Laurie Garrettのセミナー

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Laurie Garrettさんは、Council on Foreign RelationsのSenior Fellowとして活動している素晴らしい方です。このたび1週間の訪日ということでGRIPSでもセミナーをしていただきました。素晴らしい経歴で、生命科学の研究者から出発、そこから転向しPulitzer賞ほか、ジャーナリストとしても経歴は見事と思います。

Global Healthでも現場を基本にした多くの意見を書いていて、2007年の彼女のForeign Affairsの論文から交流が始まったのです。このblog postの中の写真にもあるように、最近亡くなったNelson Mandelaをとても尊敬していて彼女の部屋には尊敬する等身大のMandelaさんがいます。そして私が委員長をした第1回、第2回ともHideyo Noguchi Africa Prizeの選考委員になっていただいたのです。その時も、彼女の意見は、基本的に現場での観察と高い見識にあるのでほんとうに頼りになりました。

そういえば思い出しました。ダボス会議の時のことですが、緒方貞子さんを紹介したのですが、しばらくすると涙を流しているのです。「どうしたの?」と聞くと、緒方さんのことは「本当に尊敬しているのでつい感激で涙が. . .」ということでした。

彼女のGRIPSでのセミナーは50人ほどの方が参加、好評でした。あとから何人もの方からお礼のメールが来ました。

参考となる文献は、今年のForeign Affairs、11-12月号のトップに掲載の「Biology‘s Brave New World: The Promise and Perils of the Synbio Revolution」に書いてあることが中心です。

他にも参考になるCouncil on Foreign Relations 関係の資料が以下にあります。

1)Staying Safe in a Biology Revolution
2)Making the New Revolutions in Biology Safe
3)H5N1; A Case Study for Dual-Use Search

これからのバイオテクの行く末は、どんなことが起こるのかわかりません。しかし、ICT、ナノ、バイオなどの技術は進むばかりですから、Singularity1)へ向かって人類が進んでいくことを止めることはできません。

私たちは、どんな世界へ向かっていくのでしょう。

11月の海外いろいろ -3: アブダビへ

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夜の成田からEtihadで、アブダビへ。World Economic Forum(WEF)のGlobal Agenda Council(GAC)に。

これにも、もう6年程度出席しているでしょうか。宿泊は前回と同じく、これも豪華なYAS Vicery Hotel。会議は、隣接するつい最近F1レースが開催された会場です。

夕方まで、理事を務めるKhalifa科学技術大学(KUSTAR)を訪問したり、いくつかの関連の方々にも面会。翌朝到着する予定だった日本からの参加者の多くが乗る飛行機が、機械の故障で成田を出発できなくなった、というニュースが入ります。こちらはご当地におられる日本の友人何人かと楽しく夕食を楽しみました。

今回のGACは今年の3月にお会いした経済発展庁長官のNasser Al Sowaidiさんがホスト側のCo-Chairの1人でしたので、ちょっとご挨拶。

2日間の会議は、私が座長を務めるJapan Councilと、中国と韓国のCouncilとの会談、Council for ASEANなどを開催しました。3日目にはパネルに出ました。まずパネルの3人で問題を討論したうえで、グループに分かれての議論から何かを作り上げていく、そこでまた質疑応答がある、という楽しさを味わうこともできました。

1日遅れて日本から到着された方たちはほんとにご苦労様でした。2日間フルとはいえない参加でしたが、みなさん疲れた事でしょう。でも皆さん、お元気でした。

この辺のことは石倉洋子さんのblog12かれているので。

夜は、久しぶりに岡本行夫さんも誘って、慶応義塾の村井 純さん稲蔭 正彦さんたちと久しぶりにEmirate Palaceに夕食に出かけました。

今回、私のアブダビ滞在はそれだけではありませんでした。GACが終わった翌日、国会事故調査委員会で協力をいただいた佐藤さんと合流してKhalifa大学(KUSTAR)へ。ご当地は原子力発電を建設中でもあり、国会事故調の話、国際的な原子力の情勢等について議論をすることができました。原子力関係の方々も多くが出席してくれました。なかなか好評でした。

