12月、いろいろな交流、忙しい日常

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12月に入り2日のGarrettさんのセミナーに続いて、世界銀行と日本政府主催のUniversal Health Care1)に参加(5、6日)。素晴らしい基調講演をされたJim Yong Kim総裁とも2人でお話しする機会をいただきました。Kim総裁がWHOに勤務していた時に私がWHO Commissionerをしていたこともあり、お互いに間接的に知っていたのです。

6日の夕方は数年ぶりに東海大学医学部へ向かい講演、7日は東大で公共政策大主催のコロンビア大学、シンガポール等の7つの公共政策大学院の「GPPN」で、100人弱の学生さんたちと福島原発事故後のグローバルリスクについて、司会はエネルギー政策の国際派の田中伸男さん

9日はフランス大使館で、フランスの「エイズ、及び、伝染病対策担当大使」を務めるPhilippe MEUNIER大使をお迎えして数人での昼食。

11日は米国マサチュセッツ州のPatrick知事とご一行をお迎えして、医療政策機構1)の主催で議員会館国際会議場でHarvard大学のJohn Hamalka教授もSkypeで参加。これはとても素晴らしい会議となり、知事も大満足でした。夜は知事をお迎えして米国大使館でレセプション、ホストがケネディ大使、大勢の方を迎えて大変でした。

12、13日は出井さんたちとのAsian Innovation Forumで、これはもう報告しましたね。

14日からカリファ大学の理事会へ、3週間前に数日間に渡って滞在していたアブダビに向かいました。15日にカリファ大学学長から、海外からの理事3名への報告、翌日の理事会はよい議論と前向きの計画が進みました。

昼食後、素晴らしいYas Linksでゴルフをたのしみ、空港へ向かいました。

17日に帰国。帰宅して一休み、夜はNorway大使館でErik Solheimさんを迎えたディナー。Solheimさんは若くして政治家をめざし、大臣も経験、しかも世界的に大事な活動もしています。

やたらと忙しいのですが、いろいろな出会いがあります。

Laurie Garrettのセミナー

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Laurie Garrettさんは、Council on Foreign RelationsのSenior Fellowとして活動している素晴らしい方です。このたび1週間の訪日ということでGRIPSでもセミナーをしていただきました。素晴らしい経歴で、生命科学の研究者から出発、そこから転向しPulitzer賞ほか、ジャーナリストとしても経歴は見事と思います。

Global Healthでも現場を基本にした多くの意見を書いていて、2007年の彼女のForeign Affairsの論文から交流が始まったのです。このblog postの中の写真にもあるように、最近亡くなったNelson Mandelaをとても尊敬していて彼女の部屋には尊敬する等身大のMandelaさんがいます。そして私が委員長をした第1回、第2回ともHideyo Noguchi Africa Prizeの選考委員になっていただいたのです。その時も、彼女の意見は、基本的に現場での観察と高い見識にあるのでほんとうに頼りになりました。

そういえば思い出しました。ダボス会議の時のことですが、緒方貞子さんを紹介したのですが、しばらくすると涙を流しているのです。「どうしたの?」と聞くと、緒方さんのことは「本当に尊敬しているのでつい感激で涙が. . .」ということでした。

彼女のGRIPSでのセミナーは50人ほどの方が参加、好評でした。あとから何人もの方からお礼のメールが来ました。

参考となる文献は、今年のForeign Affairs、11-12月号のトップに掲載の「Biology‘s Brave New World: The Promise and Perils of the Synbio Revolution」に書いてあることが中心です。

他にも参考になるCouncil on Foreign Relations 関係の資料が以下にあります。

1)Staying Safe in a Biology Revolution
2)Making the New Revolutions in Biology Safe
3)H5N1; A Case Study for Dual-Use Search

これからのバイオテクの行く末は、どんなことが起こるのかわかりません。しかし、ICT、ナノ、バイオなどの技術は進むばかりですから、Singularity1)へ向かって人類が進んでいくことを止めることはできません。

私たちは、どんな世界へ向かっていくのでしょう。

11月の海外いろいろ -3: アブダビへ

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夜の成田からEtihadで、アブダビへ。World Economic Forum(WEF)のGlobal Agenda Council(GAC)に。

これにも、もう6年程度出席しているでしょうか。宿泊は前回と同じく、これも豪華なYAS Vicery Hotel。会議は、隣接するつい最近F1レースが開催された会場です。

夕方まで、理事を務めるKhalifa科学技術大学(KUSTAR)を訪問したり、いくつかの関連の方々にも面会。翌朝到着する予定だった日本からの参加者の多くが乗る飛行機が、機械の故障で成田を出発できなくなった、というニュースが入ります。こちらはご当地におられる日本の友人何人かと楽しく夕食を楽しみました。

