ダボスから(4)

もうひとつダボスから。

帰りはアメリカ人の友人夫妻とZurichまで一緒に車で移動しました。しかし、そこでまた変な話を聞いてしまいました。というのは、あるセッションで日本人パネリストが「中国は犯罪者やSARSを持っているような人を日本に送り込んでくる」との発言をし、これに対して中国人のパネリストが「日本人は中国で虐殺を行った」だとかの口論になり、その人の友人である司会者が困っていたというのです。「誰ですか?」と聞かれたので、プログラムを調べたところなんと都知事ではないですか。国内でも同じような発言をしていますが、まさかこんなところに来てまでとは、と感じた次第です。

ほかにもいくつか極めて“場違いなこと”があったようですが、ご本人たちはまったく感じていないのでしょう。都知事は承知して発言しておられるのでしょうから、かまわないと思いますが。この辺のこととか、来年に向けてちょっとした計画も考えなくてはと感じています。

この後は、去年も参加したInterAcademy Council(IAC)の会議でAmsterdamに滞在しました。このIACの「教育、人材育成」についての報告書(「Inventing a better future: A strategy for building worldwide capacities in science and technology」)が出来上がり、2月6日(日本時間)に国連のアナン総長のお招きで各国大使等の前で発表されます。

29日の朝に成田に到着。午後は慶応大学で行われた産学連携プログラムで「教育」について話をしました。慶応4年に福沢諭吉が慶応義塾を設立したことから始まって、どの国でも無条件で与えられるのは「人と空気」だけである事を強調しました。だからこそ、人材育成、教育が大切なのです。本当に福沢諭吉は立派な方ですね。

このブログでも案内していますが、講演する機会も多いので、時間があったら是非お出かけください。お会いできるのを楽しみにしています。

ダボスから(3)

会議3日目は雲ひとつない、-4℃から0℃前後という無風快晴の絶好のスキー日和でしたが、そんな時間はまったくありません。午前は「Why Victory against Terrorism Demands Shared Values」に出ました。石原都知事が出るからです。4年前、ダボス会議に出席したときには、「Xanophobia」と評価されたようですが、今回はいかに。パネルにはUS Attorney-GeneralのAshcroftも出ていました。都知事は日本語でしゃべり(このレベルの人ではOKですが)、9.11の前日にPentagonに、翌日White Houseに訪問の予定であったことから始まり、出だしは上々でした。途中で話題が「Human Rights」になってきているのに、ついうっかり「女性差別的」発言をしてしまい(軽く笑いを取るつもりだったのでしょうけど、場はしらけていました)、さらに北朝鮮問題でも本音なのでしょうが「ちょっとねー」という発言になり、やっぱり「自己中心的」かなと。ご本人が伝えたかったこととは違ったメッセージになってしまったようです。夜に開かれたJapan Dinnerにもこられましたが、一言挨拶でもさせてあげるべきなのに(と、私は思いますが)、これもなく、さっさと帰られました。今年のJapan Dinnerは去年と同じ会場でしたが、席を増やした分だけ空席が目立ってしまいました。着席のディナーは難しいですね。去年に比べて盛り上がらなかったです。元財務官の黒田氏(なぜ?)とリチャード・クー氏が10分ほどずつ「基調講演」しましたが。存在感のあったのは、またまた閉会の挨拶をされたゴーンさん(主催者の一人ですから)だけでした。何で?と思うでしょう?そうなんですよね。司会の千野さん(前回紹介しました)が気の毒でした。

さて、午後は例年の日本経済についての「Making the Japanese Recovery Last」に出たかったのですが、私は午後の2つのパネル「Who Is Responsible for Your Health?」、「Personalizing Medicine」にパネリストとして参加するので出られませんでした。この「日本の経済と産業」については何人かの日本人に印象を聞きましたが、会場はほとんど日本人ばかりで、評価は人によって違いました。日本の経済は上を向き、日本には元気が出て来たとの印象は与えた等の意見がいくつか聞かれました。

