“Country Gentleman” 白洲次郎氏

昨年12月8日のブログで紹介した白洲次郎さん。白洲正子さんのほうを知っている人も多いでしょうが、白洲次郎さんは正子さんのご主人です。すばらしい紳士、ワイルド、“Country Gentleman”(この意味は本を読んでくださいね)です。是非、知ってもらいたくて、もう一度ここに紹介します。弱いものにやさしく、権力におごるものに強い。こんなエリートがいますか?

「白洲次郎という人を知っていますか?1902年の生まれです。17歳でケンブリッジ大学、英国で8年過ごして、本当に格好よい「紳士」として、「原則」に厳しく、肩書きや権力で威張る人を嫌い、アメリカ占領下の日本でも活躍した人です。今の日本に、白洲氏のような「個」に生き、「原則」を大切にし、世界と日本を知って「本音」で生きる、こんな人がエリート層に一人でもいるとほっとするのですが、なかなかいませんね。そこに日本の問題があるのです。このコラムでも何回か言ってることです。(中略)白洲次郎さんのこともいくつか本がありますので(最近のものでは「風の男白洲次郎」新潮文庫、青柳恵介著、平成12年、400円)読んでみてください。スカッとしますよ。若い時には世界に出かけて視野を広げることです。」

これと同じ趣旨で、津田梅子、朝河貫一、蜂須賀正といった方たちも、ここで紹介しているのです。皆さんもぜひ一度、彼らの生き方にふれてみてください。

近代日本の「70年サイクル」

4月11日、岡山で開催された「小児科学会」(会長:岡山大学名誉教授・大阪厚生年金病院長 清野佳紀教授)で、特別講演をさせてもらいました。 会場は満員で、大変な盛況ぶりでした。

最近いろいろな本を読みますが、副島隆彦氏の書かれたものは、物事の本質をはっきりと恐れずに書いてあり大変面白いと思います。日本の「エリート」は本当のことは何も言わず、“インナーサークル”で適当にやっていますからね。

『預金封鎖』や、つい先日は『やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる』という本を読みました。私もよく近代日本の「70年サイクル」説ということで話をしていますが、これは「コンドラチェフ・サイクル」と言われるものだそうで、近代資本主義の根本にある「過剰在庫」だとは面白いと思います。私は経済学者のことはよく知りませんが、有名な経済学者シュンペーターについての高い評価が理解できました。

ところで、副島さんの著書でもコメントされていますが、最近出版された『エコノミストは信用できるか』(東谷暁著、文春新書、2003年11月発行)は、エコノミストのコメントをデータ分析し、評価がされていて面白かったです。
また、フィクションですが、副島さんと同じような題材を扱っていて面白いのは、幸田真音さんの『日本国債』、『凛冽の宙』、『代行返上』などです。

さて、この「60~70年サイクル説」は、最近読み始めた中西輝政さんの『国民の分明史』にも出てきます。「分明史の仕切りの60年サイクル」。人間3世代など理由はいろいろあるのでしょうが、このような長さのサイクルで人間の知恵は動くのでしょう。1870年から1940年頃までの明治維新から近代日本にかける70年、世界は「植民地主義」を歩み、対して日本は「富国強兵」路線をとっていました。そして20世紀後半は世界が「冷戦」時代であり、日本は「高度経済成長」時代の、この60年ということなのです。それぞれ、はじめの30~40 年(「富国強兵」路線時代は今年100周年を迎える日露戦争まで、戦後は経済成長率がピークの70~80年代まで)は調子がよいのですが、その後、「成功体験」のために舵取りの変更や改革を起こせずに落ち目になる、というシナリオが常なのです。だから今は10年後の次の明治維新への移行期だと考えています。

その時代の日本の指針としての新しいキーワードは何でしょう?
世界では「人口問題、環境問題、南北問題」がキーワードになるでしょう。
では、日本は?皆さん、考えてみてください。

