“Bula”、Fijiから

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Manabaに参加して翌日の7月6日、羽田を出発、Hong Kong経由で翌日にFijiのNadiへ。そこからさらに乗り継いで首都Suvaに来ました。

Pacific Science AssociationInter-Congress1)に参加です。

どこでもまずは‘Bula’。「こんにちわ」のように皆の使う挨拶です。

この学会は1920年に発足し、私も2003年からかなり関わることになり、いろいろ仕事をさせてもらいました。このサイトでは沖縄1234、吉田松陰の秘話も出てきます)、そして2011年の大震災の後のKuala Lumpurでの活動があります。

今回の会場はThe University of The South Pacificで、大勢の学生さんたちがVolunteersとして運営に関わっていて、なかなか素敵な雰囲気です。ここで教鞭をとっておられる日本の先生たちにもお会いしました。

翌日の開会式典にはRatu Epeli Nailatikau大統領もご出席、力強いスピーチをされました。開会式では、わたし、そして次にProf Nordin Hasan, Director of Asia Pacific Regional Office of ICSUが基調講演をしました。ご当地の大嶋英一大使も出席されました。

私を含めた何人かがテレビのインタビューを受け、夕方のニュースで取り上げられたということでした。翌日の新聞でもかなり取り上げられていました。

2日目、3日目は分科会を中心にしていろいろな活動がありました。私は、3時間ほどは観光、USP Vice-Chancellor and President Chandraさんとの夕食、また大嶋大使から昼食のお招きを受け、大使館の方々、ご当地で活躍している日本の方々の活動などについてお話を伺いました。UNDP職員として、Pakistan、Sudan、Fujiと活躍してこられた日本の女性にもお会いできました。

ここの日本大使公邸は20年ほど前に購入したそうですが、Fijiの首都Suvaでも一等地にあり、素晴らしい眺めです。

Fijiは歴史的に英国領、インドとの関係、最近では中国、韓国の活動も顕著です。マグロ取りの中国の漁船が何艘も来ています。日本の活動は現地でも知られているのですが、ここでもあまり日本人の姿が見えない、ということのようです。

大使のご苦労はこの辺にもあるようです。

Manabaセミナー + 基調講演と飯吉さんのパネル

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Manabaとは教育の新しいplatformを提供する企業で、このサービスは世界の大学へも広がっています。なかなか意欲的な試みです。

大学や学校の先生たち、事務の方たちを主要な対象としたセミナーが7月5日に東京で開催されました。大勢の方たちが参加されました。

プログラムはManabaを実際に使用している大学の試み、などが主体ですが、私は全体の「世界の動向、それは何故なのか」という視点で、1時間の基調講演の機会をいただきました。現場で活動している人たち、いろいろ試行錯誤し、学生さんたちのために、大きな枠組みを提示する、そのうえで自分たちがしていることの大きな流れを考えてもらう、これが私のしたいことですから。

参加の方たちは、教育、就職など広範にわたる大学の関係者が多く、後のパネルでの質疑からして日常的に苦闘している方たちが多かったようです。

私の講演のタイトルは「Uncertain Times; あなたの選択」です。私のスライドはもちろん映像と文字はすべて英語、でっかい文字を使います。

大きな流れをなんとなくでよいので、感じ取ったうえで、みなさんに「自分の立場で果たすべき責任」を感じ取ってもらいたい、という趣旨です。

あっという間に1時間が過ぎました。しかし、私のメッセージを皆さんも感じ取ってくれたらしいことは、最後のパネル、レセプションなど、後でよくわかりました。

最後のパネルは久しぶりの飯吉さん1)。飯吉さんは教育とは「狂気だ」と繰り返す。私も“Crazy Ones”1)が世界を変える、と主張する。そして文部科学省では異色の佐藤くん、そして経済産業省の福岡くん。飯吉さんの厳しいパンチ、「狂気」が次々と飛んできます。パネルの二人の官僚も、「ふつう」とは変わった「若手官僚」です。参加の方たちからも、苦闘する教育界の現場の悩み、良心のような質問がいくつか出てきました。皆さん苦闘していますね。

