「医学生のお勉強」 Chapter1:安楽死(5)

死を待つ患者さん達にとって、医師は何ができるのか
どのような役割が期待されているのでしょうか
セッションのオリジナルタイトル/The End of Life and Euthanasia

 

■告知後のケアが大切。ホスピスもそのひとつ

――:
さっきの告知後のケアという問題に戻りたいんですが。今、告知のことがいろいろと議論になってきつつあって。例えばホスピスの問題とか、あまりにも社会の中で多すぎると思うんです。海外でも制度的にホスピスのようなものがあり、日本ならば日本式のキリスト教の思想を取り入れたホスピスもできてきています。

黒川:
ピースハウス。すぐそこにあります。東海大学では学生さんも見学や実習に行っている。

――:
そうですね。

黒川:
とんでもない大雨の日で、ここが停電して雷がゴロゴロ鳴っている土曜日にピースハウスに行ったんだけど、やっぱりそこの人たちはみんな告知されているわけ。ホスピスに入る人っていうのは、普通はあと3ヵ月と言われてからくる。「あと3ヵ月」って言われてくるわけだから、やっぱり独特な雰囲気なんだよね。いろんなボランティアの人がサポートするケアがあって、それがすごく大事。

――:
授業でもあったんですが、同じ肺がんの患者さんが集まって、そこで一つのコミュニティを作ると心理的にも連帯感が計られて楽になって、「延命効果があった」という統計があったと思うんですが。そういう環境があるということを、一つ積極的に、制度的にももっとわかりやすくすれば、告知することも医者にとっても楽になると思うんです。

黒川:
責任回避ではないけどね、そういう社会的なサポートシステムも必要だよね。

――:
ホスピスというのはどこのことをいうんですか? 僕は淀川キリスト教病院とピースハウスぐらいしか知らないんだけど。

――:
桜町病院

――:
ああそうか。じゃあ3つ。

――:
もっとあるよ。川崎市立井田病院とか。

黒川:
そうだね。ホスピスっていうのはいいんだけど、やっぱり誰がサポートするか、社会としてどういう財源かということがけっこう大事な問題。
それとピースハウスのみなさんもみんなそうなんだけど、そういうときに宗教というのがあると気持ちが和むかなって、みんな思うよね。「キリスト教に入っていてよかったなあ」って思うときもあるんじゃないの。チャペルとかもあるし牧師さんもくる。仏教よりいいかもしれない。人によっては、どっちが好みか。気持ちが安らぐことが大事。

――:
今の日本の告知後の現状というのはどうなっているんでしょうか? 家に帰って家族と旅行とか楽しんだり、あとは病院でベッドの上でずっといるとか。

黒川:
それが問題だろうね。例えば東海大学で告知をされた人たちが「同じ病気でコミュニティを作りたい」とみんなが言えば、それで患者さん同士が気持ちが楽になることもあるだろうし、それに当事者じゃないとわからないこともある。当事者同士だと話をしてもわかりあえる。そういう患者さんたちが病院にいて、いつもスタッフがサポートしてていいなあと思っていても、でもそういう病院は赤字になっちゃってみんなつぶれてしまう。それを今の医療制度でどうする?
ホスピスとかはお医者さんや看護婦さんとか、そういうスタッフが病院に比べればより少なくていいでしょ。むしろそういうホスピスにいる人たちにとってみれば、話をしてくれる人のほうが必要。ミニマムなメディカルケアとか。静かで、もうちょっとスペースがあればいいとか。ピースハウスはゴルフ場の一部にあるからね。すごくいい。そういう環境も必要だね。病院だと、昼、看護婦さんが2回も検温に来ては困る。よく眠れない。

――:
先ほど先生が宗教のことを触れられたんですが、たまたまなんですが自分の知りあいで肉親の方ががんで余命が半年ぐらいだったと思いますが、家族で相談して、家族全員がキリスト教に入信なさった方が2家族あったんです。結局残された子供さんが私の友人だったのでいろいろと話をしたんですが、「なんで急にキリスト教になったのか」というはっきりした答えは亡くなったご本人からは聞けなかったんですが、でも娘さんの話によると、「結局最終的に心理的に支えてくれたのは教会しかなかった」とのことでした。その方の知り合いがたまたまクリスチャンだったので、自分が思い悩んでいるときに教会にいくことをすすめてくれたそうです。本当に心の底から自分の内をうちあけて、それをわかってくれたのは牧師さんだったと聞いています。そのへんがどうなのかな。

――:
日本の病院では医者が、そこまで牧師さんの肩代わりするのは、無理のような気がします。

黒川:
そうだね。それは求められているものも違うし。

――:
でも実際亡くなる方とか家族の方というのは、そこまで精神的ケアを必要としているのではないかと思います。

黒川:
さっき話をしていたように医者の役割っていうのは何か。こちらの価値観を与えるわけじゃないし、向こうの人生を肩代わりしているわけじゃない。複数の人の人生に面と向かえるというのは、医者という仕事の特権というか生きがいというか、それが仕事だけど、人は一人ひとり違うんだから、あと半年の命にしてもその人の人生観、価値観とか、あるんだから・・・。
糖尿病とか肥満とかは病気だというけど、勝手に食べ過ぎて運動不足なだけだから、「勝手にしてくれ」って言いたくなるじゃない。それで勝手気ままにするのが自分の価値観だと言われて、あとで「助けて」って言われたって困るじゃない。だけど自分に何も責任がないのにあと半年という状態になってしまったときに、その患者さんの家族との関係、子供に対する考え、仕事に対する考えなどをもし理解していれば、その人の残りの人生をなるべく元気で、どれだけクオリティをよくしてあげられるのかなって考えることができるんじゃないかな。

