「強さ」と「弱さ」を認識する、日本は変われるのか

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3.11から1年半がたちました。

あの大災害で世界が見たものは、巨大津波で多くの親族を失い、生活をすっかり失ってしまったとてつもない被害にあった人たちが、大きな悲しみの中で黙々として、大きな騒動もなく、自分たちで助け合う美しい姿でした。

福島原発事故でも、「フクシマ50」と言われたような現場の人たちの、自己犠牲の献身的な活躍に、ある種の感動を共有したのでは、と思います。

でも、あの大事件から1年半の時間がたって日本には何か変化の兆しが見えているのでしょうか?

私は、国会事故調の始まるチョット前の12月1日に、一緒に仕事をしているHiromi MurakamiさんとJapan Timesに、 "Fukushima crisis fueling the third opening of Japan"という意見を投稿しました。ちょうどTTPが話題になっていた頃でした。「日本の第3の開国はボトムアップからだ」というタイトルです。3.11をきっかけに多くの若者たちが新しい社会構築に活躍をはじめていますが、これらが新しい日本の、「第3の開国」のきっかけになってほしい、という期待です。国全体としては、世界が変化しても、いろいろな利害関係者との利害が複雑に絡まって、TTPや近隣諸国との関係などについての、国の政策がほとんど動かなくなっているからです。

日本の政産官などのリーダーのひどい有様は「3.11」ですっかり世界に知られてしまい、国家の信用は大きく損なわれてしまいました。

このタイトル「Third Opening of Japan」が何人かの目を引いて、3.11の1周年にあたる今年の3月11日に出版されたReconstructing 3.11amazon) というeBook本に"History: Japan's third opening rises from black waters"(by Hiromi Mukrakami and Kiyoshi Kurokawa)というエッセイを掲載していただきました。

しかし、大災害から1年半がたち、復興へ向けて、特にフクシマでは何が起こっているのでしょうか?この日本人の辛抱強さなどが、大きなうねりとなって動き始めているのでしょうか?却って、福島、岩手などの現地で黙々と日常的に働いている方たちを見ると胸が痛みます。政治も、行政も、この多くの被害にあわれた方々の、あきらめにも似た従順性を利用している、というか、少々甘く見て、対策が遅れているのではないかと思えるこの頃です。

そんな時に同じような意見がNew York Timesにも掲載されていました。日本語は「変わり始めた日本人」ですが、英語では“In Fukushima, Surreal Serenity”として掲載されています。クミコ・マキハラさんの記事です。

毎週金曜日午後6時の官邸前での粛々とした「反原発デモ」は、従来と違った自発的な行動のようですが、このような権力に対する意見が目に見える形で出始めたのは、日本人がちょっと変わり始めている一つの証左かもしれません。

しかし、メディアの報道などを見ていても、政治の世界は相も変わらず小粒の権力闘争ばかりで、国家の行方も見えず、変わり映えがしません。政治の力の弱いことをよいことに、各役所は自分たちの「仕事(というか利権の維持)」を粛々と進めながら、何も変えようとしない、既存勢力の恐ろしいほどの抵抗が、変わる世界の情勢の中で、「変われない日本」「漂流する日本」の底流にあるように見えます。

なぜでしょう、どうしたらよいのでしょう。

それは、マキハラさんの記事の最後にあるように、「この国が現在取り組まなければならない難しい課題、それは賞賛に値する日本の人々の忍耐力はそのままに、国家や組織に対する健全な批判精神をどう育てていくか、という事…」なのでしょう。

 

国会事故調 ‐8: FACTAの記事、2つ

FACTAといえば、政治、経済、産業界等に対して素晴らしい切込みで知られた、いわゆる質の高い月刊誌だと思います。

去年の夏にはオリンパスの問題を取材掲載していたところで、この記事から社長が突然解雇され、あの大問題が起こる発端になったことでも知られています。

この編集長の宮嶋さんは、私たち国会事故調が始まってからほとんどすべての委員会に出席されて、鋭い質問を浴びせるので、私もどうなるかとチョット心配をしていました。

でもずいぶんと私たちの活動を応援してくださっていることは、次第にわかり始めました。報告書が出た後、2回ほどこの国会事故調関係の記事を掲載してくれました。

第1回は、10月号に掲載された民主党の荒井 聰議員と私の対談、そして11月号にはこの事故調の調査統括を引き受け、この委員会の推進に中心的な役割を果たしてくれた宇田左近さんの特別寄稿PDF)です。

