「アメリカ医学校サバイバルレポート」

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アメリカ医学校サバイバルレポート

荒田 智史 (著)

最近になって急に医学教育や臨床研修が大きな話題になっている。なぜか。それは私が何度も書いているように、情報の国際的な広がりとともに、広く国民の間で従来の「権威」に対する疑問が次々と表明されてきたことにあるといえる。世界的な広がりを持つ情報の交流は「隠し事」を許さなくなってきたのである。政治のみならず、官僚、大企業、警察等々のスキャンダルに事欠かないことを考えれば理解できよう。

従来の医学界は本当に「医師免許」を付託するだけの知識と臨床能力と心構えを持った医師を卒業させ、育成してきたのか、そのような目標で教育、研究をしてきたのか等々が疑問視されるようになってきた。

太平洋戦争後のアメリカ占領下、日本の医学教育、医学制度のあり方が「研究重視、臨床軽視」であることは指摘されていたにもかかわらず、根本的な改革はなされなかった「ツケ」が「情報化時代」になって噴出してきたのである。

これは何も医学に限ったことではない。大学教育についても多くの注文が出始めている。なぜか。それは国も社会も「良い大学―国の順序と偏差値重視」に入学することに価値を置いていたからにほかならない。「よい大学」へ進学すればよいのであって、大学教育へはそれほど社会は価値を置いていなかったからだ。入社してから教育するから、といっていたのはまさに社会であり、会社であったではないか。大学に責任を転嫁するのは間違っている。日本社会全体がこのような価値観で今まで人材育成の価値を見出し、期待してきたのだから。

しかし、医師は患者と「一対一」で対応し、多くの判断を求められる。時には待ったなしの「生きるか死ぬか」の判断が求められる。そこに「医師免許」というものの「重さ」があるのである。「眼科」だから、「皮膚科」だから対応できない、で済ませられる問題なのだろうか。

この数年に、アメリカで臨床研修を受けたり、医学教育を受けた人たちの報告や本(1)~(9)が広く話題になっている。なぜか。それは私がいつも言っているように、いわゆる「国際基準」ともいえるアングロアメリカンの実践的で優れた臨床能力を備えた医師の養成のプロセスがまざまざと見て取れるからであろう。

医師が、社会が、医師を一緒に育てていく心構えとそのプロセスは簡単にはできてこないであろう。アメリカでも20世紀初頭のフレクスナー報告までは、かなり質の悪い医科大学も多くあった。しかし、このような医師たち自身による医学教育への大改革を経て、いまやアメリカの医師の育成(医療制度は多くの問題を抱えてはいるが)は、国際的にも高い評価を受けている。しかもなお恒常的な改革が継続的に行われている。

東海大学ではもう何年も前から5年生を毎年15人程度、主として英米、そしてオーストラリアの医科大学へ、3~6ヶ月間派遣し、クリニカルクラークシップ(臨床実習)へ参加させている。情報時代の便利さで、彼らとは日常的にe-mailを交換している。私はいつも短くても学生への返事を最優先させている。このリアルタイムでの交流で、私が楽しみにし、強く感じることは、例外なく、学生の目がぐんぐんと開けていくさまが手にとるようにわかるということである。そして、医師としての自信をつけていくさまが身近にいるように感じられる。本当にすばらしい教育環境にどっぷり漬かっているのが実感されるのである。毎日毎晩、寝る間もない「サバイバル」の忙しさの中で、学生は疲れることを感じないで、自分達の成長を実感し、楽しんでいる。こんな教育が今までの日本の大学教育にあっただろうか。教育の違い、重要性がひしひしと感じられる。私も日米で長い間にわたって医学教育にたずさわってきたからこそ、この違いを身近に感じられるのである。

荒田君も頻繁にレポートをメールで送ってきてくれた。その観察眼、考察はなかなか的をついているし、また自分なりの評価点をつけたりして「創造的」であり、大いに楽しませてもらった。「荒田レポート」の一部は、東海大学の市村公一君が学生時代に立ち上げ、いまや全国に大きな広がりを見せている学生や若手の医師の情報交換の場となった「college-med」(10)にも、荒田君の許可を得て私なりに修飾した上で、皆さんにお送りした。楽しんでくれた人たちも多いと思う。もっと多くの人に読んでもらいたいと思ってここに一冊の本にして出版となった。

低迷する日本の将来は若い人材の育成にかかっている。若い人たちに広い世界の多くを見せ、実体験させて、それぞれの目標の選択肢を与えること。これこそが教育の基本である。決して古い人たちの価値観を押し付けてはならない。何しろ日本の「リーダー」たちは過去の人なのだから。世界はダイナミックに、しかも急速に動いているのだ。