Manabaセミナー + 基調講演と飯吉さんのパネル

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Manabaとは教育の新しいplatformを提供する企業で、このサービスは世界の大学へも広がっています。なかなか意欲的な試みです。

大学や学校の先生たち、事務の方たちを主要な対象としたセミナーが7月5日に東京で開催されました。大勢の方たちが参加されました。

プログラムはManabaを実際に使用している大学の試み、などが主体ですが、私は全体の「世界の動向、それは何故なのか」という視点で、1時間の基調講演の機会をいただきました。現場で活動している人たち、いろいろ試行錯誤し、学生さんたちのために、大きな枠組みを提示する、そのうえで自分たちがしていることの大きな流れを考えてもらう、これが私のしたいことですから。

参加の方たちは、教育、就職など広範にわたる大学の関係者が多く、後のパネルでの質疑からして日常的に苦闘している方たちが多かったようです。

私の講演のタイトルは「Uncertain Times; あなたの選択」です。私のスライドはもちろん映像と文字はすべて英語、でっかい文字を使います。

大きな流れをなんとなくでよいので、感じ取ったうえで、みなさんに「自分の立場で果たすべき責任」を感じ取ってもらいたい、という趣旨です。

あっという間に1時間が過ぎました。しかし、私のメッセージを皆さんも感じ取ってくれたらしいことは、最後のパネル、レセプションなど、後でよくわかりました。

最後のパネルは久しぶりの飯吉さん1)。飯吉さんは教育とは「狂気だ」と繰り返す。私も“Crazy Ones”1)が世界を変える、と主張する。そして文部科学省では異色の佐藤くん、そして経済産業省の福岡くん。飯吉さんの厳しいパンチ、「狂気」が次々と飛んできます。パネルの二人の官僚も、「ふつう」とは変わった「若手官僚」です。参加の方たちからも、苦闘する教育界の現場の悩み、良心のような質問がいくつか出てきました。皆さん苦闘していますね。

「発想の枠組み」を変えてみることです。出る杭、異論、枠を超えて考えてみることです。

グローバル世界での日本の将来は若者にしかありません。このことをどのくらい一人ひとりの日本の「責任ある立場」の人たちが、自分のこととして考え、行動しているのでしょうか。

世界の変化の本質を、肌で、心で、下腹(ガッツ)で直感的に感じ取っている、日本国でより大きな責任ある立場にあって、グローバル世界での日本へ向けた「その役職の責任を実行している人」はそれほどいないのですね。もっとも「学歴エリート」、「東大話法」の人たちが多いですから、所詮は無理なことなのでしょうか。

問題を認識したとしても、まず「できない理由」がいくつも頭に浮かぶ人のほうがはるかに多いのです。それが日本の現状です。考えながら、実行してみることです、難しいでしょうけど。

MITで

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Washington DCから21日(土)にいったん帰国。日曜は休んで、月曜はいろいろ会議などが入って忙しくすごし、25日(火)の朝から、再び米国東海岸のBostonへ向かいます。成田からの直行便、去年、日本製バッテリー発火問題でいろいろ騒がれたBoeing787です。

25日の昼に現地到着。一休みしてMIT Media Labへ。これが今回の目的ではないのですが、所長のJoi Itoさん(1)、副所長の石井さん1、 twitterは@ishii_mit)もBostonにいたので4時過ぎから出かけ、いくつかのプロジェクトを紹介してもらいました。ちょうど坂本龍一さんも来てコラボの話題になりました。いろいろ面白いことをやっていますね。夜は石井さんと奥様(私はこのご夫妻2人のtwitterをフォローしているのです、奥様はジャーナリスト、去年のHarvardのNiemann fellowです)、そして秘書さんと夕食をごちそうになりました。

翌日は、以前から交流のあるRichard Lester教授、今回、私を招いた方です。彼はMIT Nuclear Science and Engineeringの所長で、今年2回に分けてInternational Nuclear Leadership Education Programという各2週間のコースを開催し、私にも来てほしいというところから、今回のMIT訪問の話が始まったのです。私はこの1日だけですが、朝8時から夕方まで参加しました。もちろん私の話は「Lessons of Fukushima Nuclear Accident」で、90分の時間がありましたが、まだ時間が足りない感じでした。話題がいろいろあり、たくさんの質問が出ましたから。参加者の皆さん、特に欧米の方たちは原子力のエクスパート、日本やIAEAとの関係ある方も多いですし、Vietnam、 Abu Dhabi、Kenya、Mongolia、Nigeriaの方たちは資格もあり、これからその道を進もうという方たちですから、議論はとても楽しかったです。