ところで、アブダビ政府が、この大学にかける意気込みは相当なものです。これからの計画等についても話を聞いて、夕食後、空港へ向かい、帰国の途に就きました。

New Yorkに始まる、けっこう長い旅でした。

11月の海外いろいろ -2: NYCからKLへ

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New York City(NYC)から、成田へ。そこで寒いNYCで必要だった防寒用の衣類を自宅に送り、Singapore Airlineへ乗り換え。A380で、初めてSuiteに乗ることになりました。なかなかのものですがEmiratesと違ってシャワーは無いのです。でも素敵な個室です。

午前3時過ぎにChangi空港着、そこで乗り換えて朝6時過ぎにKuala Lumpurへ。朝10時からの会議にでかけます。

San Franciscoまでにかなり進めた協力計画の最後の調整で、何とか調印にこぎつけます。関係者の皆さんに感謝。でも、もう一息の過程があるのです。とにかく前に進む、実行してみることが大事。この経験値が、関係者の間でも、そのうち役に立つでしょう。

同じ日の最終便で成田へ。成田から帰宅したものの、いろいろ詰め替えて、夕方には成田へ戻り、Etihadでアブダビへ、World Economic Forum、Global Agenda Council に参加するのです。

ちょっとクレイジー?まあそうかもしれませんね。

いろいろなところへ

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大阪で行われたMansfield財団による原子力の日米協力のパネル(10月1日)の後は、すぐに沖縄へ。OISTの理事会へ向かいました。

ここでは2泊(10月2、3日)の予定でしたが、風邪気味で、2日目を終わって東京へもどり、翌日4日はテレビ会議で参加しました。いろいろな課題はありますが、10年でここまで来たのは素晴らしいことです。しかし、これからが一つの転換期になるように思います。

5日の午前中は日本腎臓学会の「男女共同参画のパネル」に参加、その後は京都へ、STS Forum(10月5日~8日)です。これも今年で10周年を迎えました。素晴らしいことです。参加者も1,000人ほどと増加し、安倍総理のスピーチに始まる良い出だしでした。私も「ICTと教育」というセッションのパネルに出ました。期間中に多くの友人にお会いしますが、今年はQatar財団の方々も初めて見えられ、会談のほかにも、日本から協力していただけそうな何人かの研究者をご紹介しました。

8日、京都から帰ってからは、東京で某外資系企業の役員と会食。9日、10日はオリエンタル技研の35周年で2日にわたってOISTの設計を担当したKen Kornbergと講演をしました。彼はノーベル医学・生理学賞を受賞したArther Kornbergの息子さんで、お兄さんのRoger Kornbergはノーベル化学賞を受賞しています。
もう一人のお兄さんThomasもすごい分子生物学者です。

11日は自民党で新しい原子力規制委員会の在り方について議論、その後HGPI主催のグローバルヘルスの夏のセミナーでお世話になった「IOCA」のアトリエを訪問。これは企業役員などにも評価されているということで、一度は参加してみようと思いました。

夜はスイス大使館で、環境・交通・エネルギー・通信を担当する実力大臣Mrs Doris Leuthardさんを迎えて、主として原子力についての話題をめぐってお招きを受けました。

相も変わらずいろいろと忙しくしていますが、私が何かの成果が出しているのか(?)、貢献をしているのか(?)、といわれるとちょっと考えてしまいます。

パリへ

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17日の午後、Eurailで4時ちょっと前にパリ北駅に到着。蒸し暑い。

さっそくホテルで着替えて米仏商工会議所パリの会場へ。Jeff Immelt GE会長の講演会のお招きを受けていたのです。Globalizationと大企業の在り方がテーマですが、この重責を10年ですからさすがです。ちょっとご挨拶をさせていただき、Musee d’Orsayへ。ちょうど開催中のHays Collectionを案内していただきました。

