MITで

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Washington DCから21日(土)にいったん帰国。日曜は休んで、月曜はいろいろ会議などが入って忙しくすごし、25日(火)の朝から、再び米国東海岸のBostonへ向かいます。成田からの直行便、去年、日本製バッテリー発火問題でいろいろ騒がれたBoeing787です。

25日の昼に現地到着。一休みしてMIT Media Labへ。これが今回の目的ではないのですが、所長のJoi Itoさん(1)、副所長の石井さん1、 twitterは@ishii_mit)もBostonにいたので4時過ぎから出かけ、いくつかのプロジェクトを紹介してもらいました。ちょうど坂本龍一さんも来てコラボの話題になりました。いろいろ面白いことをやっていますね。夜は石井さんと奥様(私はこのご夫妻2人のtwitterをフォローしているのです、奥様はジャーナリスト、去年のHarvardのNiemann fellowです)、そして秘書さんと夕食をごちそうになりました。

翌日は、以前から交流のあるRichard Lester教授、今回、私を招いた方です。彼はMIT Nuclear Science and Engineeringの所長で、今年2回に分けてInternational Nuclear Leadership Education Programという各2週間のコースを開催し、私にも来てほしいというところから、今回のMIT訪問の話が始まったのです。私はこの1日だけですが、朝8時から夕方まで参加しました。もちろん私の話は「Lessons of Fukushima Nuclear Accident」で、90分の時間がありましたが、まだ時間が足りない感じでした。話題がいろいろあり、たくさんの質問が出ましたから。参加者の皆さん、特に欧米の方たちは原子力のエクスパート、日本やIAEAとの関係ある方も多いですし、Vietnam、 Abu Dhabi、Kenya、Mongolia、Nigeriaの方たちは資格もあり、これからその道を進もうという方たちですから、議論はとても楽しかったです。

国会事故調の報告書は、その英語版は良く知られている「Executive Summary」のほかにも、本文も去年の10月から英語でWebに出ていますから、本当によかったです。世界の専門家の間で、皆さんがそれぞれに私たちの報告書を検討、評価することができますから。

夜はMuseum of Science of Bostonでレセプション。翌朝、帰国の途に就きました。

National Academy of Sciencesで講演; Lost in Translation -‘AccountabilityとGroupthink’も紹介

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ParisからChicago O’Hare空港経由でWashington DC Dulles空港へ.

迎えの方とホテルへ直行。しばらくプレゼンのパワーポイントなどをチェック。翌朝、2年ぶりでしょうか、国務省の向かいにある、改装が終わり少々大きくなったNational Academy of Sciences (NAS)へ.ここで一日、「CBRNE」(Chemical, Biological, Radiation, Nuclear and Explosives)対策の同盟国間の協力についてのNAS主催の会議です。 私は、もちろん「福島原発事故からの学ぶことの意義」というテーマでの基調講演です。司会はNAS国際関係担当主任である旧友John Borightさんでした。私について、とてもいい紹介をしてくれました。この会議と講演はWebで見ることができます。

テーマがテーマですから、国土安全省 Department of Homeland Security、国防省 Department of Defense、 緊急対策庁 Federal Emergency Management Agency (FEMA)、軍人さんも参加しています。

日本大使館から旧知の次田参事官も参加してくれ、また、国会事故調の時に私がWashington DC 訪問時にお会いした国防省の方も参加しておられ再会を懐かしみました。

このようなテーマでも、政府の依頼を受けて、科学アカデミー主催で、公開の場で多くの会議が開催されるところが米国の素晴らしい所です。

ちょうど今年はLincoln大統領がNASを創設して150年であり、いろいろな行事があります。そのNAS創設の精神、「独立した、私立の機関であり、政府の政策に助言する」、この精神を長い時代の変遷を経て、国民からも広く信頼される科学者コミュニティを代表する機関になっているのがNational Academy of Sciences of USAなのです。

形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。「Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです。誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

演者、主催者たちとの会食、そして翌朝、帰国の途に。今年3回目の世界一周の旅でした。

最近の出来事

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このブログ、最近は途絶えがち。なんだか、やたらと忙しくて、5月31日の早朝にBangkokから戻り、英国大使館での朝食のあとから途絶えていました。

