医学会総会、認知症、「5つのM」、そしてWHS

4月の中頃、桜がほぼ終わりになるころ、京都で4年に一回開催される医学会総会がありました。私も一時間ほどの講演を二つ、パネルに一つ参加しました。

ひとつは「認知症」、約700~800人ほどの方がこられたようです。もちろん、私はこの分野の専門ではありませんし、専門家ばかりの学会の集まりでもないので、G8の世界認知症諮問委員の意義、実際の活動、日本の評価、これからの課題などを中心にお話しました。ビデオを入れたり、世界の変化を入れたり。聞いた話ですが、なかなかよかったという評価だったということでした。

もうひとつは、医学と社会の変化のあり方などです。19年前、1996年に私が東大での最終講義でのメッセージのひとつ、「5つのM」について触れました。この「5つのM」については当時の内科学会でも講演をしています。

「マーケット(市場)」、「マネジメント」、「モレキュラーバイオロジー(当時ヒトゲノムが2000年に解析されるとは思われていなかった)」、「マイクロチップ・メディア(つまりはどんどん広がるインターネット、2000年問題、当時はまだ電話回線、IT基本法が施行されたのは2001年、今ではモバイル、すっかり様変わりしている)、そして「モラル」、これらは、今でも大きな課題ですね。

さらに日本では、大学などの研究でさえも基本的には“家元制”だ、などといった話をしました。このことは、100年前にすでに指摘されているのです。

大学人には(研究でも同様ですが)将来の世代を、自分の手足ではなく、世界で活躍できる人間力の形成に尽くしてほしいのです。

続いて、13、14日にはWorld Health Summit(WHS)が同じ会場で開催され、京都大学の福原教授の努力と多くの方の支援も得て、すばらしいプログラムになりました。

私も、この二年間、世界でも全く新しいモデルでグローバルヘルスの資金支援をしているGHITの紹介を兼ねた「グローバルヘルス」のパネルへの参加など、いろいろでした。このGHITは、日本の製薬企業が出資、それにマッチしてゲイツ財団が資金を提供し、両方の合計に日本政府がマッチした資金を提供するものです。20ほどのあまり支援されてこなかった途上国で問題になっている感染症対策として、世界でもユニークなメカニズムです。理事会の構成も日本人はマイノリティで運営しており、思考も、運営も 典型的な日本的でない、“グローバルなマインド”の組織です。世界でも注目され始めています。

ところで、この医学会総会は、いつまで続けようというのでしょうか。

ボストン‐2

今回のボストン滞在中には、米国内科学会、ハーバード大学公衆衛生院訪問の他にも、いくつかの別の機会をもちました。

ひとつは「福島原発事故のその後」といったテーマのビデオ取材です。米国では とても質が良く、しかも番組の途中でコマーシャルを入れないことでも知られている「PBS」1)の取材です。やはり、どこでもこの歴史的大事故への関心は高いのです。今年の一月にも別件でトロントを訪問した際にも同じ趣旨の会合にお招きを受けました。

もうひとつは、MITメディアラボ1)の訪問です。安倍総理も今回のボストン滞在では、ここも訪問されたということです。所長が「Eテレ」の「スーパープレゼンターション」でおなじみになったジョイ伊藤さん123)などの存在があったのでしょう。

ここでは4人の研究者とお会いしました。皆さん、さすがなのですが、経歴も変わっている人も多く、研究もとてもユニークで面白いのです。アートとテクと何でもありの融合というか、一人ひとりが、メジャーから外れているところに価値を持っているところがここの面白さなのです。わたしもここの関係者の一人です。

今回、わたしがお会いしたのはピカードさん(認知症に関して何度かメールで交流していたのですが、とうとう会えた、みたいな具合です)、オックスマンさんとフェローのシャルマさん、ボイデンさん、そして石井さんです。皆さん“とんでもないこと”をしています。

また、船橋洋一さんが「日米関係」についてのカンファを開催していたのですが、突然、「ボストンにいるんだって?レセプションに招待するけど?」と電話をいただき、ハーバードファカルティクラブに。ハーバード大学公衆衛生院訪問から内科学会に戻る途中の20分ほどですが、伺いました。金曜の夕方でしたから道がとても込んでいました。

快晴の土曜の午前は、ボストンのファインアート美術館で、「ホクサイ」コレクション特別展示がありましたので、行ってきました。本当にすばらしい展示でした。また、東北大震災「3.11」の写真展示もあり、これはちょっと変わった表現に注目した、深く考えさせる企画でした。この時間だけが、今回の訪問の本務とは まったく関係のない時間でした。

