Africa開発会議へ向けたセミナーシリーズ、そして日本ODAの論文

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今年の6月、日本政府はTICAD5 (Tokyo International Conference on Africa 5 : アフリカ開発東京会議)を開催する予定です。5年前のTICAD4でも、私たちのHGPIはいろいろなかかわりを持つことができました12)。

私もこの10年ほどいろいろな形でAfricaとかかわりを持ってきました。このサイトで「Africa」でサーチするといろいろ出てきます。

TICAD5に向けた活動の1つとして、HGPIは国際交流センター(JCIE)1)との共催で、ここでもご案内しているように、5回シリーズのAfricaをテーマにしたセミナーを開催しています。いろいろな問題を抱えながら成長を始めているAfricaで日本はどう向き合っていくのか、といった広いテーマです。

その第1回は、JCIE新理事長の渋澤 健さんの司会で、HGPIの代表である私と、日本とAfricaをビジネスマンでつなぐ若者、佐藤重臣さんが話しました。

多くの若い方たちも集まってくれて、楽しくまた有意義な時間を持つことができました。

この様なシリーズが「グローバル世界の中のAfricaと日本」という視点と意識が、少しでも皆さんの中に広がっていくことが、日本の世界への貢献という視点からも大事なことと思います。

この1960年以後、日本はアジアの開発支援に大きく貢献してきました。この日本のODA政策についてのレビューについても最近論文をHGPIのDr 村上さんHarvard Asia Quarterlyに書きました。このような研究も、これからの日本の国際支政策を考えるうえで大事なことです。

この20年のグローバル時代では、どのような政策を打っていくべきか、広くみなさんとも考えていくことが大事なことです。多彩なビジネスの機会も大いに増えていくでしょう。

21世紀、世界の変化は先の意見えない不確実な時代へ向かっています。過去を振り返り、しっかり世界を見据え、世界から日本を見る感覚を持つことが大事です。

 

ダボス -2

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 ダボス会議(World Economic Forum; WEF)には世界の各界のいろいろな方が集まります。この辺鄙な狭い町にこれだけの人たちが一時的にでも集まってくるのですから、その機会をつかまえて多くの政治や、ビジネスの裏の段取りがたくさんできるという利点は、関係者にとってはとても大きいのです。NHK飯田さんのニュース・インタビュー1)もダボスだからこそできるのです。飯田さん他の勉強も大変なものですが、出発前の、そして現地でのアポ入れ、時間や場所の確保、追っかけたり、裏方の苦労も並大抵ではありません。

ビジネスでも1社からトップ1人しか(秘書さんなどの同行の人も原則ナシ)会場には入れてくれないルールですから、会場ではなくホテルなどで次々といろいろな会合がセットされます。

25日(金)は朝食時間に日本と中国の方たち20人ほどで意見交換、政治家がおられなかったので忌憚のない意見が交わせるのが良いところです。そのあとでGlobal Agenda Councilの日本、中国、韓国の3つのChair(中国はChairの代理でした)で1時間ほど意見交換しました。

午後には、恒例ですが世界の化学企業の代表の方たちの会議に参加させていただき、いろいろ勉強できます。日本からは三菱化学、住友化学、テイジンなどが常連ですがすそ野が広がりつつあるので従来の化学からバイオにも話題が広がりつつあります。

27日(土)は、朝から「The Japan Growth Context」(1)。元英国駐日大使だったSir David Wrightさんの司会で経済産業省茂木大臣(茂木大臣も後で会場の中を一人で動いておられたとか聞きましたが…)、タケダの長谷川さん、三菱化学の小林さん、竹中平蔵さん、そして私、というパネルです。NHKのニュース報道のように安倍内閣への期待は大きいのですが、経済成長はどうするのか、がポイントですね。会場に来られたのは100人ほどでしょうか、80%ほどが日本の方ですが、いくつかの良い質問が出ました。私はといえば、ちょっと福島事故調の意味、あとは女性社会進出(WEForum2012の報告では日本は134か国のうち102位です)の遅れ、なんといっても多くの日本人の頭の中が鎖国状態ではないのかということです。いつも言っていることですが。

そこから米国の外交戦略のprivateな会へ。その後、あまりの天気の良さに誘われ、Parsenn のWeissfluhjochまでケーブルで上がってきました。みなさんスキーですね。しばらく休んで、下界へ降り、また会議場へと戻りました。

夜は、ソワレ。トマス・マンの「魔の山(Magic Mountain)」の舞台のサナトリウム変じて高級ホテル、Schatzalpへと登山電車で登ります。

Harvard Business Schoolの竹内教授ご夫妻とご一緒でしたが、Catastrophic Risksの司会をされたUniv Penn Wharton
SchoolのM. Useem教授が私をいろいろな方に紹介して下さるので、とても楽しい時間を過ごすことができました。