司会:
やっぱり企業であれば一番大事なのは消費者であり、医者、病院であれば患者さん。医者は何をするか。患者さんがいて、周りに医者がいて、看護婦さんがいて、家族がいて、場合によっては宗教があるかもしれない。その中で主に医療的カバーをしてなおかつある程度精神的カバーをして。医者も忙しいのでさっき先生がおっしゃったように宗教家の代わりは、時間的、物理的に無理だと思うんで、多少なりとも患者さんに、「どうですか?」という問いかけだけでもして、あとは看護婦さんといろいろと相談をする。患者さんを中心に考えると、医者は医療的に重要な要素ではありますが、患者さんの周りを囲んでいる重要なものの中の一つというとらえ方でいいんではないかと思います。

――:
私も同じ意見なんですけど、私がこの大学にくるようになったのは、聖路加病院でボランティアをしていたことがきっかけだったんですが、そこでのまたきっかけは、NHKのドキュメンタリーで聖路加病院の理事長の日野原先生を知ったことにあるんです。

黒川:
立派な先生よ。

――:
90歳ぐらいの先生ですけど。

黒川:
今年90歳かな。来週かな先生とお会いするのは。

――:
何かやるんですか? そのドキュメンタリーでは日野原先生がまだ40歳代ぐらいのときに初めて告知した場面を紹介していました。すでに余命3ヵ月とわかっている1人の患者さんを往診していたそうです。その当時はまだまだ告知は浸透していない時代で、その患者さんの奥さんからは、「絶対どんなことがあってもがんということは告知しないでください」と言われていたにもかかわらず、枕もとで患者さんに両手をガシッとつかまれて、「先生、正直に言ってください」って言われたときに、もう何も言えなくなって、「がんです」って言ってしまって・・・。それが日野原先生にとって初めての告知の体験で、そこで彼が学んだことは「告知してよかった」ということだったそうです。その患者さんは3ヵ月間身の回りの整理とかができて、すごく幸せに過ごすことができた。幸せに亡くなったのをみて、「実際に告知をしてもいいのではないか」と思い始めたということを言っていて。
それから日野原先生がおっしゃっていたことを私は「おお!」って思ったんです。彼はクリスチャンだから、「医者として告知をするのならば凄い覚悟と時間とエネルギーもかかるから、その患者に対して十字架を背負う覚悟ができたときにしか医者は告知してはいけないし、告知なんてできるものではない」という言葉でした。これは私の心にずっしりきました。

――:
先生、そもそも告知しないということはどういうことなんですか? 患者さん自身が自分の自覚症状で気づくまで、告知をしないということですか?

黒川:
今はがんや何かでも「あと6ヵ月」とはいっても手術とか治療のオプションがあって、その治療にはいろいろな副作用があるとするじゃない。だけどその治療の選択肢が増えれば増えるほど、完全になおるわけではないけど明らかにそれで3割助かるとして、その治療をやるときに、それに伴う副作用を患者さんに言わないでやるということは本当に辛いね。みんなが、だって患者さんは知らないんだから「なんでこんなことをするの?」って言うじゃない。だからそういう意味でも告知をしたほうが患者さんもわかってくれて、医者のほうも「こういう治療を次からさせてください」と、お互いにパートナーとしてそういう話をできるじゃない。それがすごく大事。昔は何もできないから告知しなくてもしてもどっちでも同じっていうこともあったかもしれないけど。

――:
必ず患者には告知をしなくても最後にはバレるわけじゃないですか。

黒川:
いや、バレるというよりは患者さん自身、思っていても言わない人もいる。最後までそうだと思って死んでいく人がいる。意外に。

 

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Exposition:

  • ホスピス
    癌などの末期患者の精神的、肉体的苦痛を軽減し、死に臨めるような介護をする施設。キリスト教の教えをベースにするところも多い。元々は中世ヨーロッパの巡礼などの長旅で弱ったり病気になったりした人のための休憩所を意味する。1967年にロンドン郊外にセント・クリストファー病院が建てられ、末期癌患者の痛みをコントロールすることにより死の瞬間まで人間らしく生きることを可能にした。これをきっかけとして近代ホスピス運動は急速に広がっていった。
  • ピースハウス
    1994年に神奈川県大磯にオープンした日本で初めての独立型ホスピス。日野原重明氏が理事長をつとめる。ホスピス教育研究所を併設する。
  • 延命効果
    寿命をのばす良い結果、ききめのこと。
  • 淀川キリスト教病院
    1955年に米国南長老教会の献金を資金に開設。周産期医療、救命救急・急性期医療、終末期緩和医療において「全人医療」を実践。病院、訪問看護ステーション、介護老人保健施設、ケアプランセンター、健康管理増進センターの事業を擁する。
  • 桜町病院
    1973年に初代理事長船越衛一が長崎市内の「桜町」に県内最初の血液透析クリニックを開設。また長崎市南部に外来透析と合わせて入院ベッド60床の病院を新たに開設した後もこの「桜町」の名前を引き継ぎ、それぞれ「桜町クリニック」「桜町病院」として地域透析医療に貢献している。
  • 川崎市立井田病院
    1949年開設の自治体病院。主に成人と高齢者を対象に急性期や慢性期の医療、緩和ケア、在宅医療、保健福祉などを専門としている。
  • メディカルケア
    医療、診察。医師の指示下で行われる患者管理の一部門。
  • 日野原重明
    1911年生まれ。京都大学医学部卒業。99年文化功労者。現在は聖路加看護大学名誉学長、聖路加国際病院名誉院長。2000年、ベストセラーの絵本『葉っぱのフレディ』の音楽劇化にあたり脚本を手がけた。著書『死をどう生きたか』他多数。

 

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