国会事故調の本「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」を上梓

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2011年3月11日の東日本大震災、そして歴史的に残る福島原発の大事故。あれからもう5年の月日がたとうとしています。

あの大震災と原発大事故の3ヵ月前には、今や世界を席巻している「アラブの春」が、チュニジアで始まったのです。

このアラブの春は、その後、北アフリカ、中東に広がり、今では、北アフリカやシリアから、欧州へ多数の難民が押し寄せるという、予想もしない状況となっています。

この5年の世界の大変化の中で、日本はどうなのでしょうか?

そんな思いもあって、「規制の虜:グループシンクが日本を滅ぼす」というタイトルで、福島原発事故から5年、私が委員長を務めた、”日本憲政史上初”の国会による、独立した「福島原発事故の調査委員会(通称「国会事故調」)」を通して、「あまりにも変わらない日本」について、この本を書き上げました。

3月10日に発売予定ですが、アマゾンから予約もできます

今日は日本記者クラブで、この本の紹介を兼ねて、記者会見をしました。

この本を、みなさんが手にしていただけると幸甚です。

医療政策サミット2016

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私の主宰する医療政策機構、英語ではHealth and Global Policy Institute(HGPI)恒例のサミットが、2月27日の昼から目黒の雅叙園で開催されました。会場は、この会合以外はほとんどが結婚式という、とても華やかで、しかも晴れやかな日和でした。

HGPIは、2015年度の世界シンクタンクランキングのグロ-バル・ヘルス部門で第6位 (p.92)、国内医療政策では第15位(p.90)と、独立系のとても小さな組織としては大いに健闘しています。スタッフみんなの頑張りのおかげです。

私は、前日、ロンドンから帰ったばかりでしたが、参加者の皆さんと、3つのパネルに登壇された方たち、そして素敵な司会による進行で、活気のあふれる午後のひと時となりました。

第1部は「医療の持続可能性」のテーマで、財務省主計官の宇波弘貴さん、厚生労働省政策統括官の武田俊彦さん、テレビでもおなじみのモルガン・スタンレーMUFGのロバート・フェルドマンさん、司会はHGPIの小山田万里子さんです。

厳しい財政、高齢社会に対して、日本の誇る公的医療制度は持続可能なのかについてのバトルでした。遠慮のない、オープンな議論が出来て、いい出だしです。

第2部は「グローバルヘルス、G7サミットとその後」がテーマ。東大の論客、国際派の渋谷健司さん、厚生労働省審議官、これも国際派の鈴木康裕さん、JICAの米山芳春さん、そして司会はHGPIのアン・スミスさん。

日本の今までのグロ-バル・ヘルスでの大きな貢献、今年5月に開催されるG7サミットのアジェンダ、これからのPPP(Public-Private-Partnership)では、例えばGHITファンドなど、日本を超えた連携の展開などの可能性と、広い分野での議論でした。

日本のG8、G7サミットでのグローバル・ヘルスに対する貢献は特に顕著であり、これをどう展開していくかが問われます。なにしろ、貧困と保健・疾病の問題は、今の不安的な世界の様相の底流に流れている大きな原因の一つですから。

第3部は「医療の未来」がテーマでした。最近、武田薬品に移った出雲正剛さん、PMDA安全管理官の俵木登美子さん、行動する武藤真祐さんという異色の組み合わせ。司会はHGPIの乗竹亮治くん。

出雲さんも、武藤さんも、日本の医師としてはかなり異色のキャリアですから、話もなかなか面白いし、グローバルな行動派ですので話も迫力があります。俵木さんは生え抜きの厚生労働省音キャリア技官で、はっきりしたメッセージです。

グローバルな活動の場から見えるコメントが多く、じわじわと「日本開国を」、といった大きな盛り上がりのような感じになりました。

応援していただいている多くの会員のメンバー、お客様などで、とても充実した時間を共有できたように感じられた一日でした。

いつもHGPIを支援してくださっているみなさんに心からの感謝です。

そしてHGPIのチームのみなさん、OB/OGの皆さん、インターン・学生さんたち、ご苦労様でした。

いずれ、HGPIのホームページにも、このサミットの報告が出ることでしょう。楽しみにしています。

ロンドン、WDCの新しい展開

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2013年、英国のG8サミットで始まったWorld Dementia Council(WDC)の活動については、ここでも何度か報告しました

