立命館西園寺塾

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先日、立命館西園寺塾で、土曜日の午後の4時間、40人の塾生さんを相手に講演をしました。みなさん40歳前後のバリバリのキャリアの方たち。

あらかじめ私の本「規制の虜」と、他にいくつかの資料を読んでもらい、事前にがっちりと意見を書いてもらいました。これらに目を通してからいよいよ当日。

この長丁場、15分の休みを入れていろいろ議論ができたし、みなさんにも喜んでいただけた様子。

ただ、40人の塾生で女性が一人だったのはさびしかったですね。

立命館大学ヘは、10年前に大分のAPUにも行って、また京都キャンパスにも講演で出向いたことがあります。

この会の前日は、西園寺家ゆかりの方のお世話で、20人ほどで有馬頼底猊下のお話を伺い、今の世界と日本の課題などをいろいろ語る機会がありました。

いろいろな機会をいただけるのは、うれしいことです。

 

臨床研修の評価を推進すること、自律した「プロ」の責任を

例えばですが、医師になるには「国家試験」を受けて医師の資格を取得する必要があります。この試験は厚生労働省が所管し、問題の作成などは、主として医学部の先生たちなどの「専門家」が行います。ではこれらの試験問題の適正さ、評価はどうするのでしょうか?

私も何年かにわたって医師国家試験問題検討委員会にも参加し、また改革委員会の委員長も務めました。そこでは、私の米国での体験などを含めていくつも問題を提起していました。委員の皆さんには、なかなか理解されないというか、そんな体験をしました。

当時から進んだことは、問題のプール化などがありますが、例えばデータの集積や「質の評価」といったことについてはまだ不十分です。常に試験問題の「質」をチェックしている米国の試験(USMLE)の問題などを、英語のままで全問題の10%ほど採用する、といった提案もしてきましたが、当然ですが、そんな提案はなぜか「ダメ」なのですね。委員の方たちが理解できないのです。

私も関わっている日本医療教育プログラム推進機構(JAMEP)というNPOがあります。ここでは、医学部卒業とともに臨床研修が義務化されたことを受けて、研修の成果を広く評価していくことを目的とした、「基本的臨床能力評価試験」という「自主的」な試みを行っています。

臨床研修病院における研修医の成長はどうでしょうか?病院の研修プログラムそのものの評価はどうでしょうか?

このような目的で出来たのがこの「自主的」な試験です。試験問題を作成する、問題の回答を分析する、フィードバックする、問題の趣旨を生かす工夫をする、といったプロセスが入ってくるので、より質の高い試験問題となってくるのです。

まだ、5年目の成長途中ですが、科学的に問題の質、適性も向上させていこうと取り組んでいます。

この試験プログラムに参加している臨床研修病院群の研修医は、まだ全体の20数%ほどですが、参加している病院の熱意は相当なものです。もっともっと多くの研修病院に参加してほしいと思います。

この日曜日(9月18日)、試験に参加している研修病院の多くの方たちが集まる会合で、基調講演をする機会をいただきました。一方で、みなさんの発表を聞いているとその熱意、努力に頭が下がりました。

ここでは、試験のデータを集め、分析し、フィードバックして、「試験問題の質」を向上させていくことが、いかに大事なのか、について話をしました。私の講演資料はこちらです。

このような医師臨床研修という「プロ」の世界での試みは、決して「国家」に依存してはいけません。自分たちで自主的に、自律した制度の構築こそが、「プロ」社会では大事な基本的姿勢なのです。このようなプロセスが「国家試験」にも導入されてくることが大事なのです。

それにしても福沢諭吉はすごいですね。明治8年の「文明論の概略」で、いかに統計が大事なのか、を説いています。当時は日本にはそんな概念がなかったので、該当する日本語がなく、そのまま「スタチスチク」(講演資料参照)と書いて、注釈をつけています。なお、資料のベルカーブなどの図はチャ‐ルス・マレイの作成によるものです。

福沢の時代では英語の本を読んで理解していくのですから、この本を読むと感動的でさえあります。

今の時代の人は邦訳本で済ませていることが多いのを考えると、ずいぶんと楽をしている、その割に物事の本質をどれだけ理解しているのか、大変に不安でもあります。

「国家試験」などと言って他人事のように考えていては、「お上頼み」の精神です。これはよろしくないのです。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐3;GHITファンドのカンファレンス、そしてアニャンゴさん

