UCLA再訪

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5月3日にLondonから東京に帰ると、ゴールデンウィークの後半、ちょっとしたことを幾つかして、8日からLos Angelesに来ました。ここでも何回か紹介しているSt. Gallenへ行けないのがちょっと残念です。

快晴の東京から、これも快晴のロス。空はぬけるような青さです。早速、UCLAのキャンパスへ出かけて、いくつかの面談。夕方には「Issei」という、19世紀の終わり(1983頃)にSan Franciscoを中心にした日系移民の方たちと家族を取材した映画。短期の取材と少ない予算での貴重な記録です。

これらは、去年も報告しましたが、私の旧友Paul Terasakiの貢献によるPaul Terasaki Centerの活動の一部です。

翌日はUCLA Faculty Centerで、朝から「Japanese Diaspora」というテーマのForumに参加しました。いろいろな方のプレゼン、興味深い調査、考察など、学ぶことの多い、いい時間でした。私も最後にコメントしました。要旨はグローバル世界になって、これまでと違って“タレント”、いわゆる“人材”、“human capital”が積極的に国境を越えて自分の価値を生みだそうと、よそへ動く。つまりは、従来の“移民”とは違う「積極的、自発的“移民”」が増える。とすると、その1~3世代の「Diaspora」は国境超えた価値ある「Dots」になる、と。そして、積極的移民たちの「国際結婚」が増える、多様性も増すが、固有の文化の伝承はあっても、数世代後には「祖国」の概念は薄くなっていく可能も多くなる。事実、最近の日本からの“移民”の変化を示すデータも提示されていました。

夜は、ビバリーヒルズのど真ん中にあるセレブなホテル「Montage」でディナー。UCLAのChancellor BlockIrene Hiranoさんも参加です。

翌日はTerasaki Centerの会議。これもMontage Hotelで開催。Dr. Tarasakiも参加しました。

ぬけるような青い空、美しい南カリフォルニア、素敵なUCLAキャンパス。

翌日の朝、出発。成田経由で沖縄へ向かいました。沖縄?

Health Summit、そしてRio de Janeiroへ

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Paris-Bostonから一回りして東京に1週間、いろいろ忙しくしていましたが、22日には医療政策機構HGPI恒例のHealth Summit (1)開催。素晴らしい方たちのパネルと、素晴らしい方たちの参加で盛会のうちに終わりました。いろいろな方たちからお礼と、励ましの言葉をいただきました。2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故からほぼ2年が経って、いくつかの日本の課題をテーマにフォーカスを当てたのが良かったのかもしれませんが、パネルの方たちが素晴らしかったですね。根本 匠復興担当大臣もごあいさつに来られ、また男女共同参画パネルについてはRoos米国大使夫人も参加してくださいました。Health SummitについてはHGPI のウェブサイトを訪ねてください。随時報告を掲載します。

24日の日曜から30時間をかけて真夏のRio de Janeiroへ。Copacabana日本学術会議の要請もあり、この10年ほど、私も深くかかわってきた「InterAcademy Panel」の総会でパネルに参加することになったのです。

今回はDubai経由で、成田―Dubaiが12時間、Dubai空港で2時間、そこからRio de Janeiroまで15時間の行程で、ともにEmirates、快適でした。時々眠り、いくつか映画を見て、疲れない旅でした。

Rioは30~35度の暑さですが、ほとんど会議場の中ですし、何人もの友人たちにも会えてよい時間を過ごせました。大きなテーマは「Grand Challenges and Integrated Innovation: Science for Poverty Eradication and Sustainable Development」です。午後最後のセッションから会場へ。CanadaのPeter Singerがひっぱっています。

翌朝はCopacabanaの海岸を1時間ほど速足で気持ち良く歩き、1日中会議に参加、夜は日本学術会議の大西会長、春日副会長ほか数人で食事のあと空港へ。午前2時過ぎのEmiratesで往路と同じ経路で帰路につきました。