私がパネリストとして参加した2つは、両方とも盛り上がり、大変面白かったです。色々な人たちにも知り合うことができ、このような場所での出会いのすばらしさを感じました。個人と個人が評価しあった上で、付き合いが始まるというスタイルです。Dean Ornish(CEO and Founder, Preventive Medicine Research Institute, US)、Richard Smith(Editor, BMJ)、Francis Collins(Human Genome ProjectのUSのリーダー)、Ellis Rubinstein(CEO, NY Academy of Sciences)、Ruth Faden(Executive Director, Bioethics Institute, Johns Hopkins)、Geoffrey Moore(The Chasm Group)等をはじめとして、宗教家、ビジネス等の人たちが参加し、すばらしいメンバーで行われました。私のプレゼンは5分間でしたが、「clear, provocative」であると多くの人からお褒めの言葉をもらいました。私の問題提起をめぐっても議論が進められましたが、このような世界会議で行うプレゼンは、違う背景の人たちに、どのようにわかりやすく問題点を具体例を示しながら提示するかがポイントです。プレゼンの詳細はまたの時にでも話しましょう。

夕方に行われた「The Imperative of Partnering against Poverty」というセッションでは、緒方貞子さんのHuman Securityについての話が、過不足なく、大変すばらしかったです。Human Securityとは結局のところ、「明日がどんな日になるかわからないこと、そして明日がわかるようであれば一歩前進、しかし明日のもう一日先が見えるようになると、何か考えることができるようになる、と」。まず、このような状態を作ることがHuman Securityでは大事と言われました。この後、インドのNGOで女性Empowerment活動で活躍し、注目されているMs. Mirai Chatterjee(まだ若い女性です)が彼女の経験、考え方等を話しました。底辺の人たちから動いていく、そして政策等にコミットし、発言していく、上からの施策では何も変わらないという趣旨です。このNGOには予算もつくようになったということです。どう予算を使うかも自分たちで、自律的に、透明度高く運営している(あたりまえですが、それが実行されにくいところに多くの問題があることはどこでも同じ)とのことです。この2人の話を聞いても感じることですが、結局、人は何をし、どんな考えかを、いろいろな人の前で数分で話すので、本人の人柄を含むすべてがさらされ、評価されるという場所なのです。肩書きはまったく関係がありません。その肩書きに期待されるだけの内容、哲学が聞き取れなければ、みっともないだけのことなのです。そのような人たち一人一人が、国を理解し、理解され、人の交流へとつながるのでしょう。緒方さんは本当に日本の誇りです。

Japan Dinnerの後は、司会をした千野さんを元気づけようと、ユニクロのCIOの堂前さん(若くてきれる、いい人です。この人も「ダボス会議」の“Global Leaders for Tomorrow“の一人です)と午前ちょっとすぎまでいろいろ話し込みました。

ダボスから(2)

ダボス会議初日のことは前回少し書きましたが、“Geopolitics”のセッションについてもう少し紹介します。

参加者は、ロシア、中国、イギリス、アメリカの大学、研究所、シンクタンク等の研究者が中心でしたが、アメリカの軍事力が一人勝ちとなったこれからの動向と、中国、中東に話題が集中するのはいたし方のないところでしょう。このテーマではエネルギー問題、経済動向等の多くの側面が議論されましたが、日本についてはほんの少ししか出てこなかったところが、世界第2位の「経済大国」であるのに寂しい限りです。

会場ではHarvard University John F. Kennedy School of Government大学院学部長のJoseph Nye(Clinton政権で外交政策担当をしていました。著書もありよく知られた人物です。)が、「アメリカ軍はハードとしては世界の軍事力の40%と圧倒的ではあるのもの、イラクの国連安全保障会議Security Councilでのロシア、中国等の反対にもかかわらずイランに侵攻して、かえってアメリカのソフト力の弱さが明らかになったのでは?これが今後の方向として有効ではないか?」という質問をしました。このような発言が、こういう場所でアメリカの政策に関わり、しかも代表的な学者、オピニオンリーダーでもある人物から出るところに、アメリカの強さ、健全さがあるのではと感じました。学者は組織等から自由であるからこそ、見識のある意見を広く国内外の社会に発言ができるのであり、発表していく社会的責任があるのです。そのような社会的責任を感じて行動している「学者」が日本にはどれだけいるのでしょうか。「霞ヶ関」ばかり気にしている学者が多いようでは困るのです。同じ趣旨の意見は、明治5~8年頃すでに福沢諭吉が「学問のすすめ」に書いているところです。

