「ものづくり」と、相手を知った「ものがたり」の違い

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日本の「強さ」は何か。多くの方々が「ものづくり」、「技術」、「匠の技」などといいます。しかし、それだけでは需要を創る、顧客の心をつかみ財布の紐を緩める、新しい市場の開拓には不十分 です。これがグロ―バル時代の「新しい社会的価値の創造」、すなわち「イノベーション」なのです。このサイトでも繰り返し出てくるテーマ です。

さらに、これらの「ものづくり」、「技術」の強さは、アジアの成長がするなかで、アジアの人たちなかなかできない、できにくいことだとも思えません。

では、日本の「弱さ」はなにか?

特に「日米欧」からグローバル市場経済になったこの20年、グローバル世界への大変換です。そこで着眼、大きなビジョン、構想力、戦略と交渉、行動ができるのでしょうか。

相手を知り、顧客へ「ものがたり」を伝える力です。 顧客のニーズを知り、相手を知り、相手の立場で感じ取る力 (Ref.1)。

成長するグローバル社会で欧米諸国、アジア、ラテンアメリカ諸国などと比べて、日本の組織、その「リーダー」達の戦略と決断と実行のスピードはどうでしょうか?この辺が、今の日本の「弱さ」であることを認識し、しっかりコラボレーションのパートナーと組んで、目標へ、スピードをもって進むべきなのです。

1月8日の朝日新聞、朝刊の1面と3面に「日本のすぐれた技術とその課題」がくっきりと取り上げられ、3面には、左下に私のコメントの囲み記事も出ています。私のコメントは、このサイトでも以前から繰り返し指摘していることですが、このように大新聞にキチンと取り上げられるとうれしいです。一時的ではありますが、私のサイトとは、広がる範囲か桁違いに大きいですから。

アラブ首長国United Arab Emiratesの原子力発電は韓国の勝ち-その3

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第1,2報に続いて、いろいろ世界に話題になっている、韓国原子力の勝利ですが、海外、韓国、フランスの対応など、興味深いものがあります。

ところで、前回の2報の記事にあるアブダビの担当責任者「ムハマド王子」 とは「ムハンマド皇太子」、私もお会いしたことがありますが、話をお聞きしていて、とても聡明で思慮深い方であることは歴然です。このムハンマド皇太子が第2報の「#1」にも出てくる「向こうのトップ」ですね。

いつもながらのことですが、The Economist、また韓国の中央日報(日本語版)にもいくつかの動きが読めますし、世界トップであるフランスのショックはいかばかりか、報道 「France24」の「UAE nuclear deal: a French flop?」、さらには、今回の反省に立って、すでに 次の戦略を始めています。

朝鮮日報では、前回の報道にさらに続けて以下のような生々しい経過を伝えてくれます。見出しを抜き出しました。日本にとって参考になることが実に多いと思います。(Chosun Onlineの記事は1週間で見れなくなりますので、本文を資料として引用させて頂だき、ご紹介します)

原発輸出:逆転に次ぐ逆転、交渉の舞台裏(上)
原発輸出:逆転に次ぐ逆転、交渉の舞台裏(下)

原発輸出:UAEの次狙え、海外原発市場開拓で総力戦(上)
原発輸出:UAEの次狙え、海外原発市場開拓で総力戦(下)

原発輸出:「今回の受注でUAEと70年の兄弟に」
原発輸出:「韓国人特有の“やってみよう”精神に感銘」

第1,2報でも書きましたが、では、日本の対応はどうなのでしょうか?この3報で紹介した内容などをよく読んで、自分たちと比べ、考える。何事にも勝ち負けはあるのですから、謙虚に学ぶことが、次への第1歩です。

「トーナメント戦で優勝」(基本的には失敗しない人が上がってきた)した人と、「リーグで優勝」(負けから学びながら強くなった人が上がってきた)した人が組織の上に立つ違い(冨山和彦著の「指一本の執念が勝負を決める」 、「会社は頭から腐る」など(資料1))、こういう場面で出てくる、効いてくるのだ、と思います。若いときに本当の修羅場の経験がない人には、負けたときこそ学ぶ、成長するチャンスと考える、というベンチャー精神、アントレプレナー精神「出る杭」資料1)的な価値観がないのです。

