3月11日前後

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3月11日のブログでも報告しましたが、この2週間ほどは東日本大震災と福島原発事故の「憲政史上初」の国会事故調の委員長といったことで、このテーマに関するといろいろな活動にお招きを受け、参加しています。

東大では伊東乾さんたちの企画1)がありましたが、残念ながら私は初めの20分で国会事故調のことなどをお話しして退出。その後、上野駅から東北新幹線で仙台へ。Impact Japanと仙台市の企画「Sendai for Startups! 2014」 に参加。ご当地の起業家たちのプレゼン、おいかわデニムの及川さん、私はというと、最後に私たちのImpact Japanが仙台と一緒に始めている「IntilaQ」を紹介しました。

その後もクラブ関東での講演、スイス大使館では2日続けて会合があり、週末には「わかりやすい事故調」「日本赤十字社」とのコラボで、多くの高校生、大学生などと、3重の大災害の避難者の生活、現状などのセッションに参加。その後、東京文京区、さらに震災後には石巻で新しい医療制度構築に素晴らしい成果を上げている武藤さんの主催する「研修」、日米医学医療交流財団で、ますます変化する世界と日本と視点で考える「日本のこれから」といった視点からの話をしました。

なかなか変われない日本ですが、若い人たちの間の変化は、注目できるものがいくつも出てきていると思います。

がんばれ、日本の若者たち。

3年を迎えた3月11日

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このところご無沙汰ばかりですが、申し訳ありません。

今日は書かないといけないですね。多くの人々がとんでもない被害を受け、受け続けている3年前の「3.11」東北大震災と福島原子力発電所の大事故。そしてこの大事故をきかっけに、日本の憲政史上初の国会による「独立した福島原発事故調査委員会」が始まり、報告書が国会の両院議長に提出されて1年8ヵ月が経過しました。私はこの「国会事故調」の委員長でした。

その間にも国内外で大きな変化が起こっています。シリア、ウクライナなどなど、急変する世界の状況です。日本の状況は、あれだけのことが起こっても、基本的にはほとんど何も変わらない「政産官」の状況と世界では思われている「フシ」があります。アベノミックスは例外的ですが。

昨日の10日は午後からプレスセンターで、報道関係の方が多いのですが、事故当時の米国原子力規制委員会委員長だったG. Jaczkoさん、政府の事故調の畑村委員長、いわゆる「民間事故調」の北沢委員長、そして私の4人が参加して2時間ほどの討論会でした。この様子はYouTubeでも見ることができます(日英語が音声の右左で選べます)。

私は、まず6分程度と時間もないので、初めに「わかりやすい国会事故調」の「国会事故調ってなに?」をお見せして、国会の事故調と他の事故調やその他の数多くの報告書、出版物との違いを理解してもらおうとしました。さらにアカウンタビリティーの意味などを説明しました。細部よりは、「大きな民主国家統治の枠組み、変わる世界と日本」を知ってもらいたいと思って討論に参加しました。いろいろな議論がありましたが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。

私は、社会的により権限ある人たちの責任感と覚悟を問いかけ、さらに、皆さん一人ひとりが、この事故から何を学び、何を感じとり、何をするのかを問いかけようと考えました。さらに、お集まりの方は主にメディア関係者ですから、その方たちは何を考え、どう行動しているのかを問いかけようと考えたのです。

また、South China Morning Post にインタビュー記事も掲載されました。
1)http://www.scmp.com/news/asia/article/1443158/japanese-investigator-says-lessons-fukushima-disaster-ignored

ここには、「わかりやすい国会事故調」のビデオも紹介されていますね。うれしいことです。

2)Safecastについても私のコメントが入っています。

福島原発の事故とその日本の対応を世界はウォッチしています。何しろ世界には440基ほどの原子力発電所があり、また70基ほどが建設中なのですから。

情報がどこにでも広がるグローバル世界では、国家も、政府も、企業も、メディアも、大学も、透明性は信頼の基本です。失われた信頼を回復するのは容易なことではないのです。

福島原発の現状、Washington Postの記事

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福島原発の事故から2年半を超える時間がたっていますが、この事故が収束状態などと考える人はいないでしょう。メディアは地下水の問題で騒ぐ、汚染水がもれては騒ぐ、大雨が降れば騒ぐ。福島原発事故は、現在も大きな日本の、そして世界の大きな問題なのです。

東電の能力、日本政府が何を考え、行動しているのか、これには国民も、世界もかなりの懸念を持っています。政府も国際廃炉研究開発機構という、いつものような政府の得意なやり方の組織を作っていますが、どれだけ開放的か、透明性と国際性が高いか、みなさんもよく見ていましょう。

