11月の海外いろいろ -4: 台北、医師の教育の話題

→English

春頃でしょうか、台湾の内科学会から講演のご招待を受けました。その後、台湾の原子力関係からもご招待を受けました。ちょうど日にちが3・4日ずれていたので、何とか摺合せをお願いして今回の訪問になりました。

22日にアブダビから帰国し、家で久しぶりに一泊。翌日、台北へ向かいました。内科学会総会には2年前にも参加しましたが、今回は米国内科学会オレゴン支部からのThomas Cooneyさんとご一緒でした。根っからの教育者です。

医師の教育の話題だったので、映画「The Doctor」について私がコメントしたところ、そのモデルはDr Edward Rosenbaumで、立派な医師のご一家です。同じオレゴン大学病院で勤務、またご子息(といっても年配ですが、、)もオレゴンでの同僚の一人で、お孫さんは Univ Penn のDr Liza Rosenbaum、New Yorkerにも寄稿しているよく知られたカラムニストでもあるのです。何でも話題を出してみることですね。いい話を聞きました。

お互いに講演が前後でしたが、医学教育・研究に本当に立派な見識を持って、実践されています。

翌日は台湾の原子力関係者との交流、講演ですが、私のほかにも国会事故調で協力してくれた方も参加してくれました。

「わかりやすい国会事故調」の6部のビデオは大好評でした。「字幕は漢字だからわかるし、英語のナレーションでよくわかった」よ、と言われました。

大事故の教訓を共有することは大事なことです。

11月の海外いろいろ -1

→English

11月は忙しかったです。すっかりBlogもご無沙汰しました。

10日からNew York City(NYC)へ。到着した午後、現地で臨床研修をしている日本からの医師の方々にお会いしました。今回は10人ほど、3人は女医さんで、お子さん連れで研修している方もいるのです。素晴らしい若者たちです。その方たちの先輩にもあたる桑間先生も参加。夜はBroadwayのWickedを見に行きました。今年が10周年ということですが、二人の女性主役の歌の力は素晴らしかったです。役者さんたちの層の厚さを考えると、競争のすごさにも同情しますが、何かすごさを感じます。

翌日は友人と3人でNYCの紀伊国屋、MoMAの内庭を見ながらの素敵なランチ、先日六本木でご一緒した館長のGlenn Lowryさんとしばらく館内を散策して、Magritte特別展示を見てからGHITFUNDの理事たちと、明日の理事会に備えて会食です。場所はなんとThe River Club、このNYCでも最も格式の高いClubとか。130億ドルのコンド1)が5つあり、現在Henry Kissingerさんも住人の一人とか。地下にはテニスコートがあるのです。

翌日は1日、GHITFUNDの理事会でした。5月末に立ち上がったばかりですが、世界初ともいえる、日本発の画期的なPublic-Private-Partnershipで、日本政府、企業6社とGates財団とでGlobal Healthへの新しい貢献のメカニズムです。今年の5月末に発足しましたが、私が理事長を務めています。

夕方から、Japan Societyで、New York Academy of Sciencesと共催でGHITFUNDについて紹介するパネルが開催されました。

レセプションの後は GHITFUNDの理事さんたちとShun Lee Palaceで夜遅いディナー。

New York Cityは寒く、ちょっと雪も降りました。

翌日は成田へ、そこで乗り換えてKuala Lumpurへ向かいます。

MIT Media Lab at Tokyo Designers Week

→English


神宮外苑で開催されたTokyo Designers Week 2013でMIT Media Labの企画があり、2日目の午後に副所長の石井さんの講演「Remembering the Future」を聞きに行きました。

石井さんの情熱のほとばしるプレゼンは熱い。内容も筋書きもバツグン、とても納得です。しかし、会場からのQ&Aになると、若い人たちが多いのですが、質問者の意図が石井さんの言いたいこととなかなか合わないのですね。もっともっとチャレンジングな気持ちで立ち向かわないとね。

