最近のうれしい便り

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ウェブの時代には思いがけないことがあるものです。このブログへ時々メールが舞い込んでくるのですが、今度は米国海軍の軍人 John Zimmerman、Program Manager Submarine Combat and Weapons Control からです。福島原発事故の「国会事故調」の報告書について、とても感動し、彼のLinkedInにも書いたので、見てくださいというものでした。

以下が、彼のメッセージです。私もお礼の返事を書き込みました。

The Most Honorable Act
May 17, 2015

On 11 March 2011 a magnitude 9.0 earthquake occurred off the eastern coast of Japan. The resulting tsunami killed over 15,000 people and destroyed over 400,000 homes and buildings. Fifty minutes after the earthquake struck a tsunami measuring over 40 feet high overflowed the seawall at the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant. While the plant’s nuclear reactors had already been shutdown in response to the earthquake, the flooding resulted in a loss of power to pumps that were needed to cool the nuclear power plants’ reactors. In the days to come reactor core damage and hydrogen explosions would cause substantial radioactivity to be released to the environment.

In response to the disaster Japan’s government set up an independent commission to investigate what had occurred. The report can be found on the internet – Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Commission.

If the commission wanted to find excuses for this tragedy it would not have been difficult to do given the natural disaster that had occurred. Yet it is clear to me that this commission wasn’t looking for excuses. It was looking for the truth. What struck me very hard in the beginning of the report was Kiyoshi Kurokawa’s ‘Message from the Chairman’.

“What must be admitted – very painfully – is that this was a disaster “Made in Japan.” Its fundamental causes are to be found in the ingrained conventions of Japanese culture: our reflexive obedience; our reluctance to question authority; our devotion to ‘sticking with the program’; our groupism; and our insularity.”…

“The consequences of negligence at Fukushima stand out as catastrophic, but the mindset that supported it can be found across Japan. In recognizing that fact, each of us should reflect on our responsibility as individuals in a democratic society.” …

With all of Japan and the world watching the commission’s main message was – this horrible tragedy was of our own making.

How often do you confront issues that you don’t address because you are worried about what might occur, people or organizations that could be embarrassed, retribution that might occur? Today we seek leaders and organizations we can trust. Honor, Courage, and Commitment are our Navy’s core values. We want people who have the courage to confront real problems and ‘tell it like it is’. Only through courage and commitment can the most challenging issues be addressed.

Some may have thought the commission’s report brought dishonor on Japan. To me Chairman Kurokawa’s Message and the report’s honesty, integrity, and transparency was – The Most Honorable Act, befitting the very best traditions of a great country and people.

“Having chosen our course, without guile and with pure purpose, let us renew our trust in God, and go forward without fear and with manly hearts”  Abraham Lincoln

医学会総会、認知症、「5つのM」、そしてWHS

4月の中頃、桜がほぼ終わりになるころ、京都で4年に一回開催される医学会総会がありました。私も一時間ほどの講演を二つ、パネルに一つ参加しました。

ひとつは「認知症」、約700~800人ほどの方がこられたようです。もちろん、私はこの分野の専門ではありませんし、専門家ばかりの学会の集まりでもないので、G8の世界認知症諮問委員の意義、実際の活動、日本の評価、これからの課題などを中心にお話しました。ビデオを入れたり、世界の変化を入れたり。聞いた話ですが、なかなかよかったという評価だったということでした。

もうひとつは、医学と社会の変化のあり方などです。19年前、1996年に私が東大での最終講義でのメッセージのひとつ、「5つのM」について触れました。この「5つのM」については当時の内科学会でも講演をしています。

「マーケット(市場)」、「マネジメント」、「モレキュラーバイオロジー(当時ヒトゲノムが2000年に解析されるとは思われていなかった)」、「マイクロチップ・メディア(つまりはどんどん広がるインターネット、2000年問題、当時はまだ電話回線、IT基本法が施行されたのは2001年、今ではモバイル、すっかり様変わりしている)、そして「モラル」、これらは、今でも大きな課題ですね。

さらに日本では、大学などの研究でさえも基本的には“家元制”だ、などといった話をしました。このことは、100年前にすでに指摘されているのです。

大学人には(研究でも同様ですが)将来の世代を、自分の手足ではなく、世界で活躍できる人間力の形成に尽くしてほしいのです。

続いて、13、14日にはWorld Health Summit(WHS)が同じ会場で開催され、京都大学の福原教授の努力と多くの方の支援も得て、すばらしいプログラムになりました。

私も、この二年間、世界でも全く新しいモデルでグローバルヘルスの資金支援をしているGHITの紹介を兼ねた「グローバルヘルス」のパネルへの参加など、いろいろでした。このGHITは、日本の製薬企業が出資、それにマッチしてゲイツ財団が資金を提供し、両方の合計に日本政府がマッチした資金を提供するものです。20ほどのあまり支援されてこなかった途上国で問題になっている感染症対策として、世界でもユニークなメカニズムです。理事会の構成も日本人はマイノリティで運営しており、思考も、運営も 典型的な日本的でない、“グローバルなマインド”の組織です。世界でも注目され始めています。

ところで、この医学会総会は、いつまで続けようというのでしょうか。

講演スケジュール – 2015年6月

特別講演「不確実な世界、腎臓学の課題と未来:私たちの選択」
日時: 2015年6月7日(日)13:45-14:30
場所: 名古屋国際会議場 4号館1階 白鳥ホール(北)
【お申し込み】事前参加登録は行いません。当日会場での受付のみとなります。
http://jsn58.umin.jp/general_info.html
参加者へのご案内 → http://jsn58.umin.jp/participants.html
第58回 日本腎臓学会学術総会運営事務局
TEL:03-5842-4131 FAX:03-5802-5570