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ヒルトンでのノグチ・アフリカ賞のカンファレンスの終了とともに、以前からの約束で、違うホテルで開催されるアフリカの”NCD”(Non Communicable Disease)のカンファレンスの基調講演に向かいました。講演終了後のパネルの途中で退席(参加者は医師が多かったのですが、後からメールがあり、予想しないような話でとてもよかったと、感想をいただきました。)、再びヒルトンに戻って、午後に予定されているGHITのカンファに出席しました。

登壇者には午前のノグチ・アフリカ賞のグリーンウッド博士、コルチイーオ博士も参加して、盛り上がりました。私は遅れて到着したので、皆さんのパネルが終わってから最後の挨拶を済ませ、プ-ルサイドで準備していたGHITファンドのレセプションに皆さんと移動しました。

このプ-ルサイドのレセプションには、若い日本の女性アーティストのアニャンゴさんにお越しいただきました。彼女はアフリカの音楽に魅せられて一人でケニアへ渡り、修行を積んで、女性には許されていなかった”楽器”の演奏の免許皆伝をもらったという、とても素晴らしい頑張り屋さんです。

彼女は、この音楽で世界を回り、DVDも出しています。今度の件で東京の事務所に連絡をしたところ、8月の終わりはケニアに行っている予定と聞いたので、早速お願いをしてこのようなことになったのです。

アニャンゴさんと現地のバンド演奏で、みなさん歌を一緒に歌いはじめ、踊りはじめるという素敵なイベントになりました。

ところで、最近のテレビでも彼女の素敵な取材が放送されました

夜は、今回のノグチ・アフリカ賞のイベントでお世話になった内閣府の方たちと、ちょっとした慰労をかねたの夕食会。ホテルのレストランで一時を過ごしました。

レストランでは日本から参加されていたいろいろな方にお会いしました。26日は朝からとても充実したナイロビの一日でした。

台北、英国ロイヤル・バレエ団、そして英国大使館で講演

More → The Royal Ballet ”Giselle”

6月は台北で開催されるPacific Science Association(PSA)に出席。10年ほど前に会長に推挙されて、皆さんのおかげで、沖縄タヒチフィジ-クアラ・ルンプールなどでの会議を指揮し、また応援、参加しました。小さいながらも楽しい思い出の詰まった学会の一つです。

台北から帰宅すると、ロンドン訪問中の友人から突然連絡があり、「英国のロイヤル・バレエ団が日本に訪問するのだが、その時に熊本の災害について何かしたいと言っている」という相談を受けました。

早速ロンドンの日本大使館の鶴岡大使と加藤公使に連絡するよう伝え、2日後に帰国したその友人と会いました。ちょうどその日がロイヤル・バレエ団の東京公演の初日でした。何とも突然のことなのです。その友人の話では、ロンドンの日本大使館で、大使、公使ともすぐにこの友人に会って、話を聞いてくれたそうです。感謝、感謝です。

日本学術会議のころから存じ上げている熊本県知事の蒲島さん(素晴らしい、異色の経歴です…)に電話をして事情を話したところ、熊本にもバレエ団があることなども話をしてくれ、すぐに対応をしてくださると言ってくれました。後はこの友人にフォローしてもらいました。

24日(金)はロイヤル・バレエ団の東京の最終公演、ジゼル(Giselle)を観に行くことになりました。そこではバレエ団の関係者の方々が歓待してくださり、素敵な時間を過ごすことができました。

その後の福岡公演を利用して、バレエ団の数人の方が熊本を訪問され、福岡公演のリハーサルには、学生さんとその父兄、さらに熊本バレエ団など、90人を超える方たちが参加する機会を設けてくださり、皆さん楽しい時間を過ごしたそうです。

この思いがけないロイヤル・バレエ団のプレゼントは、震災で大変な時の熊本でのちょっとした明るい話題になったようです。その時の記事をいくつか紹介します。蒲島知事もお喜びだったのではと思います。

朝日新聞:http://www.asahi.com/articles/ASJ6W52W7J6WTLVB007.html

毎日新聞:http://mainichi.jp/articles/20160628/k00/00m/040/056000c

時事通信:http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062700737&g=soc

熊本日日新聞:http://this.kiji.is/120725549115424776

The Royal Ballet:http://www.roh.org.uk/news/the-royal-ballet-run-workshops-to-inspire-children-in-japanese-earthquake-zones