多様に変化していく世界の変わりようから考えると、アカデミーの役割も多様な利害関係者の一つとしての意識がもっと高くなっていかないとちょっと物足りないように思いました。その点で英国のThe Royal Societyの報告書「Science as an Open Enterprize 2012」について、NatureのEditor-in―Chief Philip Campbell(彼もこの報告書の委員の一人です…)も参加した「非公式」セッションはなかなか良かったです。先駆的テーマについての報告書を次々と発表し、いろいろな形で世界へ広げようとするところが英国の科学者(政府も同様ですね、例えば「Stern Report」など…)の意識と行動力のすごいところです。 

ところで、今回の往復各24‐27時間の機内でみた映画で、私がよかったと思ったのは「Chasing Mavericks(米国) 」、「All About My Wife (韓国) 」でした。ビジネスクラスでもスクリーンは大きいし、ラインアップは沢山あるし、「Lincoln」(アカデミー主演男優賞、良かったですね)などはとっくに見ていますから。

しかし、往復とも成田-Dubai間がFirstでないので〝例のシャワー”体験ができなかったのが残念です。

 

台北へ、国内でもいろいろと

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ソウル、沖縄の次の週末は台北へ。台湾内科学会での招請講演です。もう一人は米国内科学会の会長のVirginia Hood さん、今年の4月にSan Diego でもお会いしています。

日曜の午後、台北から車で40分ほどのところにあるJiufen (資料1)へ。映画「非情城市」のロケ地、また宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった建物や坂道の商店街など、話を伺いました。なかなか、面白いところで一度は訪問されるとよいところと思います。天気のよい日曜だったので、大勢の人、車で大変でしたが、、。  

あまり景気がよくないのでしょうか、昔に比べて、なんとなく台北も元気がないような気がしました。

この週末に前後して、例年の人間ドック検診、UCLAの同窓会、Canon財団の研究グラント審査、米国大使館での今年で2度目のThe Entrenpreneur Awards Japan 2011, Second Annual Awards Ceremonyなどに参加しました。Roos大使の肝いりのイヴェントのひとつです。

毎日があわただしく過ぎていきます、ちょっと困ったものです。

 

Michael Jacksonと私の家族; Encinoの生活

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Michael Jackson (MJ)  が急死して、ちょうど1年が過ぎました。本当に残念なことです。20世紀の60年代末に「Jackson Five」のリードヴォーカルでデビュー、最初のシングルが続けて(I Want You Back, ABC, The Love You Save, I’ll Be There) ヒットチャートの#1になりました。

80年代初めに「Billie Jean, Beat It, Thriller」など、歌と踊りとヴィジュアルをあわせた時代を先取りするような作品を次々とだして、Pop Musicを根本的に変えた、稀有な天才です。「King of Pop」といわれるのも当然です。今はよく見られる歌、踊り、ヴィジュアルを組み合わせた「時代の新しい芸術」にしたといえます。しかも、彼の作品は今でも燦然と輝いています。

彼が急死する前、予定されていた最後の公演シリーズ「This Is It」を世界中が楽しみにしていたと思います。そのリハーサルのClipから作った「This Is It」 を見ると本当に彼の才能と、人となり、そして本物のプロ興行のスゴサ、厳しさを感じ取れます。何度見ても飽きないすばらしい作品です。リハーサルのclipからの編集ですから、彼自身が本当に歌っているのではないのがちょっとさびしいですが、もし彼が死んでいなかったらどんな公演、そして作品になっていただろうか、想像するだけでもとても残念です。私も彼の大ファンです。いくつかのヴィデオも持っています。

彼の死後1年間ですが、「This Is It」などからも彼の人柄がそこかしこに垣間見え、彼の人気はますます上がっているとの話も聞きます。DVDなどの売り上げは3,000万枚を超え、1,000億円近い売り上げだとか。すごいことです。

実は1977年の夏、私はUCLA に戻り、Encino というUCLAの横のFreeway 405 を北へ車で15分ほどのところ、Santa Monica Mountains の峠を超えてMulholland Drive (映画でも有名な道路です 資料1 )からSan Fernando Valley へ降りていく途中の町に家を買い換えて移りました。16465 Refugio Road、どんづまりCul de Sacの家です。見晴らしも、環境も、近所の方々もよい方ばかりでした。