いよいよ日本の内科医も国際舞台へ

4月8日、日本内科学会総会の場をかりて、アメリカ内科学会(American College of Physicians:ACP)日本支部(Japan Chapter)の第1回総会を開催しました。この世界のリーダー格の学会は、アメリカの内科専門医(Board Certified Physicians)による学会で、常に医師の質と社会的責任について活発な活動を行っています。日本支部はアメリカ大陸以外では初めての支部で、去年設立されました。私は初代支部長に選出されています。今回は会長のWheby先生、また舞鶴市民病院時代に松村先生が招請していた「メジャーリーガー」の一人であるGibbons先生、そして前会長のAddington先生を迎え、大いに盛り上がりました。日本の会員はといいますと、日本内科学会の認定専門医はACPの会員になれるようにいたしましたので、現在約300名の会員がいます。今後はもっと会員を増やしていきたいと思います。

会員の方には、ACPの発行する学会誌「Annals of Internal Medicine」や「ACP Journal Club」が送られてきます。このような学会誌が、日常の診療や医学教育に使われることが常識となる、診療の世界を構築したいと思っています。その他にも、この学会にはいくつものプログラムがありますので、どのようにこれらを使っていくかを考えていきます。

今年の春は、松井選手を含むヤンキースを迎え、メジャーリーグの開幕戦が東京で開催されました。野茂選手が渡米して10年目のことです。このACP日本支部も、10年後には日本の内科医がメジャーのようになってほしいという願いを込めたひとつの始まりであり、そのための核となる事を期待したいと思います。

国際化時代で、日本での「プロ」育成へ向けた第1歩だと考えようと、総会の席で挨拶をしました。ぜひ参加してください。応援お願いします。

日本学術会議改正法案

新しい年度が始まり、皆さんも気持ちを新たにというところでしょう。

今日は、日本学術会議改正法案について参議院の文教科学委員会に参考人として出席しました。先日の衆議院は初めての経験で緊張しましたが、今回は少し落ち着いていることができました。最近の国際的な枠組みの中で学術会議の活動も納得をいただけたようで、全委員の賛成で無事に承認を得られました。明日の参議院本会議で可決される予定です。

現在衆議院は年金問題で揺れていますが、衆議院では既に可決されていますので助かりました。それにしても、議員の方々は忙しいですね。多くの若い議員の皆さんに期待しています。

最近はこれらの審議もインターネットライブで見られるようです。すごい時代の変化ですよね。情報化時代のパワーを感じます。

2004年4月

第107回日本小児科学会学術集会
日程: 2004年4月15日(土)
会場: ホテルグランヴィア岡山
基調講演: 「日本の挑戦:21世紀の課題」

医薬品機構プレスカンファレンス
日程: 2004年4月15日(木)
会場: 経団連会館
演題: 「医薬品医療機器総合機構に期待される役割」

科学技術週間記念講演会
日程: 2004年4月15日(木)
会場: 虎ノ門パストラル
演題: 「21世紀:日本の課題、世界の課題」

連合総合生活開発研究所講演
日程: 2004年4月16日(金)
会場: 中央大学駿河台記念館280号室
演題: 「医療の安全・日本の課題」

“破格、破天荒のスーパー日本人” 蜂須賀侯爵

3月15日に書いたジェンダー問題に関するブログで津田梅子さんを紹介しましたが、またわくわくさせてくれる人物を紹介します。

昨日のお昼、少しぐずぐずとした天気でしたが、オーストラリア大使館で桜を楽しむパーティーに行きました。ここは、もともと蜂須賀家のお屋敷の一部だったそうです。あの豊臣秀吉で有名な蜂須賀小六の18代目、正氏(まさうじ)(1903~1953)が育ったところです。本家は阿波徳島。明治維新後、祖父は貴族院議長、東京都府知事、父上も貴族院副議長を勤めるほどの超名門家です。

正氏氏は幼い頃より広い庭の生き物、アリ、カエル、鳥が大好きで、好奇心と冒険心にあふれていました。17歳でCambridge大学へ留学し、イギリスに7年間滞在します。そのときに興味を持ったのが、絶滅鳥“Dodo”です。16世紀に渡来した「文明人」、ポルトガル人・オランダ人が食用としており、18世紀には絶滅してしまったアフリカ東海岸のマスカリン島の幻の鳥です。