今回のGACは今年の3月にお会いした経済発展庁長官のNasser Al Sowaidiさんがホスト側のCo-Chairの1人でしたので、ちょっとご挨拶。

2日間の会議は、私が座長を務めるJapan Councilと、中国と韓国のCouncilとの会談、Council for ASEANなどを開催しました。3日目にはパネルに出ました。まずパネルの3人で問題を討論したうえで、グループに分かれての議論から何かを作り上げていく、そこでまた質疑応答がある、という楽しさを味わうこともできました。

1日遅れて日本から到着された方たちはほんとにご苦労様でした。2日間フルとはいえない参加でしたが、みなさん疲れた事でしょう。でも皆さん、お元気でした。

この辺のことは石倉洋子さんのblog12かれているので。

夜は、久しぶりに岡本行夫さんも誘って、慶応義塾の村井 純さん稲蔭 正彦さんたちと久しぶりにEmirate Palaceに夕食に出かけました。

今回、私のアブダビ滞在はそれだけではありませんでした。GACが終わった翌日、国会事故調査委員会で協力をいただいた佐藤さんと合流してKhalifa大学(KUSTAR)へ。ご当地は原子力発電を建設中でもあり、国会事故調の話、国際的な原子力の情勢等について議論をすることができました。原子力関係の方々も多くが出席してくれました。なかなか好評でした。

ところで、アブダビ政府が、この大学にかける意気込みは相当なものです。これからの計画等についても話を聞いて、夕食後、空港へ向かい、帰国の途に就きました。

New Yorkに始まる、けっこう長い旅でした。

11月の海外いろいろ -2: NYCからKLへ

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New York City(NYC)から、成田へ。そこで寒いNYCで必要だった防寒用の衣類を自宅に送り、Singapore Airlineへ乗り換え。A380で、初めてSuiteに乗ることになりました。なかなかのものですがEmiratesと違ってシャワーは無いのです。でも素敵な個室です。

午前3時過ぎにChangi空港着、そこで乗り換えて朝6時過ぎにKuala Lumpurへ。朝10時からの会議にでかけます。

San Franciscoまでにかなり進めた協力計画の最後の調整で、何とか調印にこぎつけます。関係者の皆さんに感謝。でも、もう一息の過程があるのです。とにかく前に進む、実行してみることが大事。この経験値が、関係者の間でも、そのうち役に立つでしょう。

同じ日の最終便で成田へ。成田から帰宅したものの、いろいろ詰め替えて、夕方には成田へ戻り、Etihadでアブダビへ、World Economic Forum、Global Agenda Council に参加するのです。

ちょっとクレイジー?まあそうかもしれませんね。

11月の海外いろいろ -1

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11月は忙しかったです。すっかりBlogもご無沙汰しました。

10日からNew York City(NYC)へ。到着した午後、現地で臨床研修をしている日本からの医師の方々にお会いしました。今回は10人ほど、3人は女医さんで、お子さん連れで研修している方もいるのです。素晴らしい若者たちです。その方たちの先輩にもあたる桑間先生も参加。夜はBroadwayのWickedを見に行きました。今年が10周年ということですが、二人の女性主役の歌の力は素晴らしかったです。役者さんたちの層の厚さを考えると、競争のすごさにも同情しますが、何かすごさを感じます。

翌日は友人と3人でNYCの紀伊国屋、MoMAの内庭を見ながらの素敵なランチ、先日六本木でご一緒した館長のGlenn Lowryさんとしばらく館内を散策して、Magritte特別展示を見てからGHITFUNDの理事たちと、明日の理事会に備えて会食です。場所はなんとThe River Club、このNYCでも最も格式の高いClubとか。130億ドルのコンド1)が5つあり、現在Henry Kissingerさんも住人の一人とか。地下にはテニスコートがあるのです。

翌日は1日、GHITFUNDの理事会でした。5月末に立ち上がったばかりですが、世界初ともいえる、日本発の画期的なPublic-Private-Partnershipで、日本政府、企業6社とGates財団とでGlobal Healthへの新しい貢献のメカニズムです。今年の5月末に発足しましたが、私が理事長を務めています。

夕方から、Japan Societyで、New York Academy of Sciencesと共催でGHITFUNDについて紹介するパネルが開催されました。

レセプションの後は GHITFUNDの理事さんたちとShun Lee Palaceで夜遅いディナー。

New York Cityは寒く、ちょっと雪も降りました。

翌日は成田へ、そこで乗り換えてKuala Lumpurへ向かいます。

「無鉄砲娘」の活躍つづく、そして私の意見も

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国会事故調に参加してから、ずいぶん違ったキャリアを選び始めた人たちがいます。先日のコラムで紹介した椎名くん、石橋さん、「無鉄砲娘」相川さんの3人はそんな人たちです。

