St Gallen Symposium

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St Gallenの街の風景写真はここ

Washington DCから、London Heathrow経由でZurichへ、そこから車で約50分、11日の午後4時頃に、美しいSt Gallenの街 に到着。5月のスイスはきれいだし、天気も素晴らしいです(最も夜は雨、12日も曇りと雨)。しばらく街を散歩、マーケットではちょうどアスパラガスが季節です。夕方から、レセプションへ。

St Gallen Symposium 2007 、2008年 に参加,今年は3回目です。St Gallen大学の学生さんたちによって運営され、今年で41年目を迎えます。

世界のビジネスや各界のリーダーをお招きして、若者達との交流を図ろうという意欲的な企画です。去年から参加の学生さんたちが学部生から大学院生ともう少し上の30歳程度までの若者になり、特に「Future Leaders」という若者たちも参加します。

このところ日本の学生の参加も少しずつ増えて、うれしいことです。参加は英語のエッセイ で選ばれます。外国からの日本への留学生も、「日本枠」でかなり参加します、いいことですね。

ホストはSt Gallenの学部生たちで、皆きちんとした身なりで、礼儀正しく、対応もキビキビしていて、とても感じのいい雰囲気です。

このような企画をするなかで、学生さんたちが多くの世界のリーダーに出会い、また同世代のリーダーになっていく人たちとの交流の機会を持つことは、視野を広げ、違いを知り、自分の目標に気が付くなどなど、本当に素晴らしいことです。

今回のテーマは「Just Power」 (資料1)。

私は出番は1日目のWork Session2; What values for a world out of joint?  大枠を20分ほど話して、後は対話形式にしたので、大いにもりあがって、皆さんと楽しい時間を過ごすことが出来ました。

2つほどインタヴューを受け、またデイナーの後も若い人たちと夜遅く (午前1時ごろ、、)まで話が弾み、楽しい時間を過ごすことが出来ました。私の活動は、出来るだけ若い人中心に、と心がけています。

いろいろ素晴らしいパネルなどたくさんありましたが、12日午前の「On-on-one: Ribal Al-Assad」 、13日最初の2つParag Khanna の「Mega-Diplomacy」と、パネル「War and Peace at Edgy Times」 がとても学ぶことが多かったように思いました。

Khannaさん (資料1)とは奥さんとも、東京で去年インタヴューを受けましたが、2人とも「ジャーナリスト」というか研究者で、なかなかすごいカップルです。今年の初めに「How to Run the World: Charting a Course to the Next Renaissance」   という本を出し、これが評判になっているのです。勿論、私もすぐに買いました。つい1ヶ月ほど前にも彼とメールでやり取りしていたので、St Gallenで会うとは思っていなかったので、お互いにびっくりしました。

その次のパネルは、パネリストの皆さんが少々しゃべりすぎで、司会が困っているところもいいのですが、特に平和交渉で実績あるGaltungsさんが素晴らしかったです。こういう方が何人も出てくる国Norwayは、すごいと思います。私もGlobal HealthのGodalさんほか何人かの方を存じていますが、Brundtrandさんなどはじめ、多くの国際的に難しいことに長い間の貢献を続け、「国際的な場のリーダー」になっている方が、人口を考えても多いように思えます。いうなれば、緒方貞子さんのような方が50-100人ほどおられても、いいのではないか、ということです。Nobel平和賞の授与機構のある故(ゆえ)なのか、またこのような活動をする伝統があるからなのか、、。

ところで、このような会議でのこれらの方々の話の内容、その表現、特にウイットのある受け答えなど、皆とても上手ですし、質疑のやり取りなど、とても参考になります。自分が出来るかどうかは別として、若いときにこういう現場に居合わせることは、自分の目標を考え、同じ年代でも素晴らしい仲間のいることを感じ取るのにも、とても素晴らしいことです。いくつも機会はあるのですから、機会を捉えて、ドンドン広い世界に、外の世界に出ることをお勧めします。

St Gallen Sumposiumサイトをいろいろ探り、めぐり、ビデオ、写真などを、楽しんでください。

私は、心残りでしたが、第2日目の午前でサヨナラして、帰国の途に着きました。

 

Washington DCで: 30時間の充実した訪問

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Golden Week明け早々の5月9日(月)、Washington DCへ向かいました。同じ日付けの午後2時近くに到着、早速Hotelへ。着替えなどちょっと一休みして、Carnegie Institution of Scienceへ、以前からの友人でもあるDr Richard Meserveさん(資料1)との面会です。米国の原子力政策の重要人物の1人ですし、福島原発関係のことなどです。先日も参議院の藤田議員が訪問したばかりです。