ここで今回お招きを受けたのはInstitut de L’EnprepriseによるInternatonal Business Think Tank1)で、まずは17日のディナーです。フランスのPierre Moscovivi経済財務大臣の講演、そして目玉はMario Monti前イタリア首相とノーベル経済賞のPaul Krugmanの対談です。なんといってもこの2人の対話は、意見の違いはいろいろありますが、多くの示唆に富む、しかも内容に深みのあるものでした。 Krugmanさん、ちょうど数日前にintl Herald Tribuneに出ていましたし、NY Timesだと思いますが、いい意見を書いていましたし、折しもアイルランドでG8 サミットの時期でもあり、Abenomicsにも触れられました。この対談、私もいくつかtweet (twitters of first twitters of June 18th @kiyoshikurokawa)しました。何点か写真も見れます。

Montiさんは、経済学者であり、またEU のCommissionerもされ、しかも財政危機にあるイタリアを首相として政治家のいない内閣を率いたのはなかなかのことだったと思います。発言の中で「EUの会議でも、各国首脳の発言が、政治家でない視点で、実務家のやるような細かいことばかりに議論が進んでいくのは問題だ、、、」といった発言など、いいことをいくつも言われていました。

翌日18日の会議は、Musee de Arts Primitifs Branlyで、2~400人ほどの方たちでしょうか。Keynote、Panelなどの形式があり、午前にはEsko Ahoさん(1)、冷戦終結時のFinlandの首相、そしてZARAで知られるInditexの社長のPablo Islaさん、そして私とDaniel Tammetさんが午後のKeynoteでした。これらは素晴らしいものでした。主催側のTwitterでも一部フォローできます。
ちょうどパリでの恒例のAir Showの折でもあり、夜はアジアからの関係者との会食をしました。
翌朝はCDG空港へ、Washington DCへ向かいました。

最近の出来事

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このブログ、最近は途絶えがち。なんだか、やたらと忙しくて、5月31日の早朝にBangkokから戻り、英国大使館での朝食のあとから途絶えていました。

いずれご報告と思いますが、5月31日の午後からはHGPIとJCIEとのジョイントで、TICAD5へむけたアフリカ開発シンポジウム(5回シリーズの最終回)1)を主催。夜は翌日の朝から開催されるGHIT(Global Health Innovation Technology)理事会の理事の皆さんとの会食で横浜へ向かいました。横浜で一泊です。

GHITは、世界でも珍しい、日本でも初めての官民とGates財団とがタッグを組んだ5年企画。これからのかじ取りが大変そうです。

翌日は朝からGHITの理事会、続いて評議員会、記者会見と続いて、一瞬、東京へ。石倉洋子さんとの「Global Agenda Seminar 2013」の始まりにお話しをしに東京へ戻り、またすぐに横浜へとんぼ返り。夕方からHideyo Noguchi Africa Prize授賞式へ。まずは受賞のお二人、Dr Peter PiotDr Alex Cortinhoをお迎えし、天皇皇后陛下へ受賞者のご紹介、夜は表彰式と晩餐会に追われて、夜遅くに帰宅しました。

これが5月31日のBangkokから翌日6月1日の2日間の出来事のあらましです。やれやれ、いくつかの大役を果たしました。

6月2日は、10年という間に、世界に通用する本物の大学生を育ててきた、今や最も評価が高いとも言われる国際教養大学中嶋嶺雄先生12)のお別れの会へ。素晴らしい学者であり、本物の教育者、本当に、本当に惜しい方をなくしました。先生が亡くなられたのは本当に急なことでした。合掌。

Wiston House, West Sussex

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St. Gallenを午後に出発、Heathrowに到着。そこから緑が両側に広がる道をひたすら南へ90分、West Sussexに来ました。

UK-Japan 21st Century GroupというNakasone-Thatcher両国首相によって発足した会議の30th Annual Conferenceです。私は一日遅れて参加です。議長はLord Howardと塩崎恭久さんの両議員です。