いつも本質をついてくる宮嶋さんらしい企画として取り上げていただき、うれしかったです。特に宇田さんの特別寄稿は、国会事故調の中の経緯を書き取って、私たち委員の一人一人が知らないところも多く、とても緊張感のあるいい記事になっていると思います。

宇田さんと、彼とこの「大事業」を動かしてくれた人たちみんなに、委員を代表して本当にありがとう。

 

国会事故調 -7: メディアの反応

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国会事故調査報告書を発表したとき、メディアの反応は否定的ではなくとも、褒める事のない事は予測していました。それがメディアの特徴だからです。

特に同時に発表した日本語版の「要約」と、英語での「Executive
Summary」の最初の部分が「同じでない」、しかも英語では「日本文化のせい」というフレーズがいくつかのメディアで批判されました。

海外ではThe GuardianFinancial Timesへの投稿で「文化のせいにすると責任を問えない」などと批判されました。

しかし、この「要約」と「Executive Summary」はほぼ同じページ数ですが、内容は違います。

海外メディアでも評価されるコメントは多いようです。

例えばCNNのコメント等です。

http://edition.cnn.com/2012/07/06/opinion/takeshita-fukushima-management/index.html

http://www.pbs.org/newshour/bb/world/july-dec12/fukushima_07-05.html

http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-18718486

特にこのDr. Chackoの記事はよく分析しています。何しろDr. Chackoは、私のことを良く知っていますから。

http://www.huffingtonpost.ca/sunil-chacko/safety-metrics-made-in-ja_b_1680670.html

メディアもいろいろです。海外でも多くの報道がなされました。

 

国会事故調 -6

私たちの事故調の報告書を国会に提出してから、いろいろなメディアや団体からもお招きをうけています。

先日の二本松市での講演会でもご覧になれますが、それに前後して経済同友会、また、週刊朝日でのパネルなどがご覧になれます。

経済同友会 → http://www.youtube.com/watch?v=mxDyLYHaUFo

週刊朝日 → http://www.ustream.tv/recorded/24905585

週刊朝日は私たちの委員会にもよく出ておられ、また福島についての本も書いている今西さんも参加で、関西弁の入る軽めのノリのセッションになりましたが、いくつかの本音も出て良かったです。

両方ともちょっと長めですが、お時間のある時などにご覧いただけると嬉しいです。

国民が選挙で選ぶ国会議員へ、私たちの提言の実現への圧力となるといいのですが、、。

 

国会事故調 -5: 事故調査委員会の始まりの頃の「意外な」応援メッセージ

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国会事故調は、何しろ「憲政史上初」ですから、立ち上げの頃には特にいろいろと苦労しました。

第1回が福島で12月18、19日。第2回は、1ヶ月もたった1月16日なのですから、当時の私たちが見えない先を模索している苦悩もご理解いただけると思います。

その第2回に参加していた英国のThe Economistの記者が、意外なこと(と言ってもこれは私たち事故調の狙いの一つだったのですが、、)を書いてくれました。

“Japan's nuclear crisis; The Meltdown and the media”という何とも刺激的なタイトルです。書いたのは、イニシャルからも第2回に出席していたKen Cukierさんですね。しかも同じ日付けという早業です。

世界に悪評の高い日本メディアの「記者クラブ」についてですが、私たちの委員会もそれを十分に意識して、委員会を誰にでも公開していたのです。しかも英語の同時通訳をつけて。世界にも見ていて貰いたいからです。

この点を的確に、タイムリーに書いてくれたので、私はとても嬉しかったです。

このサイトでも何回か書いていますが(12、他にもいくつもあると思います、このサイトの中で 'search' してみてください)、The Economist は私の好きな週刊誌です。