バブル崩壊以後の20年間成長しなかった、「失われた20年」の日本にとって、2010年は正念場です。

グローバルアジェンダと日本

去年の11月のことですが、慶応義塾大学グローバルセキュリテイ研究所が主催する「グローバルアジェンダと日本; 地球社会とグローバルリテラシー」に参加したことは報告 しました。朝日新聞の船橋主筆による米中をめぐる大きな動きと日本の課題、そして船橋さん、私、近藤さん、田村さん、竹中さんの司会によるパネルで、活気のある時間でした。

この報告書「G-SEC Newsletter、No 17」 が出ましたので紹介します。

アラブ首長国United Arab Emiratesの原子力発電は韓国の勝ち-その2

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原子力発電の国際入札で韓国の勝ちについて、私なりの現地のソースからはどんな受け止め方だったのでしょうか?大体、以下のようなものでした。

1. 「予想はしていましたがショックな結果です。あらゆる意味でSYSTEMの塊である原発プロジェクトを10%も安く韓国が提示、その信頼をかちえたことは日本の産業競争力の低下の現実でしょう。日本企業はPresentationで技術と機器の性能の高さばかりを強調、政府の安全管理、東電の操業能力にふれることもなくフランスの一体となった攻勢ときわだった違いがありました。この辺の認識の違い(技術信仰による「甘さ」)は、必ずしも発注側の期待とは整合していなかったようです(時間をかけた「個人的な人脈」つくりの軽視)。この辺の認識の違いについては、あちらのトップから日本のトップへアドバイスがあったほどだと聞いています。」

2. 「韓国は国全体でがんばりました。世界の変化の現実を知るには若いひとが海外にでていき、また外国の優れた人に来てもらう、これしかないかもしれません。私の会社もアブダビでメガプロジェクトを韓国企業に受注されました。日本の人材の国際化を図る、これが今後の経営の核と確信しています。」 

3. 「今回の受注は、韓電のみならず、他の分野(半導体、ICT, エネルギー(マスダール)、教育)においてもアブダビー韓国の協力強化にも結びつきました。」

4. 「今回の原子力協定のビッディングのポイントは以下の3点において、韓国が優れておりState of art の提案だったとの評価です。1) 競争的価格、2)完成までの時間が最短であること、3)原子力関係のUAE人材育成の支援、です。」

5. 「韓国の大統領は、状況に不安を抱いて11月中旬に大きなミッションを派遣し、その中枢には韓国の工科大学KAIST学長もはいっており、KUSTAR資料1)、 はUAE内で原子力のプログラムを提供する唯一の大学と指定されたわけです。今後は韓国から原子力の教員が着任し、学生もKAISTへ送り込まれるでしょう。」

6. 「韓国はアブダビが今、何を必要として、どのような協力を欲しているのか、相手の立場に立って考えていました。人材育成がアブダビにとって、サバイバルの課題だと理解していたのです。だから、皇太子の心を掴むことができたのです。皇太子と韓国の大統領は携帯電話でお互い連絡を取れる間柄だったようです(この辺については「その1」の朝鮮日報にある通りです)。」

7. 「また、「韓国は原子力発電に必要な部品をすべて国産で生産することができず、海外に受注せざるをえないのではないか、」という指摘には、韓国原子力研究院の梁明承(ヤン・ミョンスン)院長は「造船や半導体などでも部品の100%を国産化しているわけはなく、必要な技術は海外のものを使っている。重要なことは韓国が設計、施行、メンテナンスなどシステム全体を輸出する能力を持っているという事実だ」と述べました。」

