゃないかと僕は思う。

――:
でも確実に事故だという場合は別かもしれないけど、ニュースを冷静に判断できる人たちばかりが視聴者じゃないから、軽くしかニュースを見てない視聴者には、確定もしていないのに事故があったという印象で病院のイメージが悪くなって、例えば個人病院だったら致命的だと思う。はっきりしてもないのに先に自分から言ったら後でつっこまれるかもしれないし・・・。

黒川:
患者さんに対して因果関係がかなりはっきりしていて、死んじゃったとか、すごい重症になったとか、かなりダメージがあったというときは公表する。そのおばあちゃんみたいなときはどうすればいい?
一つは医療っていうのは非常に「リスキーなビジネス」なんだよ。つまり「良くなって元々」とみんなが思っている。患者さんは困ってるから、そう思って病院にくるわけ。だけど、いくら名医でもだめなものはだめだというのがある。そのときなんて言う? もしだめだとすると、うんと悪く言っといたら、お医者さんは安全かもしれない。昔は「これは手術したほうがいい」「私に任せなさい」「よそに行って診てもらう必要はないよ」って言って、患者さんもいろいろと聞きたくても、「お任せします」と言っていたんじゃないの? よそのお医者さんに行きたくて「紹介状を書いてください」って言っても、「それじゃ来なくていいよ」と恐ろしいことを言われそうで。そういうカルチャーはよくないね。

――:
医療過誤の区分が6つあるのですが、その5番目に「意思の疎通性」というのがあって、それがまさに今の薬剤の件。インフォームドコンセント。ちなみに、
1番目が「診療器具の不備」
2番目が「医療知識技術の未熟性、独然性」
3番目がさっき言った東京医科歯科大学の「薬剤の過誤使用」
4番目が「チーム医療の未熟性」、これはさっきの横浜市立大学の手術の患者受け渡しとか
5番目が「意思の疎通性」
最後の6番目に、ちょっと意味がわからないのですが「施設の診察能力」
だそうです。

黒川:
元々だめなお医者さんだとリスクが高いに決まってるよね。だけど大学病院だとみんな安全だと思っている信仰みたいのがあるんじゃないの?

――:
日本ではお医者さんを選ぶという考えが、あまり患者さん側にないような気がして。大学病院に行けばいいお医者さんがいると思って、行ったところのお医者さんにずっと受診してしまったりして。医者選びという文化があまり発達していないんじゃないかな。

黒川:
それはなぜか。

――:
情報が少ないからかなあ。

黒川:
情報が公開されているというけれど、一般の人が情報を読めるかというと、そうはいかない。一番知ってるのはお医者さんのはずなんだ。だけどその人たちは日本の社会だと、例えば循環器専門医だと、それしか診たことないんじゃない? そこにすごく問題があるわけで、例えば英米では卒業したら自分の大学病院にいるなんてカルチャーはない。日本はなぜか卒業したらだいたいその大学にいる。なぜ? 一つは日本の根本的なジャパン・プロブレムで、それは文化的な違いもあると思うんだけど。日本は明治時代に急に近代国家になったから、その頃どんどん大学を作って、どんどんお医者さんを作った。そこに病院ができてくる。するとお医者さんの生産場所が大学にしかないから、システムとして大学と病院の関係がくっつくようになった。
やっぱりヨーロッパの個人主義の伝統から来てるお医者さんのトレーニングは、個人と社会との契約。お医者さんを作るところは医学部や病院。大学を卒業したら、みんなどこかに行くわけじゃない。大学は自分のプロダクトがどういうものを出してきたのかを、常に見られてるわけ。そのあとの研修をする病院も、別に卒業した大学の付属病院に行くわけじゃないから、そこで教育を受けた人たちや、その病院の1年目の研修医、2年目の研修医、そしてそこの教員、指導医、みんなの間で評価を共通に共有することになる。評価があちこちで共通に共有されてると、「あそこの大学の教育はいいね」ということがだんだんわかる。それがフィードバックされて、大学も病院も医師も一生懸命もっと良くなろうとするインセンティブがある。
アメリカは歴史が浅いし、しかも今は訴訟の社会だから、プロフェッショナルであるなら、社会に対してアカウンタブルなものを作らなくちゃいけない、という強い意識が作る側にある。だから前に言ったように4年のカレッジ、そのあとに4年の医学部、それで研修は内科だと3年、外科だと5年するけど、みんな同じところにはいない。4年の医学部は「いろんなカレッジを卒業した人どうぞ」ということを基本にしているわけ。日本だと同じ大学をでた人を入学させる、ということになるんだと思う。でもアメリカでは必ず医師になるいくつかのステップで人を混ぜてくる。なぜかというと、アメリカは元々アングロサクソンのカルチャーが基本にはあっても、移民国家だからチャイニーズもいれば、ジャパニーズ、コリアンもいる。誰にでも共通の価値観を作るために、出口でクオリティー・コントロールするには、入り口で混ぜるのが一番いいわけですよ。卒業後の研修は全国のコンピューターのマッチングでしょ。つまり卒業生を社会に比べられてるわけだから、教授も大学も熱心に向上していないといい学生が集まらない。
だけど日本は混ざらないでずっと中にいるから、慶應に入学すれば慶應、阪大に入れば阪大。ただ中でだんだん上がっていくと教授になるかもしれない。だから教授も自分が外でどの程度のものか全然わからない。そこに根本的な問題があると思う。5年生のあなたもアメリカに留学してそうだったと思うけど、アメリカなんかに行くと全然違うことがたくさんある。だから僕は若い人には外へ行ってみて、外のことを知ることをすすめたい。外の世界を知らないと、日本のこともわからない。そういうこと。