東電も国際的な諮問委員をお招きしてはいますが、どれだけ真剣に学び、意見を取りいれ、実行しようとしているのか、このプロセス全体の透明性が大事です。これにもずいぶん問題があると聞いています。その一人、東電の福島原発の監視委員会副委員長Lady Judgeの東電の対応について不満が10月22日の日経新聞朝刊16ページにも出ていました。

10月21日のWashington Postの10月21日号では、1面トップから3ページという大きな扱いは、9日4日のNew York Timesの扱いと同じと思います。Washington Post(PDF)とOn-line版では体裁も違いますし、それぞれに見る人へのインパクトがちょっと違いますが、on-line版のイラストは、なかなかの出来ですね。このあたりが新聞紙面と違うところです。これらの米国主要紙の扱いは、福島原発の現状への懸念の大きさを意味しているのです。世界の見る目は厳しいです。

ところで海外の主要報道の日本語訳を毎日1本作成している小林順一さんのblog(Twitterは@idonochawan)があります。最近は福島関係が多いのは致し方ないですが、「世界の日本を見る目」を感じ取るのにもとても良いと思います。

大変な努力ですが、ありがたいことです。

オランダの新聞記事

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最近の福島原発の汚染水の問題、まだまだ脆弱な状況などが世界にも広く知られ、その懸念から海外でも多くの報道がされています。

私も日本の憲政史上初という国会事故調を任され、その報告書は世界でも高く評価されているところです。ですから、今回の福島の状況については、いくつもの海外メディアの取材を受けています。日本のことでもありますし、私がお断りするのもおかしなことですしね。

オランダの主要新聞‘Trouw’にもインタビュー記事が出ました。この記事を見た E. Nishimotoさんから、このサイトにメールをいただき、日本語に訳していただきました。さすがにウェッブの時代ですね。Nishimotoさんが訳してくれた原稿に、私が少し手を入れ、私なりにちょっとわかりやすくしたのが、ここにリンクした邦訳です。

 

Trouw 紙 2013年9月16日(邦訳英訳

 

Nishimotoさんありがとうございます。

この記事にある私の意見は、このサイトでも繰り返して発言しているところです。最近では、GRIPSの卒様式での祝辞にもあらわれています。

福島原発事故の現状にNatureも懸念を表明、何をすればよいのか?

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福島の事故の現況はちっともよくなっているとも思えません。だれにでもわかることです。

東電の言うことも(国民にも、世界にも理解してもらおうと意識が全く欠如していると思いますね、いつも「ひとごと」のような発言です)、政府の言っていることも、実行する工程表も、その理由、プロセスにも透明性も欠け、国内、国際的な信頼性にも欠け、しかもはっきり、わかりやすく伝えることも考えていないのでしょうか。

日本のメディアも、なぜか批判的精神をすっかり骨抜きにされているみたいで、だから、国民の声も上がらないのです。自分が知っていても、それも自分の仕事として知らせたくない人たちもいることは確かでしょうけど、これは逆効果ですね。国際的な信用もなくなりますから。

科学誌ではよく知られたNature1)も痺れを切らして、意見をしています。ネットの上では、意見の交換も見られます。Twitter1)でもいくつも見ることができます。

福島原発事故のような国際的に影響の大きな事件では、英国の狂牛病の対応12)の例などを学ぶこともよいことです。牛での発症から初期の政府の判断間違い、その後の人間での発症、EUの委員会の対応とそのプロセス、そこでの提言の受け入れ、科学の進歩等々の信頼を勝ち取るプロセス。結局、事件から英国産の牛肉が輸出されるのに20年もかかったのです(ここでも初期には日本政府も間違いを起こしているのですけどね)。

独立した、国際的に開かれた、透明性と科学性に裏打ちされた独立委員会で、対策を検討、立案してもらい、政府がこれを決定し、福島原発事故の中長期対策の計画を作成することです。それを世界と共有するのです。

独立性、透明性、公開性、科学性、国際性は、グローバル世界での政府の信頼の回復への第1歩です。これらの信頼への基本が国会事故調の報告書が世界で高い評価と信頼を受けた基本にあることを、みなさんがもっと知る必要があります。

みなさん、いかが思いますか?国家の信頼は一度失われると、その回復にはとても時間がかかるのです。

福島原発事故からもう2年半が過ぎます。

「無鉄砲娘」の大活躍、「避難弱者」を上梓

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20130908-1

福島の原発事故から30ヵ月、国会事故調の報告書が国会に提出されて14ヵ月の時が過ぎました。日本は、世界は、どんなことになっていくのでしょう。

2020年のオリンピック、東京に決まりましたね。良かった。-これを一度提出してから決まったので、加えました-

この「憲政史上初」の国会事故調に参加して、大きく、仕事・キャリアのありさまを変えた人たちもいます。 国会議員になった椎名つよしくん。「わかりやすいプロジェクト 国会事故調」を立ち上げた石橋哲さんなどなどです。