翌週には、東京の英国大使館で「多剤耐性菌とワクチン」の講演会のパネル(英国大使のスピーチが日本語でしたので、私も日本語で開会の挨拶をしました)に参加。大使、公使にも、ロイヤル・バレエ団の件のご報告とお礼をお伝えしました。

”Brexit”という世界に衝撃を与えた英国国民投票の前後だったのですが、とてもうれしい出来事でした。

こんな民間外交もいいものですね、関係者のみなさんに喜んでいただけて。

グローバルヘルス関係会議の一週間

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4月に入ると、5月のG7サミットもあって、そのアジェンダ関係の会議や動きが活発です。G7(はじめはG6)サミットが始まったのは1975年で、1979年の日本がホスト国の時に初めて「Health」というキーワードが提示されたのです

その後も、日本は2000年の沖縄サミットで「グローバルファンド」のコンセプトを提案し、2008年の洞爺湖では「保健政策強化こそが人間の安全保障」を提示した歴史的背景があります。

つまり、グローバル時代になって、昨今、「グローバルヘルス」が世界の大事なアジェンダの「キーワード」になってきていることを、日本は先取りしているような形にもなっているのです。

4月18日(月)にはワシントンのCSISとの共催で、私が主宰しているHGPIがAntimicrobial Resistant(AMR)の問題にフォーカスした会議を開催しました。この詳細は今後CSISのサイトにも出てくることでしょう。この会議はとても内容が濃いもので、議論も的確で、参加者から極めて高い評価を受けたように思います。

19日(火)は英国大使館で、エリザベス女王陛下90歳の誕生日をお祝いする園遊会。Hitchins大使のいつもながらの素晴らしいスピーチに皆さんが感心していました。G7サミットへのアジェンダや認知症などを担当している一等書記官としばらく意見交換の時間を持ちました。

20日(水)の朝は、英国の某シンクタンクのヘッドと会食。東シナ海の状況など、なかなか聞けない話を聞くことができました。来月のG7サミットでは、英・ドイツなど、国内で大問題を抱えているので、日本のアジェンダセッティングはなかなか難しいという点で、私は意見交換しました。いまやG7国のGDPは、世界全体のGDPの50%を切っていますし、世界のアジェンダでもっと大事なのは、今年のG20ホストの中国の動きでしょう。

21日(木)はGlobal Fundの日本の貢献についての超党派の朝食懇談会。自民党は逢沢一郎議員、民進党は古川元久議員です。駐英大使就任直前の鶴岡さんも出席で、いつものことですが、かなり「厳しい」発言をされました。彼には2008年のG8サミットで大変お世話になりました。

22日(金)は日経の主宰する第3回「アジア感染症会議」1)に参加。これには3年続けて参加していますが、最初は基調講演、そして去年と今年は最後のまとめをする機会をいただきました。さらに、今年はGAVIのCEO、Seth Berkeleyさんとの対談を、FTのAndrew Wardさんの司会でたのしく進めることができました。

GAVIの日本の貢献については、私は国債を使うことも考えることを提案しました。GAVIの資金の約20%が英国、ノルウェイなど9か国の国債になっているのです。

今年は、日本とG7サミット、そしてAMRの最近の話題が出ます。日本企業の素晴らしい技術の紹介がいくつもありました。しかし、これを「グローバルでビジネスを」という視点でみると、まだまだ思考が内向きのように感じます、惜しいことです。

でも、この2日間の会議で私どもの運営しているGHITファンドについて、国内外の方たちがコメントしてくださるのでうれしくなりました。これは、ゲイツ財団を組み込んだ全く新しい「Public – Private – Partnership」ですし、国内外の注目度が上がっているのはうれしいことです。

23日(土)はこの会議の2日目。武見敬三議員の格調高いスピーチ、そしてパネルなど。最後に私のまとめで終わりました。

こんな調子で、この1週間は、G7サミットとグローバルヘルスで過ぎていきました。

ところで、私が去年11月にトロント大学のMunk School of Global Affairsで講演をしましたが、そこには「G8/20」の検証をしているグループがあり、そこから今年のG7サミットへ提出する資料の中に、私のコメントも掲載される予定になっています。

いろいろと忙しい1週間でした。

バンクーバー

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昨年12月1日の「シアトルへ」と12月6日の「トロントで」の間に出すことになっていた「バンクーバー」のコラムを掲載するのを忘れていました。特に岡田総領事ほか、お世話になった方々にお詫びします。以下がその内容です。

