国際赤十字の原子力災害対策会議

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10月27日、福島市で第3回の原子力災害対策関係国赤十字社会議が開催されました。

この会議は第3回となりますが、日本での開催は初めてです。私は基調講演をすることでお招きを頂きました。

私の講演の骨子は、急変する世界の状況、その背景、福島原発事故と「国会事故調」の意味とプロセス、そして「わかりやすい国会事故調」のビデオをお見せし、さらに放射能については、グローバル時代にふさわしい新しいシステムである「SafeCast」を紹介しました。最後に、政府、政治とは独立した「赤十字」という、世界の誰でもが知っている「ブランド」組織の国際ネットワークのできる役割の重要性について触れました。

私のあとは、この日の最後ですが、この「わかりやすい国会事故調」を見て、自分たち一人ひとりが何ができるのかを考え、行動しはじめた高校生7人のプレゼン。みんな、英語で素晴らしいプレゼン。皆さん、長い間、外国で生活したことはないそうです。すごい努力と準備をしたのでしょう。会議場がとても大きな感動に包まれた気がしました。

会議の後、国際赤十字を通じて、このような若者たちの国境をこえたネットワークを広げたいと、参加されていた赤十字の方々にお伝えしました。

この会議の様子は以下のURLからご覧いただくことができます。

日赤アーカイブ: http://ndrc.jrc.or.jp
国際会議トップページ: http://ndrc.jrc.or.jp/3rgm/
基調講演: http://ndrc.jrc.or.jp/special/3rgm-keynote/

高校生への講演とPEAKのレセプション

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10月に入ってから、2回ほど高校生を対象にした講演をしました。いつものことですが、「変わる世界、あなたの選択」という趣旨です。

一つは、ある進学塾の主宰で、東大を受けようとしている高校生に向けての講演です。あいにくの台風来襲という大雨のなかを100人ほどが参加。多くは高校1、2年生でしたが、90分の講演の後、「10年後には何をしている、そのためには2年後に何をしているか」をグループで討議、簡潔にまとめて発表、各グループで説明、全員で評価、というセッションでした。

次いで、東大の駒場で毎月2回開催されているという「高校生のための金曜特別講座」。第300回ということでお招きを受けました。参加した高校生たちは80人ほどでしょうか。ご家族の方や一般の方もおられました。去年の東大の学部入学式の私の祝辞などの資料もあらかじめ配布していただきました。

最近、このような講演では映画「Matrix」の一部をお見せすることにしています。「権威を疑え」「常識を疑え」ということです。

参加した高校生からは、「今までの東大講座と一変した雰囲気」、「今いる社会に対しての考えが変わった」、「最初と最後のMatrixは同じなのに違って感じた」等々、多くの若者が何かに飢えている、と感じるコメントが多くありました。

若い人たちとの交流は楽しいですね。何しろ急速に変わる予測できない世界の中で、日本人として活動するのですから。

講演の後は東大のPEAKプログラムの留学生たちが集まり、ちょっとしたレセプションをしてくれました。外国からの先生たちも集まってくれて、楽しい時間を過ごしました。これはPEAKを担当している教員の一人、松田良一さんのお世話になるものです。

PEAKにも課題も多くあるようですが、留学生のニーズをくみ取って、うまく対応しながら成長させてほしいです。

東京大学でCharles Castoさんを迎えたパネル

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10月9日、東大の本郷キャンパスで「3.11後の原子力を考える」というパネルがあり、私もお招きをいただきました。東大の佐倉 統さんとTemple大のKyle Clevelandさんの司会、パネルには3.11の時にすぐに米国から派遣された、米国で原子力発電の運転・規制の実務をこなしたベテラン Charles Castoさん、事故当時の内閣官房副長官だった福山哲郎さん、3.11当時は内閣府原子力委員会委員長代理だった鈴木達治郎さん、元朝日新聞主筆で、いわゆる「民間事故調」を主催した船橋洋一さん、そして私です。