――:
確かに6年間の大学の勉強がけっこう大変だから、ずっと一緒に勉強してると情がわきますよね。仲間意識がある。ミスを隠し合う体質っていうのは同じ大学の人が同じ病院に集まるからで、いろんな病院に研修に行ったほうが医療ミスを隠す体質がなくなって、最終的に医療ミスも少なくなるのでは、と思います。

黒川:
開かれれば開かれるほど隠す体質は減っていくね。情報の公開でも、より均一的に質の高い内容を維持できて、みんながいろんなことをわかるようになる。

 

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■仲間たちの横顔 File No.19

Profile
私は大学院において教育哲学という学問を専攻しておリました。もともと人問が変容していく過程に興味があって、心理・社会的な存在としての人間に、教育という切り口でアプローチしていました。医者へと転向したのは、高校時代から持っていた希望もありますが、このような人間の「ソフト」な部分だけではなく、それを規定する生理学的な「ハード」の部分ももっと知りたいと思ったことでした。また、教育哲学という切り口ではなく、もっと実践的に人に関わりたいと思ったことも、医者という職業を選んだ理由です。入学する前には想像もつかなかった臓大な情報量と格闘する羽目になっていますが、なんとか楽しむ工夫をしながらやっています。

Message
学士試験の面接で黒川先生に初めてお会いしました。その時に手厳しいことを言われ反論ができなかったので、そのときのリベンジを心に秘めてディスカッションに参加しておりました。しかし結局「黒川節」に圧倒されてしまい、自分の視野の狭さと無知を再確認する結果となりました。ディスカッション自体はすごく楽しかったので、おそらく興味深い内容に仕上がっているのではないかと思います。

 

Exposition:

  • (社)日本医師会
    1911年北里柴三郎博士らによって設立。47年社団法人認可。各都道府県医師会の会員 (開業医、勤務医) から構成される民間の学術専門団体。医道の高揚、医学教育の向上、医学と関連科学との総合進歩、生涯教育などを行う。
  • 医療審議会
    医療法の権限事項、医療供給体制の重要事項に関して調査審議する機関。厚生労働省の医療審議会や都道府県の都道府県医療審議会がある。
  • 経鼻
    鼻腔を経由すること。
  • 経管栄養
    経口摂取が不十分あるいは不可能な患者にチューブを直接消化管まで挿入して栄養物を注入すること。チューブは病変の状況によって鼻腔経由か外瘻(胃瘻・空腸瘻)の形で挿入し、その先端は胃内・空腸内に置かれる。
  • オペ
    operationの略。手術。

 

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