レッドソックスの試合もあったのですが、観戦する機会はつくれませんでした。残念。

ボストン、特に古いボストン、ケンブリッジの町並みはとても落ち着きます。

ボストン‐1

ゴールデンウィークが始まり、久しぶりにボストンにきました。2年ぶりです。今回はちょうど安倍総理のご一行がここを訪れた直後です。

今年は米国内科学会の100周年ということで、20数人の方が「100周年記念 支部リーダーシップレガシー賞」 を受けることになり、わたしもその一人に選ばれ参加することになりました。2003年にアメリカ大陸外で初めてとなる日本支部(「チャプター)といいます)を設立し、その活動に顕著なものがあるということでした。日本支部の皆さんに心から感謝します。

この日本支部は数年前から日本内科学会から独立し、臨床教育にフォーカスした、とても魅力的で充実したプログラムになっています。今年もこれからのことですが5月30、31日に京都で開催されます。医学生、研修医も、会員でなくても大歓迎です、お友達もさそって、ぜひ参加してください。

今回の米国内科学会の会場はボストンコンベンションセンター で、コンボケーションも、プログラムもとても充実しています。参加の会員は2万人弱のようです。日本支部のレセプションはいつものように多くの方が訪れてくれます。ちょうどボストンに来ている日本の医学部の学生さんたちにも会いました。日本からの参加の会員の方は20人少々でしょうか、日本からの参加の方たちとのディナーの機会も作っていただきました。

この会の合間を縫って、ハーバード大学チャン公衆衛生院に新しくジョンリトル放射能科学研究センターが設立され、私もそのセンターの国際諮問委員の一人に就任しましたので、センター設立の基礎となったジョンリトル教授、センター長のユアン教授と昼食。また、このブログでも10年前ににも紹介している旧知のフリオ フレンク院長12)を訪問しました。彼は任期を待たず、個人的な事情で今年の8月いっぱいで退任します。残念です。

滞在最終日の土曜日の午後には、この大学院にまたもどり、ここで活動している院生、ポスドク、ライシュ教授などタケミプログラム関係者ほか、何人かの日本の方たち20人ほどが集まり、いくつかの研究発表と討論の懇親の会を持ちました。なかなかよかったです。

ボストン訪問の直前のことですが、ライシュさんとは彼がLancetに投稿する「フクシマのこれからTowards Long-term Responses in Fukushima」について意見を求められてやり取りをしていたところでした。これも偶然ですね。

この会に参加してくれた方たちには米国滞在が長く、独立して頑張っておられる方たちも多くなっているようで、頼もしい限りです。わたしの教えた学生さんで、ここで病理の教授になった方も参加してくれました。わたしが最後の締めくくりでしたが、もちろん、これらの若者たちへのエールです。

この公衆衛生院のあたりはハーバード大学医学部と主要ないくつかの関連病院が集まっているところです。80、90年代、わたしが医学部で活動していたころに、トステソン医学部長とそのころの医学教育の大改革のさなかのニューパスウェイの件で何回かお会いしにいったところですし、また国際腎臓学会関係などでも、仲良くしているBarry Brenner1)を何度か尋ねたところでもあります。

夜はひんやりしていましたが、後半は快晴のボストンでした。

Chatham Houseでの原稿

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この2,3年、Chatham Houseとの交流がいくつかありました。今年の2月はじめにもロンドンに出向きました。

去年の10月のはじめ、 2日間にわたって、東京でChatham Houseと日本財団の共催で「The Role of the Nation State in Addressing Global Challenges: Japan-UK Perspectives」のテーマで会議が開催されました。

私は「福島原発事故」のパネルに参加、その時の私の原稿が、John Swenson-Wright氏のIntroduction、そしてAdam Roberts、David Steinbergの3人との論文からなる小冊子(私のPartはpp18-23です)(日本語版 pp19-24)として、Chatham House のWebサイトに掲載されました。

お時間のあるときにでも、ちょっと目を通していただけるとうれしいです。

医療政策機構をめぐるいろいろな活動

私の活動の一つに健康・医療政策をめぐるものがあります。

G7 World Dementia Councilもそうですが、ほかにも医療政策機構の活動、GHIT Fundの活動などがあります。

2月、3月にかけては、例年のことですが医療政策機構の「Health Summit」を開催、今年は医療政策をめぐる主要3テーマにしぼった企画にしました。このブログでもお分かりのように、パネルも豪華メンバーで、議論の質も高く、参加の皆さんにも高い評価をいただきました。

最近では、一年前からWashington DCへ移動した村上さんがCSISを拠点として活動していて、「3.11」以後のメンタルヘルスについての政策提言をまとめています。これは、私たちとCSISとの共同作業1)の着実な成果の一つともいえます。

