Asian Innovation Forum、世界の若者たち集まる

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Asian Innovation Forum(AIF)1)は元SONYの出井さんが始めたもので、私もお手伝いしながら何回か参加しています。

今年も12月12、13日に、私の活動の中心でもあるGRIPSで開催しました。私も講演したり、パネルにも出させていただいたりしましたが、2日目に行われた若く元気な人たちの「Young Entrepreneur Award」はなかなか良かったです。ここでも講演をさせていただきましたが、審査員も素晴らしく、プレゼンも世界から選ばれた人たちでしたので、とても良かったです。インドのマドラス、ロンドン、香港、ダッカなど、日本からは慶應、早稲田など、多くの候補から選ばれた人たちでした。

Timothy Draperさん1) も講演、自分の話をもとになかなか楽しい話をしてくれました。こういう「変な人」たちが数多くいるところに米国の強さがあるのでしょう。私もすぐ前に座っていたので、いろいろとお話しする機会がありました。この日のことをご自身のblog にちょっと書かれています。

このblogでもしばしば出てくる「ドラゴン桜」税所くんのBangladeshでのパートナーのMaheenくんにもはじめて会いしました。

多様な若者が集まってプレゼン、議論する。それを支援する企業家たちの集まり。いいですね。

Innovation City Forumのパネルに参加

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六本木ヒルズも早いもので10周年を迎えたとか。それを機会にいろいろなイベントがありますが、10月半ばにはInnovation City Forumが3日間にわたって開催されました。

私も最終日のクロージングセッションにお招きを受けて、ちょっと感激。なにしろこういう「異業種バトル」みたいなのは嫌いではないので。司会は森美術館を動かしている南條さん。パネルがNew Yorkの近代美術館(MoMA)館長のGlenn Lowryさん、LondonのTate Gallery1)の館長のNicholas Serotaさん、MIT Media Labのジョイ伊藤さん、そして私なのですから。

ジョイはこの全体の企画に関わっていますし、LowryさんもSerotaさんもSuperstarです。しかも、この順番で10分ずつプレゼンしてからパネル。

皆さんのプレゼンもコメントも、さすがになかなか素晴らしいものでした。それは承知していたので、みなさんとはダブらないように何でも言えるようなスライド(PDF)を用意して、未来の都市と美術の、ちょっとした話をしました。

※日本語はこちら

しかし、このAcademy Hillsも10年なのですな、もっと以前からあるようにも感じていましたが。多くの困難を超えて、長い時間をかけてこのような都市計画の理想を追求した森さんに感謝です。

このような機会を与えてくれた南條さんほかの皆さんに感謝しています。

MIT Media Lab at Tokyo Designers Week

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神宮外苑で開催されたTokyo Designers Week 2013でMIT Media Labの企画があり、2日目の午後に副所長の石井さんの講演「Remembering the Future」を聞きに行きました。

石井さんの情熱のほとばしるプレゼンは熱い。内容も筋書きもバツグン、とても納得です。しかし、会場からのQ&Aになると、若い人たちが多いのですが、質問者の意図が石井さんの言いたいこととなかなか合わないのですね。もっともっとチャレンジングな気持ちで立ち向かわないとね。

石井さんは真剣な人なので、「なんでそんな質問なの?」といった風情で、不満そう。だから返事ができないことが多かったのですね。私は一番前に座っていたので、私に「どう?」と振られたので2、3度、私がとても感動した石井さんの言葉の意味と私の感じたことなどについて、話をしました。石井さんの話は、頭でなくて、「こころ」で感じ取れないとね。

この後は石井さん、茂木健一郎さん、林 信行さんの3人が進行役になる2つのパネル。

まずは大学を退学して格闘家、その後は「3D Printer」などで活躍している原 雄司さん1)の話。そのあと建築家の隈 研吾さんの木材を使った建築物などとてもいい話。さすがお二人とも現在までに至る実体験からしか出てこない話ですし、特に格闘家として世界を徘徊していた人の話は身体性があるだけ感覚的にすごい。「右脳」で感じとる部分が大きいので、多くの感動があるのでしょうか。

石井さんと、茂木さんがちょいちょい私に発言を振ってくるので、かなりきわどいことを発言させてもらって、とても楽しい時間を過ごしました。「日本の大学では、研究までもが「家元制度」になっている、、、」とか。そう思いませんか?

でもモギケン、ちょっと元気なかったなあ。忙しすぎるの?