2年が経過して、いつまでも英国政府だけの支援というわけにも行きませんが、とはいっても、これからの世界の大問題ということで、英国政府の強い支援はありますが、一応は独立した形に移行することになりました。

その会議がロンドンで開催され、私もその委員として参加することになり、アブダビからロンドンへ移動しました。何人かの新しい委員も加わり、共通の友人がいたりで、何となく嬉しくなります。

英国政府はEUに残るのか、離脱するのかの国民投票(Referendum)が6月に行われることになっています。キャメロン首相にとっても大事な時です。

一方、日本では5月にG7サミットがあり、日英の関係からも、認知症は大事なアジェンダの一つになるでしょう。

24日には、企業などが中心となってのCEOiという会合が行われました。多くの企業、財団なども集まり、充実した一日でした。特にBig Dataについては、いくつかの試みがあり、楽しみです。最近の日本でも、IBMの活動や、IBM Watosonとの提携の話題がニュースになったりで、活発な動きも感じられます。

アブダビから

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しばらくご無沙汰していました。2月20日に成田を出発、Etihad便でアブダビにきました。

この3年間、恒例になってきたアブダビの大学と、日本側は東大その他の大学、日本のエネルギー研究所、そしていくつかの企業とのチームで、相互交流です。

今回も、MASDARカリファ科学技術研究大学(KUSTAR)石油研究所(Petroleum Institute)を訪問しました。

MASDARでは、「UAE-Japan Strategic R&D and Higher Education Partnership」というタイトルで、東大と仲間たちの交流で続いている研究発表、研究ユニット訪問なども行われます。MASDARに到着すると、私に声をかけてくる若者の一団がいました。聞いてみると、東大の大学院の学部生たち20人ほどでした。ここの研究を見に来たということです。嬉しいですね。「講堂で発表会をするから、あとで時間があったら顔を出したら?」と声をかけたのですが、これには来なかったですね。でも、このような学生さんたちがいることは、とても嬉しいことです。

この会には、藤木大使も参加されて、ご挨拶。大使は文部科学省からで、生化学のバックグラウンドをお持ちです。相互交流に期待が膨らみます。

KUSTARではLaursen学長と歓談。去年は、ここで半日ほどの講演会をしたのです。今は石油の価格が下落しているので、予算などは厳しくなっています。この何年かの我慢でしょう。

Petroleum Instituteでは、なんといっても東海大学とのソーラーカー開発が話題で、去年開催されたレースで、ここのチームが驚きの第2位となり、話題を呼んだのです。選手も、整備もここの学生たちが中心ですから、現地の人たちの喜びはひとしおでした。リーダーの説明にも力がこもります。

ところで、このエネルギー研究所は、去年、世界のシンクタンクのランキングで、エネルギー分野の第1位になったということです(http://repository.upenn.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1009&context=think_tanks P.83)。嬉しいことですね。共同研究の話題も出始めているところです。

私の主宰している、医療政策機構(HGPI)も、グローバルヘルス分野で第6位にランクイン(P.92)。また、国の保健・医療政策でも第6位にランクインしています(P.90)。

2日間の滞在でしたが、このような「学と官と産」のチームの訪問は、あちらにしては大歓迎なのです。何しろ、日本側は石油だったのですが、あちらは人材育成と石油以外のビジネスなのです。

バンクーバー

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昨年12月1日の「シアトルへ」と12月6日の「トロントで」の間に出すことになっていた「バンクーバー」のコラムを掲載するのを忘れていました。特に岡田総領事ほか、お世話になった方々にお詫びします。以下がその内容です。

11月11日の夜、シアトルからバンクーバーに到着。たぶん私が来たのは3度目ですが、前回も10年ほど前と、かなり昔のことです。

ここから、トロント、オタワと訪問しますが、これらは外務省とカナダアジア太平洋財団のお招きで2年がかりで実現した講演旅行なのです。テーマは「日本のグローバルヘルスへのチャレンジ」といった内容での講演です。