国会事故調の報告書は、その英語版は良く知られている「Executive Summary」のほかにも、本文も去年の10月から英語でWebに出ていますから、本当によかったです。世界の専門家の間で、皆さんがそれぞれに私たちの報告書を検討、評価することができますから。

夜はMuseum of Science of Bostonでレセプション。翌朝、帰国の途に就きました。

National Academy of Sciencesで講演; Lost in Translation -‘AccountabilityとGroupthink’も紹介

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ParisからChicago O’Hare空港経由でWashington DC Dulles空港へ.

迎えの方とホテルへ直行。しばらくプレゼンのパワーポイントなどをチェック。翌朝、2年ぶりでしょうか、国務省の向かいにある、改装が終わり少々大きくなったNational Academy of Sciences (NAS)へ.ここで一日、「CBRNE」(Chemical, Biological, Radiation, Nuclear and Explosives)対策の同盟国間の協力についてのNAS主催の会議です。 私は、もちろん「福島原発事故からの学ぶことの意義」というテーマでの基調講演です。司会はNAS国際関係担当主任である旧友John Borightさんでした。私について、とてもいい紹介をしてくれました。この会議と講演はWebで見ることができます。

テーマがテーマですから、国土安全省 Department of Homeland Security、国防省 Department of Defense、 緊急対策庁 Federal Emergency Management Agency (FEMA)、軍人さんも参加しています。

日本大使館から旧知の次田参事官も参加してくれ、また、国会事故調の時に私がWashington DC 訪問時にお会いした国防省の方も参加しておられ再会を懐かしみました。

このようなテーマでも、政府の依頼を受けて、科学アカデミー主催で、公開の場で多くの会議が開催されるところが米国の素晴らしい所です。

ちょうど今年はLincoln大統領がNASを創設して150年であり、いろいろな行事があります。そのNAS創設の精神、「独立した、私立の機関であり、政府の政策に助言する」、この精神を長い時代の変遷を経て、国民からも広く信頼される科学者コミュニティを代表する機関になっているのがNational Academy of Sciences of USAなのです。

形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。「Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです。誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

演者、主催者たちとの会食、そして翌朝、帰国の途に。今年3回目の世界一周の旅でした。

パリへ

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17日の午後、Eurailで4時ちょっと前にパリ北駅に到着。蒸し暑い。

さっそくホテルで着替えて米仏商工会議所パリの会場へ。Jeff Immelt GE会長の講演会のお招きを受けていたのです。Globalizationと大企業の在り方がテーマですが、この重責を10年ですからさすがです。ちょっとご挨拶をさせていただき、Musee d’Orsayへ。ちょうど開催中のHays Collectionを案内していただきました。

ここで今回お招きを受けたのはInstitut de L’EnprepriseによるInternatonal Business Think Tank1)で、まずは17日のディナーです。フランスのPierre Moscovivi経済財務大臣の講演、そして目玉はMario Monti前イタリア首相とノーベル経済賞のPaul Krugmanの対談です。なんといってもこの2人の対話は、意見の違いはいろいろありますが、多くの示唆に富む、しかも内容に深みのあるものでした。 Krugmanさん、ちょうど数日前にintl Herald Tribuneに出ていましたし、NY Timesだと思いますが、いい意見を書いていましたし、折しもアイルランドでG8 サミットの時期でもあり、Abenomicsにも触れられました。この対談、私もいくつかtweet (twitters of first twitters of June 18th @kiyoshikurokawa)しました。何点か写真も見れます。

Montiさんは、経済学者であり、またEU のCommissionerもされ、しかも財政危機にあるイタリアを首相として政治家のいない内閣を率いたのはなかなかのことだったと思います。発言の中で「EUの会議でも、各国首脳の発言が、政治家でない視点で、実務家のやるような細かいことばかりに議論が進んでいくのは問題だ、、、」といった発言など、いいことをいくつも言われていました。