パネルでは それぞれの活発な意見の開示と交換ができました。多くの方の参加とNHKの取材が入りましたが、質疑の時間になると、いつものことですが、質問ではなくて、ご自分の意見を言う方が多いのですね。司会の佐倉さんにお願いしておいたのですが、これも日本のスタイルなのでしょうか。

福島原発事故の時に、米国と政府、東電の間のつなぎ役を果たした細野補佐官(のちに大臣)が、最後のほうで参加されました。

私としては、Castoさんが福島の事故の経験から「Crisis Management: A Qualitative Study of Extreme Event Leadership」という、300ページに及ぶ素晴らしい論文を書き上げ、博士(PhD)となったことを会場の皆さんにも紹介しました。

パネルでは、いろいろ話は弾みましたが、結局、日本はIAEAの指摘する「重篤な事故の起こった時に 住民を逃がす“深層防護”をしていなかった」ことは国内外の関係者の間では広く知られていますし、今もってその備えのない原子力発電所がいくつもあることが指摘されていました。

ではどうするのか。みなさんの意見は、ついつい各論になりがちでしたが、私は基本的な考えを繰り返したと思います。「国会事故調」の骨子は、事故の事象ばかりでなく、福島原発事故の背景にある日本社会のありかた、つまり事故は「氷山の一角」であることを指摘し、「規制のとりこ」「三権分立」などの不備、つまりは日本の統治機構の問題であることを、繰り返し説明しました。

翌日のことですが、同時通訳をしてくれていた方から、以下のメールを頂だきました。うれしいですね。

「黒川様、昨日のシンポジウムでお世話になりました、通訳のXXと申します。先生のお話、裏で伺っていて鮮烈な印象で、国民としてもやるべき事は沢山あると感じました。これからも先生のご発信などで勉強を続けて行く所存です。先生の益々のご活躍をお祈りしますとともに、お世話になりました事、御礼申し上げます。」

さっそくメールで返事をしたところ、

「お返事を頂き恐縮しております。 シンポジウムを経て、先生の発信されていらっしゃる様々な情報を拝読・拝聴し続けており、大変な刺激を頂いております。これからも先生のご発言をとても楽しみにしております。」

こんな交流が、自然発生的に起こるのも、便利なネットの時代ですね。

Castoさんとはすっかり意気投合して、帰国前日には私の仲間たちと私的な議論の場、その後はディナーと、楽しい時間を過ごしました。

沖縄へ再び、AYDPOの閉会式

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「AYDPO 2014」、今年で7年目のプログラムです。

今までも何回かこのサイトで報告1234)していますが、アジアと日本の14~16歳の若者たちが、3週間を沖縄で一緒に過ごすのです。

毎年、開会式や閉会式で、一日は参加しています。今年も閉会式に参加して講演。今年の生徒たちは「GIA Green International Academy」慶良間に作ろうという提案を考え、これを発表しました。例年のように稲嶺前沖縄県知事も参加です。沖縄の新しい目玉の一つである沖縄科学技術大学院大学の新学長、Dr. Iwamaさんもこられてご挨拶。

参加の若い人たちは共通言語の英語で話しています、上手いものです。いつものことですが、仲良しになった若者たちは、大学生たちも交え、あたらしい兄弟姉妹になって、特に閉会式は、別れを惜しむ若者たちの涙、涙の感激の時間です。

実は、このプログラムは当時の安倍内閣から始まった企画で、私も特別顧問としてお手伝いしました。このようなプログラムを持続させ、広げていくことこそが、変わる世界で活躍する、感動の時間を共有する仲間を、国境を超えて持っていく人たちを育てていくことが、とても大事なのです。

このプログラムの卒業生たちは、参加する大学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんと一緒にFaceBookでつながっているのです。私も初めのころに参加された大学生で、インドネシアで活躍している若者と今でも交流しています。

Web時代のつながりは大事ですし、便利ですね。

会津若松へ

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8月6日、会津若松に行ってきました。中学生1~3年生を対象にした「プラチナ未来人財育成塾@会津」に参加です。小宮山宏前東京大学長の主宰する企画の一つです。