石井さんは真剣な人なので、「なんでそんな質問なの?」といった風情で、不満そう。だから返事ができないことが多かったのですね。私は一番前に座っていたので、私に「どう?」と振られたので2、3度、私がとても感動した石井さんの言葉の意味と私の感じたことなどについて、話をしました。石井さんの話は、頭でなくて、「こころ」で感じ取れないとね。

この後は石井さん、茂木健一郎さん、林 信行さんの3人が進行役になる2つのパネル。

まずは大学を退学して格闘家、その後は「3D Printer」などで活躍している原 雄司さん1)の話。そのあと建築家の隈 研吾さんの木材を使った建築物などとてもいい話。さすがお二人とも現在までに至る実体験からしか出てこない話ですし、特に格闘家として世界を徘徊していた人の話は身体性があるだけ感覚的にすごい。「右脳」で感じとる部分が大きいので、多くの感動があるのでしょうか。

石井さんと、茂木さんがちょいちょい私に発言を振ってくるので、かなりきわどいことを発言させてもらって、とても楽しい時間を過ごしました。「日本の大学では、研究までもが「家元制度」になっている、、、」とか。そう思いませんか?

でもモギケン、ちょっと元気なかったなあ。忙しすぎるの?

「無鉄砲娘」の活躍つづく、そして私の意見も

→English

国会事故調に参加してから、ずいぶん違ったキャリアを選び始めた人たちがいます。先日のコラムで紹介した椎名くん、石橋さん、「無鉄砲娘」相川さんの3人はそんな人たちです。

相川さんの本「避難弱者」は、広く読まれているようですが、最近ウェブにも記事が出ています。彼女のメッセージが広がるのはうれしいです。「若い者たちは行動する」のです。大したものです。

ところで、この3人のことも含めて、国会事故調のその後の在り様を、外国記者クラブの発行する機関誌「Number 1」 (英語)で紹介しました

国会事故調は、日本では「憲政史上初」です。「初」ということは、政治家も、官僚たちも、メディアも、学者も、広く国民もですが、この「国会事故調」が何を意味しているのか、あまり理解していないのでしょう。日本国内の反応は、海外の反応12)に比べればはるかに小さいですしね。

民主制度を機能させるのは、時間のかかることなのです。

私も福島のことは本当に心配です。そして世界では日本のことを本気で心配している人たちも多いことをお忘れなく。

San Diego

→English

San Diegoの町のすぐ向かいにあるCoronadoに来ました。1つはCell Societyという集まりがあり、これに参加するのです。この会は今年で3回目ですが、去年は国会事故調の最中で参加できませんでした。特に私がこの分野の専門というわけではないのですが、いろいろな経緯があって参加しています。脂肪幹細胞の臨床例などは医学的に見てもなかなか面白い結果がでています。

幹細胞の研究分野ではノーベル賞受賞の山中さんの大発見「iPS」も期待されているとこです。近代医学のアプローチとは違って、理論的に分子・遺伝子的解析からは理屈が付ないことでも、かなり安全だから試したら「他に治療法がないが、これでいい結果が出る」というところでしょうか。

近代科学の発祥の地、西洋では100年ほど前までは輸血、瀉血などの「治療」が、今では考えられないような理屈で行われていました。ABO血液型が発見されたのは100年前のことです。研究とはそんな経験から新たな発見が導かれることも多いのです。

時間を作ってSan Diego周辺で留学、研究、ビジネスなどで活躍している20数人の日本からの若者たちとの集まりも持たれました。ここで活躍している牧くん(PhD)が中心でUniversity of California San Diegoで勉強中の学部生、大学院生などが集まりました。いいですね、皆さん。やはり意識の変化は感じているようですし、自分のキャリアへの考えもいろいろ迷うことも多いようです。日本ばかりが活躍の拠点ではありませんし、日本人であることには変わりないのです。皆さんの選択と、活躍を期待したいです。

