San Franciscoへ

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San DiegoからSan Franciscoへ。今年3回目1)です。

今回は「America’s Cupの最終ラウンドを見に来た」、といいたいところですが、残念ながら違うのです。 以前にも書きましたがMalaysiaのNajib首相の「GSIAC」12)で、Fairmont Hotelです。America’s Cup、特にOracle 関係者らしい人たちも多くみられました。

なにしろこの1、2日でAmerica’s Cupの最終ラウンドの勝負が決まるかどうかというところです。‘Emirates Team New Zealand’ vs Defending Champion ‘Oracle Team USA’ で 「8:5」、挑戦者があと1レースで勝つというところでしたから。Hotelもはるかに高い料金、なかなか空きがない状況のようでした。

1日目はレセプション、2日目の午前中は「High Level Forum Green Future」のテーマで3つのパネル、私は最初のパネルに出ました。3つともなかなか良かったです。

昼食ではNajib首相のスピーチ、4つのMOUのセレモニーがあり、私も日本との協力の調印に参加しました。これは首相の科学顧問が、私と旧知のZakriさんだからできたことです。これからも両国間の関係も政府間ばかりでなく、民間も含めて多様で、多層な、いろいろな協力関係ができるといいのですが。

夜はご当地のビジネス関係の主宰で晩餐会があり、首相の講演とインタビューもありましたが、公式の会なのでワインも含めアルコール類が出ないのでチョットさびしい感じがします、仕方のないことですが。

特に私のような大学人、科学者同士の付き合いから生まれる信頼関係は、政府や企業とは違った、利害関係のない関係から、新しいプロジェクトを始められる利点があります。

America’s CupはOracleが勝って、まだ勝負がつかないところでの帰国となりました。

帰国の翌日のレースでは、Oracle Team USAが1歩も後へ引けないところから大逆転劇を演じました。

San Diego

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San Diegoの町のすぐ向かいにあるCoronadoに来ました。1つはCell Societyという集まりがあり、これに参加するのです。この会は今年で3回目ですが、去年は国会事故調の最中で参加できませんでした。特に私がこの分野の専門というわけではないのですが、いろいろな経緯があって参加しています。脂肪幹細胞の臨床例などは医学的に見てもなかなか面白い結果がでています。

幹細胞の研究分野ではノーベル賞受賞の山中さんの大発見「iPS」も期待されているとこです。近代医学のアプローチとは違って、理論的に分子・遺伝子的解析からは理屈が付ないことでも、かなり安全だから試したら「他に治療法がないが、これでいい結果が出る」というところでしょうか。

近代科学の発祥の地、西洋では100年ほど前までは輸血、瀉血などの「治療」が、今では考えられないような理屈で行われていました。ABO血液型が発見されたのは100年前のことです。研究とはそんな経験から新たな発見が導かれることも多いのです。

時間を作ってSan Diego周辺で留学、研究、ビジネスなどで活躍している20数人の日本からの若者たちとの集まりも持たれました。ここで活躍している牧くん(PhD)が中心でUniversity of California San Diegoで勉強中の学部生、大学院生などが集まりました。いいですね、皆さん。やはり意識の変化は感じているようですし、自分のキャリアへの考えもいろいろ迷うことも多いようです。日本ばかりが活躍の拠点ではありませんし、日本人であることには変わりないのです。皆さんの選択と、活躍を期待したいです。

日を変えてUCSDのセミナーに行きました。UCSD School of International Relations and Pacific studies(IRPS)と Rady School of Managementの共催で、IRPS Professor of Japanese BisunessのProf. Ulrike Schaedeさん(去年までは星教授が担当していたとのことです…)の司会で進行しました。テーマは福島原発事故関係ですので、学生さんばかりでなく、教授の方もこのあたりで長く生活されている日本の方も来られました。福島原発事故から2年半、ちょうど福島原発の現在とこれからの状況が世界的に広く報道されているところでしたし、活発な質疑になりました。

学生さんばかりでなく、日本の方が多く見えましたし、またCONNECT1)の関係者も参加。セミナーのあとは、南Californiaらしいさわやかな夕暮れのテラスでレセプション。そのあとで、この辺ではよく知られた「Sushi Ota」で名物の「ウニ」など楽しみました。

若者たち一人ひとりが自分のキャリアの選択肢を増やす実体験はとても大事なことです。

緊急のお知らせ

私のGmailが”ハック”され、本日18時ごろからスパムメールが一斉に送信されています。

私は日本にいて元気にしていますので、スパムメールを受け取られた方は、
返信せず無視していただきますようお願い致します。

ご迷惑・ご心配をおかけしましたこと、深くお詫び致します。

オランダの新聞記事

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最近の福島原発の汚染水の問題、まだまだ脆弱な状況などが世界にも広く知られ、その懸念から海外でも多くの報道がされています。

