ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐2

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8月26日の午前には、ナイロビのヒルトン・ホテルで、私が委員長を務めているHideyo Noguchi Africa Prizeカンファレンスを開催しました。

これには第1回(2003年)と第2回(2008年)の受賞者4名のうち、3名の方が参加してくれました。現地の準備は第1回の受賞者の一人で、ここナイロビで活動しているウェレ(Miriam Were)博士にお願いし、WHO‐AFROの協力を得て開催しました。特にノグチ・アフリカ賞の性格から、アフリカで公衆衛生の分野で活躍している若い人たちをお招きするようにお願いしました。

このノグチ・アフリカ賞の特徴としてアフリカの保健・公衆衛生分野での活躍、貢献があり、受賞者にはケニアのウェレ(Were)博士、ウガンダのコルチイーオ(Coutinho)博士がいらっしゃいます。このお二人は、この分野で活動しているアフリカの若い人たちにとっては、憧れでもあり、また目標となる素晴らしいロールモデルであると考えたからです。もう一人の受賞者Peter Piot博士が参加できなかったことは、以下の私の挨拶にでてきます。

会場は100人ほどで、満員、立ち見の方も多く、熱気にあふれています。私の挨拶、ケニアの保健大臣(代理)、塩崎厚生労働大臣の挨拶、WHO-AFRO代表(代理)の挨拶のあと、今回作成したノグチ・アフリカ賞のビデオ(約6分間のビデオ。英語版で、フランス語の同時通訳付き、日本語の字幕版でした)を上映しました。その後に、ウェレ博士の基調講演、ウェレ博士が主宰するUZIMA財団関係の若者たちのカラテ演武と続きました。

短いブレークのあと、2つのパネル。司会は受賞者のグリーンウッド博士とコルチイーオ博士ですが、お二人の人柄ですね、とても「熱い議論」が続きました。

朝8時半から1時間にわたって、このお二方と議論をした20人ほどのアフリカの若手の方たち、その代表の二人が、この2つのパネルの議論を最後にまとめて、パネルを終わりました。これはとても素晴らしいものでした。みなさんとても優秀です。

終わりには、日本・アフリカ議員連盟会長の逢沢一郎議員にもご挨拶いただきました。

受賞者たちのいつまでも全く変わらない、たぎるような情熱が、特に素晴らしかったですね。これが一番大事なのだな、改めて感じました。

この後は、次の「ナイロビ、TICAD6に参加 -3」に続きます。

東大で認知症の会議、夜はナイロビへ向かう

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8月23日、午後から東大の伊藤記念講堂へ。早期認知症の画像診断と4年間ほどにわたって追跡する米国の「A4」臨床研究に、日本も参加するという、東大医学部の岩坪教授による「お披露目」の会です。

私は始まりの基調講演の担当で、私が世界認知症会議(World Dementia Council)(1)のメンバーであることからです。伊藤謝恩ホールは200人を超える参加者で、多くの関係される方たちの興味を引いているようでした。

私は、WDCの由来と経過について説明し、EUのEPADや米国のGAPのような「政産官」の、しかも世界に広がるマインドで行動するような「プラットフォーム」を日本でも形成することの大事さを、強く主張しました。こんなことが実現するとうれしいのですが、どうなるでしょう。

このようなプラットフォームは大事で、しかも喫緊に必要なことなのですが、日本では大きなチャレンジでもあり、楽しみでもあります。

後日、これに参加していた英国大使館の方から、英国が2013年のG8サミットで始めたこのWDC世界認知症審議会をわかりやすく紹介してくれたと言って、お礼のメールをいただきました。

トロント・スター、日本の認知症対策の取材

ちょうど一年前のことですが、トロント・スターのジェニファー・ヤンさんによる認知症の取材がありました。

その後も、ヤンさんとはトロントで何かの機会に再度お会いしたのですが、「あの取材の記事はどうなった?」と聞いたのですが、「まだなんです。」という答えでした。

最近、その記事に気が付いたのでご紹介します。二部構成です。日本と認知症について広範にわたって取材されていることがわかります。

一つは、“Japan: Dementia lessons from the world’s oldest country. Dementia rising globally but the first waves crashed over Japan, How is the world’s first super-aged country coping?” 。