相川祐理奈さんもそのような一人です。彼女は大手新聞社に就職して2年、福島原発事故の調査に参加していたようですが、国会事故調に参加したいといってきたのです。この8月30日、彼女が独自に続けた調査をもとに書いた本、「避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?」が上梓されました。

私も、最後に「本書の刊行に寄せて」を書きました、とても感動したので。その一部を紹介させてもらいます。

まずはカバーの折り返しに引用されている部分ですが、

「現場感にあふれて入念なインタビューから、いろいろな事例があぶりだされてくる。多くの人たちの深い悩みと選択、もてあそばれる弱者たち、その人たちを支援する人たちの苦悩は計り知れない。ここかしこに1人ひとりの現場の人たちの生き様があぶりだされてくる。苦悩がある、多くの感動がある、そして多くの悲劇がある。
相川さんの一貫した現場からの取材によるこの報告から、何を学ぶのか。このような現実にどう対応してゆけばよいのか。これは私たち1人ひとりに突き付けられた課題である。」

そして、相川さんについて、

「国会事故調が終わった後、せっかく就職した新聞社も辞めて参加した彼女に、「本当にごくろうさま、これからどうするの?」と聞くと、なんと「私はこの調査を自分で続けます、あの人たちのことをもっと調べて記録しないと」というのだ。無鉄砲といわれようが、この様な決断をする若者がいるのだ。私たちは、相川さんが私たちのチームに参加するときの決断にも驚いたが、終わってからの決断にもさらに驚き、何か言い知れない感動に包み込まれた。
そして、相川さんの1人の戦いが始まる。協力、支援してくれる人たちも出てくる。この「無鉄砲娘」の調査の記録が、この本だ。-中略-。うれしい、ごくろう様、心からほめてあげたい。それがこの本なのである。」

皆さんも、本屋さんで見たら手に取って、よさそうだったらお買い上げください。勿論、アマゾンでもね。

前回、紹介した国会事故調をヴィジュアルにした素晴らしいビデオ1)も、若者たちの自発的な作品だ。

こういう独立精神あふれる若者たちがいるのだ、皆さん何か明るい気持ちになりませんか?

Tallberg Forum 2013

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6月12日朝、成田を立ちCopenhagen経由でStockholmへ来ました。Tallberg Forum 2013のOpening sessionに出ないか、というのです。

13日午前は、StockholmにあるVattenfall1)というスウェーデン最大の国営電力会社本社で役員との会談、さらに職員向けへに福島事故調の話を聞きたいということです。もちろん喜んでお受けしました。そのあとスウェーデン最大の放送局 Sveriges Television AB (SVT)のインタビュー(※1)。インタビュアーのThomas von Heijne 氏は20年ほど前に3年ほど東京に在住、NHKで仕事をしていたそうです。

そこから友人のAnders WijkmanさんとSundaram Tagoreさん(※2)とTallbergへ、約3時間のドライブです。

夕方からパネル、その後は国王をお迎えしたレセプション、ディナーにお招きを受けました。国王とは日本で2、3度お会いしたことがありますが、こちらではだれもが国王を囲んでお話をしています。私は警護の武官ともいろいろお話をしました。ディナーは40人ほどですが、Forumの創始者Bo Eckmanさんたちと、国王Carl Gustaf 16世(今年の9月で国王になられて40年となります)のおられるテーブルの隣でしたので、国王のところに行ってしばらくお話をさせていただきました。ノーベル賞100年記念のこととか、リンネ生誕300年の時の天皇陛下のご訪問のことなどです。

1日目の開会のパネルでは、「気候変動」について話したRobert Corellさんが素晴らしかったです。2日目のランチには、Eckmanさんが私とあと2人を招いて、世界のアジェンダについて意見交換の場を設定してくれました。

「Globalization」の世界では、人間はどこへ行くのだろう、何をしたらよいのか、「見えない解」への多彩な意見の交換が出ますが、なんとなく不安があふれていて、真剣に考えれば考えるほど、「次への一歩」が見えないいら立ちがそこかしこにという感じでした。

素敵な場所、晴れたと思ったら、急に雨が降ったり、しかし、きれいなところです。厳しい自然と一緒に生活し、自然を大事にしている、そして要所に鉄道があったり、長い間の知恵が、そこかしこにこのような雰囲気を生んでいるのでしょう。