来週29日に慶応義塾大学(三田校舎)で講演の予定がありますが、この点についても触れたいと考えています(興味があれば参加してください)。

今日は「Re-educating Education」、「Brain Drain」、「Ageing/Business: The New Market for Ageing Populations」に出る予定でしたが、会場がいっぱいになってしまって参加することができませんでした(会場のスペースの問題で、早く登録しないと参加できないのです。それだけ関心が高いセッションだということです)。「Blogging: Will Mainstream Media Co-opt Blogs and the Internet?」は、同じ時間に他のセッションに参加していて聞けなかったのですが、私と仲のよい伊藤穣一君(http://joi.ito.com/を見てください。世界でもトップクラスのヒット数を出している個人サイトで、物凄い情報発信量です。一種の天才ですね。まだ36歳だそうです。)が参加していました。

私はといいますと、「Leveraging Technology for the Bottom Line」というセッションに出ていました。パネリストはHelwett-PackardのCEO兼会長Carly Fiorina(49歳: Lucent Technologyから1999年にCEOとしてHPへ、Compaqとの合併を成功させました)、Gary Bloom(42歳: Veritas Software社CEO兼会長)、John Chambers(54歳: Cisco Systems社CEO兼会長)、London Business SchoolのDean Laura Tyson(56歳: Clinton経済政策担当でUC BerkleyのBusiness SchoolのDeanも務めていました)という豪華メンバーで、司会はBBC World TVのStephan Cole(49歳)でした。日本に比べると、いかに第一線のビジネスリーダーが若いかを知ってもらいたいと思って年齢を書いているのです。話の内容もすごいものでしたよ。自分ではっきりとした意見を言い、質問にも的確に、しかも説得力のある話をします。特にFiorinaさんはよかったです。「ビジネスの基本」は「Productivity is based on changes-risk taking-」、「Pro-active for changes」でなければ、勝てないという、一種の恐ろしいまでの厳しい哲学、そして消費者を強く意識した方針に大変感心しました。割り引いて聞いておく分もあるとしても、たいしたものです。そして、21世紀は国際レベルでの考えが、人事においても常識で、これを考えていない経営者は負けるとはっきり言い切るすごさを感じました。ITのパラダイムは「digital, mobile, virtual」で「simplify, standardize, modularize, integrate」であり、90年代とはまったく違うと、いっています。

このセッションの後に、「Korean Peninsula」のセッションに参加しました。ここでも日本の役割へのコメントが少ないのが気になりましたが、現在は伊藤忠の千野さん(女性: アメリカの弁護士でもあり、ダボス会議の“Global Leaders for Tomorrow”の一人です)が、拉致家族問題の日本人の感情の変化についてコメントしていました。

夜は、Canadaの大統領がホストのReception、その後で石原都知事がホスト務めた「Tokyo Night」というReceptionにいきました。どちらもなかなかの賑わいでしたが、会場が狭かったせいでしょうか。最初のReceptionでは、現在、北朝鮮問題で活躍している国連Under Secretary General、Special Advisor to the Secretary GeneralのMaurice Srongに会いました。

昨日はイラン首相のカタミ師、今日はパキスタンのムシャラク大統領が演説をされていましたが、話の中身もプレスでの対応もたいしたものでした。

明日は私が2つのパネルでしゃべります。ではまた。

ダボスから(1)

いま「ダボス会議」に来ています。今年のテーマは「Partnering for Security and Prosperity」です。初日にはWelcome LunchでClinton前大統領の講演があり、大変盛り上がりました。その夜には、Bush大統領がState of Unionを行い、アメリカではいよいよ選挙モードというところですね。数回に分けて、「ダボス会議」で感じたことを紹介していきたいと思います。

このような難しいときだからこそ、「ダボス会議」のようなNPOの中立的な組織による対話の場所はますます大切になるでしょう。「Geopolitics」のセッションに出ましたが、中国、ロシア、アメリカ、イギリスからのパネリスト、さらに選ばれたばかりのグルジアの若い大統領、Mikheil Saakashvilleが参加しました。この大統領は、小さいけれどもいくつもの宗教で構成される国で、情報公開と会話の推進を通し、国民による民主化を進めることで、途上国の民主化の参考になればと熱く語っていました。しっかりした考えを、はっきりと述べ、伝えたいという大統領の気持ちが大変よく伝わってきました。国際的な支援は間違いなく得られるでしょう。以前にも紹介したヨルダンの若い国王もすばらしい人で、同じようなプロセスで国際的な支援を得ています。きわめてオープンで、しっかりした哲学を持っている人です。イギリスでの教育を受けたからでしょうか。みんなが厳しい目で新しい「リーダー」を見ていますが、信頼できる人であると援助は惜しまないということです。