「発想の枠組み」を変えてみることです。出る杭、異論、枠を超えて考えてみることです。

グローバル世界での日本の将来は若者にしかありません。このことをどのくらい一人ひとりの日本の「責任ある立場」の人たちが、自分のこととして考え、行動しているのでしょうか。

世界の変化の本質を、肌で、心で、下腹(ガッツ)で直感的に感じ取っている、日本国でより大きな責任ある立場にあって、グローバル世界での日本へ向けた「その役職の責任を実行している人」はそれほどいないのですね。もっとも「学歴エリート」、「東大話法」の人たちが多いですから、所詮は無理なことなのでしょうか。

問題を認識したとしても、まず「できない理由」がいくつも頭に浮かぶ人のほうがはるかに多いのです。それが日本の現状です。考えながら、実行してみることです、難しいでしょうけど。

国連大学の卒業式でスピーチ

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東京青山にある国連大学。ここでは、世界に広がる研究所群と横浜にある高等研究所と、ほかのいくつかの大学とも連携して正式な修士課程が新しく設置されていますが、7月3日に卒業式が開催されました。

私は日本学術会議に関わったころから、日本の科学者コミュニティと国連大学との関係を強くしようと積極的にいろいろと協力してきました。過去2代の学長さんともいろいろお手伝いをさせていただきましたし、今度着任したDavid Malone 学長ともCanadaに共通の友人もおり、着任前からいろいろコンタクトができていました。

この10年ほどのことですが、ここで開催されるいろいろな会議でも話をする機会が、数多くありました。

国連大学の大学院の発足は2010年の9月ですから、極めて新しい大学院ですし、まだ規模は小さいのです。今年、12か国からの12人(最大の多様性ですね)の修士課程修了(あと数人が春に卒業していることのことでした、、)の学生さんたちを送り出す卒業式に、私はCommencement Speechのお招きを受けました。うれしいことです。

私のSpeech原稿はこちらです。

皆さんとてもうれしそうな素敵な卒業式でした。Malone学長は急用で海外となり、ビデオでのメッセージ、竹内副学長の挨拶、私のSpeech、学位授与式、そして卒業生3人のSpeechなどがあり、レセプションで終了しました。

新しい門出をする若者たちを世界に送り出すのは、何とも言えない感動の時間です。

ロンドンで

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15日にStockholmからLondonへ移動。以前から依頼されていた、ちょっと「秘密の会議」があるのです。先日のWest Sussexから6週間ぶりにHeathrow空港に来ました。

16日は日曜日、ホテルの向かいのHyde Parkをしばらく散歩。街のど真ん中でとても広くて、緑も多くて気持ちが安らぎます。ランチタイムにはCollar Capitalの水野さんがホテルを訪ねてくれました。

午後のお茶は大使館の四方公使ご夫妻と息子さん、そしてOxford大学院で政治学を勉強している二宮さんとゆっくり時間を過ごしました。息子さんは以前にも紹介したプログラムに触発され、いまはGeorgetown大学の学部生ですが、ちょうど夏休みでご両親のところに来たということでした。

四方さんご夫妻は奥様も外務省。もっぱらスペイン語圏が任地で、すれ違いも多かったようです。Swedenではやはりスペイン語圏のColombiaなどで12年過ごされ、今はZambia大使のLena Nordstrom1)さんにお会いしました。13日のTallbergでの国王との晩餐の時に私と隣同士になったのです。大使は一つの任地で基本的に5~6年ということでした。

久しぶりにゆっくりできた日曜日でした。

17日(月)は朝から8人ほどの方と日英関係などを中心に、ビジネスの可能性など、なかなか意義ある会議ができました。

昼からEurorailでParisへ向かいました。3時間ほどでパリ北駅に到着。朝から大雨ということもあり、とてもむし熱いパリ。すぐに着かえて夕方5時からの会へ向かいました。