40分ほどで、次はCSISへ向かいました。ここでは先日も報告した私達HGPI との共同作業資料1)(ビデオはここ)の進捗の打ち合わせ、そして先日4月20日に発表されたCSISによる「‘3.11’以後の日本再興プラン」 の協力などの打ち合わせです。

1時間ほどで、National Academies of Sciencesへ。Drs Michael Clegg (Foreign Secretary)、John Boright (Executive Director, International Affairs)、 Kevin Crowley (Senior Board Director, Nuclear and Radiation Studies Board), Richard Bissell (Executive Director, Policy and Global Affairs Division)という 原子力、国際関係の専門家、担当者を入れての議論が中心です。Michael CleggもJohn Borightも、この10年ほど、科学者の行動がグローバル時代へ政策提言も含めて動き出した、私が日本学術会議副会長、会長時代からの付き合いが長く、お互いに時々連絡などしているので、今回の訪問の要件をよく理解してくれており、とてもいい議論が出来ました。このような個人的な、相互の信頼関係を築いていることが、いざという時にとても大事なことなのです。

いろいろ難しい課題はありますが、今回の福島原発の問題は、世界での大関心事であるだけでなく、危機管理とその対応、放射線の健康、環境、農業や工業製品への影響、さらに海洋への放出対策など含めて、日本の対応全体が世界中に観察されているのです。「予測できない」事が起こったときこそ、その対応は国の信用の根幹なのです。

このような状況には、国際的な専門家による諮問会議の設置は、国家の信用に欠かせない時代であり、きわめて大事な政治のプロセスなのです。

1980年代に始まった英国のBSE問題でも、結局はEUの科学委員会への諮問とその結果を待つまで、結局のところ英国の信用回復には20年近くの年月を必要としたのです。

グローバル時代、国際的にも相互信頼がますます重要になる中で、今回の原発の対応とそのプロセスの透明性、客観性が極めて大事な時代になっているのに、どうも日本の政府も大企業も、そしてメデイアも、科学者たちも、そのような認識に著しく欠けています。だから、世界から見て信頼される、スピード感のある対応とその決断が出来ない、国内から見た、場当たり的な政策しかでてこない、としか思えないのです。それが世界中で認識され、あっという間に、国家の信頼と、産業などへの風評が広がっている大きな原因のひとつなのです。

翌日は朝7時からWashington DC の藤崎駐米大使と朝食、その後は高齢社会Think Tank10数人の専門家グループの議論に1日参加。さらに昼食は、ちょうどJohannesburgからDulles空港に到着したばかりのProject Hopeを引っ張るPresidentのDr John Howe、 さらに先週まで日本で一緒だった、Drs Darrel Porr and Frederic Gerber (Dr GerberもJohannesburgから直行) を迎えて、藤崎大使のお招きで、短い時間でしたが、楽しい会話のひと時を持つことが出来ました。

再び会議へ戻り、私の話題提供、会議終了直前の夕方5時にDulles空港へ、London経由、Zurich、そこからSt Gallenへ向けて出発しました。

たった30時間ほどのDC滞在でしたが、とても忙しく、しかし、きわめて充実した時間をすごすことが出来ました。藤崎大使ほかに日本大使館ほかの方達に、大変お世話になりました。

この旅が、今の日本の状況に対して役に立てることになるといいのですが、、。

 

日本のエリートたちのひ弱さ、「リーダーの作り方」

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「3.11」の大災害以来、息を飲んで世界が日本を見つめていました。私は結構きついことを、日本のこのblogで発信 (資料1) しています。しかし、これらのコメントは、従来から私が指摘していたことで、いまさらのことですが、今回の福島原発の対応で、世界に知れ渡ってしまった、日本の弱みでもあるのです。

原発以外には、このところ世界のニュースにはあまりでなくなりましたが、、。

科学者の対応もかなり信用を落としました。日本語でしゃべっていても、皆さん世界中に知れ渡っているのです。いろいろ事情はあるのでしょうが、特に原発についての発言では大変に頼りないものだった、というのが評価でしょうね。いろいろ事情があるのはわかるのですが、、。