何事も「リーダー」の問題なのだと思います。いつも言っていることですが、このような国際的な場での評価は、結局は肩書きではなく、リーダー個人の資質の問題なのです。4年前に初めてこの「ダボス会議」に参加して感じたことは、日本の「リーダー」と呼ばれる人たちの中に、肩書きではなく、個人的に人間として魅力を持った人がきわめて少ないということでした。いつも言っているように「組織」の中で、しかも日本の価値だけで出世してきた人たちだからでしょう。

話が飛びますが、JR東海の新幹線車内誌「Wedge」(2月号)に、私の「リーダー論」の考えが、3冊の本を紹介しながら掲載されています。是非読んでください。ではまた。

「プロ」のジャーナリスト

年末年始に読んだ本がもういくつかありました。

私が“グローバリゼーション”について話すときに時々引き合いに出す、「The Lexus and the Olive Tree: Understanding Globarization」を書いたNY TimesのコラムニストThomas Freedmanが書いたコラムに彼の「Diary日記」ともいうべきメモをつけた「Longitudes and Attitudes」(Anchor Books, 2003)です。

いつもながらの鋭い視点で、多面的にものを見る思考と書きぶりに圧倒されます。“September 13th”のコラム以後はほぼ毎週2~3本というピッチで書き上げています。日本にこんなジャーナリストがいるでしょうか。

朝日の船橋さんが思い浮かびますが、彼も朝日新聞、週刊朝日等々、そして「同盟漂流」などの本をものにしており、その観察眼、取材力、書きぶりには圧倒されます。

このようなすばらしいジャーナリストがある程度の数いて、しかもかなり頻繁に書いてくれることは、情報提供という点からも、複数の視点を国民に与えるという点でも、民意形成に必須の条件であろうと思います。つまりこれが、メディア、ジャーナリズムの社会的責任であり、「プロ」ジャーナリスト(サラリーマンではないという意味です)の育成は、民主主義の必要条件だと思います。

テレビではなく、書いてあることは一瞬ではなく、何度も読み返すことができるからこそ、貴重なのです。

実はあと2冊紹介したい本があるのですが、別の機会に。

最近読んだ本の感想

ところで皆さんは毎日の診療、勉強、試験準備等で忙しいと思いますが、お正月をどう過ごされましたか?私はぼやっとしながらいくつかの本を読みました。

養老孟司さんの「見える日本、見えない日本」。何人もの著名な方達とのやり取りにはかなり目を開かれるものがありました。それぞれ面白かったけれど横尾忠則さん、岸田秀さん、ピーターバラカンさん、阿部謹也さん等との対話には、思わずうなりそうなところがありました。

猪瀬直樹さんの「道路の権力」と「続日本国の研究」。最近は「道路公団」の一件が案の定と言うか、やはりと言うか、結局は小泉さんの腰砕けで民間人の答申は取り入れられず、「一件落着」的な終わり方になり、猪瀬さんに対してもこの「道路の権力」を含め、あれこれ批判的に言う人が多いです。しかし、誰も完璧なんてことはないわけで、評論家でいるよりは、実行者になることが必要です。この点で私は猪瀬さんを評価しています。他に民間人、作家、評論家で誰がここまでやったでしょうか。日本の問題は多くの当事者が、他人事のような評論家的発言をし(情けないことに、本人達は気がつかないのかも知れませんが)、思考も決断も実践もしないことにあるのです。保身と責任回避。これは銀行も大企業も政治も官僚も、すべての分野の「リーダー」に共通して見られることです。大学人も含まれるでしょう。よく考えなければならないことです。

「クビ!論」。梅森浩一さんの経験談による解説です。大変参考になります。日本企業文化の洞察と、アングロサクソンとの違いの具体例を示してくれます。ここでも日本企業の「リーダー」の問題に結局はなってしまうのです。いつも言っているように、結局、戦後の日本では「役人とサラリーマン」だけで、「プロ」がいなかったということなのです。