翌日は残念ながら、かなりの雨。シアトルとは大違いの天気となりました。

ご当地の名門校、University of British Columbiaのキャンパスへ向かいます。ここのIrving Barber Learning Centerで90分ほどの講演をしました。岡田総領事が司会の労をとってくださいました。

岡田総領事は、はきはきとお話しする方で、2008年に横浜で開催された、福田康夫総理主催によるTICAD41)の準備に中心的にかかわられていたそうです。その時、私が委員長を務めた第1回の野口英世アフリカ賞の授賞式が行われたのでした。

この10年ほど、こちらで教鞭を取られている松井教授、また、日本の医学部出身で勉強に来ている女医さんにもお会いしました。

夕方から総領事館でのディナー。ご当地でもっとも古い建築物の一つという領事館も素敵です。岡田総領事は2008年のTICADを担当するまで、アフリカ勤務の経験がなかったので、その後、志願してケニア大使館勤務をされたこと、アフリカについての話題などなど、いろいろな意見交換できました。

2日間ともかなりの雨でちょっと残念でしたが、充実した時間でした。

翌日11月13日(金)、トロントへ向かいました。

グローバルヘルス、GHIT基金、日本への期待

12月16日、来年の伊勢志摩で開催されるG7サミットへ向けての日本政府のアジェンダに関して、「グローバルヘルス」への期待を込めた会議、講演会が東京で開催されました。

世界銀行のジム・キム総裁、WHOのマーガレット・チャン事務総長、塩崎厚生労働省大臣、武見敬三議員他、この分野の世界のリーダーが、東京に集まりました。また、ゲイツ財団のビルゲイツ氏の参加1)は 大いに注目を集めたと思います。

この会議は2015年9月の国連総会でも、ポストMDGとしての”SDG”(Sustainable Development Goals)を受け、グローバル世界のとても「不安定な動向」の背景にもある「貧困・格差」の改善に向けた活動、さらには来年に日本がホストをするG7サミットは、とても大事な機会なのです。

さらに日本は来年、TICAD (東京アフリカ会議) をその20年余の歴史の中で初めてアフリカで開催することになっており、これにも大事なメッセージを世界に発信できる絶好の機会なのです。

私は、「世界で初」 と認識されている、とてもユニークな”Public Private Partnership”であるGHIT基金の発足にあたって、理事長就任の要請を受けて活動しています(1234)。ゲイツ財団はこのGHITのパートナーの一つで、設立してわずか2年あまり ですがその進みかたの早いことについて、ゲイツ氏がとても高く評価しており(彼と個人的にゆっくりと話をするのは二度目のことです…)、これも、世界的に日本の強いメッセージの一つになりうる活動なのです。

会議は安倍総理の挨拶ではじまり、また、途中から秋篠宮妃殿下のご臨席もありました。

この一日の会議のプログラム、演者また会議の様子はWebで見ることができます(日本語英語)。基調講演、その他の講演・議論もさることながら、最終的には世界へ向けたG7サミットという「場」に向けての、日本政府の政治的意思と決断の問題となります。

これらのプログラム、主要な参加者の講演録についてはすでに掲載されていますのでご覧ください(日本語英語)。

この会議で、GHIF基金はランチセッションを引き受けました。私の締めくくりの挨拶もここで読むことができます。ここでは、医学分野の世界の三つの賞 (Gairdner, Lasker, そしてNobel賞) とグローバルヘルスの扱いとその意味、また二週間前のストックホルムでの大村先生のノーベル賞受賞の意義についても触れました。何人かの参加者から とても良いスピーチだったとお褒めの言葉をいただきました。

日本からも、GHITのような世界に誇る新しい組み合わせによる新しい価値の創造こそが、大きく変わりつつある世界の中の「イノベーション」なのです。

この日を含めての3日間は、日本政府他とのグローバルヘルス関係のいろいろな会合があり、私もビルゲイツ氏と小人数のディナーを含め、三回も食事を一緒にする機会を持つことができました。