Philadelphia-2: Fireside Chat With Dr. Kiyoshi Kurokawa

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今回の主目的は、何年もお誘いを受けていながら、参加できなかったJapan America Society of Philadelphiaが企画する”Health Sciences Dialogue”、2日間の集まりです。いろいろ聞いてみましたが、日米の製薬企業、バイオべンチャーをつなぐ会としてよい評価を受けています。

朝7時から、日本からの参加者との朝食がセットされ、10人ほどですがいろいろな話題に花が咲きました。

9時からセッションが始まり。New York から日本総領事館から相(あい)広報センター長も参加し、ご挨拶。

バイオテクべンチャー、べンチャーキャピタル等々の良いテーマとパネリストで、製薬、米国と日本の動きなどを中心に話が進みます。昼食の終わりを見計らって、私の登場、”Fireside Chat with Dr Kiyoshi Kurokawa: How Can Japan Better Foster Innovation?” というセッティングで80分ほど、David Flores(Co-Founder of BioCentury Publications)とHoward Brooks(Partner, Americas Life Sciences Sector Leader, Earnst and Young; この会議中に同じ部門のGlen Giovannettiともいろいろ話ができましたが、、)の2人からの質問に答え、あとは会場との質疑応答という趣向です。

Philadelphiaは私といろいろ関係というか、ご縁があります。University of Pennsvlaniaは私にとって初めての外国ですし、ここでの2年間が私のキャリア1)を日本から世界へと変えたところですし、私のとても尊敬している津田梅子(このサイトの中で「検索」してください)が学んだところですし、私の関係しているNoguchi Hideyo Africa賞1)の野口英世の世界的キャリアの始まったところでもあります。ほかにもいろいろなつかしい思い出のあるところです。

この会議では、充実した1日を過ごせました。

翌朝は朝7時に出発、3時間弱、車でJFKへ向かい、帰国の途に就きました。

あっという間でしたが、Philadelphiaは、なにか懐かしかったです。

夏かぜで1週間ダウン

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8月29日(土)、日帰りで軽井沢へ出かける、昼に到着。旧軽井沢ゴルフクラブへ。なんとなく疲れるので、ゴルフ参加は辞めて、クラブハウスで休憩。きれいなコースを見ながらラウンジで過ごすのも変な気もち。

夕方みんながゴルフから上がってから、私が当日のゲストとして1時間ほど講演をした。GRIPSの同僚ともいえる竹中さんとご両親にもお会いした。元東大総長の小宮山さん他にも知人がいろいろ。

夜帰るとやはり疲れる。早く寝る。翌日の日曜日から熱が出る、時に40度になる。ご近所の主治医さんへ行って、診察してもらい、点滴を受け、一日寝る。翌日の月曜日も40度ほどの熱が出る。また主治医のところにも行く。元気がないわけではないのだが。今週の面会等はすべてキャンセルさせていただき、水曜日を迎えた。ちょっとよくなってきた感じ。

木曜日、朝からEUの代表の大臣の方々とのセッションがあり、約1時間を過ごす。もっぱら福島原発事故と今の状況などが主たるテーマ。それはそうだろう。あとは、ちょっとした会議等で、午後3時には帰宅。寝る。本当は今週は伊勢神宮に行く予定だったのだけど残念ながらキャンセル。

金曜、土曜と寝て過ごす。かなりよくなったが、今度のカゼはちょっとひどかった。

9月1日(日)、新幹線で広島へ。広島大学新診療棟のお披露目の祝賀会で記念講演。久しぶりの医学関係の多くの方々にお会いした。日がえり。

9月2日(月)、湘南国際村へ。「国連大学グローバルセミナー」主催の3日間のプログラム。David Malone 学長、そして資生堂名誉会長の福原義春さんに久しぶりにお会いした。そして私が「基調講演1: Global Agenda of Post-Fukushima」。ほとんどが大学生、大学院生で、女性が70%ぐらいか?いいね。留学生、学国人教員も多く、雰囲気はいい。楽しく話をすることができました。質問もいろいろ。もちろん全部英語。