この医療政策機構も私の活動拠点のひとつですが、皆さんの応援を感謝しています。

Harvard大学Kennedy SchoolとChan School of Public Health、そしてUCLA Luskin School of Public Affairsの院生たちの訪問

 

3月には米国の大学院生たちの海外訪問が盛んです。先日はDartmouths大学のTuck Business Schoolの院生たちの訪問を受けました。

ジュネーヴから帰国した翌日の3月20日は、Harvard大学のKennedy Schoolと、T.H. Chan School of Public Healthの院生の訪問がありました(T.H. Chanの名前がついたのはごく最近のことです)。

私のセミナーは、この日の午後、初めがKennedy School、1時間の他の面談を終えてからChan School of Public Healthが午後の最後。それぞれ2時間ほどで、参加者はそれぞれ20人少々。質疑応答を混ぜながら、楽しいセミナーの時間をすごしました。

皆さん、活発な意見を出して、楽しいですね、こういうのは。夜はChan School of Public Healthのレセプションに合流。そこでなんとイチロー・カワチ教授にばったりお会いしました。岡山大学を訪問してこられたのだと。

1週間後の3月28日は、UCLA Luskin School of Public Affairsの学生さんたちの歓送会に参加しました。全体で50人ほどでしょうか。日本からの留学生も増えたとかで、OB/OGを含めた日本からの参加者も多く活気がありました。3つに分かれて、東北では災害と復興のテーマ、関西中心に教育のテーマ、山梨・東京などでは交通インフラのテーマで、それぞれよく考えた行程のようでした。皆さんとても満足しているようで、盛り上がっていました。

若者たちにとって、国際交流から得られる実体験は、とても大事です。

SafeCastの4周年、東京と郡山で「スーパープレゼンテーション」

SafeCastについてご存知ですか?福島原発事故直後から、ガイガー測定器は手に入らないし、政府や報道では何が何だかはっきりしない。それで、何人かがネット上で集まって、つなぎ、ひろげ、出来上がった、本当の意味での「グローバル市民ネットワーク」で作り上げてきた、時代の先端をいく放射能測定システム。いまや世界60ヵ国に広がり、IAEAも認めている「SafeCast」です。

SafeCastグループと、NHK Eテレの「TED、スーパープレゼンテーション」でよく知られるMIT Media LabのJoi伊藤さん1)が中心になって、3月22日と25日に、それぞれ東京と福島県郡山市で「トーク・イべント」がありました。

東京でのイベントのテーマは「Citizen Science, Open Science, Big Government」、郡山のイベントは「スーパープレゼンテーション in 郡山」。後者は郡山市の品川市長さんの企画によるご招待です。

両方とも、Joiのイントロから、福島100年構想委員会の渡辺利一さん、SafeCastのPieter Frenkenさん、そして私も、話をもちまわり、なるべく楽しく刺激的な雰囲気を盛り上げたいと奮闘しました。東京は英語中心、郡山は、日本語が基本でした。

私の最近の講演では、映画「Matrix」の中心的なテーマの部分を短く見せたり、「わかりやすい国会事故調」のビデオを紹介したり、また、最後の「シメの言葉」を工夫したり、プレゼンに気を使っています。

講演のシメの言葉では、今年になって、3・4回ほど、有名なJFKの大統領就任の時の「Ask Not 、、、」の修飾版を使っています。今回の、東京での講演でもこれを使いました。

これらのイベントの様子は、こちらから観ることができます。

https://vimeo.com/safecast/videos

https://vimeo.com/123727406

WHOでWDCとの会議

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3月15日(日)、羽田を出発。Helsinki経由で、夕方、Genevaに到着。3月16、17日のWHO本部でWorld Dementia Council(WDC)厚生大臣会合が開催されました。日本からは国会の規定で大臣は参加できず、原厚生労働審議官をヘッドとする、厚生労働省と長寿医療研究センター鳥羽総長たちが参加の中心です。

翌日からの会議は、天気に恵まれ、会議もかなりの盛り上がりを見せ、皆さんが問題の大きさと、何かしないと、という雰囲気にあふれた、2013年G8サミットの英国政府の本気度を示すような会議でした。WHOでは、特に途上国での対策等も議論のテーマになります。

ちょうどOECDから2つの報告書が続けて出たところでしたが、特に日本でのイベントの評判がよく、第1日目には、日本以外の参加者から「Japan, Japan」というプラスのコメントが多く出たのが印象的でした。