8. 「日本が部品の特殊性能にこだわって、それを「ものづくり大国」として自画自賛している様子と対照的でした。」

9. 「韓国がいかに国単位で一丸となりアブダビに攻勢をかけたかの様子が分かります。このUAEでの受注で自信をつけて韓国は、次はトルコ、東南アジアのマーケットへと動き出しているそうです。李大統領はもともと建設会社出身者とあり、アブダビに提出する企画書にも注文をつけたり、練り直しに自ら参加していたようです。」

それに比べ、その頃日本のトップは政権交代で国内政治にあたふたしていて、格段の差があったのだろうと言い訳もできます。鳩山さんは去年暮れに、インド訪問、「日本はインドの原子力の協力をする」(誰の振り付けか、、)と発言したようですが、気が付くのが遅かったですね。この発言は、これからどう発展するのでしょうか。

インドでも日本に比べると、韓国ビジネスマン(資料1)の活躍は良く知られていますからね、日本のクリーンエネルギー技術などと言っていても油断はできませんよ。

今回のUAEの事例を政府も企業も共有し、敗因を分析し(野中郁次郎先生も繰り返し指摘しているところです、、)、次への計画をしっかり練る、行動する、これが一番大事なことです。だからこそ、あえてこのカラムを書いているのです。

時代は、基本的には「ものづくり」ではなく「ものがたり」なのです。そして、「Demand-driven」に転換しているのです。

Abu Dhabi、Khalifa大学

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Washington DCから、Dubaiへ飛びました。6週間前にも同じフライトを飛びましたし、3 週間前にもDubaiへ来ましたから、約6週間に3回Dubai空港に来て、Abu Dhabiへ来たわけです。そして帰りは2回は、Dubai-関西空港へ、1回はDubaiからSingapore経由でした。

今回もKhalifa University (資料1)のお手伝いです。今回から、前National Institutes of Health所長だったElias Zerhouni博士が参加してくれて、とても議論が弾みました。Zerhouni博士はAlgeria出身、医学部を卒業してから渡米、米国でNIHのTopと言う米国政府の医学研究での最も責任の重い、高い地位に就かれました。お付き合い もこの数年ですが、素晴らしい方です。

Khalifa大学はAbu Dhabi政府が大事にしているProjectsの一つで、Zerhouni氏のようなアラブの背景を自分自身の体験としてよく理解している、しかも国際的にも高く信頼されている方の高い立場からの助言が必要と思い、彼にメールしたころ、引き受けてくれたのです。とても助かります。

1日だけの会議でしたが、議論は盛り上がり、しかも内容のある会議でした。理屈ばかりでなく、英米とアラブの両方の価値観、付き合い方を知っている方の参加は大事です。

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写真; Dr ZerhouniとEmirate Palaceのロビーで

最近、米国国務省から、中東担当の科学技術担当の特別顧問Envoyとして、このZerhouniさん、’Science’のEditor-in-ChiefのBruce Albertsさん、そしてNobel化学賞Egypt出身のZuweilさんが発表されたばかりです。米国の科学外交への更なる一歩です。こういう多彩な人材、(資料1)こそがグローバル時代の一つの力ですね。Zuweilさんには何度かお会いしたことがありますが、Albertsさんとは、この約10年、米国科学アカデミー会長時代から、国際科学者の会合や日本学術会議関係などの関係でとてもお付き合いが深くなりました。

Abu Dhabiでは、ちょうどサッカーのクラブで戦うToyota Cupが開催されていました。最後はやっぱりMessi資料1)でしたね。

オバマ大統領のNobel平和賞スピーチ、そして日本への懸念

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今年のNobel平和賞受賞に当たってオバマ大統領がどんな演説をするのか、世界が見て、聞いていました。大体、オバマ大統領の受賞そのものに大いに異論もあったのですし、さらに直前に米国はAfghanistanへ3万人の派兵も決めたばかりです。

テレビだけの時代とは違い、画面を見ながら (資料1)何回でも聞くこともできますし、text原稿も読めますし、各国、各主要新聞の扱い、論説などの反応も見ることができます。