この「オープンな雰囲気」とはどう定義できるのかわからないけど、いいですね。私は好きですよ、堅苦しくなくて、意見の交換も盛んで。

私の後の基調講演はUNDP日本代表の弓削昭子さん。歯切れがいい。質疑にもバンバン答える。

私はレセプションに参加した後、帰宅の途へ。皆さんは合宿らしい。

やっと、1週間が過ぎて、1週間が始まった感じ。ゆっくり休んだ感じでした。

“Bula”、Fijiから

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Manabaに参加して翌日の7月6日、羽田を出発、Hong Kong経由で翌日にFijiのNadiへ。そこからさらに乗り継いで首都Suvaに来ました。

Pacific Science AssociationInter-Congress1)に参加です。

どこでもまずは‘Bula’。「こんにちわ」のように皆の使う挨拶です。

この学会は1920年に発足し、私も2003年からかなり関わることになり、いろいろ仕事をさせてもらいました。このサイトでは沖縄1234、吉田松陰の秘話も出てきます)、そして2011年の大震災の後のKuala Lumpurでの活動があります。

今回の会場はThe University of The South Pacificで、大勢の学生さんたちがVolunteersとして運営に関わっていて、なかなか素敵な雰囲気です。ここで教鞭をとっておられる日本の先生たちにもお会いしました。

翌日の開会式典にはRatu Epeli Nailatikau大統領もご出席、力強いスピーチをされました。開会式では、わたし、そして次にProf Nordin Hasan, Director of Asia Pacific Regional Office of ICSUが基調講演をしました。ご当地の大嶋英一大使も出席されました。

私を含めた何人かがテレビのインタビューを受け、夕方のニュースで取り上げられたということでした。翌日の新聞でもかなり取り上げられていました。

2日目、3日目は分科会を中心にしていろいろな活動がありました。私は、3時間ほどは観光、USP Vice-Chancellor and President Chandraさんとの夕食、また大嶋大使から昼食のお招きを受け、大使館の方々、ご当地で活躍している日本の方々の活動などについてお話を伺いました。UNDP職員として、Pakistan、Sudan、Fujiと活躍してこられた日本の女性にもお会いできました。

ここの日本大使公邸は20年ほど前に購入したそうですが、Fijiの首都Suvaでも一等地にあり、素晴らしい眺めです。

Fijiは歴史的に英国領、インドとの関係、最近では中国、韓国の活動も顕著です。マグロ取りの中国の漁船が何艘も来ています。日本の活動は現地でも知られているのですが、ここでもあまり日本人の姿が見えない、ということのようです。

大使のご苦労はこの辺にもあるようです。

Manabaセミナー + 基調講演と飯吉さんのパネル

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Manabaとは教育の新しいplatformを提供する企業で、このサービスは世界の大学へも広がっています。なかなか意欲的な試みです。

大学や学校の先生たち、事務の方たちを主要な対象としたセミナーが7月5日に東京で開催されました。大勢の方たちが参加されました。

プログラムはManabaを実際に使用している大学の試み、などが主体ですが、私は全体の「世界の動向、それは何故なのか」という視点で、1時間の基調講演の機会をいただきました。現場で活動している人たち、いろいろ試行錯誤し、学生さんたちのために、大きな枠組みを提示する、そのうえで自分たちがしていることの大きな流れを考えてもらう、これが私のしたいことですから。

参加の方たちは、教育、就職など広範にわたる大学の関係者が多く、後のパネルでの質疑からして日常的に苦闘している方たちが多かったようです。

私の講演のタイトルは「Uncertain Times; あなたの選択」です。私のスライドはもちろん映像と文字はすべて英語、でっかい文字を使います。

大きな流れをなんとなくでよいので、感じ取ったうえで、みなさんに「自分の立場で果たすべき責任」を感じ取ってもらいたい、という趣旨です。

あっという間に1時間が過ぎました。しかし、私のメッセージを皆さんも感じ取ってくれたらしいことは、最後のパネル、レセプションなど、後でよくわかりました。

最後のパネルは久しぶりの飯吉さん1)。飯吉さんは教育とは「狂気だ」と繰り返す。私も“Crazy Ones”1)が世界を変える、と主張する。そして文部科学省では異色の佐藤くん、そして経済産業省の福岡くん。飯吉さんの厳しいパンチ、「狂気」が次々と飛んできます。パネルの二人の官僚も、「ふつう」とは変わった「若手官僚」です。参加の方たちからも、苦闘する教育界の現場の悩み、良心のような質問がいくつか出てきました。皆さん苦闘していますね。

「発想の枠組み」を変えてみることです。出る杭、異論、枠を超えて考えてみることです。

グローバル世界での日本の将来は若者にしかありません。このことをどのくらい一人ひとりの日本の「責任ある立場」の人たちが、自分のこととして考え、行動しているのでしょうか。