岡崎久彦さんの「百年の遺産:日本外交史73話」です。以前にも読んだことがありますが、あらためて読んでみると実に勉強になります。もっと詳細に書くこともできたと思いますが、「産経新聞」への連載ということで文字数の制限もあったのでしょうね。Harvard大学を卒業した日露戦争時の大秀才、小村寿太郎の功罪、太平洋戦争のラバウル総司令官の今村均、硫黄島の栗林忠道中将等の軍人、重光葵や東郷重徳等の立派な外交官等々、勉強になるばかりでなく、著者のような外交官がこのような日本外交史を書いておいてくれることは大変ありがたいことです。

太平洋戦争終了直後の昭和29年9月の講演に加筆してできた永野護さんの「敗戦真相記」。広島県出身で、有名な永野兄弟(重雄、俊雄、鎮雄等)の一人です。第2次岸内閣で運輸大臣を努められた方です。大変洞察力に富む、明快な論旨です。しかし、ご本人は戦中にも衆議院議員をしていた位なのですから、何かできなかったのでしょうか。やむをえなかったとはいえ、結局は責任当事者であるよりは、評論家的行動だったのではないだろうか。これが、この本を読みながら私が考えたことです。この点では東海大学を立ち上げ、科学技術庁を設置し、戦前は東條総理大臣を批判して、40歳を超えた局長級官僚なのに「二等兵」で召集され、台湾へ船で行かされた(と言うことはほぼ確実に死ぬと言うこと)松前重義は立派だと思います。松前さんの書いた「二等兵物語」は人間の大きさに感動します。

浦壁伸周さんの「否定学のすすめ」。あの利根川先生も絶賛とか。やはり「常識」を否定し疑うことから創造が出る。この本を読むことから「学ぶ」のではなく、「発見する」というパラダイムへのシフトであると言う。発見するとは創造することなのである。傍観者から行為者へ。どこかで聞いたことがあるように思わないですか。

司馬遼太郎さんの「全講演集(4) 1988~1991」。相変わらずの博識と、場と観衆に対する題材の選定、それに肉付けされる話の面白さに圧倒されます。よくもこんなに知っていることがあるものだなと。こんな講演ができたらすばらしいですね。実際に聞いてみたかったです。

経済評論家、水谷研治さんの「日本の経済の恐ろしい未来」。これは何か本気で書いていると思えない内容でした。中身が薄く、洞察、考察が上滑りでつまらなかったです。そこで今週の書評で見つけた、東谷暁さんの「エコノミストは信用できるか」(文春新書)という本を購入してみました。これは大変面白そうです。有名な経済評論家やエコノミストが、バブル前後で折々に触れ、どの程度の、どんな発言をしているか、それらがどう変化しているのかを検証しています。エコノミストにとっては恐ろしそうな一冊です。この本の感想は、またこの場で紹介したいと思います。

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。新年早々に更新をと思っていたのですが、暮れいっぱい、いろいろと忙しく動いていまして、なかなか書けませんでした。

卒後臨床研修では、学生さんや若い医師の意識がかなり変化しているようで、自分にあった研修をそれぞれの努力で見つけようとしていることは大変結構なことだと思います。「ブランド」と思われていた大学病院では、大学側が考えていた以上に学生の意識が変化していることに驚いているようですね。しかし、これはまだ第1歩です。より良い医師育成にはみんなが力を合わせ、考えていくことが大事ですね。

早いもので、2週間後には再びダボス会議に出席し、その後にアムステルダムで開催されるインターアカデミーカウンシルに出席する予定です。ダボス会議について昨年この場で報告してから早1年がたったと言うことですね。