会議の場所はいかにも英国風のWiston House、第1日目の夕食に間に合ってほっとしました。

翌日の第2日、5月4日は、まず英国外務省の主任科学顧問のRobin Grimesと私で始まる「4. Climate Change and Energy Policy」、参加者から活発な意見が出ます。これはとても楽しいですね。

この日のテーマはそのほかに「5. Geopolitical and Security Challenges in East Asia and the Middle East」、「6. The UK and Japan; Future Prospects for Trade and Investment」、「7. Corporate Governance and 21st Century Capitalism; Common Concerns」がありました。しかし皆さんの議論、意見の多様性と広さと深さは大いに楽しめました。

晩餐は近くのAmberley Castleへ移動して、開催されました。Wiston Houseといい、Amberley Castleといい、古い建築物は格別です。石でできているし、地震が少ないから1000年ももっているのでしょう。

第3日は午前で終了。テーマは「8. International Development and Cooperation」、「9. The UK and Japan, Progress in Developing UK-Japan Bilateral Cooperation and Prospects for the Future」というものでした。

初日のテーマは「1. Latest Developments in Japan; The Political Situation and Economic Prospects」、「2. Latest Developments in the UK; The Political Situation and Economic Prospects」、「3. Retrenchment or Stagnation: Lessons from Japan’s ‘Lost Decades’」というものでした。

この2、3年の世界のテーマは、ダボス、St. Gallenなどでも、先進各国のPolitical Situation and Economic Stagnationです。何しろ世界の様相が様変わりしているのですから。

しかし、英国の政治家をはじめとする方たちはそれぞれが論客であり、ものの見方、考え方の大きさは歴史の深さもありますが、私としてはさすがと感じ、学ぶことが多かったと思います。

英国と日本は大陸に沿った、海に囲まれた島国、資源が少ないという共通性がある一方で、それぞれの「強さと弱さ」がきわめて補完的だと思います。グローバル世界の中でもなかなか良い関係になれると思うのですが、どう思いますか?

夕方にはHeathrowへ、帰国の途に就きます。St. Gallen、West Sussexとそれぞれ2泊の滞在でした。

 

アブダビから ? 2

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アブダビ訪問の2日目は経済開発局(Department of Economic Development)です。Alsowaidi長官以下が参加され、私たちの一行との産官学の協力についてとても歓迎してくださいました。とくに、前日私が体験したUAE大学Al Ain校での「Sakura Club」の偶然はとても喜んでくださいました。さらにこの会談が東大先端研の発案でできたことなので、研究開発の協力についていくつもの話題に議論が進みました。このようないわば「トラック2的」な会合はとても大事な国家のお付き合いの基本要素と思います。

アブダビ側からは「アブダビ2030」というプレゼンがあり、日本サイドからは昭和医科大学の工藤教授(消化器外科)も参加して大腸ポリープの内視鏡による切除のビデオを使った説明や、参加したいくつかの企業のプレゼン、また東大先端研の紹介などがありました。

私はほかの用事で1時間ほど中座しましたが、この訪問は現地の新聞に掲載されました。もっとも、私の肩書が間違っていたのが、ちょっと残念。

皆さんご存知のように、Abu Dhabiでは原子力発電所の建設中であり、日本との交流を一層深めたいのです、そして今回の事故からも学びたいのです。

無事に予定が終わって、今度はZayed大学へ向かいました。これも驚くほど素晴らしい施設で、最先端の設備です。ここにも「日本ファンクラブ」のようなものがあるようでした。

夜は加茂大使のご厚意で、3年ぶりのことでしたが大使公邸へ伺い、夕食をいただきました。

翌日は今回の訪問の最後の日。私はといえば、私も理事を務めているKhalifa大学のLaursen学長を訪問、そのあと昼食を皆さんとゆっくりしながら それぞれが帰国の途に就きます。夜はアブダビに2年契約できている新聞記者のインタビュー、この記事も掲載されていました