しかし、この議論のある受賞で、しかもこの難しいタイミングであればあるほど、よく考えられ、練られた原稿であったと思います。大統領はじめ、スタッフもずいぶん苦労したことでしょう。特に米国国内でも、アフガン派兵、経済と雇用、金融機関対策、医療政策等々、課題が山積で、難しい舵取りで大統領自身の評価も落ち始めていたとこです。リーダーの言葉 はとても大事です。

ちょうど、地元Washington DCにいましたので、12月11日のWashington Postを見ると評価 (資料)は高かったですね。この数10年のことですが、「戦時のアメリカ大統領」としてのスピーチになっていることと、大統領の思想と考え方です。しかし、この時代、blogでもいろいろ意見がでるのは当然ですが、それにしても、一国のtopの言葉はとても重いのです。

New York Times (資料1) のも参考になるでしょう。

Osloで何を語るのか、直前の「識者」のコメントも面白い企画です。

同じ日のWashington Postに、すっかり忘れられた日本のことを忘れないで、と書いてある記事がありました。「Does Japan still matter?」 というタイトルです。終わりが、「So far, Japan’s new government has not defined policies that could restore economic growth and lift the country out of its funk. But America should be hoping that it can. And if it wants to regain some confidence, it makes sense to treat Japan as though it matters. Because it does.」ですが。

一方、同じ日のNew York Timesにもありますね、「Obama’s Japan Headache」 。

Topがなんだか、いつもふらふらしていて、情けない、というか心配です。いつもながら内向きで、外へ発信する意気込みも、力もないし。とは言っても、総理大臣、各大臣の発言は国内向けでも、すべて海外からも見られ、知られているのですけどね。外からは、なにを考えているのか、さっぱり見えないのです。リーダーの言葉はおろそかにできないのです。口から一度出た言葉は引っ込められないのです。

何も政府に限ったことではないですが、先日、Washington DCの有名な「Think tank」の方が訪ねてこられたときに言われましたよ、「なぜ経団連は今年になってWashington事務所を閉鎖したのですか」、とね。こんなことは広く日本で知られているのでしょうか。多分そうなのでしょう、私も知っていましたが、返事に困ってしまいました。

しかし、ウェブ時代は便利である一方で、怖いものですね。実力も、発言も、行動も、思想も世界にすぐに知れてしまうし、自分たちだけの国内向きの理屈だけでは通じませんから。グローバル時代のトップの責任は特に重いですね、事情はいろいろあるのでしょうが。

世界銀行での会議、そして世界銀行で働いてみよう

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12月10、11日、Washington DCの世界銀行World Bank「2009 Global Forum: Building Science, Technology and Innovation Partnership for Building Capacity 科学・技術・イノベーションと持続可能な開発」をテーマにした会議に参加しました。去年 (資料1)、   から今年にかけて私も計画に参加してきました。Peter McPhersonさん(今年の4月にご一緒しました。) と私が最後にまとめとして、これからの世界銀行の役割について提言しました。

日本からは内閣府の岩瀬審議官とJICAの後藤光(こう)さんの発表もありました。なかなか良かったです。

私の提案骨子は;1)今回のいろいろな発表があったように、グローバル化した世界では、このような問題でも受け手の国の状況が大きく違うこと(貧困ばかりでなく、初等教育の広がり等)、多くの利害関係者、多様ないろいろな試みからお手本になるような新しい活動から成功例が出現していること、また科学アカデミー、大学や研究機関のグローバルな連携が広がり始めていること、世界のフラット化がさらに進んでいること(携帯電話の広がりなど)をどう活用できるか、各国のODA政策の違いや重複などを考慮することが大事。2)なんと言っても世界銀行は各国政府へ直接話ができること、したがって各国へ中長期的な、重点的な計画を含めて提案ができること。3)今回のような新しい成功事例は公的性格の銀行にはなじまないが、これらの事例を広げていくことを銀行の政策の一つとして考える。4)これらの新しい成功事例の実現者、代表者などを「世界銀行科学特使Envoyとか Ambassador」のような役割を依頼する。5)イノベーテイブな活動などを紹介、世界銀行「Flag-ship」モデル事業として認定し、ウェブなどでも紹介、地域で採用できる可能性を探ること、このようなプロセスから実行力ある政策実現へ地域社会を動かし、国の政策実現の可能性を高めること、などです。