最近の出来事

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このブログ、最近は途絶えがち。なんだか、やたらと忙しくて、5月31日の早朝にBangkokから戻り、英国大使館での朝食のあとから途絶えていました。

いずれご報告と思いますが、5月31日の午後からはHGPIとJCIEとのジョイントで、TICAD5へむけたアフリカ開発シンポジウム(5回シリーズの最終回)1)を主催。夜は翌日の朝から開催されるGHIT(Global Health Innovation Technology)理事会の理事の皆さんとの会食で横浜へ向かいました。横浜で一泊です。

GHITは、世界でも珍しい、日本でも初めての官民とGates財団とがタッグを組んだ5年企画。これからのかじ取りが大変そうです。

翌日は朝からGHITの理事会、続いて評議員会、記者会見と続いて、一瞬、東京へ。石倉洋子さんとの「Global Agenda Seminar 2013」の始まりにお話しをしに東京へ戻り、またすぐに横浜へとんぼ返り。夕方からHideyo Noguchi Africa Prize授賞式へ。まずは受賞のお二人、Dr Peter PiotDr Alex Cortinhoをお迎えし、天皇皇后陛下へ受賞者のご紹介、夜は表彰式と晩餐会に追われて、夜遅くに帰宅しました。

これが5月31日のBangkokから翌日6月1日の2日間の出来事のあらましです。やれやれ、いくつかの大役を果たしました。

6月2日は、10年という間に、世界に通用する本物の大学生を育ててきた、今や最も評価が高いとも言われる国際教養大学中嶋嶺雄先生12)のお別れの会へ。素晴らしい学者であり、本物の教育者、本当に、本当に惜しい方をなくしました。先生が亡くなられたのは本当に急なことでした。合掌。

東大のPresident Council in Bangkok

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NorwayのKavli関係の行事が終わると、28日夜の羽田を出発し、Bangkokへ向かいました。東大のPresident Councilの開催です。ホストはPresident Councilのメンバーの一人であるタイの王女様、Royal Highness Chulabhornのお招きによるものです。私は今年の東大の入学式にもお招きを受けていますので、お礼の気持ちもあり出席しました。日本からは浜田総長、江川理事他の東大関係者、Council memberでは吉野Harvard名誉教授(1960年代の後半にはUCLAでも教鞭をとられていました)」、横山さんなど、またインドのMunjalさん、FinlandのRaivio博士、Hassan Jamilさん、Rita Colwellさんです。Colwellさんとは今年3回目の出会いです。

Chulabhorn Research Institute、それに隣接するChulabhorn Cancer Hospitalを訪問しました。施設も充実していて、活発な研究が行われています。地元の海の生物や植物などからの特にがんに効くような化合物も探索などが行われています。ある研究室の主任は高校から渡米、Johns Hopkinsで学部教育を受け、さらにPhDも取得したという若手の素晴らしい研究者。楽しくなります。どんどん成果のあがることを期待したいです。

Cancer hospitalも比較的新しく、100床、がんに特化した病院です。ロビーには造花の桜の木が数本飾ってありました。ここは新しいので、診療のほかに「がん標本の採取、分析」などのセンターになっていく方針も持っているようです。王女様によると、最近は予算が厳しいので、なかなか大変ですよ、ということでした。

夜は、王女様とのディナー。翌日はPresident Council、東大のいろいろな課題、世界の動きなどのほかに、清野所長による粘膜免疫をお米に抗原をいれて誘発するという「米ワクチン」、医科学研究所の研究の発表がありました。ワクチンに冷蔵庫などを必要としない、というコンセプトのなかなか面白い研究です。米国で20年ほどキャリアを積んでこられているだけにプレゼンもなかなかうまいものでした。

インドのHero Groupを率いるMunjalさんはお父様にもお会いしたことがありますが(現在90歳でお元気とのこと)、長い間教育の支援をしてこられ、今度Munjal Universityを構築中という壮大な計画を進めています。新しい世界の教育について意欲的に取り組んでいくでしょう。

