2005年 新年あけましておめでとう

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あけましておめでとうございます。去年も結構忙しくて、もっと頻繁にとは思いながら、なかなかブログを更新できませんでした。残念です。

さて、日本学術会議は4月1日から内閣府に移り、10月1日から新体制で出発します。今年は、“annis mirabilis”(意味がわからない人はネットで調べてください)という事で、アインシュタインを記念する「国際物理年」として世界中でいろいろな行事が開催されます。

20世紀を大きく変えた物理の年、1901年に始まった第1回ノーベル物理学賞の受賞者はレントゲンでした。このX線はその後の100年に物理や生物学の分野で大きな貢献をしました。日本も物理の分野で世界的に貢献をされた人たちを数多く輩出しました。ノーベル賞だけでも湯川秀樹、朝永振一郎、江崎玲於奈、小柴昌俊さんがいます。明治に日本の物理を立ち上げたのが、第6代東京帝国大学総長の山川健次郎です。田中館愛橘、永岡半太郎という日本の物理研究を築いたのは山川先生の最初の教え子達です。

2004年は山川先生の生誕150周年でした。山川先生は会津の人で、14歳で白虎隊に入隊(病弱だったため正隊員にはなれず)。鶴ヶ城で生き残り、17歳で黒田清輝の口添えもあって留学の機会を得て、アメリカのイェール大学へ。物理を学び、22歳で帰国。東大の前身である開成学校教員を経て、東京大学教授、そして東大総長となります。科学教育に一生をささげた信念の人。1905年、日露戦争後の戸水事件の責任を取って東大総長を辞任、その後、博多の明治専門学校(現在の九州工科大学)の学長、さらに新設された九州帝国大学総長を兼務。その後東京帝国大学総長、京都帝国大学総長等を勤め、さらに武蔵高等学校校長(2代目ですが、事実上の初代)という、教育者として一生をささげた偉大な方、信念の人、反骨の人です。

こんな人こそが今の日本に必要なのです。星亮一さんの「山川健次郎伝」(平凡社)という本が出版されていますのでぜひ読んでみてください。津田梅子らと岩倉使節団で渡航した大山捨松は、この山川先生の妹で、Vassar Collegeを卒業して帰国。大山大将の後妻、鹿鳴館でも活躍し、津田梅子を支援した人物です。山川先生のお兄さんは会津の家老、維新後は多くの苦難を超えて軍人として、また明治19年には時の文部大臣、森有礼に請われて陸軍大佐からいまの筑波大学となる東京高等師範学校長に就任、多くの人材を育てました。

国際物理年の催しの一つとして、山川健次郎先生の事を若い人たち伝える催しなどを考えて欲しいと思います。

ところで、東京麻布のスイス大使館では1月半ば頃まで、アインシュタインが1922年に日本を訪問した時の写真等の展示が行われているようですよ。