ゴールデンウィークが始まり、久しぶりにボストンにきました。2年ぶりです。今回はちょうど安倍総理のご一行がここを訪れた直後です。
今年は米国内科学会の100周年ということで、20数人の方が「100周年記念 支部リーダーシップレガシー賞」 を受けることになり、わたしもその一人に選ばれ参加することになりました。2003年にアメリカ大陸外で初めてとなる日本支部(「チャプター)といいます)を設立し、その活動に顕著なものがあるということでした。日本支部の皆さんに心から感謝します。
この日本支部は数年前から日本内科学会から独立し、臨床教育にフォーカスした、とても魅力的で充実したプログラムになっています。今年もこれからのことですが5月30、31日に京都で開催されます。医学生、研修医も、会員でなくても大歓迎です、お友達もさそって、ぜひ参加してください。
今回の米国内科学会の会場はボストンコンベンションセンター で、コンボケーションも、プログラムもとても充実しています。参加の会員は2万人弱のようです。日本支部のレセプションはいつものように多くの方が訪れてくれます。ちょうどボストンに来ている日本の医学部の学生さんたちにも会いました。日本からの参加の会員の方は20人少々でしょうか、日本からの参加の方たちとのディナーの機会も作っていただきました。
この会の合間を縫って、ハーバード大学チャン公衆衛生院に新しくジョンリトル放射能科学研究センターが設立され、私もそのセンターの国際諮問委員の一人に就任しましたので、センター設立の基礎となったジョンリトル教授、センター長のユアン教授と昼食。また、このブログでも10年前ににも紹介している旧知のフリオ フレンク院長(1、2)を訪問しました。彼は任期を待たず、個人的な事情で今年の8月いっぱいで退任します。残念です。
滞在最終日の土曜日の午後には、この大学院にまたもどり、ここで活動している院生、ポスドク、ライシュ教授などタケミプログラム関係者ほか、何人かの日本の方たち20人ほどが集まり、いくつかの研究発表と討論の懇親の会を持ちました。なかなかよかったです。
ボストン訪問の直前のことですが、ライシュさんとは彼がLancetに投稿する「フクシマのこれからTowards Long-term Responses in Fukushima」について意見を求められてやり取りをしていたところでした。これも偶然ですね。
この会に参加してくれた方たちには米国滞在が長く、独立して頑張っておられる方たちも多くなっているようで、頼もしい限りです。わたしの教えた学生さんで、ここで病理の教授になった方も参加してくれました。わたしが最後の締めくくりでしたが、もちろん、これらの若者たちへのエールです。
この公衆衛生院のあたりはハーバード大学医学部と主要ないくつかの関連病院が集まっているところです。80、90年代、わたしが医学部で活動していたころに、トステソン医学部長とそのころの医学教育の大改革のさなかのニューパスウェイの件で何回かお会いしにいったところですし、また国際腎臓学会関係などでも、仲良くしているBarry Brenner(1)を何度か尋ねたところでもあります。
夜はひんやりしていましたが、後半は快晴のボストンでした。