翌日18日の会議は、Musee de Arts Primitifs Branlyで、2~400人ほどの方たちでしょうか。Keynote、Panelなどの形式があり、午前にはEsko Ahoさん(1)、冷戦終結時のFinlandの首相、そしてZARAで知られるInditexの社長のPablo Islaさん、そして私とDaniel Tammetさんが午後のKeynoteでした。これらは素晴らしいものでした。主催側のTwitterでも一部フォローできます。
ちょうどパリでの恒例のAir Showの折でもあり、夜はアジアからの関係者との会食をしました。
翌朝はCDG空港へ、Washington DCへ向かいました。

Wiston House, West Sussex

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St. Gallenを午後に出発、Heathrowに到着。そこから緑が両側に広がる道をひたすら南へ90分、West Sussexに来ました。

UK-Japan 21st Century GroupというNakasone-Thatcher両国首相によって発足した会議の30th Annual Conferenceです。私は一日遅れて参加です。議長はLord Howardと塩崎恭久さんの両議員です。

会議の場所はいかにも英国風のWiston House、第1日目の夕食に間に合ってほっとしました。

翌日の第2日、5月4日は、まず英国外務省の主任科学顧問のRobin Grimesと私で始まる「4. Climate Change and Energy Policy」、参加者から活発な意見が出ます。これはとても楽しいですね。

この日のテーマはそのほかに「5. Geopolitical and Security Challenges in East Asia and the Middle East」、「6. The UK and Japan; Future Prospects for Trade and Investment」、「7. Corporate Governance and 21st Century Capitalism; Common Concerns」がありました。しかし皆さんの議論、意見の多様性と広さと深さは大いに楽しめました。

晩餐は近くのAmberley Castleへ移動して、開催されました。Wiston Houseといい、Amberley Castleといい、古い建築物は格別です。石でできているし、地震が少ないから1000年ももっているのでしょう。

第3日は午前で終了。テーマは「8. International Development and Cooperation」、「9. The UK and Japan, Progress in Developing UK-Japan Bilateral Cooperation and Prospects for the Future」というものでした。

初日のテーマは「1. Latest Developments in Japan; The Political Situation and Economic Prospects」、「2. Latest Developments in the UK; The Political Situation and Economic Prospects」、「3. Retrenchment or Stagnation: Lessons from Japan’s ‘Lost Decades’」というものでした。

この2、3年の世界のテーマは、ダボス、St. Gallenなどでも、先進各国のPolitical Situation and Economic Stagnationです。何しろ世界の様相が様変わりしているのですから。

しかし、英国の政治家をはじめとする方たちはそれぞれが論客であり、ものの見方、考え方の大きさは歴史の深さもありますが、私としてはさすがと感じ、学ぶことが多かったと思います。

英国と日本は大陸に沿った、海に囲まれた島国、資源が少ないという共通性がある一方で、それぞれの「強さと弱さ」がきわめて補完的だと思います。グローバル世界の中でもなかなか良い関係になれると思うのですが、どう思いますか?

夕方にはHeathrowへ、帰国の途に就きます。St. Gallen、West Sussexとそれぞれ2泊の滞在でした。

 

St. Gallen Symposiumへ再び

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再びSt. Gallen Symposiumに参加しています。今年のテーマは「Rewarding Courage」です。こんなテーマにするのは主宰している学生さんたちの提案も良く考えている証拠です。5月1日、成田を出発。

2012年は国会事故調の最中で参加できませんでしたが、2007年から今度で4回目の参加だと思います

2日とも全体Plenary会議は素晴らしいものでした。皆さん満足していたと思います。

第1日目の最後の全体パネルは「Leaders of Tomorrow: Essay Competition」、石倉さんのダイナミックで、アドリブのきいた司会で、みなが素晴らしい時間を持ったのではないでしょうか。世界の90か国ほどの1,000人を超える若者のエッセイから、最終的に3人が選ばれましたが、このパネルでの12名ほどの若者の議論には素晴らしいものがありました。