いずれご報告と思いますが、5月31日の午後からはHGPIとJCIEとのジョイントで、TICAD5へむけたアフリカ開発シンポジウム(5回シリーズの最終回)1)を主催。夜は翌日の朝から開催されるGHIT(Global Health Innovation Technology)理事会の理事の皆さんとの会食で横浜へ向かいました。横浜で一泊です。

GHITは、世界でも珍しい、日本でも初めての官民とGates財団とがタッグを組んだ5年企画。これからのかじ取りが大変そうです。

翌日は朝からGHITの理事会、続いて評議員会、記者会見と続いて、一瞬、東京へ。石倉洋子さんとの「Global Agenda Seminar 2013」の始まりにお話しをしに東京へ戻り、またすぐに横浜へとんぼ返り。夕方からHideyo Noguchi Africa Prize授賞式へ。まずは受賞のお二人、Dr Peter PiotDr Alex Cortinhoをお迎えし、天皇皇后陛下へ受賞者のご紹介、夜は表彰式と晩餐会に追われて、夜遅くに帰宅しました。

これが5月31日のBangkokから翌日6月1日の2日間の出来事のあらましです。やれやれ、いくつかの大役を果たしました。

6月2日は、10年という間に、世界に通用する本物の大学生を育ててきた、今や最も評価が高いとも言われる国際教養大学中嶋嶺雄先生12)のお別れの会へ。素晴らしい学者であり、本物の教育者、本当に、本当に惜しい方をなくしました。先生が亡くなられたのは本当に急なことでした。合掌。

東大のPresident Council in Bangkok

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NorwayのKavli関係の行事が終わると、28日夜の羽田を出発し、Bangkokへ向かいました。東大のPresident Councilの開催です。ホストはPresident Councilのメンバーの一人であるタイの王女様、Royal Highness Chulabhornのお招きによるものです。私は今年の東大の入学式にもお招きを受けていますので、お礼の気持ちもあり出席しました。日本からは浜田総長、江川理事他の東大関係者、Council memberでは吉野Harvard名誉教授(1960年代の後半にはUCLAでも教鞭をとられていました)」、横山さんなど、またインドのMunjalさん、FinlandのRaivio博士、Hassan Jamilさん、Rita Colwellさんです。Colwellさんとは今年3回目の出会いです。

Chulabhorn Research Institute、それに隣接するChulabhorn Cancer Hospitalを訪問しました。施設も充実していて、活発な研究が行われています。地元の海の生物や植物などからの特にがんに効くような化合物も探索などが行われています。ある研究室の主任は高校から渡米、Johns Hopkinsで学部教育を受け、さらにPhDも取得したという若手の素晴らしい研究者。楽しくなります。どんどん成果のあがることを期待したいです。

Cancer hospitalも比較的新しく、100床、がんに特化した病院です。ロビーには造花の桜の木が数本飾ってありました。ここは新しいので、診療のほかに「がん標本の採取、分析」などのセンターになっていく方針も持っているようです。王女様によると、最近は予算が厳しいので、なかなか大変ですよ、ということでした。

夜は、王女様とのディナー。翌日はPresident Council、東大のいろいろな課題、世界の動きなどのほかに、清野所長による粘膜免疫をお米に抗原をいれて誘発するという「米ワクチン」、医科学研究所の研究の発表がありました。ワクチンに冷蔵庫などを必要としない、というコンセプトのなかなか面白い研究です。米国で20年ほどキャリアを積んでこられているだけにプレゼンもなかなかうまいものでした。

インドのHero Groupを率いるMunjalさんはお父様にもお会いしたことがありますが(現在90歳でお元気とのこと)、長い間教育の支援をしてこられ、今度Munjal Universityを構築中という壮大な計画を進めています。新しい世界の教育について意欲的に取り組んでいくでしょう。

夜の便で帰国の途へ、早朝0545に羽田に到着。一度帰宅してシャワーを浴び、0720からの英国大使館での英国 エネルギー・気候変動担当 Edward Davey大臣(このように行政府を時期によって変えるところがすごい、そしてうらやましいです)との朝食に出席しました。

先日のWest Sussexでもそうでしたが、英国の政治家は、政治家としてなかなか優れた方が多いと思いました。

Kavli Prize Symposium

Norwayと日本の科学技術協定10周年を記念して、「Kavli Prize Symposium」12)とういう講演会が5月27日、本郷の東京大学で開催されました。