世界の変化の本質を、肌で、心で、下腹(ガッツ)で直感的に感じ取っている、日本国でより大きな責任ある立場にあって、グローバル世界での日本へ向けた「その役職の責任を実行している人」はそれほどいないのですね。もっとも「学歴エリート」、「東大話法」の人たちが多いですから、所詮は無理なことなのでしょうか。

問題を認識したとしても、まず「できない理由」がいくつも頭に浮かぶ人のほうがはるかに多いのです。それが日本の現状です。考えながら、実行してみることです、難しいでしょうけど。

国連大学の卒業式でスピーチ

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東京青山にある国連大学。ここでは、世界に広がる研究所群と横浜にある高等研究所と、ほかのいくつかの大学とも連携して正式な修士課程が新しく設置されていますが、7月3日に卒業式が開催されました。

私は日本学術会議に関わったころから、日本の科学者コミュニティと国連大学との関係を強くしようと積極的にいろいろと協力してきました。過去2代の学長さんともいろいろお手伝いをさせていただきましたし、今度着任したDavid Malone 学長ともCanadaに共通の友人もおり、着任前からいろいろコンタクトができていました。

この10年ほどのことですが、ここで開催されるいろいろな会議でも話をする機会が、数多くありました。

国連大学の大学院の発足は2010年の9月ですから、極めて新しい大学院ですし、まだ規模は小さいのです。今年、12か国からの12人(最大の多様性ですね)の修士課程修了(あと数人が春に卒業していることのことでした、、)の学生さんたちを送り出す卒業式に、私はCommencement Speechのお招きを受けました。うれしいことです。

私のSpeech原稿はこちらです。

皆さんとてもうれしそうな素敵な卒業式でした。Malone学長は急用で海外となり、ビデオでのメッセージ、竹内副学長の挨拶、私のSpeech、学位授与式、そして卒業生3人のSpeechなどがあり、レセプションで終了しました。

新しい門出をする若者たちを世界に送り出すのは、何とも言えない感動の時間です。

National Academy of Sciencesで講演; Lost in Translation -‘AccountabilityとGroupthink’も紹介

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ParisからChicago O’Hare空港経由でWashington DC Dulles空港へ.

迎えの方とホテルへ直行。しばらくプレゼンのパワーポイントなどをチェック。翌朝、2年ぶりでしょうか、国務省の向かいにある、改装が終わり少々大きくなったNational Academy of Sciences (NAS)へ.ここで一日、「CBRNE」(Chemical, Biological, Radiation, Nuclear and Explosives)対策の同盟国間の協力についてのNAS主催の会議です。 私は、もちろん「福島原発事故からの学ぶことの意義」というテーマでの基調講演です。司会はNAS国際関係担当主任である旧友John Borightさんでした。私について、とてもいい紹介をしてくれました。この会議と講演はWebで見ることができます。

テーマがテーマですから、国土安全省 Department of Homeland Security、国防省 Department of Defense、 緊急対策庁 Federal Emergency Management Agency (FEMA)、軍人さんも参加しています。

日本大使館から旧知の次田参事官も参加してくれ、また、国会事故調の時に私がWashington DC 訪問時にお会いした国防省の方も参加しておられ再会を懐かしみました。

このようなテーマでも、政府の依頼を受けて、科学アカデミー主催で、公開の場で多くの会議が開催されるところが米国の素晴らしい所です。

ちょうど今年はLincoln大統領がNASを創設して150年であり、いろいろな行事があります。そのNAS創設の精神、「独立した、私立の機関であり、政府の政策に助言する」、この精神を長い時代の変遷を経て、国民からも広く信頼される科学者コミュニティを代表する機関になっているのがNational Academy of Sciences of USAなのです。

形をまねしても、その精神と歴史の経過、国民性を知らないと、モノマネにおわり、Lost in Translationになるのです。この150年、近代の日本では、時代の国際情勢もあり、急造の近代化でしたので、このような事例には事欠きませんね。その「クセ」はちっとも治っていない事例は、今になってもいくつも見えます。