若者たちとの交流はいつも楽しいものですし、先輩の大事な役割です。

私も2日目のWorkshopで「Global Agenda in Post-Fukushima」で対話をしようという趣向で、石倉洋子さんがmoderatorをしてくれました。このセッションでは、どちらかといえば流れがもっぱら「福島原発事故」と「国会事故調」にフォーカスされてしまったので、「タイトル」とはちょっとずれていきました。でも参加されて方たちの議論がそちらへ向かうのはスイス、ドイツの方が何人も来られたことにもあるでしょう。自分でも「出来」はあんまりよくなかったと思います。これも「福島原発事故」のインパクトと、世界の関心の高さのためと思います。これも勉強です。次にはもっとフォーカスを、と思います。

St. Gallenは1971年に始まり今年で43回目です。St. Gallenの学生たち始めたもので、今でも学生がテーマを選び、組織し、プログラムを組んでいるのです。到着した夜のレセプションですが、私のテーブルでは、私ともう一人の2名以外の6名がSt Gallenの卒業生で30年、20年、10年前にこのSymposiumにかかわったそうです。このような若い時の学生として多くの社会のリーダーとの出会いと、このような会を開催する苦労の「こころ」が、先輩として好循環として戻ってくるのだろうな、と話をしながら、ちょっと先輩-後輩のつながりに感動をし、うらやましい気持ちになりました。

第2日目のWorkshopの後、すぐにホテルへ戻りチェックアウト、飛行場へ。英国Heathrowへ向かいました。

 

いろいろな講演、そしてL’Oreal賞のお祝い、国会事故調の若者たちの企画

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いろいろな会でお話しする機会を頂きます。特に国会事故調を終えてからはこれに関する講演等も、国内外で大きなテーマとして取り上げられ、お招きされる機会も多いのです。

しかし、なんといっても私の関心、懸念の中心は、どんどん変わる世界の中での日本の方向です。そんなこともあって、国会事故調の話題といっても、これの意味することをもっと大きな枠組みでお話しすることが多いのです。今年のこのサイトでも触れているDavos、Stanford、OECD、UCLAなどでもこのような骨格で、福島原発事故の意味、グローバル世界と日本の課題等について、「Uncertain Times: Changing Principles」などというタイトルで、適宜に内容を修飾しながら話すことが多いのです。

この2週間では、東京倶楽部青山社中などでお話ししました。前者ではここで何回か紹介しているH-LAB1)の応援もしていただけそうな雰囲気になりましたし、後者ではなんといっても政策等への熱気あふれる若者中心ですから大いに議論が沸いて、楽しい時間を持ちました。

もう一つうれしい会がありました。それは黒田玲子さんL’Oreal賞を受賞のお祝いの会です。英国で10年ほど研究者として過ごし、20数年前に帰国、その当時からのお付き合いです。ご自分の研究ばかりでなく、総合科学技術会議、国際科学者連合(ICSU)などでも大変活躍されていました。とてもうれしいことです。

一方で、大学生が中心になって「国会事故調をわかりやすく広める企画」(1,2)が開催され、そこでも参加しました。このような自主的な企画はぜひ応援したいです。

5月1日からはSt. Gallen、そして英国Sussexへ出かけます。

 

私の受賞お祝いの会と吉川先生の「3つの層」の言葉

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去年、私が委員長を務めた”憲政史上初”という福島原発の「国会事故調」に対して2つの受賞、AAASのScientific Freedom and ResponsibilityとForeign Policyによる「100 Top Global Thinkers 2012」がありました。

このことを祝ってあげようと主として科学者サークルの友人たちが企画したとても楽しい会がありました。国会事故調にもいくつかの大事な指摘を頂いた元東京農工大学学長の宮田清藏さんが音頭取りで企画してくれたのです。私の国会事故調についての講演との組み合わせです。

私にとって、国会事故調に対するこのような世界の高い評価はとてもうれしいことですし、これだけの仕事を6か月という短期で達成できたのは、特に事故調のチームを中心とした多くの人たちのおかげです。

