“破格、破天荒のスーパー日本人” 蜂須賀侯爵

3月15日に書いたジェンダー問題に関するブログで津田梅子さんを紹介しましたが、またわくわくさせてくれる人物を紹介します。

昨日のお昼、少しぐずぐずとした天気でしたが、オーストラリア大使館で桜を楽しむパーティーに行きました。ここは、もともと蜂須賀家のお屋敷の一部だったそうです。あの豊臣秀吉で有名な蜂須賀小六の18代目、正氏(まさうじ)(1903~1953)が育ったところです。本家は阿波徳島。明治維新後、祖父は貴族院議長、東京都府知事、父上も貴族院副議長を勤めるほどの超名門家です。

正氏氏は幼い頃より広い庭の生き物、アリ、カエル、鳥が大好きで、好奇心と冒険心にあふれていました。17歳でCambridge大学へ留学し、イギリスに7年間滞在します。そのときに興味を持ったのが、絶滅鳥“Dodo”です。16世紀に渡来した「文明人」、ポルトガル人・オランダ人が食用としており、18世紀には絶滅してしまったアフリカ東海岸のマスカリン島の幻の鳥です。

ネイティブと間違うほどのキングズイングリッシュを使い、アフリカを遠征し、コンゴで野生のゴリラを見た初めての日本人。帰国して多くの学者の英語論文を添削し、当時の東京を、単発の真っ赤な軽飛行機を自分で操縦して飛び回る。勿論、警察に睨まれたりもする、スポーツ万能な人物です。世界に2番目の生物地理学会を日本に設立しますが、日本ではなかなか受け入れられるはずもなく、半分勘当のような扱いを受けて、またアメリカ、そしてイギリスへと向かいます。彼の冒険心は止まる事を知らず、ミンダナオ島に尻尾のある人間(有尾人)がいると聞くと、また遠征し、この島で一番高い2,900メートルのアポ山頂上へ登ります(1929年)。マラリアや訳のわからない感染症への危険も何するものぞ。本当に病気になっても、自分で探検隊を率いて出かける。

なんという冒険心、駆り立てる情熱。破天荒。これがまさに今の日本にかけているのです。今、どこにこんな人がいるでしょうか。何不自由ない身分でありながらリスクをとり、結局、侯爵を剥奪される。世界を駆け巡り、世界中に沢山の友人を作る。UCLAでPh.D.を取得し、戦時中の困難を乗り越えてイギリスで“Dodo”の本を出版。しかし、本が日本に到着する直前に急逝。なんという人生。本当にすばらしいと思います。英語や日本語で多くの学術単行本を出版し、多くの学術成果を残しています。“Hachisuka line”として知られる生物地理区分線や、世界では “Marquis de Hachisuka”としてよく知られている存在で、世界的に著名な方です。

山階鳥類研究所には蜂須賀氏寄贈の、多くの鳥の標本があるそうです。去年、蜂須賀正氏生誕100周年のシンポジウムに出席して挨拶をしましたが、その席で正氏氏の一人娘(といっても私の同年代ですが)の、正子さんにお会いしました。私が「お父さんのワイルドな遺伝子を次の世代へと伝えましたか?」と聞いたところ、「私も父に似てずいぶんワイルドで、結局アメリカにいました。子供はいません」と正子さん。残念です。

蜂須賀正氏曰く、“Take off the narrow-mindedness!!”と。今まさに日本人に必要なのはこれではないでしょうか。

参考:
  日本生物地理学会ホームページ
 ・荒俣宏 著。 『絶滅鳥を愛した探険家』。大東亜科学綺譚。ちくま文庫。1996年。
 ・産経新聞「日本人の足跡を求めて」取材班 編著。
  『日本人の足跡〈3〉世紀を超えた「絆」求めて』産経新聞ニュースサービス。扶桑社。2002年。