5月9日の日経朝刊に私のコメントが出ています。読んでみて、ちょっと考えていただけるとうれしいです。何人もの方からメールなどをいただきました。

ちょっと以前にも私の発言が引用されている記事が、やはり日経に掲載されていましたので、これも紹介します。

Golden Weekが終わり、Washington DC、そしてSt Gallenへ

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私といえば、8日の日曜日にも何人かの方たちの会合を重ね、まったく休みのない「Golden Week」となってしまいました。

9日の月曜日は朝から成田へ向かい、到着するなり、Washington DCの午後はいろいろな方との面会と、夜はレセプション。いやいや、忙しいというか、もう少し時間が欲しいです。しかし、これも特に今のような日本にとっては、とても大事な役割かと思って、言ってみれば、「グローバルフリーター」みたいなことをしているのです。

Washington DCの2日目、10日には「Ageing and Health」のシンクタンク活動の「Brain-storming」、私も30分ほどのプレゼン。終了早々に空港へ向かい、London経由でZurichへ。St Gallen Sympoium資料1)へ向かいます。

天気がよさそうなのが、唯一の楽しみ、といった感じでしょうか。やたらと詰まった日程です。

Project Hope: 米国から新しいチームが到着

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Project Hope については、ここで何回か報告しています。

5月連休の最後の6日(金)、新しいチームの5人が米国から夕方に到着。翌日は早速、briefing。今回こちらでまとめ役はGeorgeさん、Iraqでも前任のFredさんたちと支援活動に参加していた方です。

そこで土曜日の夜のコンパに私も参加しました。皆さん、日本の方ですが、Missouri、NYCで活動している医師が2人、さらにUCLAの小児科でナースをしている3人(1人は男性)、皆さん、米国で免許を取得して活動しています。前にも紹介したDr Shimabukuroからすすめられての参加です。前回参加のPCATの角先生も、そして東大医学部の学生さんも岩手から帰ってきたばかり、ということで参加。林先生は岩手で活動しています。今回も基本的にはPCATが日本側を調整しているところです。

今回のチームは2週間の予定で岩手県の何箇所かに行きます。頼もしい限りです。

このような活動がさらに広がり、災害地の復興と皆さんの健康、さらには新しい日本創生にも、役に立ってくれているのです。

開かれた国際チームでの活動は、若者の精神構造を少しずつでも変えていくでしょう。

Basriさん来訪で学ぶこと2つ:災害地現場に子供を連れて行く、冨山和彦さんの会社

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 Dr Basriさんが突然4月23日の土曜日に来日することになった経過はお話しました。

成田空港から羽田空港に到着、午後4時半ごろから30分の打ち合わせ、Dr. Basriさんと彼の娘さん、息子さんの3人の秋田空港への出発を見送り。秋田空港から車で東北を横断、真夜中に宮古、浄土ヶ浜パークホテル (資料1)に無事到着、とすぐメールで知らせが来ました。

翌日、いくつかの被災地を回り、米国から持ってきた援助物資を渡し、その日の最後は盛岡で1泊。翌日の月曜日は早朝に盛岡を出発、秋田空港経由で羽田空港へ、そこからHGPIの事務所へお迎えし30分ほどのde-briefing。東北では桜がきれいだったようです。あわただしく東京駅の近くでさらに歓談し、成田Express13;33発の予定で東京駅へ。これがまた節電のため運休で予定が狂い、違う切符を購入、無事に出発を確認しました。私がホームまでお供していて本当によかった、よかった。

ところで、Basriさんがわざわざ子供さんを日本の被災地に連れてきたのは、このような現場を見る、歩く、感じ取る経験が大事だ、といってそれを実践していることです。これが教育の基本ですね、感心しました。日本では2泊3日の強行軍、2人のお子さんも元気でした。

今度のとんでもなく急な、普通でない大災害のとても難しいお願いに、何とか2日でギリギリに対応してくれたのは、何度もここで紹介している冨山和彦さん (このサイトで「冨山和彦」でサーチしてください。)を思い付いたからです。

今度の災害のすぐ後に冨山さんから電話を頂き、彼の会社IGPI (資料1)が経営する1つに福島交通があり、「原発対策でバスの運転手達のために放射能測定器がいくつも必要だ」けど、何とか当てがないですか、と電話を受けたからです。その後の話で、冨山さんに電話したところ、福島交通のほかにも、岩手県北自動車茨城交通、そして浄土が浜パークホテルも経営しているとわかり、お願いしてみたのです。冨山さんは、その日からStanford大学へ出張で出発の直前だったのですが、担当への連絡をしてくれました。