ボストン‐2

今回のボストン滞在中には、米国内科学会、ハーバード大学公衆衛生院訪問の他にも、いくつかの別の機会をもちました。

ひとつは「福島原発事故のその後」といったテーマのビデオ取材です。米国では とても質が良く、しかも番組の途中でコマーシャルを入れないことでも知られている「PBS」1)の取材です。やはり、どこでもこの歴史的大事故への関心は高いのです。今年の一月にも別件でトロントを訪問した際にも同じ趣旨の会合にお招きを受けました。

もうひとつは、MITメディアラボ1)の訪問です。安倍総理も今回のボストン滞在では、ここも訪問されたということです。所長が「Eテレ」の「スーパープレゼンターション」でおなじみになったジョイ伊藤さん123)などの存在があったのでしょう。

ここでは4人の研究者とお会いしました。皆さん、さすがなのですが、経歴も変わっている人も多く、研究もとてもユニークで面白いのです。アートとテクと何でもありの融合というか、一人ひとりが、メジャーから外れているところに価値を持っているところがここの面白さなのです。わたしもここの関係者の一人です。

今回、わたしがお会いしたのはピカードさん(認知症に関して何度かメールで交流していたのですが、とうとう会えた、みたいな具合です)、オックスマンさんとフェローのシャルマさん、ボイデンさん、そして石井さんです。皆さん“とんでもないこと”をしています。

また、船橋洋一さんが「日米関係」についてのカンファを開催していたのですが、突然、「ボストンにいるんだって?レセプションに招待するけど?」と電話をいただき、ハーバードファカルティクラブに。ハーバード大学公衆衛生院訪問から内科学会に戻る途中の20分ほどですが、伺いました。金曜の夕方でしたから道がとても込んでいました。

快晴の土曜の午前は、ボストンのファインアート美術館で、「ホクサイ」コレクション特別展示がありましたので、行ってきました。本当にすばらしい展示でした。また、東北大震災「3.11」の写真展示もあり、これはちょっと変わった表現に注目した、深く考えさせる企画でした。この時間だけが、今回の訪問の本務とは まったく関係のない時間でした。

レッドソックスの試合もあったのですが、観戦する機会はつくれませんでした。残念。

ボストン、特に古いボストン、ケンブリッジの町並みはとても落ち着きます。

ボストン‐1

ゴールデンウィークが始まり、久しぶりにボストンにきました。2年ぶりです。今回はちょうど安倍総理のご一行がここを訪れた直後です。

今年は米国内科学会の100周年ということで、20数人の方が「100周年記念 支部リーダーシップレガシー賞」 を受けることになり、わたしもその一人に選ばれ参加することになりました。2003年にアメリカ大陸外で初めてとなる日本支部(「チャプター)といいます)を設立し、その活動に顕著なものがあるということでした。日本支部の皆さんに心から感謝します。

この日本支部は数年前から日本内科学会から独立し、臨床教育にフォーカスした、とても魅力的で充実したプログラムになっています。今年もこれからのことですが5月30、31日に京都で開催されます。医学生、研修医も、会員でなくても大歓迎です、お友達もさそって、ぜひ参加してください。

今回の米国内科学会の会場はボストンコンベンションセンター で、コンボケーションも、プログラムもとても充実しています。参加の会員は2万人弱のようです。日本支部のレセプションはいつものように多くの方が訪れてくれます。ちょうどボストンに来ている日本の医学部の学生さんたちにも会いました。日本からの参加の会員の方は20人少々でしょうか、日本からの参加の方たちとのディナーの機会も作っていただきました。

この会の合間を縫って、ハーバード大学チャン公衆衛生院に新しくジョンリトル放射能科学研究センターが設立され、私もそのセンターの国際諮問委員の一人に就任しましたので、センター設立の基礎となったジョンリトル教授、センター長のユアン教授と昼食。また、このブログでも10年前ににも紹介している旧知のフリオ フレンク院長12)を訪問しました。彼は任期を待たず、個人的な事情で今年の8月いっぱいで退任します。残念です。

滞在最終日の土曜日の午後には、この大学院にまたもどり、ここで活動している院生、ポスドク、ライシュ教授などタケミプログラム関係者ほか、何人かの日本の方たち20人ほどが集まり、いくつかの研究発表と討論の懇親の会を持ちました。なかなかよかったです。

ボストン訪問の直前のことですが、ライシュさんとは彼がLancetに投稿する「フクシマのこれからTowards Long-term Responses in Fukushima」について意見を求められてやり取りをしていたところでした。これも偶然ですね。

この会に参加してくれた方たちには米国滞在が長く、独立して頑張っておられる方たちも多くなっているようで、頼もしい限りです。わたしの教えた学生さんで、ここで病理の教授になった方も参加してくれました。わたしが最後の締めくくりでしたが、もちろん、これらの若者たちへのエールです。

この公衆衛生院のあたりはハーバード大学医学部と主要ないくつかの関連病院が集まっているところです。80、90年代、わたしが医学部で活動していたころに、トステソン医学部長とそのころの医学教育の大改革のさなかのニューパスウェイの件で何回かお会いしにいったところですし、また国際腎臓学会関係などでも、仲良くしているBarry Brenner1)を何度か尋ねたところでもあります。

夜はひんやりしていましたが、後半は快晴のボストンでした。