この講演では、その一例として、極めて大事な誤訳 Lost in Translation として「Accountability」についても取り上げました(Topの図、ここではちょっと修正してあります)。日本では「説明する責任」としているよ、、、と。皆さん、「ハハハ、エエッ?」といった反応でした。この言葉の意味は「与えられた責務を実行する責任」です。「Responsibility」よりもっと重い意味なのです。どんな肩書きにも責務が伴うのです。その責務を果たすことこそが「役職」である人の責務なのです。「役にある人」で責任がないなどあり得ないことです。誰がこんな「不適切な誤訳」を使い始めたのでしょうね、教えてくださいな。まさか、「役の人」ではないでしょうね。

さらに「Groupthink」(Topの図)(Googleで英語、日本語で調べてみてください)についてもコメントしました。この意味をみなさんはどう考えているのでしょうか?何も学ばない「エリート群」といったところですね。私のコメントも、このブログに書いています。

このような思考形態が「Obligation to Dissent」(Topの図)の大事さを認識せず、「異論、異質、異端」を排除する日本社会にはびこる、特に「エリート」の精神的弱さになっているのです。弱さを認識しないと謙虚さを失いがちになる、「傲慢」になるのです。

でもこのようなこと、「思い込み」が今回の福島原発のような大事故の背景にもあるのです。本当にご都合主義のいい加減な「エリート」たちが大勢いるものですね。

参加者には、私が委員長を務めた国会事故調の報告書に目を通している方も多くおられました。後から、「あなたの話を聞いてよく理解できた、日本政府の方たちとお付き合いが多くありますが、いつも理解できないな、何かが違うと思っていたことがよーく理解できました、ありがとう」、という趣旨のことを何人かの方から言われました。

国会事故調報告書は、ご存じのようにあくまでも「事実」の記述であり、委員会の解釈、価値判断をできるだけそぎおとしています。ですから「はじめに」に書いてあること以外には、文化、社会論を述べるわけにはいきませんでしたからね。なかなか本質を理解するのは難しいことなのです、多くの日本の人たちにもね。

それが国会事故調の「はじめに」にある、「マインドセット」であり、「単線路線のエリート」の意味するところなのです。英語版でも「Message from the Chairman」も同じ趣旨でまとめています。

演者、主催者たちとの会食、そして翌朝、帰国の途に。今年3回目の世界一周の旅でした。

パリへ

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17日の午後、Eurailで4時ちょっと前にパリ北駅に到着。蒸し暑い。

さっそくホテルで着替えて米仏商工会議所パリの会場へ。Jeff Immelt GE会長の講演会のお招きを受けていたのです。Globalizationと大企業の在り方がテーマですが、この重責を10年ですからさすがです。ちょっとご挨拶をさせていただき、Musee d’Orsayへ。ちょうど開催中のHays Collectionを案内していただきました。

ここで今回お招きを受けたのはInstitut de L’EnprepriseによるInternatonal Business Think Tank1)で、まずは17日のディナーです。フランスのPierre Moscovivi経済財務大臣の講演、そして目玉はMario Monti前イタリア首相とノーベル経済賞のPaul Krugmanの対談です。なんといってもこの2人の対話は、意見の違いはいろいろありますが、多くの示唆に富む、しかも内容に深みのあるものでした。 Krugmanさん、ちょうど数日前にintl Herald Tribuneに出ていましたし、NY Timesだと思いますが、いい意見を書いていましたし、折しもアイルランドでG8 サミットの時期でもあり、Abenomicsにも触れられました。この対談、私もいくつかtweet (twitters of first twitters of June 18th @kiyoshikurokawa)しました。何点か写真も見れます。

Montiさんは、経済学者であり、またEU のCommissionerもされ、しかも財政危機にあるイタリアを首相として政治家のいない内閣を率いたのはなかなかのことだったと思います。発言の中で「EUの会議でも、各国首脳の発言が、政治家でない視点で、実務家のやるような細かいことばかりに議論が進んでいくのは問題だ、、、」といった発言など、いいことをいくつも言われていました。

翌日18日の会議は、Musee de Arts Primitifs Branlyで、2~400人ほどの方たちでしょうか。Keynote、Panelなどの形式があり、午前にはEsko Ahoさん(1)、冷戦終結時のFinlandの首相、そしてZARAで知られるInditexの社長のPablo Islaさん、そして私とDaniel Tammetさんが午後のKeynoteでした。これらは素晴らしいものでした。主催側のTwitterでも一部フォローできます。
ちょうどパリでの恒例のAir Showの折でもあり、夜はアジアからの関係者との会食をしました。
翌朝はCDG空港へ、Washington DCへ向かいました。