ネイティブと間違うほどのキングズイングリッシュを使い、アフリカを遠征し、コンゴで野生のゴリラを見た初めての日本人。帰国して多くの学者の英語論文を添削し、当時の東京を、単発の真っ赤な軽飛行機を自分で操縦して飛び回る。勿論、警察に睨まれたりもする、スポーツ万能な人物です。世界に2番目の生物地理学会を日本に設立しますが、日本ではなかなか受け入れられるはずもなく、半分勘当のような扱いを受けて、またアメリカ、そしてイギリスへと向かいます。彼の冒険心は止まる事を知らず、ミンダナオ島に尻尾のある人間(有尾人)がいると聞くと、また遠征し、この島で一番高い2,900メートルのアポ山頂上へ登ります(1929年)。マラリアや訳のわからない感染症への危険も何するものぞ。本当に病気になっても、自分で探検隊を率いて出かける。

なんという冒険心、駆り立てる情熱。破天荒。これがまさに今の日本にかけているのです。今、どこにこんな人がいるでしょうか。何不自由ない身分でありながらリスクをとり、結局、侯爵を剥奪される。世界を駆け巡り、世界中に沢山の友人を作る。UCLAでPh.D.を取得し、戦時中の困難を乗り越えてイギリスで“Dodo”の本を出版。しかし、本が日本に到着する直前に急逝。なんという人生。本当にすばらしいと思います。英語や日本語で多くの学術単行本を出版し、多くの学術成果を残しています。“Hachisuka line”として知られる生物地理区分線や、世界では “Marquis de Hachisuka”としてよく知られている存在で、世界的に著名な方です。

山階鳥類研究所には蜂須賀氏寄贈の、多くの鳥の標本があるそうです。去年、蜂須賀正氏生誕100周年のシンポジウムに出席して挨拶をしましたが、その席で正氏氏の一人娘(といっても私の同年代ですが)の、正子さんにお会いしました。私が「お父さんのワイルドな遺伝子を次の世代へと伝えましたか?」と聞いたところ、「私も父に似てずいぶんワイルドで、結局アメリカにいました。子供はいません」と正子さん。残念です。

蜂須賀正氏曰く、“Take off the narrow-mindedness!!”と。今まさに日本人に必要なのはこれではないでしょうか。

参考:
  日本生物地理学会ホームページ
 ・荒俣宏 著。 『絶滅鳥を愛した探険家』。大東亜科学綺譚。ちくま文庫。1996年。
 ・産経新聞「日本人の足跡を求めて」取材班 編著。
  『日本人の足跡〈3〉世紀を超えた「絆」求めて』産経新聞ニュースサービス。扶桑社。2002年。

日本医師会の選挙について

以前から書いていますが、今のそしてこれからの日本の医療制度はかなり危機的状況だと思います。

研修制度の必須化の影響で、(今までみんな知っていたけど誰も何もしなかった)医局による医師の出向人事や地方の医師不足問題、それに対する医局への金銭のやり取りなどが毎日のように新聞をにぎわせています。これらは、研修制度の必修化という制度変更の下で、全てが表にでるようになったということです。

これは大変なチャンスなのです。もっとしっかりとした将来への医療制度を提言、構築し、毎年、何のために、そしてどんな政策を導入するのか、国民的議論にするべき時なのです。その場、その場の手当てでは決して解決に結びつかないのです。今が国民のより広い理解と支援を得るよい機会です。

ところが、この大事なときにその中心的な役割を果たすべき日本医師会は4月1日に会長選挙が行なわれます。4人の候補者が立候補し、誰がなってもそれぞれ立派な方たちですが、長期的な政策の立案と普及させる戦略等を考えられるしっかりとしたリーダーが出てこないと医療は後退してしまいます。医師免許の更新、勤務医が参加しやすい会費とプログラム、活動、医師の質向上への社会に理解される広報戦略等々です。もし日本の医療が後退してしまうと、回復するには10~20年かかるかもしれません。

医師会も「全国区」という考えで全員が一致団結するべきです。執行部も「全国区」にしなければ、益々弱体化し、日本の医療はかなり荒廃すると思います。

せっかくのチャンスだというのに、こんな事ではかなり心配です。

日本学術会議改革法案が衆議院を通過

先週の20日と今週の23日の2度にわたり、日本学術会議改革法案についての衆議院文教科学委員会が開催され、私も「参考人」として呼ばれました。

与党、野党委員ともに学術会議の改革には理解を示していました。学術会議のこの5年の国際的活動や、先日2月5日の国連で私たちの報告書が、Kofi Annan事務局長の招待で発表されたことなどを引き合いに出しながら、これからの科学者コミュニティーと21世紀の世界的課題等について答弁しました。結局(珍しい事だそうですが)、全員一致で承認という事になり、23日午後の衆議院本会議で満場一致で承認されました。来週にも参議院での審議になるでしょう。よい経験をしました。