午前のセッションは2008年のKavli賞Nanoscience分野受賞の飯島澄男先生、さらにKavli Institute for Systems Neuroscience of Norwegian University of Science and TechnologyのProf Menno Witter、そしてKalvi Institute for the Physics and Mathematics of the Universe, The University of TokyoのProf Hitoshi Murayamaです。

私は遅れて参加し、最後の村山さんの相変わらずexcitingな話の途中でした。彼は本当に話がうまいですし、科学に対する愛情にあふれた講演です。

午後は、Norwayの科学技術担当副大臣のEagnhild Setsaasさん、吉川弘之先生の’Sustainability in Science’ (ちょっと難しいタイトルでした)、私の’Global Health’、Prof Ole Petter Ottersen(Rector of University of Oslo)のプレゼンがあり、その後、私たち3人の他に、Univ Bergen、Univ Tromso、Univ Tokyoから3人がさらに参加し、6人でのパネルをしました。

活発な議論がたくさん出て楽しい時間となりました。夕方からNorway大使館でのレセプション、参加の皆さんご機嫌でした。

私は、前夜のNorway大使館での歓迎ディナーにもお招きをいただきました。「Science、Philosophy、Politics」というテーマで、皆さんを刺激するスピーチをするようにと、大使のご命令がありました。

去年からのNorwayとKavliと日本との関係12)でお役にたてるのはうれしいです。

Health Summit、そしてRio de Janeiroへ

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Paris-Bostonから一回りして東京に1週間、いろいろ忙しくしていましたが、22日には医療政策機構HGPI恒例のHealth Summit (1)開催。素晴らしい方たちのパネルと、素晴らしい方たちの参加で盛会のうちに終わりました。いろいろな方たちからお礼と、励ましの言葉をいただきました。2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故からほぼ2年が経って、いくつかの日本の課題をテーマにフォーカスを当てたのが良かったのかもしれませんが、パネルの方たちが素晴らしかったですね。根本 匠復興担当大臣もごあいさつに来られ、また男女共同参画パネルについてはRoos米国大使夫人も参加してくださいました。Health SummitについてはHGPI のウェブサイトを訪ねてください。随時報告を掲載します。

24日の日曜から30時間をかけて真夏のRio de Janeiroへ。Copacabana日本学術会議の要請もあり、この10年ほど、私も深くかかわってきた「InterAcademy Panel」の総会でパネルに参加することになったのです。

今回はDubai経由で、成田―Dubaiが12時間、Dubai空港で2時間、そこからRio de Janeiroまで15時間の行程で、ともにEmirates、快適でした。時々眠り、いくつか映画を見て、疲れない旅でした。

Rioは30~35度の暑さですが、ほとんど会議場の中ですし、何人もの友人たちにも会えてよい時間を過ごせました。大きなテーマは「Grand Challenges and Integrated Innovation: Science for Poverty Eradication and Sustainable Development」です。午後最後のセッションから会場へ。CanadaのPeter Singerがひっぱっています。

翌朝はCopacabanaの海岸を1時間ほど速足で気持ち良く歩き、1日中会議に参加、夜は日本学術会議の大西会長、春日副会長ほか数人で食事のあと空港へ。午前2時過ぎのEmiratesで往路と同じ経路で帰路につきました。

多様に変化していく世界の変わりようから考えると、アカデミーの役割も多様な利害関係者の一つとしての意識がもっと高くなっていかないとちょっと物足りないように思いました。その点で英国のThe Royal Societyの報告書「Science as an Open Enterprize 2012」について、NatureのEditor-in―Chief Philip Campbell(彼もこの報告書の委員の一人です…)も参加した「非公式」セッションはなかなか良かったです。先駆的テーマについての報告書を次々と発表し、いろいろな形で世界へ広げようとするところが英国の科学者(政府も同様ですね、例えば「Stern Report」など…)の意識と行動力のすごいところです。 

ところで、今回の往復各24‐27時間の機内でみた映画で、私がよかったと思ったのは「Chasing Mavericks(米国) 」、「All About My Wife (韓国) 」でした。ビジネスクラスでもスクリーンは大きいし、ラインアップは沢山あるし、「Lincoln」(アカデミー主演男優賞、良かったですね)などはとっくに見ていますから。