翌日は早起きして、バスでZurichへ、しかし2時間おくれて出発。翌日の午後3時ごろ成田につきました。

 

ダボス -1

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第1日(1月23日); 先週の終わりに風邪気味で、去年に続いて(国会事故調でそれどころではなかったので…)今年もダボス会議も失礼しようと考えていたのです。ところが、土曜日のパネルに出ることになり、躊躇していたのですが、23日木曜の午前のパネルにも出席を、ということになりました。しかし、フライトが問題ですね。幸いなことに水曜朝のスイス航空の直行便に空きがあったので、出かけることになりました。

Zurich空港に到着、常連の緒方貞子さん他、何人かのダボス会議に参加される方にお会いしました。ダボスには夜6時ごろ到着、登録を済ませホテルへ。何人かの友人とお会いしましたが、後はよく寝ました。

第2日(1月24日); 朝から会場へ。いろいろ多すぎて迷うのですが、9時から「Fostering Entrepreneurial Innovation」へ。ちょっと勉強したいこともあったのです。Clayton Christensenが出るのもその理由の一つでした。この3年ほどでしょうか、3つの大病をしているので心配していたのですが、一見してお元気そうで、言葉にも問題がなくて本当に良かったです。終わってから、彼の病気のこと、彼の最近の本「How will you measure your life」(日本語は「イノベーション・オブ・ライフ」という変な訳ですね…)は本当に素晴らしい本であり、若い人に勧めているという話をしました。2月にBostonに行くことを伝えると、ちょっとでも良いからぜひ会いに来てほしいということになりました。

その後は私も出るパネル「Catastrophic Risks in the 21st Century」へ。パネルのひとりJudith RodinIvy Leagueの大学で初めて女性で学長になった方です。前からお会いしたかった方ですが、私のPennsylvania大学時代の友人が何人もいて、パネル開始前ですが話が弾みました。パネリストのみなさんには「国会事故調」の英語のExecutive Summaryをお渡ししました。皆の評判の良かったDavid Cameronの講演には出れませんでしたが、いずれウェブで見ることができるかと思います。

午後はBBCの放送なのですが、Nik Gawingの司会で「Is Democracy Winning?」とても難しいテーマですが、4人のパネリスト、会場の質疑、あらかじめ指名していた何人かの人のコメントなど、とても素晴らしいものでした。このような議論は、日本ではとてもできないだろうな、と感じました。

今日の夜は恒例の「Japan Night」で、大勢の方がこられました。私は最初だけで抜け出し、韓国と、Indonesiaのレセプションへ行ってきました。色々な方たちにお会いし、そこからまたJapan Nightに帰りましたが、日本人が少なくなる中で、お客さんの方が圧倒的に多い状況でした。韓国、Indonesiaに比べても2倍以上の大勢の方たちで、もっぱらお酒とか食事ですね。あちらはエンターテインメントもありましたが。これでやはり日本は「ソフトパワー」だ、などと勘違いする人がいるようでは困るのですけどね。

いろいろダボスのサイト<http://www.weforum.org/>を訪ねてみてください。

 

St Gallen会議に参加しないか?

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Swissの美しい街、St GallenにあるSt Gallen大学の学生さんたちが主催する会議があります。

政財界の多くのTop方が集まる、素晴らしい会です。私も、この何年か参加しています12)。

来年は5月の初めに開催されます。従来は学生が対象でしたが、3年前から、大学院生、Post-Docなど30歳以下の若者を招待します。ぜひ、参加しませんか?応募要稿については、St Gallen会議のサイト1)などを見てください。

素晴らしい機会です。私も来年もまた参加します。

St Gallenで会いましょう。

 

Dubaiへ: Global Agenda Council of World Economic Forum

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台北から帰った翌日の夜、成田へ。Dubaiへ向かうのです。

成田からの便は、先日、Dubaiから搭乗した「空の上、12,000メートルでシャワーを浴びる」の機体がDubaiへ戻る便、機体A380です。

今回はビジネスクラス。しかもビジネクラスもファーストも満杯。多くの方たちが私の参加するWorld Economic Forum (WEF)のGlobal Agenda Council (GAC)に参加される方たちのようで、石倉洋子さんはじめ、おなじみの方たちが何人もおられました。

現地に朝早く到着してJumeira Al Qasrにチェックイン。WEF-GACでは今回、従来より20%近く参加者の数を増やしたようです。Councilも依然より増えて80を超える数になり、運用の仕方にもいろいろ新しい工夫がそこかしこにみられます。それだけ世界の課題が複雑に山積しているということでしょう。