相川さんの本「避難弱者」は、広く読まれているようですが、最近ウェブにも記事が出ています。彼女のメッセージが広がるのはうれしいです。「若い者たちは行動する」のです。大したものです。

ところで、この3人のことも含めて、国会事故調のその後の在り様を、外国記者クラブの発行する機関誌「Number 1」 (英語)で紹介しました

国会事故調は、日本では「憲政史上初」です。「初」ということは、政治家も、官僚たちも、メディアも、学者も、広く国民もですが、この「国会事故調」が何を意味しているのか、あまり理解していないのでしょう。日本国内の反応は、海外の反応12)に比べればはるかに小さいですしね。

民主制度を機能させるのは、時間のかかることなのです。

私も福島のことは本当に心配です。そして世界では日本のことを本気で心配している人たちも多いことをお忘れなく。

いろいろなところへ

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大阪で行われたMansfield財団による原子力の日米協力のパネル(10月1日)の後は、すぐに沖縄へ。OISTの理事会へ向かいました。

ここでは2泊(10月2、3日)の予定でしたが、風邪気味で、2日目を終わって東京へもどり、翌日4日はテレビ会議で参加しました。いろいろな課題はありますが、10年でここまで来たのは素晴らしいことです。しかし、これからが一つの転換期になるように思います。

5日の午前中は日本腎臓学会の「男女共同参画のパネル」に参加、その後は京都へ、STS Forum(10月5日~8日)です。これも今年で10周年を迎えました。素晴らしいことです。参加者も1,000人ほどと増加し、安倍総理のスピーチに始まる良い出だしでした。私も「ICTと教育」というセッションのパネルに出ました。期間中に多くの友人にお会いしますが、今年はQatar財団の方々も初めて見えられ、会談のほかにも、日本から協力していただけそうな何人かの研究者をご紹介しました。

8日、京都から帰ってからは、東京で某外資系企業の役員と会食。9日、10日はオリエンタル技研の35周年で2日にわたってOISTの設計を担当したKen Kornbergと講演をしました。彼はノーベル医学・生理学賞を受賞したArther Kornbergの息子さんで、お兄さんのRoger Kornbergはノーベル化学賞を受賞しています。
もう一人のお兄さんThomasもすごい分子生物学者です。

11日は自民党で新しい原子力規制委員会の在り方について議論、その後HGPI主催のグローバルヘルスの夏のセミナーでお世話になった「IOCA」のアトリエを訪問。これは企業役員などにも評価されているということで、一度は参加してみようと思いました。

夜はスイス大使館で、環境・交通・エネルギー・通信を担当する実力大臣Mrs Doris Leuthardさんを迎えて、主として原子力についての話題をめぐってお招きを受けました。

相も変わらずいろいろと忙しくしていますが、私が何かの成果が出しているのか(?)、貢献をしているのか(?)、といわれるとちょっと考えてしまいます。

Mansfield財団の日米原子力ワーキンググループ

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大阪で行われたMansfield 財団日米ワーキンググループ公開セミナーの会議に参加しました。

このグループは日米の原子力に関する戦略的優先課題という報告書を発表し、これを日本の関係者と共有しようという企画です。福岡、大阪、東京で開催ですが、私は大阪だけにしか参加できませんでした。

提言は両国の関係から見たこれからの多様な協力関係についての提言です。内容はそれぞれに、もっともなことが多いものです。議長の一人は、去年10月に、Japan-US Council主催で、私がWashington DCの議会内で国会事故調について報告した時の座長でもあったCharles Fergusonでしたので、私の紹介では、その時の皆さんの反応を含めて、ずいぶんと持ち上げてくれました。

大阪のプログラムではパネルの皆さんの発表の後で、大阪大学の星野俊也さんと私がコメントしました。

参加された方々はそれぞれ原子力の関係者が多いようでしたので、細かいことより、国会事故調の意義、Group Thinkなどを含め、日本にかなり特異な課題ついて、具体例を挙げながらお話ししました。

その1つが、この参加の方々の構成です。全部で200人は超えていたと思いますが、同時通訳の2人の女性を除けば、参加の方の中に女性は3、4人しかいないことも指摘しました。これは確かに変ですね。かなり日本に特異なことと思います。

パネルでは4人のうち女性は1人、Sharon Squassoniさん(Director and Senior Fellow, Proliferation Prevention Program, CSIS)でした。

講演会が終わってワーキンググループの皆さんは福島へ、私は関空から沖縄へ、OISTの理事会へ向かいました。

夏かぜで1週間ダウン

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8月29日(土)、日帰りで軽井沢へ出かける、昼に到着。旧軽井沢ゴルフクラブへ。なんとなく疲れるので、ゴルフ参加は辞めて、クラブハウスで休憩。きれいなコースを見ながらラウンジで過ごすのも変な気もち。