2日で、全行程を手配、指示してくれたので、Basriさん一行も何とか間に合った、というわけでした。おかげで、大いに感謝されました。

手配の早さ、岩手で対応してくれた担当者の対応と手配とメールなどでの到着の知らせ等々の気配り。しかも、原発の初期からバス運転手達への気配り、そして、ほとんど運行への影響は最小にできたようでした。

これが、経営トップの心がけ、というか基本であることを、この危機にあっても、「運転手の、、」まずは身をもって示していることに感心したのです。

こういうことを言う人、書く人は数多くいますが、予期しない危機に際して、身をもって示してこそ「リーダー」の本当の姿資料1)が浮き出てくるのだな、と思いました。

若いときの数々の「挫折」を乗り越えてきた「挫折力」がなければ、身についてこないリーダーの資質です。

 

大災害の後に現れた、科学者・技術者たちの対応と「社会的責任SSR」

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大災害に対して私達科学者、技術者たちもいろいろな状況に置かれました。いろいろな専門家がテレビなどでコメントしました。皆さん何を感じたでしょうか?それぞれの専門家として。これで多くの人が納得するような説明になっているとお考えでしたか?

勿論、政府の記者会見、東電や保安員の記者会見はあまりに「拙劣」なので、これはひどいと思うことが多かったと思います。「科学者」といってもそれ以上のコメントが出来ない状況もあったでしょう。

基本的には、実際のデータを何も見せずに、解釈や根拠を示さずに、結論だけを、しかも多くの場合、明確に判りやすく言わなかった、いえない理由があったからでしょう、と多くの方たちが感じたでしょう。たぶん、それは本当でしょうね。当事者としては、不確実である、直接確認していないとか、言い逃れと思われても致し方ない対応が続きます。

この情報の時代、後出しのデータが出てくれば、信用はドンドン失われるのです。

主要メデイアも、自分達の今回の初動対応を反省し、将来への特集を出し始めましたね、はじめは皆横並びで、ひどかったですけどね。日経新聞朝刊では、「新しい日本へ」シリーズ第1部「危機からの再出発」が始まりました。なかなかよいシリーズになりそうです。

その第2回が「「井の中」の技術立国」で、私のコメントも引用されています。このカラムでも以前から繰り返し指摘し、使っている「知の鎖国」 資料1(2005)資料2(2005)資料3(2006)、 資料4(2006)資料5(2009)資料6(2009)、、資料7(2010) のコンセプトも引用されています。

科学者も技術者も、日本社会ばかりでなく、世界への対応によって、世界の科学者の間での力量(研究ばかりが科学者の責任ではないのです)が評価されることをしっかり認識して欲しいものです。

ちょっと我田引水ですが、日本学術会議で吉川会長の下で、皆さんと作成した「日本の計画Japan Perspective」は、時代の世界の動きを見据えて、日本の科学者と社会との関わりについて、課題の本質を「タテ割り」ではなく、「横グシ」を刺す形で、明らかに指摘した報告書 だと思います。

科学者も技術者も、自分達の強さと弱さをしっかり認識し、時代の変化と要請、そして社会のあり方への対応する意識をしっかり認識し、行動することが大事です。

グローバル世界にあっての、科学者の社会的責任 SSR 「Scientists’ -as a community- Social Responsibility」です。

 

Project Hopeとの共同活動は続く

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訪れた被災地の写真はここ

「3.11」以後、私たちの主催しているHGPI (Health and Global Policy Institute)Impact JapanProject Hope 共同作業をしていることをお伝えしました。

すでに2チームが参加し、数回にわたって三陸の災害地へ出かけています。そのうちの2回はDr島袋も再度の参加で日本に戻ってきました(が、すぐにまたUCLAに戻りましたが、、)。米国で活躍している日本人医師の何人かも、Project Hopeチームに参加してくれています。皆さん、頼もしい限りです。

HGPIの会員企業を中心とした朝食会で、私が今回の経過簡単に説明したあと、Drs Frederic Gerber and Darrel Porrに、Project HOPEの背景と今回の活動の一部を紹介していただきました。

私の締めくくりは、これからどのように医療計画を進めていくか、の基本的な考え方についてちょっと一言。

参加の皆さんにとても喜んで頂けました。被害地の状況を考えれば、この活動は当分のあいだと考えていますので、次の機会には、多くの方々にご参加いただける別の朝食会もありますので、そちらでも講演をしていただく予定です。