その後、まもなくでしょうか、なんとMichael Jackson (MJ)が近くに引っ越してきました。4641 Havenhurst Avenue です。当時すでに有名でしたが、彼のキャリアでは、次への一歩を模索していたころですね。その後、1988年にEncinoから200kmほど西のSanta Maria に近いところ、Neverland  に移りましたが、1年前、彼が亡くなったときには、ここには彼のご両親が住んでいることになっていました。

ところで、その頃のことですがMichael Jacksonと私たちは時に会うことがあったのです。私の一家がよく行く近くのスーパーマーケットGelson (Havenhurst Avenue とVenture Blvdの交差点にある高級スーパーです)で時々会うのです。彼は1人でショッピングしていて、そのときには言葉を交わすのですが、とてもシャイで、素敵な若者でした、MJが19歳のころです。

私が日本に帰国したのは1983の10月。MJはすでに大スター、1982年のAlbum「Thriller」  のリリースです。このalbumにはThrillerのほかに「Beat It、Billie Jean」などが入っているのです。すごいアルバムです。そして、あのころは「Thriller」のヴィデオがテレビで盛んに流れていました。

私が渡米した1969年に始まり、1983年のMJ、そしてその後のMJ。20世紀を21世紀につなぐ、最高のEntertainerでした。

ところで、Google Maps(地図、Street Viewなど)はすごいもので、MJの家から北にHavenhurst Avenueを100mほど行くとGelsonが見れます。南へ400mほどでLanai Roadへ、400mでHavenhurst Driveを東へ、300mでBallina Driveへ、300mでBallina Canyon Roadへ、どんどん山へあがっていくのです. 200mで右にRefugio Roadをはいると5軒目で突き当たり。右側が私たちの住んでいた家です。様子はStreet Viewでも、航空地図でも見れますが、家の様子は、ここ(リンク)を見てください。その頃ですが、今はなくなられた作家の城山三郎さんが尋ねてくださり、私のことを書いてくださった小文に、この家の様子にちょっと触れておられます。

Michael Jacksonの1周忌の機会にこのポストにしました。

 

「Invictus」:リーダーの意思、決断と戦略、そして行動

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1国トップの責任は、1企業トップ、1大学トップより大きいのは当然です。

この40-50年の激動の世界で、いろいろ国のトップであった人たちで、長く歴史に名を残すような人は、それほどいるわけではありません。でも確実に入る人に南アフリカのNelson Mandela氏がいます。あの、人種差別Apartheidのなかで、弁護士として、また1950年ごろから政治活動を始め、27年にわたって監獄に収監されるなど、想像を絶する人生を送られた人です。1990年に国際情勢の変化などを受けて釈放され、1994年のApartheid廃止後の全国民参加の選挙で最初の大統領に就任。こんな難しい時代の1国のトップの苦悩は想像を絶すると思います。政治家としてGandhiを尊敬していたということです。

ここでは、そのようなことではなくて、この直後の1995年に南アフリカで開催されたラグビーWorld Cup のことです。すべてのゲームが南アフリカで開催され、まさかのことですが、南アフリカが、最強といわれたNew Zealand代表を破って優勝したという、まさに「真実は小説より奇なり」です。

これをテーマにした映画 (資料1)が最近上映されました。「Invictus」 (William E Henleyの詩からきたものです) です。映画はMandelaが大統領になった当時、南アフリカ駐在だったジャーナリストJohn Carlinの本、「Playing the Enemy: Nelson Mandela and the Game that Made a Nation」 を元にしたものです。

とても感動的な物語です。想像しただけでも極めて難しい状況で国をまとめる責任を負ったトップの意思、決断と戦略、そして行動。さすがにClint Eastwood監督ですね、いつものことですが、題材の着眼がすばらしいです。ぜひご覧になってください。

時代が変わっても、国のリーダーの責任はますます大きくなってきています。これからグローバル世界の行く末が、見えにくい時代になってきていますし。大きな歴史観、哲学と実践的知恵、人の心を動かす力です。

友人のジャーナリストLaurie Gallettさんの部屋には、Mandela大統領の等身大写真が置いてあります。本当に世界の人々から尊敬を受ける偉大なリーダーです。

大変化の時代、日本のトップはどんなものでしょうね、なにか迷走状態です。

出でよ、日本のリーダー(何も政治ばかりではないですが、、)。