もいう一つは、“How Japan is training an entire country to help with dementia: Japan can’t change dementia. So Japan is changing Japan”

朝日新聞の山本さん、患者さん団体の高見さん、長寿センターの鳥羽さんとか、いろんな方が取材を受けています。

両方とも英語ですが、ちょっと我慢して読んでいただければと思います。写真もいろいろですが、なかなかしゃれたタイトルです。

この一週間後に、トロント・スターではカナダの対応についての論説記事(Editorial)を出しています。

トロントへ再び

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今年になって、トロントはすでに3回目です。今回は2013年の英国G8サミットで合意されたWorld Dementia Councilを継承した新たなに組織の会合です。

このWDCの前の数日にわたって、世界認知症学会がトロントで開催されていたので、この日程になったのです。

到着後ホテルにチェックインしてから、ご当地のToronto Blue JaysとSan Diego PadresのMLBゲームがあるので観戦に行きました。ほぼ満員の球場で、外野のかなり上の、急峻な場所の席しかありませんでした。私は7回の表で球場を後にしましたが、翌日の新聞を見ると、なんと12回までの延長戦、しかも12回表の2点差を”劇的な経過”で3点を取って勝ったサヨナラゲーム。みなさん大興奮だったと想像できます。

このゲーム経過などについては以下の記事とビデオをご覧ください。

さて、新しいWDCの会合ですが、いくつかのアジェンダについての小委員会の提案発表、それらのまとめ、そして次へのプロセスなど1)について議論しました。

今までは「英国政府の委員会」という立場でした。しかし今回からは独立している立場になったのですが、それをどのように広く関係各所に認識してもらうのか、という戦略的視点が不足しているように思いました。その点についてはいくつかコメントしました。これは考える以上に大変な課題であり、これからの活動に大事な基本的認識と思います。

高齢化社会先進国の日本はどのようにこの世界的課題である「認知症」に対応していくのでしょうか。5月の伊勢志摩でのG7サミット宣言の「2. 2. 5」で「認知症」も取り上げられています。9月の神戸でのG7厚生大臣サミットでも、この確認が必要です。何しろ認知症は「確実に予測される津波」なのですから。

Gairdner財団のJohn DirksGrand Challenge Canadaを率いるPeter Singer他の方たちにもお会いし、また中山総領事とは公邸で歓談の時間をいただきました。

特に今回は、2009年から始まったGairdner賞に創設されたGlobal Health賞(ノーベル賞の大村先生も2014年に受賞しています)に、今年で引退するDirks氏の名前が付けられることになった、個人的なお祝いの意味もあったのです。→English

東大の医学教育「改革」はどこへ?イヌイ教授の思い

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世界の動きに比べると、日本の高等教育の「改革」は、医学教育を含めてなかなか進まないように感じられます。

1980年ごろから、生命科学の革命的な変化を受けて、欧米ではいくつもの大学で医学教育の大きな改革が進み始めました。 McMaster大学の教育、さらにはHarvard大学のNew Pathwayなどがその例です。

日本の大学では、そのような実情はあまり理解されないようでしたが、いろいろな「改革」の名前で制度の変革が国の制度として行われました。1990年代に入ると大学院大学の導入、大学大綱の「改革」などが、さらに独立法人化への動きがありましたが、今になって高等教育の流れの何かが、本質的に変わってきたのでしょうか?

私は、1983~1996年には東京大学に在籍していたので、いろいろ提案などを試みたのですが、「総論賛成、各論反対」はいつものことでした。医療をかこむ社会の環境も様変わり始めていました。1996年に行った最終講義、また内科学会の講演でも述べた「5つのM」で表わされる社会の変化です。

その試みの一つに、Harvard大学との交渉でNew Pathwayを実際に学生さんたちに体験させるというプログラムがあります。私が東大から東海大学へ移る一年前、1995年に始めたのです。資金は自分で3年分を集めました。日本の学生さん8名、Harvard大学医学部からは学生6名と教員2名が、春の終わりごろ、1週間ほど東大に来るのです。東大の学生は、秋にHarvard大学を1週間訪問します。