この会議へ参加の皆さんからの期待などはYouTubeでも見る、聞くことができます。また報告、ウェブ等が出たらお知らせします。

Washington DC滞在中は、World Bank GroupsのMIGAのトップ、世界に輝く日本女性の一人である小林いずみさん(世界中を飛びまわっています)、駐米藤崎大使と大使館科学アタッシェの犬塚さん、University of California at Berkeleyと東京大学で活躍する村山斉(ひとし)さん、Harvard大学のCalestous Jumaさん(資料1)、日立Washington DCの Ohdeさんたちにお会いし、ご馳走になり、十分な意見交換の時間をいただけました。

世界銀行ではZoelick総裁が日本訪問したばかり。日本人スタッフ、上級職をもっと増やしたいということです。日本企業からの出向でも大いに勉強になりますし、そこからの人脈つくり、世界の動向の把握と将来のビジネスの可能性などを考えても、いいことが多いと思います。学問を深めるのであれば、世界銀行経験者から多くの俊才が出ていますね、Nobel経済学賞のStieglitzとか、「Stern Report」のNicholaz Sternとか。個人の、企業の、国家の将来にしても、もっと大きく考えることもいいのではないですか?

Washington DC滞在中にお世話になった皆さん、ありがとうございました。

「知の鎖国」、続編

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ところで、なぜ私がこの本「知の鎖国」に気がつかなかったのか。これが私にとってはちょっと気になっているのです。何しろわたしはこのことを繰り返し指摘し発言してきたのですから。

多くの大学関係者も私の発言には賛成する方、気にする方もおられましたが、余計なことをいう「ヤツ」だ、と思っていた人たちも多いことでしょうね。文部科学省の結構な数の人たちも私の主張は知っていましたから。

この本の書評がたぶんあまり出てはいなかったのかもしれませんし、新聞広告も出ていなかったのかもしれません。出版が毎日新聞社ですから、そこにはちょっと出たのかもしれませんね。しかし、この本では第2章で日本のジャーナリズムの鎖国性も明確に指摘していますから、新聞も、あまり報道も宣伝もしたくなかったのかもしれませんね。どなたか、真相をご存知でしょうか。単に私の見過ごしかもしれません。

Princeton大学の小林さんもこのことが気になっていたようです。米国では5つの書評を見つけてくださいましたが、日本語の書評は見つからなかったということです。

a. Japan Review.net: Interview of Ivan Hall by Victor Fic, January 26,2002.

b. “Apartheid Japan-Style,” Reviewer: J. Marshall Unger, Professor of Japanese, University of Maryland, in THE (Times Higher Education), July 17, 1998.

c. “The ‘Keep Out’ Signs on Japan’s Professions,” Reviewer: Robert Neff, Nov. 20, 1997, Business Week.

d. Review by Raymond Lamont-Brown in Contemporary Review. Oct, 1998.

e. Review by J. Mark Ramseyer (Harvard University) , Journal of Japanese Studies, Vol. 25, No. 2 (Summer, 1999), pp. 365-368

この本「知の鎖国」もぜひ読んでください。

今の時代になっても、日本の開国には、やはり「黒船」が必要なのでしょうか?もう「黒船はこない」でしょうけど、、、。情けないですね。

「知の鎖国:外国人を排除する日本の知識人産業」と、科学研究関係の「事業仕分け」

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この刺激的タイトルの本 は、米国で日本について学び (Princeton大学、 Harvard大学PhD)、日本で大学教授を含めて20数年(特派員、文化外交官、学習院大学等で教授など)を過ごした「知日家」の第1人者の1人、Ivan Hallさん の1998年の著書 「Cartels of the Mind: Japan’s Intellectual Closed Shop」 の邦訳です。以下のような構成です。