郡山駅から車で会津へ向かう途中、私が子供のころ疎開していたところ、磐越西線の関都駅の南、もちろんすっかり様子が変わっていて、何が何だかわからない金田金曲(かねだかねまがり)のあたりを横に眺め、むかし遊びに来た天神浜に立ち寄り、次に猪苗代の野口英世の生家を訪問しました。

会場は何度か来たことのある大学のキャンパスです。集まっている大部分は、中学生ですから1999年以降に生まれているのですね。もの心ついたころから、世界は大きな変化を始めているのです。

私の前に講演をされた御手洗瑞子さんの話は、終わりの部分しか聞くことができませんでしたが、私の話と多くの共通点があったように思いました(間違っていたらごめんなさい)。みなさん、元気に質問もたくさん。いいですね。

終わってからは、御手洗さんと私のいるステージの上に多くの生徒さんたちが集まり、写真、握手、そして記念撮影、楽しい時間でした。

終わって、会津藩の有名な「日新館」1)を、閉館時間を過ぎていたのですが、しばらく案内していただきました。大いに尊敬する山川健次郎先生1)の像(2004年に建立)が立っています。日新館はなんとなく湯島聖堂とも似ていますし、同じく孔子の像が祭ってあります。今の時代から想像しても、本当に素晴らしい学校です。

その後、国会事故調の委員だった蜂須賀さんと久しぶりにお会いしました。まだ仮設住宅にお住まいです。

福島原発のあった大熊町から多くの方が会津若松に避難されています。今でも、大熊町役場はここにあります。福島原発事故直後、大熊町から避難した方々がしばらく過ごしたビジネスホテルの上にあるレストランで、支配人ともお会いし、お刺身、てんぷらなどをつまみながら、蜂須賀さんとしばしの時間を過ごしました。

福島原発事故で避難されている方たち、本当にお気の毒な状況です。

沖縄OIST、そしてアジア太平洋腎臓学会

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Los Angelesから成田経由で沖縄那覇空港に夜10時半ごろに到着。タクシーで1時間ほどで恩納村にあるホテルへ到着。

翌日は、世界に開かれたOIST(Okinawa Institute of Science and Technology)の理事会に参加です。

ちょうど、Nobel Museumによる「Sketches of Sciences」1)という素敵な展示のオープニングもあり、これにも参加。

これはVolker Stegerさんの作品で、そのユニークな着眼点などの話を聞くとこができました。その50人の中の一人のTim HuntさんもOISTの理事でいっしょでしたし、なかなか素敵な展示でした。

このNobel Museumは2001年、Nobel賞100年を記念して「Cultures of Creativity」というテーマで始まった企画です。最初の海外展示は、2002年に東京で行われ、高円宮殿下によって開会(久子妃殿下も去年、ご訪問されています)、私は日本学術会議の副会長として、東京大学の安田講堂で開かれた記念シンポジウム(NHKでも特番として放映されました)など、いろいろお手伝いしたことを思い出します。

当時のNobel Museum館長のLindqvistさん(1)の話題にも触れながら、現在の館長のOlov Amelinさんと当時のころの話をしました。いろいろな方とのつながりは楽しいものです。

翌日は午前の予定のあと、東京へ向かい、フライトが遅れて少々焦りましたが、アジア太平洋腎臓学会でのKeynote講演です。ここでは、多くのアジアの旧友たちに遇えて、とても懐かしく、うれしかったです。

この学会の3日間、久しぶりにいくつかの活動に参加しました。もっぱら、海外からのお客様との会食とか「課外」活動で、台湾の仲間との再会もありました。

ルワンダのジェノサイドから20年

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先日、Charles Murigande ルワンダ大使のお招きを受けて、大使館に伺ってきました。