11月11日の夜、シアトルからバンクーバーに到着。たぶん私が来たのは3度目ですが、前回も10年ほど前と、かなり昔のことです。

ここから、トロント、オタワと訪問しますが、これらは外務省とカナダアジア太平洋財団のお招きで2年がかりで実現した講演旅行なのです。テーマは「日本のグローバルヘルスへのチャレンジ」といった内容での講演です。

翌日は残念ながら、かなりの雨。シアトルとは大違いの天気となりました。

ご当地の名門校、University of British Columbiaのキャンパスへ向かいます。ここのIrving Barber Learning Centerで90分ほどの講演をしました。岡田総領事が司会の労をとってくださいました。

岡田総領事は、はきはきとお話しする方で、2008年に横浜で開催された、福田康夫総理主催によるTICAD41)の準備に中心的にかかわられていたそうです。その時、私が委員長を務めた第1回の野口英世アフリカ賞の授賞式が行われたのでした。

この10年ほど、こちらで教鞭を取られている松井教授、また、日本の医学部出身で勉強に来ている女医さんにもお会いしました。

夕方から総領事館でのディナー。ご当地でもっとも古い建築物の一つという領事館も素敵です。岡田総領事は2008年のTICADを担当するまで、アフリカ勤務の経験がなかったので、その後、志願してケニア大使館勤務をされたこと、アフリカについての話題などなど、いろいろな意見交換できました。

2日間ともかなりの雨でちょっと残念でしたが、充実した時間でした。

翌日11月13日(金)、トロントへ向かいました。

グローバルヘルス、GHIT基金、日本への期待

12月16日、来年の伊勢志摩で開催されるG7サミットへ向けての日本政府のアジェンダに関して、「グローバルヘルス」への期待を込めた会議、講演会が東京で開催されました。

世界銀行のジム・キム総裁、WHOのマーガレット・チャン事務総長、塩崎厚生労働省大臣、武見敬三議員他、この分野の世界のリーダーが、東京に集まりました。また、ゲイツ財団のビルゲイツ氏の参加1)は 大いに注目を集めたと思います。

この会議は2015年9月の国連総会でも、ポストMDGとしての”SDG”(Sustainable Development Goals)を受け、グローバル世界のとても「不安定な動向」の背景にもある「貧困・格差」の改善に向けた活動、さらには来年に日本がホストをするG7サミットは、とても大事な機会なのです。

さらに日本は来年、TICAD (東京アフリカ会議) をその20年余の歴史の中で初めてアフリカで開催することになっており、これにも大事なメッセージを世界に発信できる絶好の機会なのです。

私は、「世界で初」 と認識されている、とてもユニークな”Public Private Partnership”であるGHIT基金の発足にあたって、理事長就任の要請を受けて活動しています(1234)。ゲイツ財団はこのGHITのパートナーの一つで、設立してわずか2年あまり ですがその進みかたの早いことについて、ゲイツ氏がとても高く評価しており(彼と個人的にゆっくりと話をするのは二度目のことです…)、これも、世界的に日本の強いメッセージの一つになりうる活動なのです。

会議は安倍総理の挨拶ではじまり、また、途中から秋篠宮妃殿下のご臨席もありました。

この一日の会議のプログラム、演者また会議の様子はWebで見ることができます(日本語英語)。基調講演、その他の講演・議論もさることながら、最終的には世界へ向けたG7サミットという「場」に向けての、日本政府の政治的意思と決断の問題となります。

これらのプログラム、主要な参加者の講演録についてはすでに掲載されていますのでご覧ください(日本語英語)。

この会議で、GHIF基金はランチセッションを引き受けました。私の締めくくりの挨拶もここで読むことができます。ここでは、医学分野の世界の三つの賞 (Gairdner, Lasker, そしてNobel賞) とグローバルヘルスの扱いとその意味、また二週間前のストックホルムでの大村先生のノーベル賞受賞の意義についても触れました。何人かの参加者から とても良いスピーチだったとお褒めの言葉をいただきました。

日本からも、GHITのような世界に誇る新しい組み合わせによる新しい価値の創造こそが、大きく変わりつつある世界の中の「イノベーション」なのです。

この日を含めての3日間は、日本政府他とのグローバルヘルス関係のいろいろな会合があり、私もビルゲイツ氏と小人数のディナーを含め、三回も食事を一緒にする機会を持つことができました。

何事も、議論は大事ですが、どのように実行していくのか、政策立案と実行、そして普段からの、相互の信頼関係に立脚する「人脈の形成」、これが大事です。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −2