ハリソン内科書の日本語訳は大変好評のようです。若い人たちの国際標準への努力と意識の変化が見えて嬉しい限りです。

今年もよろしくお願いします。なるべく多くのブログを書いて、読者とのコミュニケーションをもっともっと取って行きたいと思っています。

カーネギー博愛賞授賞式など

ロンドンからワシントンに来ました。着いたその夜はカーネギー財団のPhilanthropyメダル受賞のデイナーレセプションに出席して、二人の受賞者、京セラの稲盛会長と英国ブレア政権の科学技術担当大臣のセインズベリー卿にお会いしました。翌日は授賞式ですが、セレモニーの前にYale大学のファンドマネジャーDavid Swenson氏の『財産管理と投資戦略』、John Hopkins社会学教授Lester Salamon氏による『「NPO」をめぐる社会的動きの背景と将来への展望』という二人の本当にすばらしい講演がありました。非常に勉強になりました。受賞セレモニーでも、紹介者(David Rockefeller 氏とThomas Foley前駐日アメリカ大使)も受賞者もとてもよい話をされました。稲盛さんは日本語で通訳を介して話されましたが大変よかったです。Dr. Maxine Singer、Dr. Richard Meserveとも仲良くなれてよかったです(Internetでちょっと調べてね、すごい人たちですよ)。午後と翌日は全米科学アカデミーのDr. Alberts会長ほか何人かの人たちと相談事があり忙しかったけれど、パリ・ロンドンにつづいて、ワシントンでも充実した2.5日を過ごしました。そのあとDuke大学のあるDurhamに2日きて明日帰ります。今回のパリ、ロンドン、ワシントン、ダーラムと11日間での世界一周はきわめて忙しかったですが、とても充実した時を過ごすことができました。時々広い世界に出かていろいろな方にお会いできるのはとても幸せなことです。

ところで、今年はペリーが日本にきて150年、この年に北里柴三郎が生まれています。「ドンネルの男、北里柴三郎」という本が出版されました。本当にすごい人ですね。読むことをお勧めします。次の年に高峰譲吉が生まれています。この人もすごいですね。最近、近代日本の歴史の話が医学生のメーリングリスト等で話題になっていますが、頼もしい限りです。メーリングリストでもコメントされていましたが、白洲次郎という人を知っていますか?1902年の生まれです。17歳でケンブリッジ大学、英国で8年過ごして、本当に格好よい「紳士」として、「原則」に厳しく、肩書きや権力で威張る人を嫌い、アメリカ占領下の日本でも活躍した人です。今の日本に、白洲氏のような「個」に生き、「原則」を大切にし、世界と日本を知って「本音」で生きる、こんな人がエリート層に一人でもいるとほっとするのですが、なかなかいませんね。そこに日本の問題があるのです。

朝河貫一のこととか、蜂須賀正とかね。白洲次郎さんのこともいくつか本がありますので(最近では「風の男白洲次郎」新潮文庫、青柳恵介著、平成12年、400円)読んでみてください。スカッとしますよ。若い時には世界に出かけて視野を広げることです。

新しい臨床研修制度について

国際学術会議の企画委員会でパリにきましたが、そのあと来年京都で開催を企画している「科学技術と社会の将来」という国際会議の準備でロンドンにいきました。ブレア首相の科学技術担当大臣の補佐と会い、ワシントンで科学アカデミー会長等との会談に向かいます。ロンドンはさすがに伝統と格式を感じさせる町で、1年いても飽きないでしょうが、現在は大学改革への大きな政治的アジェンダがあり、結構不評で、ブレア首相はもし議会でとおらなければ首相をやめる、とまで言い始めています。文部省から大使館に出向している、以前医学教育の課長補佐をしていた浅野君にも会い、だいぶ話が弾みました。

ロンドン滞在のハイライトは、東海大学からロンドン大学6ヶ月のクラークシップにきている4人の5年生を日本食に招待したことですね。ほとんど日本食を食べていなかったとかで、盛りあがりました。しかし、なんと言っても一人一人の成長と広い視野を得ているのが一番うれしかったですね。もっとも、時々メールで交流しているのでどんな苦労をしているかは、知っていましたけれど。このような人たちに会うと、私がいつも言っている「若いうちに“外”を見せる」ことの重要性をいつも確信します。

ところで、研修でのマッチングが一応発表されましたが、いかがでしたか。ぜひ、多くの人たちにメーリングリスト等に参加して多くの意見交換や、開かれた情報に接してほしいものです。簡単ですが、さしあたりの問題は以下のようなものでしょうか。

1.マッチングは「混ぜる」ための方策です。「混ぜる」のであればどんな方策でもよいのですが、すべての研修プログラムが参加することが大切ですが、今回これは一部で達成できませんでした。残念なことですが、来年はこんなことのないようにしたいものです。