日を変えてUCSDのセミナーに行きました。UCSD School of International Relations and Pacific studies(IRPS)と Rady School of Managementの共催で、IRPS Professor of Japanese BisunessのProf. Ulrike Schaedeさん(去年までは星教授が担当していたとのことです…)の司会で進行しました。テーマは福島原発事故関係ですので、学生さんばかりでなく、教授の方もこのあたりで長く生活されている日本の方も来られました。福島原発事故から2年半、ちょうど福島原発の現在とこれからの状況が世界的に広く報道されているところでしたし、活発な質疑になりました。

学生さんばかりでなく、日本の方が多く見えましたし、またCONNECT1)の関係者も参加。セミナーのあとは、南Californiaらしいさわやかな夕暮れのテラスでレセプション。そのあとで、この辺ではよく知られた「Sushi Ota」で名物の「ウニ」など楽しみました。

若者たち一人ひとりが自分のキャリアの選択肢を増やす実体験はとても大事なことです。

政策研究大学院大学GRIPSの秋の卒業式で、私の祝辞

→English

私が所属している政策研究大学院大学(GRIPS)の秋の卒業式は、ほとんど全員が留学生(学生のほぼ70%が60数か国からの留学生です)で、それぞれの国の色彩も豊かで、ある意味でとても感動的な、日本では珍しい卒業式です。留学生の母国の大使、大使館スタッフの多くが臨席されます。

9月17日、今年もその時が来ました。学位記授与、成績優秀者表彰、学長式辞、卒業生代表挨拶などのプログラムです。

そこで、私が祝辞、Commencement speechをすることになりました。ありがたいことです。私にとって、今年3回目です。4月の東大の入学式1)(ちょっと意味が違いますが、海外の卒業式祝辞に相当すると思います)、7月の国連大学の卒業式です。

このGRIPS卒業式では海外でよくあるように、最近では一人の方にスピーチをしていただくことになりました。去年のCommencement SpeechはASEANの事務局長を務めたSurin Pitsuwanさん(スピーチはこちら)でした。

2010年にも、今や世界の注目を集めている日銀総裁の黒田東彦(はるひこ)さんが、当時はAsian Development Bank総裁として活躍していたころ、スピーチをされています。

私の祝辞にこめた思いも、皆さんに届いてほしいと思います。

世界の将来を背負っていく若者の旅出を送りだす卒業式は、いつも何かの感動に包まれます。

教育に関わるものの特権(Privilege)です。

Philadelphia-2: Fireside Chat With Dr. Kiyoshi Kurokawa

→English

今回の主目的は、何年もお誘いを受けていながら、参加できなかったJapan America Society of Philadelphiaが企画する”Health Sciences Dialogue”、2日間の集まりです。いろいろ聞いてみましたが、日米の製薬企業、バイオべンチャーをつなぐ会としてよい評価を受けています。

朝7時から、日本からの参加者との朝食がセットされ、10人ほどですがいろいろな話題に花が咲きました。

9時からセッションが始まり。New York から日本総領事館から相(あい)広報センター長も参加し、ご挨拶。

バイオテクべンチャー、べンチャーキャピタル等々の良いテーマとパネリストで、製薬、米国と日本の動きなどを中心に話が進みます。昼食の終わりを見計らって、私の登場、”Fireside Chat with Dr Kiyoshi Kurokawa: How Can Japan Better Foster Innovation?” というセッティングで80分ほど、David Flores(Co-Founder of BioCentury Publications)とHoward Brooks(Partner, Americas Life Sciences Sector Leader, Earnst and Young; この会議中に同じ部門のGlen Giovannettiともいろいろ話ができましたが、、)の2人からの質問に答え、あとは会場との質疑応答という趣向です。

Philadelphiaは私といろいろ関係というか、ご縁があります。University of Pennsvlaniaは私にとって初めての外国ですし、ここでの2年間が私のキャリア1)を日本から世界へと変えたところですし、私のとても尊敬している津田梅子(このサイトの中で「検索」してください)が学んだところですし、私の関係しているNoguchi Hideyo Africa賞1)の野口英世の世界的キャリアの始まったところでもあります。ほかにもいろいろなつかしい思い出のあるところです。