ストックホルムでの2日目、9日は、昼からグランドホテルで開催される日本大使館主催のレセプションでした。

駐スウェーデンの山崎大使は、2008年の洞爺湖サミット1)の時には、私が福田総理の特別顧問だったこともあり、グローバルヘルスや気候変動のテーマ、また、洞爺湖サミットの直前に開催されたTICADに際して開催されたHideyo Noguchi Africa Prize1)の委員長として、いろいろと活動をご一緒して以来のご縁です。

午前中には、物理化学の受賞者の講演が、Stockholm Universityの講堂12)で催されました。

日本大使館主催のレセプションでは、東大総長の五神さんと、一年ぶり以上ですね、お会いしました。忙しいだろうと思って、一度も電話さえもしていなかったのですが、ぜひ東京で、ということになりました。

多くの関係者が参加されとても良いレセプションでした。

夜はノーベル賞コンサートへ。不思議なことに、ここでも五神さんと隣り合わせの席でした。

Daniil Tifonovさんの熱いピアノのあと、Ein Heldenloben op 40 、「英痛の生涯」でした。

長い一日でした、受賞のみなさん、特に梶田さんは朝早くから、お疲れ様でした。

ノーベル賞授賞式、ストックホルムへ −1

例年のことですが、10月初めにノーベル賞の発表があります。今年の発表の時、私は京都にいたのですが、大村先生の受賞について、その夜に2社のインタビューを受けました。その記事についてはこのサイトで紹介しました。

思いもかけないことに、大村先生から受賞式へのご招待をいただき、12月6日、ストックホルムへ向かうことになりました。

先生のご業績などについてはよく知っていましたし、先生の2014年のGairdner賞受賞のお手伝いをさせていただいたご縁でしょうか、この賞の委員長を務める私の長年の友人でもあるJohn Dirksさんもお招きいただきました。

フランクフルト経由でストックホルム着、グランドホテルへのチェックインは6日の深夜過ぎの7日になったところでした。1901年以来、ノーベル賞受賞者とゲストはこのホテルに宿泊されるそうです。

翌日は、Karolinska研究所でノーベル生理・医学賞受賞者の講演と、レセプションがありました。

3人の受賞者の皆さんが30分ずつ、それぞれが晴れがましく、でも印象的な講演をされました。大村先生1)のスピーチは素晴らしいものでした。キャンベルさん1)の講演もいい話でした。トウさん1)は、ご体調のせいでしょう、座ったまま中国語で話され、そのパワポでは、図と英語の説明が並べられる配慮がされていました。

その後のレセプションでは、みなさん受賞者の周りで、お祝いの華やかさにあふれていました。

大村先生、お疲れ様でした。お招きありがとうございました。

More Photos→ http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/medicine/

塩崎大臣との朝食会、アジアイノベーションフォーラム

2週間にわたる北米、カナダの講演の旅を終えて帰国、東京でも活動が待っています。

まずは塩崎厚生労働大臣をお迎えして、医療政策機構の朝食会です。塩崎大臣とは、当機構の小野崎理事がアドバイザーとしてお手伝いしていますし、G8の世界認知症委員会(World Demencia Council、WDC)などでもご協力をいただいているところです。新しいプロセスで出来てきた「日本の医療2035」の話など、いろいろの話題があり、会員の方たちからの活発な意見が出ました。私は最後のあいさつをするのですが、何しろ風邪で声が出ないので、一言だけにしました。

アジアイノベーションフォーラムは、元ソニーの出井伸之さんが2007年に福岡から始めた活動ですが、そのころからお手伝いしています。今年は虎ノ門ヒルズで開催。私は遅れて参加しましたが、ヤフーの安宅和人さんのビッグデータのプレゼンには間に合いました。彼の話の内容は最近の日本版「ハーバードビジネスレビュー」に出ています、一読をお勧めします。

私は最後のパネル(パート4)に参加しましたが、出井さん、富山和彦さんが、いつもながらの激しい意見を次々と出していました。私も激しい意見を言いましたが、後で、友人の英国人から以下のようなメールをもらました。うれしかったです。

‘Dear Kurokawa-san, This is just a quick note to say that I much enjoyed attending yesterday’s forum; it was interesting (and – if I may say so – encouraging) to have such a consistent message from you and others in support of ‘getting out there to see the world’, but also making the most of a huge available talent pool at hand already.’

世界はどんどん、しかも急速に変わっているのです。