「医学生のお勉強」 Chapter1:安楽死(2)

死を待つ患者さん達にとって、医師は何ができるのか
どのような役割が期待されているのでしょうか
セッションのオリジナルタイトル/The End of Life and Euthanasia

 

■「死」も「告知」も、医者が決めることではない

黒川:
日本はうまくいかないことがあると必ずカタカナを使う(笑)。これはカタカナが導入されて非常にマイナスな面じゃないかと、僕はちょっと思っているんだけど。例えばインフォームドコンセント。これは本来英語だったんだけど、カタカナになった途端に日本のカルチャーのインフォームドコンセントになっちゃったんだよ。
で、今日は告知の話もしようかなって思っているんだけど、がんの告知。アメリカでも1970年代まではあまり告知しなかったんです。だけどだんだんするようになってきた。医事新報にも報告したけど、「あなたが比較的初期のがんだったら、告知してもらいたいですか?」って、4500人にアンケートを出したんだけど、みんな自分だったら「してほしい」って言うけど、家族ががんだったら「言わないでくれ」って、すごく差がある。2、3日前の朝日新聞の延命治療のところでも、患者さんが思っていることと、患者さんの家族が思っていることって、すごいズレがある。その差があるってことは比較的日本に特徴的な現象。それはどうしてか?
例えば、これからみんなが診る患者さんは50歳の男性。膵臓がんせ余命半年。その患者さんは「がんの告知をしてほしいと普段から言っていました」ということを、家族が言うわけ。でも、まだがんのことは家族には言っていない。話をしている中からなんとなく家族が感じてそう言うわけ。

――:
なぜ家族が、本人の目の前で告知を望むかということですか?

黒川:
いえいえ、今あなたがそういう患者さんを診るとするわけ。50歳の男の人で膵臓がんでもう治せない。それであなたは「あと半年かな」って知っているんだ。

――:
働いたことがないんでまだわかりませんが、基本的には告知をするべきだという考えです。なぜかというと、膵臓がんで亡くなることであれば余命が短いと思うんですけど。

黒川:
だから6ヵ月ですと。じゃあ、どうする?

――:
それであっても、6ヵ月で亡くなるということを含めてその方の人生というか、選択して生きていくことが権利だと思うんで、告知すべきだと思います。

黒川:
あなたは主治医だから家族と話をしているわけ。まだ家族にも真実を言っていないんだけど、お互いに手探りでやっている。そのうちなんか告知とかそういう話になって・・・なんとなく雰囲気を感じて、その患者さんの奥さんが、「告知することに対してすごく賛成しているんです。うちの主人」って。

――:
うちの主治医が賛成している?

黒川:
主人(笑)。

――:
私の事だと思った・・・。

黒川:
その患者さんがどう思っているかどうかなんてわからないから、なんとなく告知に関する方向に話をもっていって、でも会社の人もお見舞いに来たりしているからまだ家族にも告知とか何もしていないとき・・・どうする?

――:
なぜ、私まだ告知をしていないのかしら?

黒川:
あなたが主治医なんだから(笑)。

――:
すぐというのは変ですが、私はわかったらすぐにすると思うんですけど。

黒川:
家族になんとなく言ったら、「いやあ、うちの主人はもう絶対そんなことは反対だって言っていました。がんだったら絶対自分には言わないで、と言っていましたよ」って言われたらどうする?そういうときは、「奥さんはどう考えていますか?」とか言ったりする?

――:
家族より先にご本人と直接話をしたいです。どんな方なのか情報を得るために。もちろん診察の場でお会いしますけど。

黒川:
どんな?

――:
どんな方で、どんなふうに考えられているかとか・・・。

黒川:
「なんで突然そんなことを聞き出したのか」って、言われるよ。

――:
「告知についてどう思いますか?」とか・・・もうちょっと足を運びます。

黒川:
なんでもいいんだけど、そういうシチュエーションで進めようか。

――:
今の話ですが、例えばその患者さんの病気が死にかかわっていようといまいと、家族は生活を一緒にしているということで、患者さんと死の話を真面目にすることっていうのはなかなかできないと思います。それは看護婦さんでも無理だと思います。実際に、本当の死のことについて話ができるのは医者だけだと思うんです。患者さんに対して・・・。

――:
今、死の話は家族ではなかなかできないという話がありましたが、私自身は家族とはそういう話ができるんですね。私の母は、「あんまり延命治療とかしてほしくない」と言ってるんですよ。まだ別に死ぬわけじゃないですけど、日頃から言っておくことで自分の方針を決めているんだろうな、と思うんですね。