何事も、議論は大事ですが、どのように実行していくのか、政策立案と実行、そして普段からの、相互の信頼関係に立脚する「人脈の形成」、これが大事です。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −4

11月10日、いよいよノーベル賞の受賞式の日です(ここから色々と楽しめます)。昼すぎまでは、私たちはゆっくりなのですが、受賞者とご家族の方たちは、いろいろとお忙しかったことでしょう。

私も現地でレンタルを申し込んでおいた白タイの燕尾服に着替えます。なれないことなので、一人での準備にはちょっと時間がかかりました。バスで午後3時半に出発し、ノベールコンサート会場のコンサートホールに向かいます。男性は白いタイの燕尾服、女性はそれぞれにドレスアップ、日本からの女性には、和服の方も多いようでした。

授賞式開会の会場で、いろいろ旧知の方にお会いしました。こういうのは楽しいです。

グスタフ国王ご臨席の授賞式の様子はYouTubeですべて見ることができます。是非、この中からご自分の見たいところを見てください。受賞者のご家族の方が映っているところもありますね。

ここでは、受賞の始まりが物理ですが、その始まりの前に、武満徹のワルツ「他人の顔」(Youtubeのほうが音が聞きやすいと思います、、)でした。しゃれていますね。

梶田さん、大村さん他、みなさんとても素敵でした。感動の80分の式典でした。

その後は、バスでストックホルムのCity Hallで行われるバンケットへ移動。大きなホールは、印象的なものです。

市庁舎(City Hall)では、たいまつを持った子供たちをはじめとしたお出迎え。なかなかうまい演出です。

バンケットは当然ですが、なかなかの雰囲気で、演出、映像のプレゼン、各賞の受賞者の代表のあいさつ (医学生理学賞はキャンベルさん)などが続きます。

こちらからもいろいろな写真を見ることができます。

メニューは3つのコース。

私の12月11日(時差のためです)のTwitterでも、いくつかほぼ同時にコメントつきの写真をアップしました。

日にちの変わるころホテルへ戻り、しばらく歓談した後お別れし、11日にホテルをチェックアウト。フランクフルト経由で12日に帰京しました。

貴重な体験の6日間でした。このような機会を下さった大村先生とチームの皆さんに感謝です。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −3

12月9日、Nobel Museumに行きました。ストックホルム旧市街にある王宮の裏です。このミュージアムはノーベル賞100周年の2001年に出来ました。

当時、私は日本学術会議の副会長として、吉川弘之会長の下で国際関係も担当していたので、日本でのノーベル100周年関係の活動や、ミュージアムの海外展開などのお手伝いにも関わりました。初代館長はLindqvist博士でした。

2002年の春には、ノーベル賞100周年を記念して、日本学術会議が東大安田講堂で記念の講演会を開催しました。前々年(2000年)にノーベル賞を受賞の白川先生、2001年の野依先生、また利根川先生などのパネル、特にノーベル賞授与機関の方々をお招きしてのセッションは記憶に残っています。NHKで特別番組も作られました。

ミュージアムの海外展開の第1弾が東京になったのも、会長の吉川先生をはじめ、関係者の力が大きくありました。私にとっていい思い出です。

2001年には野依先生、2002年には小柴先生と田中さんが受賞されました。それ以降16人もの受賞者(南部さん、中村さんは米国籍)を出す、「異次元」的なノーベル賞お祝い続きの15年の始まりでした。

このミュージアムについては、ぜひウェブサイトなどを尋ねてください。大村先生、梶田さんのサインのある椅子、今年の受賞に関する展示、アート展示などもありました。ノーベル賞受賞式の週ですから、関係者をはじめとする多くの人で混んでいました。特に小学校の子供たちの団体なども印象に残りました。

私も、twitterでいくつか写真のを掲載しましたが(12月9日、10日のツイートをご覧ください)、カミオカンデ展示で「水と重水の重さの違い」を一目瞭然にした写真への反応が良かったです。