しかし、往復とも成田-Dubai間がFirstでないので〝例のシャワー”体験ができなかったのが残念です。

 

AAAS授賞式

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14日の朝Parisを出発、Bostonへ向かいました。15日夜のAAASの授賞式、私はScientific Freedom and Responsibility賞受賞なので参加です。

ParisからJFKで乗り継ぎ。ラウンジで時間を過ごしていると、1月にお会いしたばかりのMIT Media Labの石井先生が「Got to JFK airport from Barcelona. 1 more jump to Boston」とつぶやいているではないですか。「Are we on the same plane – AA1790 to Boston?」とつぶやき返して10分もすると、私の前を石井さんが歩いているではないですか。面白いですね、しばらく歓談しました。

Bostonの空港からホテルまでは道がとても混んでいて、1時間以上かかりました。前の週末の大雪のせいもあるのでしょう。チェックインのあと友人と落ち会い、夕食へ。

翌日は、AAASの登録を済ませ、会場に行ってみると展示会場を入ったところに「Japan」ブースがあるので寄ってみました。RIKENWPIなどの精鋭プログラムが展示されていて、いろいろな方とお話ができました。ちょっと離れてOIST1)の展示ブースもあるではないですか。来年からは一緒に展示することも検討するようにお願いしました。

いろいろ会場を歩いていると、どのセッションへ行こうかずいぶん迷ってしまいます。特にPlenaryは選りすぐりなので、知的興奮も大きいし、視野も広がります。MITのSheryl Turkle教授(1)の「The Robotic Moment」は、科学技術の進歩と人間の生活の変化を、特に子供たちのこと、高齢社会のことなどについて、深く考えさせられる講演でした。彼女の著作、総説を少し読んでみたいと考えています。

AAASの授賞式では8つほどの賞があり、一人ひとりの受賞理由がDr Press会長から紹介され、AAAS CEOのDr Leschnerから受賞の「盾」を渡され、3~4分ほどの挨拶をするのです。私の挨拶は好評でした。このサイトでも紹介しているDr Bruce AlbertsEditor-in-Chief of ‘Science’)、Nina Fedroff(AAASの去年の会長で今年は理事長)(1)、Norman Neureiter1)の他に、日本からも何人かの友人が出席してくれました。

レセプションのあと、私の賞の選考の委員会の関係者たちと夕食のあと、日本の関係者の2次会へ移動しました。

Bostonは2泊の滞在でしたが、世界の科学者たち、科学ジャーナリストなど広い皆さんからの国会事故調の評価の高さに、国会事故調のチームへの感謝と福島の人たちへの思い、これからの福島原発事故の行方に、ますます不確実な世界の中で、日本の在り方と信頼が思われます。

翌朝5時に空港へ、7日間の世界一周の帰途に就きました。やれやれですが、Paris、Bostonともに充実した時間でした。

 

San FranciscoとStanford大学へ

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EDF環境問題団体があります。1967年設立ですからRachael Carsonの「沈黙の春」(1962年) 、Vietnam戦争などがあり、米国でも新しいムーヴメントが出てきた頃です。EDFは科学者と法律家が連携して、問題を政治、法律へと動かそうという動機からなのでしょう。私もそのころ(1969年)に渡米したので、当時の米国の社会的背景が少しは感じられる気がします。

その理事会に関連して「Science Day」というのがあり、この講演に来てほしいというので、これはお受けすることにしてSan Franciscoに来ました。今回のテーマが原子力ということで参加を要請したのでしょう。

2月4日の夕方、1日早く到着し、翌日Stanford大学のAPARCでセミナーをしました。一つには20年近く在籍していたUC San DiegoからStanfordに移ったばかりの経済学者の星 岳雄教授(1)にお会いする目的もあったのです。セミナーには青木昌彦先生のほか多くの方が来てくださり、90分のセミナーのあと2時間ほどの短い時間でしたがいろいろ歓談することができました。