司会:
死について語る語れないという話が、今2人から言われていますが、言っている意味合いが違うと思うんです。
彼が言っているのは、死について確定判断できるのは患者の家族ができるわけない。だって知識がないから。それをできるのはよかれ悪かれ、専門的知識をもって治療に専念している医師しかいないという、いってみれば当然の大前提を言っている。
で、こちらの方は、死について、一般論としてしばしば家族と話をすることがあります、ということで、これはごく当たり前だと思う。
まず、死という定義が最初からずれていたと思うので、今のような食い違いがでたんだと思います。私はこの言葉を使うときに、大雑把な定義でいいと思うんですが、ちょっと定義をプールできないと、おそらく話が平行線になってしまう可能性があると思うんで、そこらへんを多少意識できればいいかなと思います。

――:
告知にちょっと戻るんですけど、私が思うのは、やっぱり個人個人全然考えが違うし、それを医者が「こうだ」と思って接触することはすごく難しいと思うんですね。家族には知られていないけど、患者さん自身はやっぱり告知してほしい、あるいはしてほしくないという両方の意見がすごくあると思うんですけど。
私がいつも思っていたのは、病院に初診でかかるときに「告知してほしい」とか、「何かあったときにはそういうふうにしてほしい」というようなアンケートがあったら、医者としては本当に楽でいいなあと思うんですが。

黒川:
一つそれに関係することで「アドバンスディレクティブ」というのがあるんだよ。リビングウィルとかのほかに、そういうのがある。入院したときに、自分の意思を書いておいてもらう。でも、普段言っていることと自分が実際にその状況になったときっていうのはけっこう反応が違う。
アドバンスディレクティブ。またカタカナでしょ?そうすると「こういうのがでています」とか偉そうなことを言って書く人がいるんだ。インフォームドコンセントとかセカンドオピニオンとか、みんなカタカナでしょ。普通はカタカナっていうのは今まで日本にないから入ってくるんだから。そうするとそのときちょっとかじった人は「これは・・・」なんて知ったかぶりで言うことも多いけど。アドバンスディレクティブとかでてくるのはたいていアメリカだからさ、そういうことがでてくる社会的背景っていうのがあるわけ。それをよく理解している人は少ない。
どう?何もしゃべらない人。この部屋からでられないんだから、しゃべらないと。

――:
今のことなんですけど、人間の気持ちっていうのはとっても微妙なものだと思うんです。さっき、「6ヵ月の命です、と告知する」っておっしゃったんですが、私は、医者が告知に対して、私は告知する派だ、私はしない派だというのではなくて、たぶん告知されるかどうかを選ぶのは患者さんなんだし、もし患者さんが希望したとしても、医者は安楽死というような方向ではなくて、たぶん治していく方向に持っていく医療が、現在の日本の医者の姿だから。
だから仕事として医者が命令して自分の価値観を押し付けるのではなくて、患者さんも一人間、医者も一人間で、医者は患者さんが生きるために一緒に頑張っていくパートナーであって、自分の意思をその人の生き方に当てはめるのは、ちょと間違い。間違いっていうのはちょっと変かな?

――:
その患者さんが、例えば「先生、お願いします。お任せしますっていう人いるじゃない。意思を持たないというのも一つの文化じゃない?

黒川:
そういう人もいる。「もしそうなったら先生と家族にお任せします」というのは日本の文化でもあるんです。家族がなんとなく決めていくっていうのは。

――:
先生、東海大学で「告知する、しない」というのは、一人ひとりの医者にゆだねられているんですか?

黒川:
それはグッドクエスチョンだね。

――:
病院としては原則として、告知をする、しないについて何か話合われたりしているんですか?

――:
初診で来て外来で検査をして、もしそこでわかったとしても、その次の診察で会うのは1ヵ月後ってきまっちゃってるときは、何回も足を運んでインタビューするとかできる機会がないじゃないですか。

黒川:
そうすると、入院で診断が決まった人と、外来で診断が決まった人っていうのはかなり違うね。それはすごく大事なポイントだよ。入院していれば朝昼夕と行って、話しをする機会があるかもしれないけど、外来では10分とか・・・。

――:
さっき彼女も言っていたんですが、医者の価値観を押しつけるのは良くないというのは、私も本当にそう思うんです。だから彼女とも話しをしていたんですが、例えば患者さんと話をしていて、その患者さんの考えをはっきり聞くことができるような状況であればいいんだけど、そういうことはあまりないわけで。それをなんとなくかどうかわからないけど、判断するのは医者の考え方ですよね。
今の状況で私が思うのは、告知する、しないというのを、医師1人あるいは数人の医師の資質にゆだねるというのは変だけど、でもやっぱり決めるのは・・・。基本原則みたいなものはやっぱり決まっているのでしょうか?