夜は、Nordic Museumでのレセプション。「いかにもノルウェイ」という感じに加えて、16世紀の建国の王といわれるグスタフ一世バサ王(King Gustav I Vasa)の巨大な像があります。その写真を撮って、即座に”いかにもノルウェイ...(Nobel reception at Nordic Museum. Awesome and NORDIC!!!)”(twitterの12月10日付から見ることができます)とツイートしてしまいました。

そのレセプションの時、なんとそのLindqvist博士とばったり。実は、二人にとって忘れられない思い出があったのです。

それは2004年、第1回のEU Science Open Forumで、ご招待を受けて”European science policy in a global context”というパネルに登壇しました。

その時のことですが、当時の大塚清一郎大使に昼食のお招きを受け、今回と同じThe Grand Hotelに行った時のことです。そこのレストランにLindqvist博士が、ご家族10人ほどとおられたのです。それは博士のお母様の80何歳かのお誕生日ということでした。そのことを聞いた大塚清一郎大使12)(多芸で「歌う大使」の異名も、特にバグパイプはすごいらしい)は大きな声で、「では、皆さん!」と、スウェーデン語でお誕生日の歌を歌い始めたのです。皆さんもびっくり。でも皆さんが声を合わせ、盛り上がりました。この話を、Lindqvist博士が周りのご友人の皆さんにご披露して、この夜も盛り上がりました。「お母様はいかが?」とうかがうと、なんと「95歳です、元気です」と。

何気ないご縁と素敵な一日でした。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −2

ストックホルムでの2日目、9日は、昼からグランドホテルで開催される日本大使館主催のレセプションでした。

駐スウェーデンの山崎大使は、2008年の洞爺湖サミット1)の時には、私が福田総理の特別顧問だったこともあり、グローバルヘルスや気候変動のテーマ、また、洞爺湖サミットの直前に開催されたTICADに際して開催されたHideyo Noguchi Africa Prize1)の委員長として、いろいろと活動をご一緒して以来のご縁です。

午前中には、物理化学の受賞者の講演が、Stockholm Universityの講堂12)で催されました。

日本大使館主催のレセプションでは、東大総長の五神さんと、一年ぶり以上ですね、お会いしました。忙しいだろうと思って、一度も電話さえもしていなかったのですが、ぜひ東京で、ということになりました。

多くの関係者が参加されとても良いレセプションでした。

夜はノーベル賞コンサートへ。不思議なことに、ここでも五神さんと隣り合わせの席でした。

Daniil Tifonovさんの熱いピアノのあと、Ein Heldenloben op 40 、「英痛の生涯」でした。

長い一日でした、受賞のみなさん、特に梶田さんは朝早くから、お疲れ様でした。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −1

例年のことですが、10月初めにノーベル賞の発表があります。今年の発表の時、私は京都にいたのですが、大村先生の受賞について、その夜に2社のインタビューを受けました。その記事についてはこのサイトで紹介しました。

思いもかけないことに、大村先生から受賞式へのご招待をいただき、12月6日、ストックホルムへ向かうことになりました。

先生のご業績などについてはよく知っていましたし、先生の2014年のGairdner賞受賞のお手伝いをさせていただいたご縁でしょうか、この賞の委員長を務める私の長年の友人でもあるJohn Dirksさんもお招きいただきました。

フランクフルト経由でストックホルム着、グランドホテルへのチェックインは6日の深夜過ぎの7日になったところでした。1901年以来、ノーベル賞受賞者とゲストはこのホテルに宿泊されるそうです。

翌日は、Karolinska研究所でノーベル生理・医学賞受賞者の講演と、レセプションがありました。

3人の受賞者の皆さんが30分ずつ、それぞれが晴れがましく、でも印象的な講演をされました。大村先生1)のスピーチは素晴らしいものでした。キャンベルさん1)の講演もいい話でした。トウさん1)は、ご体調のせいでしょう、座ったまま中国語で話され、そのパワポでは、図と英語の説明が並べられる配慮がされていました。

その後のレセプションでは、みなさん受賞者の周りで、お祝いの華やかさにあふれていました。

大村先生、お疲れ様でした。お招きありがとうございました。

More Photos→ http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/