去年、Osloでの話を書きましたが、自然の環境がそれぞれの国民性にあるのですね、生きる知恵というようなものでしょう。

これが人間にとって自然なことなのでしょうね、なんとなくほっとする感情が湧いてくるのですね。

最終日の15日、Tallbergを昼に出発、ロンドンへ向かいました。

※1
ここでは私のコメントのうちで、日本で「Groupthink」を大事にすることは「致命的な弱さ」という認識、そして「Obligation to Dissent 異論を言う義務」という意識と行動、これらの欠如が、日本の「エリート」の「ひ弱さ」になっている、というコメントを取り上げてくれたのはうれしいことです。編集者の見識です。

SVTのインタビュー記事はこちら

インタビュー記事の日本語訳はこちら

※2
私の初めてのあいさつは「あのTagoreさんの?」でした。曾祖父ということでした。「やっぱりね」というところですが、私が知らなかっただけのことでしょう。素敵な方です、芸術家であり、映画でもよく知られています。「あのTagore」はアジア人として初めてのノーベル賞受賞者であり、岡倉天心は同世代でもあり、親交があったのです。岡倉は初めてインドへ行った時「アジアはひとつ」と気づきそのまま1年滞在し、その後も日本と米国を結ぶ大活躍など、この時代の日本人には、こういうスケールの大きい「エリート」が何人もいたのです。最近はちっとも見ないタイプですね、残念ながら。

国会での国会事故調ヒアリング: 新しい第一歩となるか?

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私たちが約6ヵ月間の苦闘した憲政史上初めての「国会事故調(国会による福島原発事故調査委員会)」。この委員会の「提言1」をうけた委員会が衆議院に設置され、この衆議院の委員会による私たち国会事故調のヒアリングが、4月8日の朝の9時半から午後5時半にかけて衆議院で開催されました。10人の委員のうち、大島委員を除く9人が出席しました。

2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故から約6ヵ月半後の9月末に、この憲政史上初の事故調査委員会の法案が成立、事故から9ヵ月後の12月8日に、国会で私たち10人の委員に辞令が発令されました。

そして2012年7月5日に委員会報告書を両院議長に提出。その後さらに9ヵ月を経て、ようやく私たちの報告書のヒアリングとなったわけです。

今の時代です、このセッションは、ありがたいことにウェブで見ることができます。議事録も読むことができます。

何事も初めてということには時間のかかるものです。委員の皆さんもとても頑張ってくれました。私も何しろ初めてのことでとても疲れました。

このヒアリングの国民の皆さんの評価はどんなものでしょう。

これから、どんな展開を見せるでしょうか。

最後に、以下のようなメディアの報告がありました。

1) (2) (3) (4) (5

 

国会事故調が自由報道協会「知る権利賞」を受賞

福島原発事故は世界に大きな問題を投げかけた大事故でした。世界の各メディアも特に事故から始めの数週間は大きく報道しました。そして、国内外の報道の在り方については、いわゆるソーシャルメディアなどを介して、いろいろ違いのあったことはかなり知られてきたように思います。その一部には、日本の大手メディアと記者クラブの存在が関与していることも従来から知られていました。福島原発事故をめぐってメディアの在り方もいろいろな検証もされ、いくつかの本(例えば、牧野洋著「官報複合体」上杉隆・烏賀陽弘道著「報道災害[原発編]」Martin Fackler著「「本当のこと」を伝えない日本の新聞」など)も出版されています。

この問題意識を新しいメディアなどを通じて活発に発信し、活動するジャーナリストも目立ちました。そのような活動を通して結成された自由報道協会という団体があります。主として「記者クラブ」制度に属しないジャーナリストたちによる団体です。

国会の中には、行政府である官邸や各省庁にあるような記者クラブはないらしいのですが、国会事故調は委員会を公開とし、ウェブでも多くの方に見ていただけるようにし、委員会後の記者会見も公開しました。しかも第1回の委員会を除き、英語の同時通訳付きです。

ちょっと古い話になりますが、この自由報道協会が、私たちの国会事故調に第2回自由報道協会賞 「知る権利賞」という賞に選んでくれました。受賞の日に私はダボスに行っていましたので失礼し、大島委員、宇田さん他の方に出席していただき、私の挨拶(PDF)代読(0:49:40~1:02:10のところ)していただきました。

いい意味で国会事故調チームの活動が認められるのはうれしいです。

民主制度を機能させるのには、その「カタチ」ばかりでなく、政府も、メディアも、国民一人ひとりにも恒常的な努力が必要なのです。