――:
基本的にすべきとかいうこと?

――:
そう。

――:
決定は無理でも、話し合うようになると思う。診察の方法とかでもそうなのかもしれないけど、今はまだ一人ひとりの医者の人格にゆだねるというか。この人は良いお医者さん、この人は悪いお医者さんというように、あまりにも対応が違いすぎるから、ケースバイケースではなくても、もってシステマティックに何か、こういうふうにしようという方向性を・・・。

――:
でもシステマティックにはできないじゃない。

――:
決めなくてもいいけど・・・。決めるべく、もっと話をすべきではないかと思うけど。

――:
問題は、するか、しないかより、「した後どうなるか」ってことじゃないかと、私は思うけど。

――:
基本的にするべきだとか、するべきじゃないとか決めることは楽だよね。あるいはアンケートでも「言ってください」って書いてあったら、その後の本人の意見を確認しないで、「あなたはがんです」って。医者になった場合、これはすごく楽なんだけど。
医者の仕事ってなんだろうかって。本当に人生の終わりに近づいている人ばかりではなくて、例えば「風邪ひきました」っていうそれだけでも、その人が楽しく生活できるような状態に戻してあげる。あるいは戻せない場合にはその人が何を望んであと少し生きたいのかな?って考えて、それを汲み取ってあげることが医者の仕事であり、能力であって。だから、システムを考えるのはちょっと違うように思えるけど。

 

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■仲間たちの横顔 FILE No.2

Profile
私は地元の大学を卒業後、四年間、医療や福祉に携わる仕事をしてきました。思うところがあり医師を目指し、昨年4月に東海大学医学部の3年生に編入しました。

Message
一回3時間という長い時間をかけて、いつも一緒に勉強しているみんなと様々なテーマについて話し合えたのは楽しかったです。同じ大学、そして同じ医師という職業を目指すメンバーで構成された討論会でしたが、考え方は色々で、普段見えない人となりもみることが出来たりして・・・それが一番の収穫かもしれません。それにしても、文章になった自分の発言を読んでみると、あまりの拙さにびっくりしました。自分の考え、気持ちを上手に伝える・・・そんな能力もこれから本当に必要になってきます。今からでも、身につけていけるように意識してやっていこう、と思っています。

 

Exposition:

  • 告知
    癌告知に関して、現在は「告げるか、告げないか」という議論をする段階ではもはやなく「いかに事実を伝え、その後どのように患者に対応し援助していくか」という告知の質を考えていく時期にきているといえる。しかし、「事実をありのままに話す」という名目のもとに、「ただ機械的に病名を告げる」ことへの批判も一方で高まってきている。
  • インフォームドコンセント
    「十分に知らされた上での同意」。欧米では、患者が医師から医療内容を詳しく知らされ、納得した上で治療を進めることが必要とされている。日本でも1990年より注目され始めた。具体的には、病気の内容、どんな治療法があるか、治る確率やその治療の問題点、危険性などを患者が理解できる言葉で知らせる。
  • アドバンスディレクティブ
    最近の欧米でみられる医療のための持続的委任権法(リビングウィルの実施を実際に見届けてくれる人を前もって決めて委任しておく権利を認める法)のこと。例えばドナーカドなどをリビングウィルと区別して「アドバンスディレクティブ」(前もってしておく指示)と法的に称している。日本では法制化されていない。
  • リビングウィル
    知的精神的判断能力がある間に前もって自分の医療に対する文書を残しておき無用な延命治療を拒否する意思のこと。リビングウィルを法制化した「自然史法」はアメリカのカリフォルニア州で1977年に成立されている。寿命が来たら自分らしい死をむかえたいと望む人々が世界的にも増えてきているあらわれの一つともいえる。
  • セカンドオピニオン
    患者が医師の診断や治療に納得いかない点や不安が残る場合、患者が求めた別の医療機関・医師による、いわば第2の意見。

 

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