夜の便で帰国の途へ、早朝0545に羽田に到着。一度帰宅してシャワーを浴び、0720からの英国大使館での英国 エネルギー・気候変動担当 Edward Davey大臣(このように行政府を時期によって変えるところがすごい、そしてうらやましいです)との朝食に出席しました。

先日のWest Sussexでもそうでしたが、英国の政治家は、政治家としてなかなか優れた方が多いと思いました。

Kavli Prize Symposium

Norwayと日本の科学技術協定10周年を記念して、「Kavli Prize Symposium」12)とういう講演会が5月27日、本郷の東京大学で開催されました。

午前のセッションは2008年のKavli賞Nanoscience分野受賞の飯島澄男先生、さらにKavli Institute for Systems Neuroscience of Norwegian University of Science and TechnologyのProf Menno Witter、そしてKalvi Institute for the Physics and Mathematics of the Universe, The University of TokyoのProf Hitoshi Murayamaです。

私は遅れて参加し、最後の村山さんの相変わらずexcitingな話の途中でした。彼は本当に話がうまいですし、科学に対する愛情にあふれた講演です。

午後は、Norwayの科学技術担当副大臣のEagnhild Setsaasさん、吉川弘之先生の’Sustainability in Science’ (ちょっと難しいタイトルでした)、私の’Global Health’、Prof Ole Petter Ottersen(Rector of University of Oslo)のプレゼンがあり、その後、私たち3人の他に、Univ Bergen、Univ Tromso、Univ Tokyoから3人がさらに参加し、6人でのパネルをしました。

活発な議論がたくさん出て楽しい時間となりました。夕方からNorway大使館でのレセプション、参加の皆さんご機嫌でした。

私は、前夜のNorway大使館での歓迎ディナーにもお招きをいただきました。「Science、Philosophy、Politics」というテーマで、皆さんを刺激するスピーチをするようにと、大使のご命令がありました。

去年からのNorwayとKavliと日本との関係12)でお役にたてるのはうれしいです。

米国内科学会(ACP)日本支部の年次総会:「グローバル人材」を育てる

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去年に続いて京都大学の100周年記念時計台を会場にして、京都大学の福原俊一教授の主宰で米国内科学会 (American College of Physicians; ACP)12)の日本支部 (Japan Chapter)の学術総会が開催されました。

臨床教育、症例検討、臨床研究の在り方など、福原先生の思い切った企画と小林支部長の強い支援で、初めての2日間のイベント。多くの医学生や若い医師が参加しています。講演者は臨床現場の教育にとても熱心な方が多く、米国で臨床研修の経験者が何人も登壇していることが、その背景にあるのでしょう。参加の方は600名弱ということです。うれしいですね。

第1日目、どの会場も満員、みなさんの熱気であふれていました。特に若い方たちの皆さんが、素晴らしい臨床の教育、研修の機会に飢えているのかもしれません。レセプションでももっぱらそれぞれのセッションの話題で盛り上がっていました。プログラムの全部に参加することはできませんでしたが、Drs 徳田、須藤、高杉、岸本、柴垣、長浜さんなど、大いに盛り上がっていました。

2011年には東北大震災の直後であり、福島原発の事故もあって参加できなかった当時ACP会長のVirginia Hoodさん(University of Vermont、私と同じ腎臓が専門、その年の秋には台北でご一緒しました)、そしてMitchell Feldman (Chief Editor, J of General Internal Medicine, Univ Calif San Francisco)も参加、セッションも英語、日本語のものが混在しています。多分、予算のことなどもあり、同時通訳はなかったように思います。

第1日目の最後はDrs Feldman (UCSF)、Ishiyama (St Louis)、福原教授のみなさんから素晴らしい講演があり、次いで感染症対策など広い分野で大活躍されていて、若くして亡くなられた沖縄中部病院の「遠藤和郎先生1)を偲ぶ」セッション、そして私の‘100 Top Global Leaders 2012’(Foreign Policy)、AAASの受賞のSpecial Session、そしてとても活発なレセプションで第1日は終わりました。