このCouncilでは、国別のCouncilが10ヵ国ほどあり、日本もその一つです。そのChairが私なのですが、Japan Councilは日本の方が圧倒的に多く、しかも東京でも数回の会合があるので、課題については参加する前からかなりまとまっています。それでも近年の「日本」の状況は特に発信できる良いメッセージがないので、訪問者も少ないという状態です。でも、私は訪れる方がいると対応するのが当然ですので、かなりの時間をJapan Councilで過ごしました。でもあまりここには来られませんね、残念ながら。日本は注目度も、期待度も「いまいち」なのです。

でも、フクシマ原発事故については別ですね。私たち国会事故調のことでは、個人的レベルが多いのですが、多くの問い合わせがありました。

私は会議の合間にも、この2、3年はChina CouncilKorea CouncilのChairと個人的にもいろいろ話をしているのですが、今回は特に両国とも新しい方がChairとなったので、大事な時でもあり、いろいろ意見交換をしました。皆さんとてもフランクで、双方向の多面的な交流が必要であることを強く認識し、希望しておられます。いろいろ有益な意見交換ができました。

中国も韓国も政府のトップが交代ですし、と思っていたら、なんと最後の日の夕方に、日本では衆議院が解散になる、というニュースが入りました。やれやれですね。

ところで、韓国のChairはGuen Leeさん。話をしていると、なんとお父さんは私の良く知っている人ではありませんか。韓国科学アカデミー(KAS、Korean Academy of Sciences)の会長だったLee (Ho-Wang) 先生の息子さんなのでした。このブログにもお父上との写真がありました。このお父上との出会いが、朱先生との出会いになり、後々に続く感激的な日韓医学史123)へと発展するのです。

トップはこのGuen Leeさんとご一緒の写真ですが、あの有名なBurj Al Arabの26階での晩餐会での記念です。

帰国してから、Leeさんから「お父上がとてもよろこんでおられた」とメールがありました。人とのご縁とは面白いものです。

 

Global Entrepreneurship Week(GEW)2012始まる、Roos大使も応援に

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GEW1)が始まって4、5年になるでしょうか。世界の120を超える国が、11月12?18日の1週間、「進取の気性 entrepreneurship」あふれる人たちの活動を支援し、応援し、ネットワーキングの活動を広げる活動なのです。

この世界へ広がるイノベーション、起業家精神の活動を支援するこのイベントは、Kauffman財団が中心になって推進しています。

私もその始まりから参加123)、支援していますが、今年からは私もかかわっているImpact Japanが日本側のホストになって活動しています。

今年は、日本では少し期間を広げていろいろな企画を紹介しているので、ちょっと早めでしたが11月8日に発会のイベントを渋谷のヒカリエにある「Creative Lounge MOV」で開催しました。多くの頑張っている起業家や、応援団がこられました。日本の方は60%ぐらいだったでしょうか?

私も開会のご挨拶をさせていただき、元気いっぱいの若者たちと楽しい時間を過ごしました。

盛り上がっている終わりのころに、お忙しい中をRoos大使がこられ「起業家精神とイノベーション」の大事さを、繰り返し強調し、うれしい応援の言葉をいただきました。

翌日は、前から約束していたChang Gung Memorial Hospitalとの集まりがあり、台北に出発しました。

起業家精神あふれる若者entrepreneursたちの活動、私たちのImpact Japanの活動の応援をお願いします。

 

London、そしてNairobiへ: Hideyo Noguchi Africa Prizeの話をする

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Photos in Nairobi by Mr O.T. Belarga of Osaka University Graduate School of Human Sciences.

New YorkからLondonへのフライトの出発が遅れたので、LondonのHeathrow到着前にNairobi への便には間に合わないと告げられました。幸いにNairobiでの時間には余裕があったので、あわてることなくHeathrowに隣接するSofitelで一泊。夕食はLondonで、連絡のついた友人1家族と、国会事故調でインターン、秋からOxford大学院でPolitical Sciencesの勉強を始めた留学生と日本食レストランへ。いろいろな話題に花が咲きました(写真)。

翌日は、Nairobiへ。夜9時過ぎに現地に到着、外務省からのお迎えの方とともに、ホテルに。明日から4日間、第8回母子手帳の国際会議です。これは大阪大学の中村安秀教授とHANDSが中心となって活動している会議です。