夕方みんながゴルフから上がってから、私が当日のゲストとして1時間ほど講演をした。GRIPSの同僚ともいえる竹中さんとご両親にもお会いした。元東大総長の小宮山さん他にも知人がいろいろ。

夜帰るとやはり疲れる。早く寝る。翌日の日曜日から熱が出る、時に40度になる。ご近所の主治医さんへ行って、診察してもらい、点滴を受け、一日寝る。翌日の月曜日も40度ほどの熱が出る。また主治医のところにも行く。元気がないわけではないのだが。今週の面会等はすべてキャンセルさせていただき、水曜日を迎えた。ちょっとよくなってきた感じ。

木曜日、朝からEUの代表の大臣の方々とのセッションがあり、約1時間を過ごす。もっぱら福島原発事故と今の状況などが主たるテーマ。それはそうだろう。あとは、ちょっとした会議等で、午後3時には帰宅。寝る。本当は今週は伊勢神宮に行く予定だったのだけど残念ながらキャンセル。

金曜、土曜と寝て過ごす。かなりよくなったが、今度のカゼはちょっとひどかった。

9月1日(日)、新幹線で広島へ。広島大学新診療棟のお披露目の祝賀会で記念講演。久しぶりの医学関係の多くの方々にお会いした。日がえり。

9月2日(月)、湘南国際村へ。「国連大学グローバルセミナー」主催の3日間のプログラム。David Malone 学長、そして資生堂名誉会長の福原義春さんに久しぶりにお会いした。そして私が「基調講演1: Global Agenda of Post-Fukushima」。ほとんどが大学生、大学院生で、女性が70%ぐらいか?いいね。留学生、学国人教員も多く、雰囲気はいい。楽しく話をすることができました。質問もいろいろ。もちろん全部英語。

この「オープンな雰囲気」とはどう定義できるのかわからないけど、いいですね。私は好きですよ、堅苦しくなくて、意見の交換も盛んで。

私の後の基調講演はUNDP日本代表の弓削昭子さん。歯切れがいい。質疑にもバンバン答える。

私はレセプションに参加した後、帰宅の途へ。皆さんは合宿らしい。

やっと、1週間が過ぎて、1週間が始まった感じ。ゆっくり休んだ感じでした。

女性の活躍に期待する、2つのパネルに

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東北大学女子学生入学100周年記念シンポジウムの写真はこちら:https://plus.google.com/photos/105840412439031950380/albums/5910115686676869777?authkey=CKPXlJPgwpSp-QE

日本の一つの問題に女性の活躍の場が、ほかの国に比べて、まだまだということがあります。いわゆる男女参画社会、Gender Development、とかGender Empowermentなどとかいろいろ言われる社会的課題です。

わたしは、これについても“問題”発言をしているので(このサイトの中でも「検索」してみてください)、この問題に関係する機会にも時々お招きを受けます。

8月4日、ewomanの佐々木さんの企画、第18回国際女性ビジネス会議で翁百合さんとの対談です。翁さんとは経済同友会でのパネル以来ですし、この会議では2年前に石倉洋子さんとの対談にお招きを受けました。

大勢の、特に若い女性が多く、一日中の充実したプログラムです。主催の佐々木さんの挨拶に始まり、キャシー松井さん、二人の女性大臣で弁護士、子育ての森さんと稲田さん、横浜市長の林さんの説得力あるお話などのあと私の翁さんの対談。午後もいろいろなセッションがありました。

そして、フェンシングのオリンピック銀メダリスト太田さん、さすがに「超世界級」は、お話も、感覚も、すごいです。

私は、石倉さんとの共著「世界級キャリアの作り方」を私のサイン入りで50部ほど購入していただきましたが、中にはご自分で持ってこられ、私のサインをもらいに来た方もいて、これはうれしかったです。

8月8日は東北大学へ。100年前に3人の女学生を入学させた初めての帝国大学の記念行事の一環のシンポジウムに参加です。皆さん、元気の出る発言、特に英米国のお客様、Drs ColwellとHaynigenの話も素敵でしたし、久保さん、辻村さん、向井さん、小谷さん、2人の高橋さん、元村さん、小谷さん、2人の黒田さん、原山さん、植木さん、みんなよかった。

このイベントの報告も、トップの写真とは別に、いずれ東北大学のサイトにでも掲載されるかもしれません。何しろ大隅典子さんが企画担当ですから。

第18回 国際女性ビジネス会議
全体リポート(会議当日のダイジェスト版)はこちら
トークショーリポートはこちら

そして、最後に里見学長から「約束」とはいかないけど、何かやってもらえそうな気分のお話しがありました。いつまでに実現するのか、これが課題でしょうか。

Rita Colwellさんとは今年これで4回目ですし、そして翌日は元村さんとNature Caféで2日連続でのご一緒となりました。

忙しいですが、それなりに楽しい時間も続きます。