ところで、日本学術会議は何を、という質問はよくありますが、このサイトを見てくださる方たちは「学術の動向」などの誌面からも少しずつご理解していただけていると思います。これからの国際的課題について等、科学者たちの社会的責任が問われているのです。このような活動の一例が、私のコメントも含めて「Science」(3月12日号)にも報告されています。また、20日の衆議院の委員会には「Nature」のDavid Cyranoskiさんも傍聴に来てくれました。近く記事が出るのでは、と期待しています。「Nature」では「日本の科学特集」を企画していて、こちらも近く出版されることと思います。

今日は東海大学医学部の卒業式。夜は謝恩会があリました。このクラスの学士入学の人たちとは「医学生のお勉強」を作った私の仲間であり、なんとしても出席しなくてはと思っていたのですが、昼間は内閣府の会議、夜は年度末ということで小泉首相と総合科学技術会議議員(私もそうなのですが)と総理官邸で夕食という事になり、この大事なお別れに出席できませんでした。メッセージは代読してもらいましたが、出席できずとても残念でした。

今年医学部を卒業される皆さん、研修先も決まり、国家試験も終わり、しばし来た道を振り返りつつ、これからの研修と医師としての生活への期待(と少しの不安)にゆっくりと思いをはせてください。そして、しばし、桜と春を楽しんでください。

ジェンダー問題についての医学会に参加

今日は「性差医学」の第1回目の集会に一部出席しました。千葉県の堂本知事と千葉県衛生研究所長の天野恵子先生の主催で、Columbia大学のマリアンヌ・レガート教授(Partnership for Gender-Specific MedicineのFounder and Director) が、大変すばらしい話をされたと聞きました。私は午前は所要があって出られませんでしたが、最後に挨拶をさせていただき、これら「性差医学」には社会的歴史があって、18世紀の中ごろ「哺乳類」に何故“mammalia”と女性の特徴の乳房を使った背景にも触れました。不思議でしょう?ほかの種ではこんな性に関するあからさまな言葉は使っていません。何故、と考えるのがいつも楽しいのです。当時の西洋の科学は博物学による分類が盛んで、“mammalis”はリンネの命名です。

さらに1901年から始まったノーベル賞最初の女性受賞者がキュリー夫人(1903)、2度目の女性受賞者もキュリー婦人(1911)、3人目はキュリー婦人の娘であるという事を話しました。こんな男性優位の時代にこんなすごい女性がいたのです。

ノーベル賞を2度受賞した人は何人いるでしょうか?答えは4人です。キュリー婦人を除けば勿論男性です。1人はボーリングですが、彼が受賞した賞の一つは平和賞でしたから、ちょっと違うかとも思います。もう1人はバーディーン(1956)、半導体およびトランジスタ効果の発見と1972年に超電導現象の理論的解明です。そしてサンガーが1958年にたんぱく質、インスリンの構造に関する研究で化学賞、1980年に核酸の塩基配列の解明で化学賞を受賞しています。

キュリー婦人は親子(母娘)での受賞ですが、これも他に一組、父息子での受賞があるのみです。いかにキュリー婦人がすばらしいか理解できると思います。

ところで、日本にはそのような人はいるでしょうか?考えてみると津田梅子さんがそうだろうと思います。明治4年、7歳の津田梅子は他の4人の女性とともに明治政府の使節団の一員としてアメリカへ渡り、11 年間アメリカのランマン婦人宅で娘同様に育てられ、18歳で帰国。大きな困難を越えて女子教育に大きな貢献をしました。7年後の明治22年に再度渡米、Philadelphia郊外の女子大学Brym Mawrへ留学(私も行ったことがありますがすばらしいキャンパスです)、女子大学でも理科教育を重視していて、生物に興味を持った津田梅子は当時のMorgan教授(このMorgan教授は1933年に染色体の研究でノーベル賞を受賞しています)とかえるの卵を使った研究の論文を発表します。彼女の才能は高く評価されていましたが、日本に帰国。帰国後、津田塾女子大学を設立し女子教育に一生をささげました。ただただすばらしい人です。感動します。

この頃は「熱く」、志の高い人が何人もいました。今は、どこへ行ってしまったのでしょうか。