はじめに; 「ふつうの国」- ただし外国の知識人は受けつけない
第1章; 法律家の上陸- 弁護士がとりつく狭い橋頭堡
第2章; 隔離される報道陣- 外国人特派員
第3章; 学問の府のアパルトヘイト- 外面だけの大学教授
第4章; 通り過ぎていく人たち- 科学者と留学生
第5章; 操作された対話- 批評家に対する脅し
結論; 目を覚まして、日の光を浴びよう

内容も、それぞれに事実であり、鋭い指摘もその通りだと思います。Hallさんとのインタビューこの本の書評 (資料1(amazon.co.jp日本語)2 (Amazon.com))もあります。3年前にも来日して講演 (資料 (有道出人さんのブログより)) しておられます。

これらのHallさんの主張は私が従来から指摘 (資料)しているところです。日本でも「知的レベル」の高い人たちが、大学の先生たちが「鎖国マインド」(資料1) ですから、これでは大学も刺激的でないし、将来を担う学生にも間違った将来像を見せていることになります。このような大学から卒業してくる多くの人たちの社会では、さらに鎖国マインド傾向広がるのです。何とかして欲しいですね。これで日本の将来はいいのでしょうか?大学の先生たち、しっかりしてください。

この本の趣旨は、もう一人の知日家ジャーナリストのカレル・ヴァン ウォルフレンさんの一連の本「日本 権力構造の謎」、「人間を幸福にしない日本というシステム」などを通した分析、主張と同様と私は認識しています。

民主党政権になって、最近「事業仕分け」という極めてオープンで、単純明快なプロセスが話題になりました。以前の中国の「文化大革命」みたいですね。これには学者の世界からのノーベル賞受賞者、大学学長等々の大きな不満と批判がありましたが、一般的には政策のプロセスを国民が理解して点では評価されているようです。何が目的なのか、時間が短いとかの批判はありますし、科学技術に関してはSupercomputerをはじめとして、大型の研究のあり方も一つの話題になりました。どんなものでしょうね。

大型の研究では、計画の時点から海外の専門家も入れて検討すべきですし、大型施設への参加ももっと世界へ開かれたものにして人材育成の材料 (資料1)、の一つとして位置付けるなどすべきと思います。日本の産業基盤に関わるから日本人だけでとか、特許が盗まれるとか、2次的なうわべの言い訳をならべるのですね。世界を変えるような発想 (資料1)は誰から、どこから出てくるのか、もっと考えたほうがいいです。知恵とお金の出し方をもっと考えたほうがいいのです。政策のプロセスが開かれたことはいいことです。

いつもながら、科学者も「鎖国マインド」ですね。

活気あふれる「Open Research Forum 2009」

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Dubaiから帰国して翌日は「SFC Open Research Forum 2009」という慶應義塾大学SFC研究所主催の研究成果発表会内で行われた「G-SEC第3回年次コンファレンス」の「グローバルアジェンダと日本」(資料1)、パネルに出ました。(リンクはビデオです。)会場では、いくつものプログラムが進行しているようで、若者がたくさん参加してとても活気のある雰囲気でした。

パネルは朝日新聞主筆の船橋洋一さんの素晴らしい基調講演の後、竹中平蔵さんの司会で、パネルは船橋さんのほかには前日までDubai、そして Fujairahへご一緒した田村さん、近藤さんとわたし。あっという間に時間が経ってしまった感じでした。予定された古川元久さんは公務「超」多忙で出席できず。

外から皆日本をよく見えている人たちばかりのパネルで、なかなか活発だったのですが、あっという間に時間が経ってしまった感じで、ちょっと物足りなかったでした。

たぶん、最近の私は基本的には殆ど同じ話(グローバルの変化、日本の「強み」と「弱み)などいついて)をしているのですが、会場に来ておられる方たちが違うと思いますので、くどい位にこの辺のことを話しているのです。