昨日もお話したように科学者の不正行為が社会問題になっていますが、読売新聞にもこの問題が特集記事として連載されています。9月3日(日)掲載の第6回に、「科学立国は今-不正を断つために」として、滝田恭子氏によって私のコメントが以下のように紹介されています。
● 研究費の不正受給や論文データのねつ造、改ざんなど、国内で起きている問題は互いにどこかでつながっている。根っこにあるのは科学技術予算の急激、大幅な拡充だ。
● 大学が予算をきちんと執行管理できなければ研究者まかせになるし、巨額の研究費を獲得した研究者が目の行き届かないくらいに研究室のメンバーを増やせば、論文の不正を招く。
● 日本は世界の科学をリードする米国にならい、公募によって配分先を決める競争的研究資金を増やしてきた。だが旧態依然たる社会構造に、形だけ米国流を持ってきても成功しない。研究者社会の改革が必要だ。
● 私は米国の大学で研究生活を送ったが、研究者はより良い環境を求めて大学をどんどん移る。大学も外部資金に頼っているから、資金をとれる研究者をサポートする体制を整えている。
● 大学の事務局が研究者の持つ装置や研究室の広さを把握し、学生を増やして研究を拡充させられるかどうかまで判断して研究者に資金申請についてきめ細かい助言もする。だから米国では不正受給という問題は起きにくい。
● 日本に必要なのは研究者の流動化だ。米国では博士号を取得したら、出身校とは違う大学で「ポストドクター」として武者修行をする。助教授になる時には、また別の大学に行く。
● 若い研究者を指導する教授たちは、他流試合に送り出した弟子たちの挙措によって、データの取り方や研究手法の適正さなどを評価される。だから若い人をしっかり育てようという緊張感が、研究室に常にみなぎっている。
● 日本では、教授が手足として使いやすい若手を手放さない。論文を量産して多くの研究費は獲得するが、米国のようには指導が行き届かない。
● 大阪大や東京大で起きた論文ねつ造疑惑は、教授が力量以上の研究を行おうとしたことにも原因があるのではないか。学生が実験したデータについて、週1回は直接議論できるくらいの規模の研究室でないと、教育者としての責任を果たせないはずだ。
● 学会を研究者の真剣勝負の場に変えていくことも必要だ。研究に間違いがあるのは当たり前。学会のオープンな議論の中で競争相手から指摘された時にきちんと受け止め、自分を鍛えていくべきだ。
● いい加減な受け答えをすれば、本人だけでなく、指導している教授の能力まで疑われる。日本では仲間同士ほめあったり、有力教授を敵に回したくないから問題点の指摘を控えたりして、学会が間違いや不正を防ぐ機能を果たしていない。
● 日本学術会議も10月には科学者の行動規範を制定し、不正防止に生かすつもりだ。倫理アンケートも実施したが、少し残念だったのは、不正の調査・選定を行う第三者機関を求める声も研究者の中に多いこと。
● 国の関与で第三者機関ができても、役人の天下り先になるだけで、きちんと動くのか疑問だ。研究者自身が大学や学会の改革に取り組み、不正を防止しようと努力するのが先だろう。
(読売新聞 2006年9月3日)
日本学術会議では「科学者の不正行為」についての提言を2005年に発表し、その後もいくつかの会議、報告書等を科学者コミュニテイへ向けて発表しています。