会場では WDCの活動をまとめた報告書も配布されました。

第1日目の夜は、英国大使館のレセプションがあり、Jeremy Hunt厚生大臣も参加。ちょっとごあいさつをしましたが、「日本のDementia Friendsは400万人いるんだよね」といわれたので、「いいえ、560万人程度、人口の約5%です」とお伝えしました。

翌日は、開会にあたってWHO Chan Director Generalのご挨拶があり、続いて、WDCを主宰する英国のHunt大臣が挨拶で「日本では5%の人たちがDementia Friendsとして…」と発言されていました。この日も、原 勝則 厚生労働審議官のプレゼンは当然としても、何回か「Japan, Japan」が出てくるので、日本から参加された皆さんで、こんな国際会議は珍しいね、などと話がでていました。

会議のあとは、Genevaの日本政府代表部を訪問。小田部大使嘉治大使を訪問。そこからまたWHOに戻って、ここ8年ほどAssistant Director Generalの重責を務めている中谷さんを訪問。活動の広さや、運営などの話を伺いました。彼とは厚生労働省でも長いお付き合いがあります。

夜は日本から参加された方たち10数人ほどでディナー。ここでは、みなさんの仕事とご苦労、そして今回の会議の感想などいろいろお話しできました。

翌日は午後のフライトでしたので、宗教革命での思想家であり、Protestantの活動を推進したJohn Kalvinが活動した、St Pierre Cathedralで時間を過ごしました。いろいろな歴史的資料や記述など、興味深くみることがきました。

最近、私の講演では「Incunabula」、Gutenbergによる聖書の印刷と、その後の宗教革命についてよくお話をするので、興味深く展示などを見てきました。

会合のお知らせ

エボラ・ウィルスの発見者の一人であり、またエイズ対策の最前線で闘ってきた元UNAIDS事務局長のピーター・ピオット氏の回想録「NO TIME TO LOSE」(時間を無駄にはできない)の日本語版が慶應義塾大学出版会より出版されました。その出版記念セミナーが4月17日(金)に開催されます。
保健医療分野の方のみならず、広くグローバルイシューに関心がある学生や社会人の皆様のご参加をお待ちしています。

JCIEのページ: http://www.jcie.or.jp/japan/csc/2015pp/booklaunch/

JCIE/グローバルファンド日本委員会(FGFJ)のページ: http://fgfj.jcie.or.jp/

FGFJ のフェイスブック イベントページ: https://www.facebook.com/events/854907361237380/

慶應出版会の本書特設ページ(目次と日本語版序文を読むことができます。):
http://www.keio-up.co.jp/kup/sp/notimetolose/

東北復興に躍動する若者たち、仙台での出会い

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3月14日は、午後から仙台へ。「震災復興での起業家の役割 Role of Entrepreneurs in Disaster Recovery」をテーマにしたイベントの「トリ」としてプレゼンです。これは、国際防災世界会議パブリックフォーラムとして、仙台市がホストするものです。

東北大学の福嶋 路教授による基調講演の後、5人の素晴らしい  「進取の気性あふれる」若者たちのプレゼン1)です。

皆さん一人ひとりが、四年前の東北大震災をきっかけに、自分の仕事を捨てて、自分の故郷へ戻ってきた人、家族を失った人、故郷に呆然と立ち尽くしていた人、あるいは海外での仕事を辞めて東北へきて活動してきた人など、多様な若者たちです。

磐城高箸の高橋正行さん、島津麹店の佐藤光弘さん、気仙沼ニッティングの御手洗瑞子さん、Watalisの引地 恵さん、農業生産法人GRAの岩佐 大輝さん等です。

みんな、本当に、本当に、とても素晴らしい若者たち。皆さん、一人ひとりが地元の伝統、文化、環境などのユニークな特徴を生かして、まわりの人たちを巻き込んで「新しい社会価値を創造」する(これが私の「イノベーションの定義」ですが…)、自分の「思い」、「志」を貫いて、問題を乗り越えていく、そのプロセスで応援する人たちが現れ、参加し始める、そこに新しい共同体ができはじめ、周りの人たちとの「生きがい」を生みながら共有していく。早くも世界を視野に入れて活動の枠を広げている御手洗さんとはこの一年で三回目の出会いです。

最後は、私がIMPACT Japan、Qatarという国、そしてQatarによるIntilaqの仙台卸町の「東北イノベ―タハブ」の計画、つまり東北復興へ向けて、このような新しい活動をしている若者たち、そのような若者たちを育てよう、という計画を紹介しました。

素晴らしい若者たちと感動を共有した、とてもうれしい時間でした。

2日前にあったばかりのDartmouth大学Tuckビジネススクールの院生の内の5人にも、ここでお会いしました。