翌日のEDFの集まりではRichard RichterJohn Ahearn (Three Mile Island原発事故の時 ‐ March, 1979 ‐ のNRC原子力規制委員会(NRC)委員の一人で、Kemenyレポート提出の2か月後にNRC委員長の重責を担った方です)などのこの分野でのそうそうたる演者たちですが、参加している方たちも環境問題の専門家などが多く、活発な議論が行われました。このような活発な議論のやり取りに結構な時間をとっている会議は楽しいです。
宿泊したところはGolden Gate Bridgeを降りてすぐのSausalitoにあるCavallo Point

いかにもCaliforniaらしい好天気の充実した3日でした。

 

若い人たちのとの交流 「リケジョ」

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「リケジョ」とはなんだ?「理系女子」の略です。

世界の化粧品の大手L’Oreal は‘For Women in Science’という大変に成功しているプログラムを12年前から運営しています。この受賞者からNobel賞を受けた方も出ています。

私もこの賞の審査員1)をしている関係で、日本での活動にも積極的に参加しています。今年のParisの受賞式は、国会事故調のさなかでもあり、残念ながら欠席しました。

しかし、日本の奨励賞授与式には今年も出席、素敵な女性科学者たちにお会いできました。安藤美姫さんが特別受賞をしました。去年は黒木メイサさんの特別受賞でL’Orealもしゃれたことをするなと思う次第です(この2年の日本の受賞式は、このblogで紹介していませんでしたね、申し訳ない)。このころから「リケジョ」といわれ始め、今度の会にも発展したのです。

衆議院総選挙の日となりましたが、大学生や高校生の女子学生さんたちなどが50人ほどあつまり、8つに分かれ「チーム対抗;こんな化粧品があったらいいな」というコンテストです。みなさん、プロジェクトの進め方は練習をしていたようで、その日の即席チームなのでしょうが、45分ほどでまとめ、それぞれが2~3分でのプレゼンもうまいものでした。私もついついいくつかtwitterしました。

最終的に審査員の選んだ賞が2つ、参加者が選ぶ賞が1つですが、驚くことに両方でとても意見が一致していたのです。商品名も挑発的、皆さんの発表も自信満々で上手でしたよ。「恐るべし、リケジョ、いいね」、といったところです。

 
最優秀賞

製品タイトル: 性別を超えたフェロモンアイライナー!!
製品コンセプト: 
・ベースライナー付き多機能アイライナー
・男女別アイライナー(香り・パッケージを分ける)
・世界初!!香りつきアイライナー!!
・日本人男性にも化粧品を広める(韓国風) 

審査員特別賞 

製品タイトル: Butterfly
製品コンセプト:
・リップクリーム + 口紅でキレイな発色
・(ロケット鉛筆方式で)自由にカスタマイズできる
・1つ1つ単体でも使用可能
・本体も自由にデコレーション可能
・取り外し可能なチャーム(ミラー)付き

 
ベストコスメ賞(リケジョからの投票による)

製品タイトル: 雌girl リップ
製品コンセプト:
・X’masデートの勝負アイテム「(彼を)落とせるけど、落ちないリップ」
・15~20代の女性がターゲット
・守りたくなる少女らしさ、惹かれてしまう色っぽさ。欲張り女子の全てがかなう。
・お手軽だけど、手の届くラグジュアリー感で1,800円!

 
いかがですか? 日本L’Orealしゃれたことをしますね。

 

AAASのScientific Freedom and Responsibility 受賞の知らせ

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AAAS (American Association of Advancement of Science) は全米、というか世界の科学者の会員を擁する最大ともいえる科学者の組織です。その活動は多岐にわたりますが、世界でよく知られているのは、毎週発行する「Science」という科学誌で、編集長は米国科学アカデミーを12年間にわたって率いたBruce Alberts1)です。

このAAASにはいくつかの賞があります。
先日、事務局から電話連絡があり、私が受賞者の一人となり、“Scientific Freedom and Responsibility”を受賞することになりました。まったく「想定外」のことです。

受賞の理由がAAASの公式サイトに掲載されました。Richard Meserveさん1)、Sunil Chackoさん1)のコメントもあります。うれしいことです。

Sunil Chackoさんは、この受賞についてもHuffingpostに投稿もしてくれています。

GRIPSのホームページにも掲載されています。

年次総会で授賞式が行われるのですが、今年は2月中旬にBostonです。なんだか、思いがけなくうれしいことが続きました。

国会事故調で一緒に活動し、また支援してくれた多くの国内外の皆さんのおかげです。ありがとう。