この会議では、充実した1日を過ごせました。

翌朝は朝7時に出発、3時間弱、車でJFKへ向かい、帰国の途に就きました。

あっという間でしたが、Philadelphiaは、なにか懐かしかったです。

Philadelphia-1: Swarthmore College を訪問

→English

Philadelphiaは私が初めて米国(初めての海外です、当時は)でくらした場所です。University of Pennsylvaniaで2年間、研究をしていたのです。もう40年以上前の話です。その時の“ボス” Prof Howard Rasmussenとの出会いが衝撃的1)で、その後の私の進路に大きな影響をあたえたのだと思います。

久しぶりのことですが、9月9日に羽田発、New York CityのJFK 到着、迎えの車でPhiladelphiaへ3時間。宿泊は町の中心にある、150年前にLincoln大統領支援の目的で建設された由緒ある、共和党ゆかりのThe Union League1)へチェックイン。ここには、歴代の共和党の米国大統領の肖像画があります。

一休みしてさっそくSwarthmore Collegeへ、学長のRebecca Choppさんに、3年ぶりですが会いに行きました。

Swarthmore Collegeは米国でもトップにランクされるLiberal Arts Collegeで、この近辺ではBryn Mawr College(19世紀の終わりごろ津田梅子123)が留学した)、Haverford College(Harvard大学歴史学教授でよく知られている、私の高校の先輩でもある入江昭さんも学んだところ)とも近く、「Tri-College Consortium 」を形成する名門中の名門です。この3校を巡回するバスもあります。

Chopp学長1)、さらに3人の日本の女性で教鞭を取る角田こずえさん、城よしこさんと須田あつこさんたち(海外で独立して活躍している日本人には女性が多いな、と私は思っているので、「やっぱりね」と感じました)、また日本文化について教鞭をとっているDr William Gardnerさん(JETプログラムで日本にいたことがある)ともお会いしました。いろいろな話題について、1時間ほど時間を過ごしました。

この大学は一学年400人弱、1年目はみなさんキャンパス内の寮で、そのあとも大体90%以上はキャンパス内の寮生活、大学院はなし。ここの生徒は優秀でよく勉強し、教育の評価が高いので、卒業生は大学院に行くときはどこでも大歓迎のようです。

この大学の所在地は私が昔住んでいたところに数キロほどと近いので、そのあたりを回ってみましたが、すっかり変わってしまっていて、当時の面影は全くなく、電車の線路だけが変わらずあるといった風情でした。

素晴らしい大学キャンパス、そして懐かしい思い出の場所、時のたつのは早いものです。

「無鉄砲娘」の大活躍、「避難弱者」を上梓

→English

20130908-1

福島の原発事故から30ヵ月、国会事故調の報告書が国会に提出されて14ヵ月の時が過ぎました。日本は、世界は、どんなことになっていくのでしょう。

2020年のオリンピック、東京に決まりましたね。良かった。-これを一度提出してから決まったので、加えました-

この「憲政史上初」の国会事故調に参加して、大きく、仕事・キャリアのありさまを変えた人たちもいます。 国会議員になった椎名つよしくん。「わかりやすいプロジェクト 国会事故調」を立ち上げた石橋哲さんなどなどです。

相川祐理奈さんもそのような一人です。彼女は大手新聞社に就職して2年、福島原発事故の調査に参加していたようですが、国会事故調に参加したいといってきたのです。この8月30日、彼女が独自に続けた調査をもとに書いた本、「避難弱者: あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?」が上梓されました。

私も、最後に「本書の刊行に寄せて」を書きました、とても感動したので。その一部を紹介させてもらいます。

まずはカバーの折り返しに引用されている部分ですが、

「現場感にあふれて入念なインタビューから、いろいろな事例があぶりだされてくる。多くの人たちの深い悩みと選択、もてあそばれる弱者たち、その人たちを支援する人たちの苦悩は計り知れない。ここかしこに1人ひとりの現場の人たちの生き様があぶりだされてくる。苦悩がある、多くの感動がある、そして多くの悲劇がある。
相川さんの一貫した現場からの取材によるこの報告から、何を学ぶのか。このような現実にどう対応してゆけばよいのか。これは私たち1人ひとりに突き付けられた課題である。」