Drs GarberとPorrは、この講演の後すぐに、再び岩手県のほうへ戻りました。

そして、4日後、東京に戻り、再びDe-briefingの会合を持ちました。今回は岩手県知事を含めて、岩手県の行政担当ともずいぶん話をしてきました。このDe-briefingにはPCATで参加し、現地でお会いしたDrs 林Hayashi角Kaku吉田Yoshidaも参加してくれました。さらに新しくProject HopeからのGeorgeが、来日し、参加しました。

Dr Gerberは翌日、南アへ飛び、Nelson Mandela Children Hospital 建設計画 (これもProject Hopeが中心的な役割をしている)へ参加する、ということでした。

林さんはMSF など世界中で活躍しており、角さんもHaitiなどで活動、吉田さんは4人のお子さんを育てながら、今はHarvard School of Public Healthで活動しています。

皆さん、世界広く活動をしていて、話の調子がよく合っていました。

 

Joi ItoくんがMIT Media Lab所長に:日本を変えよう!

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世界的の若者の憧れの的の1つ、世界でも超有名なMIT。そこの中でもよく知られたMedia Lab の次の所長に、日本よりは世界中でよく知られた伊藤穣一(「Joi」と呼ばれる44歳)くん(資料1)が決まりました。

この20年、彼の発信力はすごいもので、私のサイトの「Blogroll」にも出ていますが、彼のblogでもMIT就任への意気込みが伺えます。

伊藤くんとはこの10年以来のお付き合い、このサイトが出来た頃から、彼の名前が時々出てくると思います。私が小泉総理の頃から主張しはじめた「大学の大相撲化」を日本のメデイアで紹介したのは日経新聞英語で読まれるメデイアで最初に紹介 したのは彼だと思います。

彼も、私も、私の多くの友人も、どちらかといえば日本社会の「外」のキャリアを歩いた人たちなのです。今回のことでも、ちょっとお手伝い。

「3.11」以来、日本の強さと弱さ資料1)が浮き彫りになったように思います。つまり一言で言えば、「「タテ社会」の弱さ、終身雇用、年功序列の男性社会ヒエラルキー」の弱点です。このサイトでも繰り返し、繰り返し指摘してきたテーマです。

これらの「日本の常識」を破るような出来事が次々と出てきていますね、世界ではそんなにおかしなことではないのですが。うれしいことです。日本が変わるには、やはり「外」からの力が必要なのでしょうか。

Joiは若いときから何でも先生に質問するヘンな生徒、Chicago大2年で中退、学士もない、修士も、博士もない、日本的にはとんでもない「変人」。でも実力は世界では誰でも認めているところ。その彼を招聘するMITのすごさ。

ところで、このニュース、日本の主要メデイアではどこかで取り上げていました?何を言いたくて?

そういえばMicrosoftのBill Gatesも、FaceBookのMark Zuckerberg も、Harvard大学中退、AppleのSteve Jobsは貧乏で中退。稀有な例ですけどね。

大学ではしっかり勉強するとして、「大学4年で就職が内定しないと、落ちこぼれ、、」、なんて日本だけの常識なのです。

 

中東の科学技術政策: 中東調査会で講演

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中東調査会という組織があります。三菱商事前会長の佐々木幹夫さんが会長をつとめ、政府特使とした長く活躍された有馬龍夫大使 が理事長を務める会員制組織です。

ここの朝食会で中東の高等教育・科学技術の現況についての話を、というお招きをいただきました。

この会は、去年12月にTunisで開催されたJapan Arab Economic Forumにも貢献され、そこへは私もお招き受けました。

財界の方が多く、私がこのテーマでお話しすることは限られているわけですが、私自分の経験からの範囲で出来るだけ正直に、忌憚のない意見をお話しました。

皆さんも、このサイトでの私の中東・イスラム関係、Egypt, Abu Dhabi, Dubai, Qatar(これらのキーワードで探してください、、)での活動をご存知と思います。このあたりのこと、日本との関係などからの話と、Tunisへ行った1週間後に起こった「革命」と、それ以後の中東と日本の課題、という視点にフォーカスしました。

このような、まったく違う分野の方々と、こちらも出来るだけストレートに、そして意見の交換することで、教えていただけることも多く、いつもありがたく思っています。

また、関連する機会をいただけると、うれしいですね。