満開の桜並木の世田谷深沢の大使館で1時間ほど、いろいろなお話を伺いました。

もっとも、私はルワンダにはまだ行ったことはありませんが、共通の話題12)もあります。

何度もお会いしているTWAS事務局長のRomain Murenziさんのことを持ち出すと、なんと、学校もとなりの席という長い間の友達ということでした。二人は、一緒に大臣を務め、また科学者でもあります。

20年前の4月、ルワンダの虐殺の悲劇が始まりました。悲しみを乗り越えて、すっかり様相を変えている新しいルワンダです。

いくつかの資料を持っていたのですが、去年9月、GRIPSの卒業式にもおられたそうで、私の祝辞にとても感動したと話してくれました。

いろいろなところで、お互いに共通の友人や物語があるのだなと感じた1時間でした。

「アカウンタビリティ」と「リスク・コミュニケーション」;カタカナにご注意

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このブログでも、栗原潤さん1)のことを何度か紹介しています。

彼の広く、古典などを含めた読書歴と知識、しかも英語だけではなく、複数の言語で原書を読む力量などからくる洞察の深みが素晴らしいので、いつも議論が弾み、楽しい時間が持てます。

私が日ごろから発言している言葉に「アカウンタビリティ」があります。日本では「説明責任」となっていますが、これは大きな間違いです。「自分の立場に付与されている責務を果たす」という、責任よりもっともっと大事で、大きな意味がある言葉、という主張をすぐに理解してくれた一人です。

この点については、山本清さんの優れた学術書が出版されました。栗原さんも早速に引用しています。これについてはまた説明します。

去年の6月、米国科学アカデミーで行った私の講演でのことですが、この「アカウンタビリティ」を日本では「説明責任」と言っているが、これは「典型的な」「Lost in Translation」であると指摘した時の、参加している方たちの反応について触れました。

似たようなことですが、最近、栗原さんのコラムで、「リスク・コミュニケーション」についてもコメントをしてくれました。国会事故調では、この言葉を使っていません。なぜでしょうか?

外来語をすぐにカタカナにするのは大きな誤解を生む可能性もあります。皆さんも注意しましょう。

今年の1月

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すっかりご無沙汰です。正月以来です。

1月10日からボストンへ。沖縄科学技術大学院の将来計画の委員会。Boston、New Yorkの方も多いので、このようなことになりました。英国からHuntさんも。前日まで米国中東部は大雪でしたが、10日からは大丈夫でした。

2泊して帰国、翌日から沖縄へ。沖縄科学技術大学院での「オープンエネルギーシステム国際シンポジウム」に出席。ここで実際に実験もされているデモもあり、なかなかの試みでした。

これからのエネルギー政策の基本は「分散型、ローカルな再生可能エネルギー資源、スマートグリッド、電気使用の見える化とアプリ」へと進むことです。インターネットでは「http – www – iPhone – iPad」というように、21世紀になってネット関係は規制改革、各種のソフトと次々と起こる技術革新によるアクセスの充実とともに急速に進んだように、分散型サービスによって、使い手の意識が変わってくるのです。エネルギーでも政治も企業もどんな組織でも、リーダーは大きな方向性を示すことが大事です。

18日は、恒例の医療政策機構による「医療政策サミット」を主催。企画とパネルの皆さんほか、大勢の方たちの参加があってとても盛り上がった会になりました。

20日の週にはいろいろありましたが、仙台へ。東北大学の長い友人のお葬式で弔辞を奉読させていただきました。ご遺族にも久しぶりにお会いしました。前夜は東北大学にお願いして、東北大学を代表する女性科学者の方たち4人と夕食を楽しみました。

27日の午後は、英国から来ているRoyal Societyの副会長でもあるAnthony Cheethamさんと、英国大使館でHitchins大使、Elizabeth Hogben科学・イノベーション担当部長の4人で午後のお茶。ちょっと優雅な時間を楽しみました。

30日は医療政策機構の今年初めての朝食会。恒例なのですが、新年の挨拶を兼ねて私のセミナーでした

あっという間に1ヵ月が過ぎてしまいました。