ガーナから-3

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10日は、まずAccra郊外にあるAchimota病院 (写真)へ。ここは英国植民地時代1927年設立、Ghanaの超名門Achimota学校の広い敷地内にあります。この学校の校章にあるように高い理想と、この時代に英国人もアフリカ人も一緒、男女共学という革新的な思想でできていて、多くの人材を輩出しています。病院もこの学校付属の診療所だったそうです。独立後の3人のガーナ大統領を含めて多くのアフリカのリーダーを育てています。どの時代でも大きく将来を見据えた人材育成こそがいつの時代でも、最も重要であることを思い起こさせます。

ところで、やはり英国ですね。この敷地内にGolf Courseを作ります。名門Achimota Golf Clubです。英米の名門校にもよく見られます。

院長先生をはじめ(医師は4人とか)、多くの看護師さんが活躍。Computerは診療所全体で1つとか。手術などは市内の大きな病院に移送するとか。毎日、妊婦さんが200人ほど受診するとか。訪問したときに1人赤ちゃんが生まれました。Dr Greenwood, Wereさんもご一緒しましたが、Wereさんは大もてです。Africaのヒロインですから。

そこから日本が設立した「Noguchi Memorial Institute for Medical Research」(このサイトのトップに私たちの訪問の写真が出ています)。これは近郊のLegonにある広大なUniversity of Ghana (資料) のなかにあります。東京大学、医科歯科大学から先生がHIV/AIDS、H1N1などの研究にも参加しています。頼もしい限りです。研究所の見学、討論などとても活発で、楽しかったです。

昼食時に空を見上げると、なんと頭の真上にある太陽の周りを丸く囲んだ「虹 Circle Rainbow;
暈(かさ)Halo」(写真)が出ていました。

ここに別れを告げて、次は82年前に野口英世が研究していた研究室へ。皇太子殿下も訪問されたばかりです。University of Ghanaキャンパスとは別にAccra市内にある大学病院敷地の一部にあります。1993年にここをご訪問された高円宮殿下、妃殿下のご記帳があります。今から80年前は、ここはどんなところだったでしょうね。でも、野口博士からNew York Cityの野口夫人への電報も展示されています。これが現在でも「鎖国の日本」の例として私が指摘している「Western Union」 です。もちろん今回の旅でもGhana、Botswanaでも町の中で「Western Union」を見かけます。日本ほか世界の4カ国にだけにこのサービスがないのです。実に異常です。

夕方に片上大使にお招きを受け、大使館で夕食をいただきました。大使館の庭も広くとても素敵でした。この日はそれほど暑くなく、快適でした。食後酒にはご当地の名物「Takai」。Tia Mariaのような味、おいしいので、つい飲み過ぎそう。

ところで、Ghanaはココア生産で有名、主要産業です。最近Off Shoreに石油も見つかりました、日本で有名なチョコレート「Ghana」ですが、ご当地のチョコレートはこの暑さでも溶けないということです。私たちの味覚には合わないそうですが。

夜に飛行場へ、London経由で故国の途に。2晩が機内泊で2月23日に出発した18日の旅を終えます。