当時の記録や報告を見ると、双方の学生さんたち、特に東大の学生さんたちにインパクトのある良い体験であったことがわかります。

2年目の1996年に参加したHarvardの先生がトマス・イヌイさんでした。イヌイさんは日系3世で、米国での医学教育の先駆者の一人でもあります。

その後、東大でも医学教育改革という名目の動きはあり、その一つとしてイヌイさんが3ヵ月招かれて、真剣に視察、懇談などを繰り返した上で、改革に対するがっちりとした内容の濃い提案書を提出しました。15年前のことです。

その後の経過を見ていると、その提案が生かされ、実行されているようでもないのです。そこでこの6月、イヌイさんが米国内科学会の日本支部会に参加された機会に東大にお招きし、「15年後の東大の医学教育」について、イヌイさんの講演とパネルが開催されました。私もパネルにお招きをうけました。(当日の報告はこちら

予想どおりというか、参加の人は少なくて25人ほど。現役教授では、ともにHarvard大学のSchool of Public HealthでPh.D.を取得されている(これは結構大変なのです…)公衆衛生分野の橋本・渋谷の両教授だけのようでした。

イヌイさんの講演のタイトルは「Curriculum Stagnation at Todai School of Medicine – A Sober Analysis」、日本語では「東大医学部教育の停滞 – 思い込みのない冷静な現状の評価」です。

学部長をはじめとした協力を得て、あれだけ力を注いだ提言がほとんど生かされて、実行されてるわけでもないこと、そして世界はどんどん変わるっているのだよ、という暖かい、しかも心からの懸念の講演でした。

日本の高等教育機関の現状については、変わる世界の大学、そして台頭する多くのアジアの大学のありようを見るとき、私もその懸念を共有するのです。

京都、米国内科学会日本支部の年次会へ再び

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例年のことですが、今年も米国内科学会日本支部の年次総会12)に参加しました。

今年も、盛りだくさんの活気にあふれた企画1)でした。米国内科学会会長も毎年参加されますが、今年もDr Weyne Rileyが参加、私との司会のセッションでは、意気投合して、学生さんや研修医のプレゼン、表彰など、一緒に楽しみました。

今年は、聖マリアンナ大学の柴垣さんをリーダーとした若い人たちが、企画からいろいろな活動に参加してくれたので、とても活気がありました。

旧友のイヌイさんも参加してくれました。この後、東大の医学教育センターでの講演会があるのです。それにも私は参加の予定です。

彼は、私が東海大学に就任する前日の1996年6月30日の夕方に、一緒に東海大学医学部へ行ってくれ、これからの医学教育について熱く語ってくれた人です。

伊勢志摩G7サミット

2008年の福田総理主催による洞爺湖サミット以来ですが、安倍総理主催のG7サミットが伊勢志摩で開催されています。

サミットで配布される資料の一つに、トロント大学 Munk SchoolのG7/G20リサーチグループによる、イラストもきれいに仕上がった約100ページ超の報告書が提出されています。

ここに、私の寄稿も掲載されていますのでご紹介します。
タイトルは“Japan Must Retain its Position As A Health Leader”です。

ノーベル賞の大村先生の写真も出ていますね。

アムステルダムへ、認知症の会議

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天気に恵まれたゴールデンウィークが明けて早々、アムステルダムへ向かいました。

今年はオランダがEUの主催国で、これはオランダの認知症への取り組みを紹介しつつ、広く共有したいという趣旨です。私は、2013年の英国のG8サミットで発足した世界認知症委員会(World Dementia Council- WDC)のメンバ-としてお招きを受けて以来、この活動をしています。このブログでも何度か報告しているところです。

このWDCは、3ヵ月前のロンドンの会議で、英国政府から独立した、よりグローバルな新しい委員会として出発し、私もそのメンバ-として参加したのです。

この新しいWDCの委員長のYves Joanetteさん、副委員長のRaj Longさんたちとも3ヵ月ぶりにお会いし、英国保健省から出向している事務方の活動もあって移行もスムーズのようで、熱心にこの委員会を進めています。

英国では、認知症は世界の大きな問題の一つとして、これをG8サミットで取り上げ、新たに約100億円の予算を計上し、さらに関連団体などからも約100億円が集まっています。EUとの問題、国内政治問題等々抱えながら、その政治と統治、外交など、また大学、科学研究なども、その内蔵されたダイナミズムには、いつも感心させられます。