そして、相川さんについて、

「国会事故調が終わった後、せっかく就職した新聞社も辞めて参加した彼女に、「本当にごくろうさま、これからどうするの?」と聞くと、なんと「私はこの調査を自分で続けます、あの人たちのことをもっと調べて記録しないと」というのだ。無鉄砲といわれようが、この様な決断をする若者がいるのだ。私たちは、相川さんが私たちのチームに参加するときの決断にも驚いたが、終わってからの決断にもさらに驚き、何か言い知れない感動に包み込まれた。
そして、相川さんの1人の戦いが始まる。協力、支援してくれる人たちも出てくる。この「無鉄砲娘」の調査の記録が、この本だ。-中略-。うれしい、ごくろう様、心からほめてあげたい。それがこの本なのである。」

皆さんも、本屋さんで見たら手に取って、よさそうだったらお買い上げください。勿論、アマゾンでもね。

前回、紹介した国会事故調をヴィジュアルにした素晴らしいビデオ1)も、若者たちの自発的な作品だ。

こういう独立精神あふれる若者たちがいるのだ、皆さん何か明るい気持ちになりませんか?

夏かぜで1週間ダウン

→English


8月29日(土)、日帰りで軽井沢へ出かける、昼に到着。旧軽井沢ゴルフクラブへ。なんとなく疲れるので、ゴルフ参加は辞めて、クラブハウスで休憩。きれいなコースを見ながらラウンジで過ごすのも変な気もち。

夕方みんながゴルフから上がってから、私が当日のゲストとして1時間ほど講演をした。GRIPSの同僚ともいえる竹中さんとご両親にもお会いした。元東大総長の小宮山さん他にも知人がいろいろ。

夜帰るとやはり疲れる。早く寝る。翌日の日曜日から熱が出る、時に40度になる。ご近所の主治医さんへ行って、診察してもらい、点滴を受け、一日寝る。翌日の月曜日も40度ほどの熱が出る。また主治医のところにも行く。元気がないわけではないのだが。今週の面会等はすべてキャンセルさせていただき、水曜日を迎えた。ちょっとよくなってきた感じ。

木曜日、朝からEUの代表の大臣の方々とのセッションがあり、約1時間を過ごす。もっぱら福島原発事故と今の状況などが主たるテーマ。それはそうだろう。あとは、ちょっとした会議等で、午後3時には帰宅。寝る。本当は今週は伊勢神宮に行く予定だったのだけど残念ながらキャンセル。

金曜、土曜と寝て過ごす。かなりよくなったが、今度のカゼはちょっとひどかった。

9月1日(日)、新幹線で広島へ。広島大学新診療棟のお披露目の祝賀会で記念講演。久しぶりの医学関係の多くの方々にお会いした。日がえり。

9月2日(月)、湘南国際村へ。「国連大学グローバルセミナー」主催の3日間のプログラム。David Malone 学長、そして資生堂名誉会長の福原義春さんに久しぶりにお会いした。そして私が「基調講演1: Global Agenda of Post-Fukushima」。ほとんどが大学生、大学院生で、女性が70%ぐらいか?いいね。留学生、学国人教員も多く、雰囲気はいい。楽しく話をすることができました。質問もいろいろ。もちろん全部英語。

この「オープンな雰囲気」とはどう定義できるのかわからないけど、いいですね。私は好きですよ、堅苦しくなくて、意見の交換も盛んで。

私の後の基調講演はUNDP日本代表の弓削昭子さん。歯切れがいい。質疑にもバンバン答える。

私はレセプションに参加した後、帰宅の途へ。皆さんは合宿らしい。

やっと、1週間が過ぎて、1週間が始まった感じ。ゆっくり休んだ感じでした。