目のつけどころが「さすが」と思ったことでした。

Ken さん、ありがとう、ちょっと遅くなったけど。

 

国会事故調 -4: 報告書が一般書店で発売へ

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私達の国会事故調の報告書は、国会で衆参両院議長に提出とともに、ウェブ上に掲載されました。

しかし、その内容の量が大きいので、多くの方達が読むのに不便であり、この内容を広く知っていただくのは難しいと感じています。

しかし、朗報です。

国会事故調査委員会報告書が徳間書店から出版されることになりました。

事故が起こってから1年半の来週9月11日に多くの書店で買い求めることができます。またAmazonからも注文できます。税込で1680円です。参考資料、委員会議事録はCD-ROMで付けてあります。

ぜひ皆さんも、この報告書に目を通し、事実に立脚する内容、そこからの「立法府への7つ提言」として、これらを生かすことへの行動を考えていただけると嬉しいです。

また一歩前進です。

 

これからの教育 -HLAB2012

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去年夏に初めて開催したHarvardと日本のいくつかの大学の学部生が中心に始めた、日本の高校生を対象とした「Harvard College in Japan; Liberal Arts Without Borders」

去年のこの企画は「3.11」のすぐ後という制約の中で20数人のHarvardの学生さんたちも参加し、日米の学生さんたちの努力で、大きな Impactを与え、80人の高校生たちにとっても素晴らしい体験になり、またいくつかの日本のメデイアにも取り上げられました。

私もこの企画をはじめから応援していたので資料1)、とても嬉しい出来事でした。

去年の影響もあったのでしょう、多くの方たちの応援も受けて今年も第2回を開催することができました。特に Harvardからは80人ほどの参加希望者がいたそうで、しかも今回の23人の参加者のうち6人が去年の参加者ということで、この企画が成功していると確信しました。

さらに、今年は高校生の参加希望者も350人もあったということで、とても嬉しくなりました。この350人から80人の選考を含め、企画に当たった学生さんたちもずいぶん苦労したことでしょう。

今年は10日ほどの合宿です。

私は、第1日に「Uncertain Times Ahead: Why Liberal Arts Now?」というタイトルの Opening Keynote Lectureをさせて頂きました。翌日も午後の一部とレセプションに10分程度しか参加できず、あとの1週間は福島、沖縄などへの出張もあり、ほとんど参加できませんでした。

H-LABのような同世代の人達の、しかも国境を超えた「Peer Mentoring」は、これからの教育の一つの大事な軸になるでしょう。

若者たちの自発的な活動は、頼もしいことであり、本当に嬉しいことです。心の底から応援したくなります。

応援してくれた多くの方たちへ、心から感謝します。

 

国会事故調査委員会 -2

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8月23日、国会事故調査委員会の報告書を提出してほぼ6週間、私は「元委員長」として、福島原発事故で被災されている12市町村の首長さんを訪ねています。お見舞いと調査へのご協力へのお礼のご挨拶です。皆さん、本当にご苦労されています。

今回は最終回で、2人のスタッフと出かけ郡山駅で蜂須賀(元)委員と合流、蜂須賀さんの車で1時間ほど、川内村の役場へ遠藤村長をたずねました。

そこからまた車で約2時間、大熊町の役場が避難している会津若松へ向かいます。途中で高速道路を降りてご当地のうどんの昼食、猪苗代湖を左に眺め、蕎麦の花の咲く広い畑などを眺めながら会津若松へ到着しました。

蜂須賀さんたちの避難している仮設住宅を訪ねてから大熊町役場へ、渡辺町長さんを訪問しました。とてもとても暑い日でしたが、仮の役場は冷房もなく、皆さん扇風機の中で忙しく働いておられます。皆さんとも何枚か写真を。

日常の生活基盤を瞬時に破壊されたまま、まだ先の見えない多くの方々を抱える首長さんたちと役場の方達のご苦労には、なんとも言えず辛い気持ちで胸がいっぱいになります。

私たちの報告書が、この状況を少しでも早く、良い方向へ向けることの役にたてば、と改めて思います。

東京駅に着いて、そのまま週刊朝日のネット上での国会事故調についてのセッションへ。70分ほどでしたが、有益なやり取りができたと思います。ぜひ見て、皆さんで考えてください。