去年の6月に、ハーグで行われた会議に参加した時以来のオランダ訪問となります。その間にも、オランダの保健省ナンバー2のMartin van Rijnさんが来日された時も、東京のオランダ大使館で行われたセミナーにご一緒しました。

今回の会場はEU会館です。さすがにオランダですね。会場の設定も派手さはないですがプログラム自体はよく考えられていて、司会進行もそつなく進み、内容がとても充実していました。Martin van Rijnさんの講演に始まり、国会議員(Marijke Vosさん。写真の赤いワンピースの方です)の素敵な司会・進行でいくつかのパネルが進みました。なかなか勉強になる2日でした。

日本は5月の伊勢志摩G7サミットのホストですので、そこで認知症がどう取り扱われるのかよく聞かれましたが、どうでしょうか。関係者のいろいろな活動はありますが。

オランダはチューリップの花盛りです。会場のすぐそばにある、海洋国家であった伝統を象徴する海洋博物館を、しばし訪れました。一度は訪れる価値があるところです。

2日目の夕方は、蘭日貿易連盟の方たちが夕食に誘ってくださいました。この事務局長さん、そして参加したゲストの女医さんのそれぞれと、とんでもない昔の共通の友人、そして出会いがあったことがわかり、とても楽しいひと時を過ごしました。

2泊3日の滞在後、帰りのスキポール空港で、クジラと複数の人たちの感動的な写真が、何かのコンテストの一等賞ということで掲載されていたのでちょっと一枚、お見せします。

ここからオスロへと向かいました。

グローバルヘルス関係会議の一週間

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4月に入ると、5月のG7サミットもあって、そのアジェンダ関係の会議や動きが活発です。G7(はじめはG6)サミットが始まったのは1975年で、1979年の日本がホスト国の時に初めて「Health」というキーワードが提示されたのです

その後も、日本は2000年の沖縄サミットで「グローバルファンド」のコンセプトを提案し、2008年の洞爺湖では「保健政策強化こそが人間の安全保障」を提示した歴史的背景があります。

つまり、グローバル時代になって、昨今、「グローバルヘルス」が世界の大事なアジェンダの「キーワード」になってきていることを、日本は先取りしているような形にもなっているのです。

4月18日(月)にはワシントンのCSISとの共催で、私が主宰しているHGPIがAntimicrobial Resistant(AMR)の問題にフォーカスした会議を開催しました。この詳細は今後CSISのサイトにも出てくることでしょう。この会議はとても内容が濃いもので、議論も的確で、参加者から極めて高い評価を受けたように思います。

19日(火)は英国大使館で、エリザベス女王陛下90歳の誕生日をお祝いする園遊会。Hitchins大使のいつもながらの素晴らしいスピーチに皆さんが感心していました。G7サミットへのアジェンダや認知症などを担当している一等書記官としばらく意見交換の時間を持ちました。

20日(水)の朝は、英国の某シンクタンクのヘッドと会食。東シナ海の状況など、なかなか聞けない話を聞くことができました。来月のG7サミットでは、英・ドイツなど、国内で大問題を抱えているので、日本のアジェンダセッティングはなかなか難しいという点で、私は意見交換しました。いまやG7国のGDPは、世界全体のGDPの50%を切っていますし、世界のアジェンダでもっと大事なのは、今年のG20ホストの中国の動きでしょう。

21日(木)はGlobal Fundの日本の貢献についての超党派の朝食懇談会。自民党は逢沢一郎議員、民進党は古川元久議員です。駐英大使就任直前の鶴岡さんも出席で、いつものことですが、かなり「厳しい」発言をされました。彼には2008年のG8サミットで大変お世話になりました。

22日(金)は日経の主宰する第3回「アジア感染症会議」1)に参加。これには3年続けて参加していますが、最初は基調講演、そして去年と今年は最後のまとめをする機会をいただきました。さらに、今年はGAVIのCEO、Seth Berkeleyさんとの対談を、FTのAndrew Wardさんの司会でたのしく進めることができました。