2.米国では長い歴史があり、ほとんどの情報が従来の経験を踏まえて学生、病院、教員に共有されているので、病院のランクづけになるとかはありますが、うまく運用できているのではないでしょうか。ただし、たとえば脳外科は全体で70人(7年のプログラムです)とか、定員も全体で決まっていますので、専門医への条件はそれなりに厳しいです。日本では内容がわからないので大学とかの知名度、ブランド(ブランドと内容とは日本ではあまり関係のないことはよくご存知でしょう-たとえば国の「指定する」ブランドで言えば、何の専門でも東大が一番のはずですが、そんなことがないことは誰でも知っています)が重視されています。

3.国によって違いますが、卒業した大学で研修したがるのは日本だけの特徴です。何しろ「個」は存在しませんからね。たとえば、日本の大学で学部長がその学部の教授会で選ばれるなんていうことは日本だけです。学長もです。これが「常識」なのですから困ったものです。だからこそ私は東大ではなく、東海大の医学部長を引き受けたのです。これが世界の常識なのだからです。いつも書いているように、「日本の常識」には「世界の常識」から見れば変なものが多いことを指摘しつつ、自分でも実践しようとしているのです。しかし、私が実践していることの意味があまり理解してもらえているわけではありません。それはメディア等がそのような視点で書いてくれないからです。メディアにも理解しにくいことなのでしょうけれどね。何しろ日本のメディアも同じ構造、価値観ですから。

4.今回の制度は明治維新以来はじめての「混ざる」システムの第1歩です。つまり、卒業生、つまり大学教育の「成果」を「外」の仲間たちに評価してもらうということです。このプロセスによってそれぞれの大学の教育と教員が広く評価され、学生が広く評価され、研修病院と教員が広く評価されるのです。したがって、研修医たちが大いに意見を交換し、病院や教員、指導医についてコメントする「複数」(複数であることが大切です)の「場」(ネット上でOK)を作ることが大切です。たとえば厚労省が一つの意見交換の「公式」の「場」を作ったとして、これで信用できますか?だからこそ複数の場が必要であり、その質の評価は「ユーザー」によってなされ、さらに評価され、だめなものは脱落し、時間とともによいものが自然に出来上がってくるのです。この意見交流、公開によってみんなが情報を共有し、フィードバックが行われ、研修制度も病院も、指導医も、大学教育も、学生もよりよくなっていくのです。そして、結局は社会が、患者が、医療がよくなっていくのです。

だから、これは日本としては画期的な第1歩です。良くも悪くも医療人全体が、社会とともによい医師を育てていくという気概が大切です。メディアも国民も暖かく応援することが大事です。これには公のお金も惜しまないことです。結局、よい医師の育成は、よい医療を構築し、そして国民のためになるのです。

最近のメーリングリストに以下のような意見が出ていました。健全な方向に向かう一歩であることが感じられるのではないでしょうか。

「臨床研修必修化の意義ということで」
「今までであれば医学部を卒業したらそのまま大学病院に残って(入局して)、臨床は関連病院に出た時にやって、まずは学位を取るべく研究中心・・・というのが言わば医者の王道だったのに対して、今度の必修化で、医者である以上まずは臨床が出来ないと駄目だ。そのために出来れば市中病院の研修実績のある病院に行きたい。私の好きな言葉ではありませんが、研修指定病院に行くのが「勝ち組」という雰囲気になってきたのは、とても好ましいことじゃないかと書きましたが、最近は私が今年お世話になっているここ『民間医局』に登録される若いドクターも増えてきたそうです。たまたま今週○○地方に出張してそんな若い先生と面談してきた社員の方が話してくれたところでは、「医局に入って学位を取得すべく研究する一方で、アルバイトで生計を立てているけれど、こんな生活がまだ4年、5年と続くと思うと、「こんなことしていて、いいんだろうか」と思う。自分は研究ではなく、臨床をやっていきたいので、医局を離れても就職先があるのなら、きちんと後期研修をやっている病院で臨床に専念したい」とおっしゃっていたそうです。 こういう方が少しずつでも増えていることも、学生のみなさんの「臨床志向」の背景にあるのかも知れない・・・と思った次第です。」