私も日本の憲政史上初という国会事故調を任され、その報告書は世界でも高く評価されているところです。ですから、今回の福島の状況については、いくつもの海外メディアの取材を受けています。日本のことでもありますし、私がお断りするのもおかしなことですしね。

オランダの主要新聞‘Trouw’にもインタビュー記事が出ました。この記事を見た E. Nishimotoさんから、このサイトにメールをいただき、日本語に訳していただきました。さすがにウェッブの時代ですね。Nishimotoさんが訳してくれた原稿に、私が少し手を入れ、私なりにちょっとわかりやすくしたのが、ここにリンクした邦訳です。

 

Trouw 紙 2013年9月16日(邦訳英訳

 

Nishimotoさんありがとうございます。

この記事にある私の意見は、このサイトでも繰り返して発言しているところです。最近では、GRIPSの卒様式での祝辞にもあらわれています。

政策研究大学院大学GRIPSの秋の卒業式で、私の祝辞

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私が所属している政策研究大学院大学(GRIPS)の秋の卒業式は、ほとんど全員が留学生(学生のほぼ70%が60数か国からの留学生です)で、それぞれの国の色彩も豊かで、ある意味でとても感動的な、日本では珍しい卒業式です。留学生の母国の大使、大使館スタッフの多くが臨席されます。

9月17日、今年もその時が来ました。学位記授与、成績優秀者表彰、学長式辞、卒業生代表挨拶などのプログラムです。

そこで、私が祝辞、Commencement speechをすることになりました。ありがたいことです。私にとって、今年3回目です。4月の東大の入学式1)(ちょっと意味が違いますが、海外の卒業式祝辞に相当すると思います)、7月の国連大学の卒業式です。

このGRIPS卒業式では海外でよくあるように、最近では一人の方にスピーチをしていただくことになりました。去年のCommencement SpeechはASEANの事務局長を務めたSurin Pitsuwanさん(スピーチはこちら)でした。

2010年にも、今や世界の注目を集めている日銀総裁の黒田東彦(はるひこ)さんが、当時はAsian Development Bank総裁として活躍していたころ、スピーチをされています。

私の祝辞にこめた思いも、皆さんに届いてほしいと思います。

世界の将来を背負っていく若者の旅出を送りだす卒業式は、いつも何かの感動に包まれます。

教育に関わるものの特権(Privilege)です。

2013年9月

2013 US-Japan Health Sciences Dialogue(日米健康科学ダイアローグ)
環太平洋パートナーシップ、提携、投資の現状
日時: 2013年9月10日(火)9:00-17:00
場所:  ユニオンリーグ(米国 フィラデルフィア) 140 South Broad Street, Philadelphia, PA 19102 USA
プログラムはこちら

 

国連大学グローバル・セミナー2013湘南セッション
新しいエネルギー選択が切り開く持続可能な未来 「フクシマ後のグローバル・アジェンダ」
日時: 2013年9月2日(月)14:45-16:15
場所: 湘南国際村センター 神奈川県三浦郡葉山町上山口1560−39
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ニュースリリース

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本日、以下のニュースが配信されました。

ニュースリリース(PDF)

六本木ヒルズ10周年記念グローバルカンファレンス
都市の未来を議論する「イノベーティブ・シティ・フォーラム」を10月16日(水)~18日(金)に六本木ヒルズにて開催します。

私も18日の14:00からの「セッション3」にパネリストとして参加します。
詳細は講演スケジュールをご覧ください。
https://kiyoshikurokawa.com/schedule/

Philadelphia-2: Fireside Chat With Dr. Kiyoshi Kurokawa

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今回の主目的は、何年もお誘いを受けていながら、参加できなかったJapan America Society of Philadelphiaが企画する”Health Sciences Dialogue”、2日間の集まりです。いろいろ聞いてみましたが、日米の製薬企業、バイオべンチャーをつなぐ会としてよい評価を受けています。

朝7時から、日本からの参加者との朝食がセットされ、10人ほどですがいろいろな話題に花が咲きました。

9時からセッションが始まり。New York から日本総領事館から相(あい)広報センター長も参加し、ご挨拶。

バイオテクべンチャー、べンチャーキャピタル等々の良いテーマとパネリストで、製薬、米国と日本の動きなどを中心に話が進みます。昼食の終わりを見計らって、私の登場、”Fireside Chat with Dr Kiyoshi Kurokawa: How Can Japan Better Foster Innovation?” というセッティングで80分ほど、David Flores(Co-Founder of BioCentury Publications)とHoward Brooks(Partner, Americas Life Sciences Sector Leader, Earnst and Young; この会議中に同じ部門のGlen Giovannettiともいろいろ話ができましたが、、)の2人からの質問に答え、あとは会場との質疑応答という趣向です。