GAVIの日本の貢献については、私は国債を使うことも考えることを提案しました。GAVIの資金の約20%が英国、ノルウェイなど9か国の国債になっているのです。

今年は、日本とG7サミット、そしてAMRの最近の話題が出ます。日本企業の素晴らしい技術の紹介がいくつもありました。しかし、これを「グローバルでビジネスを」という視点でみると、まだまだ思考が内向きのように感じます、惜しいことです。

でも、この2日間の会議で私どもの運営しているGHITファンドについて、国内外の方たちがコメントしてくださるのでうれしくなりました。これは、ゲイツ財団を組み込んだ全く新しい「Public – Private – Partnership」ですし、国内外の注目度が上がっているのはうれしいことです。

23日(土)はこの会議の2日目。武見敬三議員の格調高いスピーチ、そしてパネルなど。最後に私のまとめで終わりました。

こんな調子で、この1週間は、G7サミットとグローバルヘルスで過ぎていきました。

ところで、私が去年11月にトロント大学のMunk School of Global Affairsで講演をしましたが、そこには「G8/20」の検証をしているグループがあり、そこから今年のG7サミットへ提出する資料の中に、私のコメントも掲載される予定になっています。

いろいろと忙しい1週間でした。

医療政策サミット2016

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私の主宰する医療政策機構、英語ではHealth and Global Policy Institute(HGPI)恒例のサミットが、2月27日の昼から目黒の雅叙園で開催されました。会場は、この会合以外はほとんどが結婚式という、とても華やかで、しかも晴れやかな日和でした。

HGPIは、2015年度の世界シンクタンクランキングのグロ-バル・ヘルス部門で第6位 (p.92)、国内医療政策では第15位(p.90)と、独立系のとても小さな組織としては大いに健闘しています。スタッフみんなの頑張りのおかげです。

私は、前日、ロンドンから帰ったばかりでしたが、参加者の皆さんと、3つのパネルに登壇された方たち、そして素敵な司会による進行で、活気のあふれる午後のひと時となりました。

第1部は「医療の持続可能性」のテーマで、財務省主計官の宇波弘貴さん、厚生労働省政策統括官の武田俊彦さん、テレビでもおなじみのモルガン・スタンレーMUFGのロバート・フェルドマンさん、司会はHGPIの小山田万里子さんです。

厳しい財政、高齢社会に対して、日本の誇る公的医療制度は持続可能なのかについてのバトルでした。遠慮のない、オープンな議論が出来て、いい出だしです。

第2部は「グローバルヘルス、G7サミットとその後」がテーマ。東大の論客、国際派の渋谷健司さん、厚生労働省審議官、これも国際派の鈴木康裕さん、JICAの米山芳春さん、そして司会はHGPIのアン・スミスさん。

日本の今までのグロ-バル・ヘルスでの大きな貢献、今年5月に開催されるG7サミットのアジェンダ、これからのPPP(Public-Private-Partnership)では、例えばGHITファンドなど、日本を超えた連携の展開などの可能性と、広い分野での議論でした。

日本のG8、G7サミットでのグローバル・ヘルスに対する貢献は特に顕著であり、これをどう展開していくかが問われます。なにしろ、貧困と保健・疾病の問題は、今の不安的な世界の様相の底流に流れている大きな原因の一つですから。

第3部は「医療の未来」がテーマでした。最近、武田薬品に移った出雲正剛さん、PMDA安全管理官の俵木登美子さん、行動する武藤真祐さんという異色の組み合わせ。司会はHGPIの乗竹亮治くん。

出雲さんも、武藤さんも、日本の医師としてはかなり異色のキャリアですから、話もなかなか面白いし、グローバルな行動派ですので話も迫力があります。俵木さんは生え抜きの厚生労働省音キャリア技官で、はっきりしたメッセージです。

グローバルな活動の場から見えるコメントが多く、じわじわと「日本開国を」、といった大きな盛り上がりのような感じになりました。

応援していただいている多くの会員のメンバー、お客様などで、とても充実した時間を共有できたように感じられた一日でした。

いつもHGPIを支援してくださっているみなさんに心からの感謝です。

そしてHGPIのチームのみなさん、OB/OGの皆さん、インターン・学生さんたち、ご苦労様でした。

いずれ、HGPIのホームページにも、このサミットの報告が出ることでしょう。楽しみにしています。