グローバル化していく世界で十分に評価されるような内科医を育成したいという期待があって10年前にようやく設立にこぎつけたACP日本支部。南北米国大陸諸国以外で初めてできたというACP支部、これが日本支部だったのです。

どの分野でもそうですが、グローバル時代へ向かって、既存の日本の組織を変えることは、その歴史、構成員の背景を考えても、なかなか無理な話なのです。このような、違った、しかし平行した選択肢を提示することは、将来を担うグローバル人材育成を育成する一つの方策と思います。

今回、ACP日本支部での若者たちの熱気を感じて、設立10年、ようやくこの活動もこれからだな、さらに伸びてくれるといいのだが、、、と祈るような気持ちになりました。人材の育成はとても時間のかかるのです。

第2日は、所要があるため、後ろ髪をひかれる思いで失礼しました。

東大入学式の私の祝辞のスライドビデオ

今年の4月12日、東大の入学式で私が祝辞を述べるという機会を頂きました。

このサイトでは祝辞をすぐに読めるようにしましたが、何人かの方から、「聞くことはできないの?」というメールをいただきました。東京大学にもお願いしてビデオを頂きましたが、別の知人から頂いたビデオのほうが見やすいので、ここに掲載します。時々写真のシャッターの音が聞こえるのはマイナスですが、こちらのほうが見やすいと掲載します。

ちょうど2日まえ5月22日、NHKの「クローズアップ現代」にも「ギャップイヤー」が取り上げられ、私も取材は受けましたが、番組の初めに私の東大での祝辞の大写しが出てきたのには、びっくりしました。

St. Gallen Symposiumへ再び

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再びSt. Gallen Symposiumに参加しています。今年のテーマは「Rewarding Courage」です。こんなテーマにするのは主宰している学生さんたちの提案も良く考えている証拠です。5月1日、成田を出発。

2012年は国会事故調の最中で参加できませんでしたが、2007年から今度で4回目の参加だと思います

2日とも全体Plenary会議は素晴らしいものでした。皆さん満足していたと思います。

第1日目の最後の全体パネルは「Leaders of Tomorrow: Essay Competition」、石倉さんのダイナミックで、アドリブのきいた司会で、みなが素晴らしい時間を持ったのではないでしょうか。世界の90か国ほどの1,000人を超える若者のエッセイから、最終的に3人が選ばれましたが、このパネルでの12名ほどの若者の議論には素晴らしいものがありました。

若者たちとの交流はいつも楽しいものですし、先輩の大事な役割です。

私も2日目のWorkshopで「Global Agenda in Post-Fukushima」で対話をしようという趣向で、石倉洋子さんがmoderatorをしてくれました。このセッションでは、どちらかといえば流れがもっぱら「福島原発事故」と「国会事故調」にフォーカスされてしまったので、「タイトル」とはちょっとずれていきました。でも参加されて方たちの議論がそちらへ向かうのはスイス、ドイツの方が何人も来られたことにもあるでしょう。自分でも「出来」はあんまりよくなかったと思います。これも「福島原発事故」のインパクトと、世界の関心の高さのためと思います。これも勉強です。次にはもっとフォーカスを、と思います。

St. Gallenは1971年に始まり今年で43回目です。St. Gallenの学生たち始めたもので、今でも学生がテーマを選び、組織し、プログラムを組んでいるのです。到着した夜のレセプションですが、私のテーブルでは、私ともう一人の2名以外の6名がSt Gallenの卒業生で30年、20年、10年前にこのSymposiumにかかわったそうです。このような若い時の学生として多くの社会のリーダーとの出会いと、このような会を開催する苦労の「こころ」が、先輩として好循環として戻ってくるのだろうな、と話をしながら、ちょっと先輩-後輩のつながりに感動をし、うらやましい気持ちになりました。

第2日目のWorkshopの後、すぐにホテルへ戻りチェックアウト、飛行場へ。英国Heathrowへ向かいました。