Philadelphiaは私といろいろ関係というか、ご縁があります。University of Pennsvlaniaは私にとって初めての外国ですし、ここでの2年間が私のキャリア1)を日本から世界へと変えたところですし、私のとても尊敬している津田梅子(このサイトの中で「検索」してください)が学んだところですし、私の関係しているNoguchi Hideyo Africa賞1)の野口英世の世界的キャリアの始まったところでもあります。ほかにもいろいろなつかしい思い出のあるところです。

この会議では、充実した1日を過ごせました。

翌朝は朝7時に出発、3時間弱、車でJFKへ向かい、帰国の途に就きました。

あっという間でしたが、Philadelphiaは、なにか懐かしかったです。

Philadelphia-1: Swarthmore College を訪問

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Philadelphiaは私が初めて米国(初めての海外です、当時は)でくらした場所です。University of Pennsylvaniaで2年間、研究をしていたのです。もう40年以上前の話です。その時の“ボス” Prof Howard Rasmussenとの出会いが衝撃的1)で、その後の私の進路に大きな影響をあたえたのだと思います。

久しぶりのことですが、9月9日に羽田発、New York CityのJFK 到着、迎えの車でPhiladelphiaへ3時間。宿泊は町の中心にある、150年前にLincoln大統領支援の目的で建設された由緒ある、共和党ゆかりのThe Union League1)へチェックイン。ここには、歴代の共和党の米国大統領の肖像画があります。

一休みしてさっそくSwarthmore Collegeへ、学長のRebecca Choppさんに、3年ぶりですが会いに行きました。

Swarthmore Collegeは米国でもトップにランクされるLiberal Arts Collegeで、この近辺ではBryn Mawr College(19世紀の終わりごろ津田梅子123)が留学した)、Haverford College(Harvard大学歴史学教授でよく知られている、私の高校の先輩でもある入江昭さんも学んだところ)とも近く、「Tri-College Consortium 」を形成する名門中の名門です。この3校を巡回するバスもあります。

Chopp学長1)、さらに3人の日本の女性で教鞭を取る角田こずえさん、城よしこさんと須田あつこさんたち(海外で独立して活躍している日本人には女性が多いな、と私は思っているので、「やっぱりね」と感じました)、また日本文化について教鞭をとっているDr William Gardnerさん(JETプログラムで日本にいたことがある)ともお会いしました。いろいろな話題について、1時間ほど時間を過ごしました。

この大学は一学年400人弱、1年目はみなさんキャンパス内の寮で、そのあとも大体90%以上はキャンパス内の寮生活、大学院はなし。ここの生徒は優秀でよく勉強し、教育の評価が高いので、卒業生は大学院に行くときはどこでも大歓迎のようです。

この大学の所在地は私が昔住んでいたところに数キロほどと近いので、そのあたりを回ってみましたが、すっかり変わってしまっていて、当時の面影は全くなく、電車の線路だけが変わらずあるといった風情でした。

素晴らしい大学キャンパス、そして懐かしい思い出の場所、時のたつのは早いものです。

福島原発事故の現状にNatureも懸念を表明、何をすればよいのか?

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福島の事故の現況はちっともよくなっているとも思えません。だれにでもわかることです。

東電の言うことも(国民にも、世界にも理解してもらおうと意識が全く欠如していると思いますね、いつも「ひとごと」のような発言です)、政府の言っていることも、実行する工程表も、その理由、プロセスにも透明性も欠け、国内、国際的な信頼性にも欠け、しかもはっきり、わかりやすく伝えることも考えていないのでしょうか。

日本のメディアも、なぜか批判的精神をすっかり骨抜きにされているみたいで、だから、国民の声も上がらないのです。自分が知っていても、それも自分の仕事として知らせたくない人たちもいることは確かでしょうけど、これは逆効果ですね。国際的な信用もなくなりますから。

科学誌ではよく知られたNature1)も痺れを切らして、意見をしています。ネットの上では、意見の交換も見られます。Twitter1)でもいくつも見ることができます。

福島原発事故のような国際的に影響の大きな事件では、英国の狂牛病の対応12)の例などを学ぶこともよいことです。牛での発症から初期の政府の判断間違い、その後の人間での発症、EUの委員会の対応とそのプロセス、そこでの提言の受け入れ、科学の進歩等々の信頼を勝ち取るプロセス。結局、事件から英国産の牛肉が輸出されるのに20年もかかったのです(ここでも初期には日本政府も間違いを起こしているのですけどね)。

独立した、国際的に開かれた、透明性と科学性に裏打ちされた独立委員会で、対策を検討、立案してもらい、政府がこれを決定し、福島原発事故の中長期対策の計画を作成することです。それを世界と共有するのです。

独立性、透明性、公開性、科学性、国際性は、グローバル世界での政府の信頼の回復への第1歩です。これらの信頼への基本が国会事故調の報告書が世界で高い評価と信頼を受けた基本にあることを、みなさんがもっと知る必要があります。

みなさん、いかが思いますか?国家の信頼は一度失われると、その回復にはとても時間がかかるのです。

福島原発事故からもう2年半が過ぎます。