福島の被災された12市町村の首長さん訪問をやっと終えて、何か気持ちがホッとしました。

 

国会による事故調査委員会報告書 -1

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ご存知のように、私は、今年になって、このblogでも、またtwitterでも、ほとんど発信しませんでした。

それは、今年の1月1日、2日、6日のこのblogで報告したように、去年の12月8日に発足した福島原子力発電所の事故調査委員会、通称「国会事故調」の委員長に任命されたからです。わたしのblogなどで、関係ないことでの私の意見でも誤解されるといけないと考えたからです。

「国会事故調」報告書は「ほぼ6か月」という7月5日に、国会の衆議院、参議院の両議長に提出。ここまでが委員会の役割でしたので、公的には翌日で任務を終了することになりました。

ウェブで「国会事故調」を調べていただくと、いろいろな報道がされています。提出の当日の夜、さらに翌朝にも、テレビなどメデイアに出たりしましたが、これからちょっと落ち着いて、いろいろなところでも、この報告書を委員のみなさんをはじめとして広く国民の皆さんと共有していくことが大事と思っています。

国会から依頼された私たちの提言を国会がどう受け取るのか、この辺りは急変する政治状況などもあり、いろいろ報道されているところですが、私たちは限られた時間の中で、ゼロからのチームつくりに始まり、本当にみんなががんばってくれました。

この報告書は国会に対する「7つの提言」としてまとめられています。これを実現するには国民と広くこの報告の「7つの提言」を共有し、皆さんの選ぶ国会議員の行動を応援していただくことが大事です。これが、3権分立の民主制度での立法府の機能強化になる一つのプロセスです。

最近、岩波書店の「世界」に掲載された私の 「民主主義国家の常識と責任:国会事故調は何を目指したのか」、大まかですが、私の考えが出ています。

原発事故で避難させられている福島の市町村の首長さんたちを訪問しています。皆さん、本当に大変です。

 

Media Lab in Tokyo -2

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先日、MIT Media Lab in Tokyoについてカラムでお話しました。この様子はそのカラムにあるリンクでも感じられたと思います。

MIT Media Labのような自由で闊達な雰囲気の環境を、若い人たちに、短期でもよいので実体験してもらいたい、何か出来ないかと相談しています。

ところでこのときの様子を朝日新聞 (資料1)が書いてくれました。

この記事の中での私のコメントにあるように、その時代、時代で「Crazy Ones」 と思われるような人たちが時代を変えていくのです。近代科学の基礎を築いたGalileo、Darwinであり、時代の変革者たちです。最近では、というか20世紀を変えた変革者といえば Steve Jobs がいますね。

一年ほど前まで、若い人たちが「内向き」、とか「元気がない」とよく言われていたものですが、ちょっと違うと思います。多くの若者達にとっての目標となるような、日本の社会でも広く受け入れられている「お手本 (role model)」があまりいなかったのではないかと思います。

時代を変えていくのはいつも「時代の異端者(misfits)」、「出る杭」です。40-50年前の日本で言えばSONYの井深さんと盛田さん、Hondaの本田宗一郎さん、クロネコヤマトの小倉さんなどなどです。皆さん、その時代では異端者、misfitsと思われていたことでしょう。

最近では、Uniqloの柳井さん、楽天の三木谷さん、SoftBankの孫さん、ローソン(LAWSON)の新浪さんなどなど。彼らも異端者misfitsとつい最近まで思われていたのではないでしょうか?MIT Media Lab所長のJoi Itoさんもそのような一人です。

今回の大震災でも、これらの方達の対応はとても思い切りのよい、また素早いものでしたね。

そうです、世界は広いのです。若いときに、自分が情熱を持って突き進みたいと感じるような、大きな目標を持てる、大好きなことを見つける機会を増やすことですね。大学生には例えば「休学のすすめ」 とか。

「3.11」は、「日本の第3の開国」 を、若者達こそが主導していく機会になる、と私は期待しているのです。