この会は東大総長、日本学術会議会長等をされた私の尊敬する吉川弘之先生の国会事故調と私の紹介で始まりました。吉川先生は21世紀に入ってすぐに、特に日本学術会議と世界の科学者アカデミーの大転換にあった時に、両方で責任ある立場でとても苦労され、日本学術会議では会長、私が副会長として、そのあとを私が会長と、何年もご一緒に仕事をさせていただいたこともあり、私のことはよく理解されているといつも思っていました。

しかし、予測もしなかったことですが、先生はこの成果について「3つの層で喜んでいる」と始められ、私の行動についての考察をされました。こんな話の展開になるとは、私も思いもしないことでしたが、多くの皆さんもと思いますが、私も感動しました。この吉川先生の「3つの層」については、出口さんのメルマガ
(英訳はこちら)がかなり正確なので、ぜひ目を通してください。当日の写真もいくつか掲載されています。

石倉洋子さんのblogにもこの集まりについて書いてくれています。

米英豪、ノルウェー、スイス、藤崎駐米大使などの参加とご挨拶ほか、根本大臣ほか何人かの参加の国会議員の方々にもご挨拶いただき、ドンペリ、KENZOワインなど、とてもとても楽しい会でした。

皆さん温かいお気持ちを感じる集まりでした。ありがとうございました。

 

New Delhiから

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Rio de Janeiroから帰国して3日後、3月3日~6日、New Delhiに行ってきました。久しぶりでしたので空港もきれいになり、街並みも以前よりも変わっているように思いました。しかし、10年前からの中国の変化に比べるとそれほど目立った変化ではないようにも見えます。

主要な目的は「India-Japan Cooperation on Disaster Preparedness and People’s Networkという会議での講演と、そこで主役のNational Disaster Management Authority(NDMA) とその指揮下で活動するNational Disaster Response Force(NDRF) の方たちとの内部の会議に参加することです。友人のDr. Sunil Chackoさん(1)が企画したのです。

インド政府は日本の協力に熱心ですし、また原子力発電もあり、福島原発から学ぶことも多いこともあり、私を招聘してくれているわけです。元東北大学で今回の災害でも活躍している上原鳴夫先生(医療事故関係で12、3年ほど前にもお会いしています)も参加。

滞在中に多くの政府関係者、高官にもお会いしましたが、5年前に初めてのHideyo Noguchi Africa Prize12)の時にしっかり私を支えてくれた外務省の駐インド塚田公使も、この会議の間に長い時間を付き合ってくれて、主催者側も大変に喜んでくれました。

インド政府のNDMAは消防、警察、軍隊とは別の組織で約11,000人が10か所に配置されている、という組織です。2011年3月の東日本大災害の時にはAlok Avasthy指揮官による50人ほどのチームが宮城県女川に派遣1)され、初期の災害救助と対応に活躍しました。そのお礼も兼ねているのですね。一人ひとりの隊員にご挨拶、私のPower-pointsもAvasthy指揮官にお渡ししてきました。

こんな政府とも独立した活動も外交の基本だと思います。国家の間でも、常日頃のいろいろなレベルでのお付き合いが大事なのです。

 

国会での国会事故調ヒアリング: 新しい第一歩となるか?

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私たちが約6ヵ月間の苦闘した憲政史上初めての「国会事故調(国会による福島原発事故調査委員会)」。この委員会の「提言1」をうけた委員会が衆議院に設置され、この衆議院の委員会による私たち国会事故調のヒアリングが、4月8日の朝の9時半から午後5時半にかけて衆議院で開催されました。10人の委員のうち、大島委員を除く9人が出席しました。

2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故から約6ヵ月半後の9月末に、この憲政史上初の事故調査委員会の法案が成立、事故から9ヵ月後の12月8日に、国会で私たち10人の委員に辞令が発令されました。

そして2012年7月5日に委員会報告書を両院議長に提出。その後さらに9ヵ月を経て、ようやく私たちの報告書のヒアリングとなったわけです。

今の時代です、このセッションは、ありがたいことにウェブで見ることができます。議事録も読むことができます。

何事も初めてということには時間のかかるものです。委員の皆さんもとても頑張ってくれました。私も何しろ初めてのことでとても疲れました。

このヒアリングの国民の皆さんの評価はどんなものでしょう。

これから、どんな展開を見せるでしょうか。

最後に、以下のようなメディアの報告がありました。

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