母子手帳は、皆さんもご存知の、日本のODAとしてアジアで成功したものの1つです。これをAfricaにも広めようという趣旨です。

Kenya政府も、4年前の第1回 Hideyo Noguchi Africa Prize受賞のDr. Miriam Wereさんも、かなり気合を入れて準備に対応してくれた、と伺っています。いくつかの国際関係機関ばかりでなく、アフリカ諸国、アジア諸国、Palestineからも代表が参加されました。全部で30数か国からの参加があるようです。

翌朝早くから会議場のMultimedia University of Kenyaへ。KenyaではMinistry of Public Health and Sanitation (MPHS)  とMinistry of Medical Servicesが別になっているようですが、なかなか理にかなった体制と思いました。

私はこの始まりのOpening Plenary Panelで、Wereさん、Minister of Public Health and Sanitation Honorable Beth Mugo大臣などと参加。在Kenya山田公使がご自分の母子手帳を見せながらの話されたのは、なかなか良かったです。私はこのOpening Plenary Panelで、「Japan Support for Global Health and the Hideyo Noguchi Africa Prize」について25分ほど講演しました。

お休みの時にいろいろな国の方にもお会いしましたが、Africaのいろいろなところで活躍している日本の方たち(やはり若い女性が圧倒的に多いのです)にお会いしました。その中には私がJICAのタイのパヤオのAIDS対策プログラムを統括していた時に、現地でお手伝いいただいた看護師さんもおられ、彼女はその後アフリカで活躍しているということです。このような出会いがある世界は素晴らしいですね。そして日本の若者たちの生き生きとした活躍がうれしいです。

明日の夕方には「Hideyo Noguchi Africa Prize, 4th Anniversary」セッションがあり、私も前回、また現在進行中の来年のTICAD5に向けた今回も委員長をしていますので、もちろん参加です。

広がる世界、そして日本の立ち位置などを考え、多くの方たちにお会いできる良い機会です。

 

国会事故調 -6

私たちの事故調の報告書を国会に提出してから、いろいろなメディアや団体からもお招きをうけています。

先日の二本松市での講演会でもご覧になれますが、それに前後して経済同友会、また、週刊朝日でのパネルなどがご覧になれます。

経済同友会 → http://www.youtube.com/watch?v=mxDyLYHaUFo

週刊朝日 → http://www.ustream.tv/recorded/24905585

週刊朝日は私たちの委員会にもよく出ておられ、また福島についての本も書いている今西さんも参加で、関西弁の入る軽めのノリのセッションになりましたが、いくつかの本音も出て良かったです。

両方ともちょっと長めですが、お時間のある時などにご覧いただけると嬉しいです。

国民が選挙で選ぶ国会議員へ、私たちの提言の実現への圧力となるといいのですが、、。

 

野中郁次郎さんと私の対談のお誘い

去年にも、このカラムでお知らせしましたが、イノベーションで著名な野中郁次郎さんと私の対談をご案内します。

タイトルは、「改めて「震災後」・「日本の将来」を問う」です。

前回と同じようにUniversity of California at Berkeley (UCB) と at Los Angeles (UCLA) の日本同窓会主催の企画で、9月18日(火)、夜7:00開始、東京の新丸ビル内で開催します。

詳細はこちらです→ 
9月18日UCLAイベントのご案内 (PDF)

UCB, UCLA同窓会員でない方も、特に若い人たちの参加を歓迎します。

 

国会事故調 -5: 事故調査委員会の始まりの頃の「意外な」応援メッセージ

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国会事故調は、何しろ「憲政史上初」ですから、立ち上げの頃には特にいろいろと苦労しました。

第1回が福島で12月18、19日。第2回は、1ヶ月もたった1月16日なのですから、当時の私たちが見えない先を模索している苦悩もご理解いただけると思います。

その第2回に参加していた英国のThe Economistの記者が、意外なこと(と言ってもこれは私たち事故調の狙いの一つだったのですが、、)を書いてくれました。

“Japan's nuclear crisis; The Meltdown and the media”という何とも刺激的なタイトルです。書いたのは、イニシャルからも第2回に出席していたKen Cukierさんですね。しかも同じ日付けという早業です。

世界に悪評の高い日本メディアの「記者クラブ」についてですが、私たちの委員会もそれを十分に意識して、委員会を誰にでも公開していたのです。しかも英語の同時通訳をつけて。世界にも見ていて貰いたいからです。

この点を的確に、タイムリーに書いてくれたので、私はとても嬉しかったです。

このサイトでも何回か書いていますが(12、他にもいくつもあると思います、このサイトの中で 'search' してみてください)、The Economist は私の好きな週刊誌です。

目のつけどころが「さすが」と思ったことでした。

Ken さん、ありがとう、ちょっと遅くなったけど。