彼女はHarvard大学卒業で、インタビューのあとご当地にいるHarvard関係者のPark Hyatt Hotelでのディナーに招かれ、参加しました。なかなか素敵なホテルです。いろいろな人が仕事できています。そのあと夜11時にホテルをチェックアウト、飛行場へ向かいました。

これからLondon経由でLos Angeles へ、全行程24時間ほどの旅です。

 

アブダビから ? 1

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久しぶりにアブダビに来ました。今回はアブダビの大学関係や日本とも関係を広げたいという趣旨で来たのです。

私と元経済産業相の豊田さん、さらに東京大学先端研所長の中野先生たちと、いくつかのご当地と関係の深い数社の方たちの20人近いグループです。もとはといえば、私がアブダビのカリファ大学の理事をしている関係、そして東京大学でも総長顧問団(President's Council)、また東京大学先端研所の理事をしていることもあって、相互の大学間の関係を構築したいと考えていたからです。もちろん、教育や研究だけでなく、日本とUnited Arab Emiratesはこの40年とはいえ、深い相互関係もあります。日本へのエネルギーの主要輸出国と輸入国という関係なのです。先月は茂木大臣が訪問され、東大先端研も含めていろいろな協定が結ばれました。

夜遅く到着して翌日の第1日、アラブ首長国連合の国立大学UAE Universityキャンパスを視察。欧米の多くの大学、企業が研究室を開設しとても活発な教育研究活動をしている様子が良く見えます。特に学部教育に熱心です。日本の名前が見えないのですね。とても残念なことです。そして、この大学には「Sakura Club」という日本を知りたい、日本と友達になりたい学生たちのクラブがあることを知りました。

午後はUAE大学本校のあるAl Ainへ向かいました。車で90分の行程です。快晴で気温は25-27Cほどの快適さ。素晴らしいキャンパス、いろいろ見せていただきました。3~4年ほど前にもこの医学部へ来たことがあります。医学部はJohns Hopkins大学と提携しています。ここも学部教育が中心です。

5時には出発の予定でしたが、本部の素晴らしい建物に入ると、なんと5~6時に「Sakura Clubのイベント」と掲示してあるではないですか。予定を急遽変更し、講堂に入ったところ、なんと着物を着た女子学生と、本格的な和服姿の日本舞踊の女性が。これがなんと服部マコ(眞湖)さんとそのチームではないですか。お互いに知っているので「なんだなんだと」、あちらも驚いたでしょうね。何しろ予測のしないところに、日本男子20人ほどが突然入ってきたのですから。みんなとてもうれしくなって、マコさんの着物の解説と踊りなど、皆さんとてもいい時間を過ごしました。

去年の11月に着任された日本の加茂大使ご夫妻もこられました。

ここで早稲田から1年間勉強に来ている女子学生に会いました。彼女もびっくりしたでしょうね。充実した大学生活をしていると言っていました。

講堂では舞台に向かって左側に女子学生、右側に男子学生と分かれて座っています。これがご当地の規則なのですね。

私たちは30分ほどで失礼しましたが、学生さんたちみんなの良い思い出になったでしょう。

こんなところでも意外な出会いがあるものですね。

 

パリのOECD会議

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2月11日、パリへ向かいました。13、14日のOECD Knowledge Based Capital のパネルにお招きを受けたのです。1日早い出発ですが、いろいろな方のお招きを受けているので、この機会にと出かけました。

午後5時にホテルへチェックイン、夜はOECD吉川大使公邸でディナーです。前任の服部大使の時にも訪れたところです。

12日の午前はTable For Twoの現地の活動をしているお2人とOECDへ。そこからWANO会長のLaurent Strickerさんと昼食へ、フランス原子力安全委員会委員のPhilippe Jametさんとは12月にも東京でお会いしています。

夜はAHPの関係で10人ほどのパリのフランス財界、日本企業の方たちと、Dominique Bouchetでちょっとしゃれたフランス料理でした。ここでの話題は国会事故調のことから、いろいろ広い話題でした。AHPのことはほとんど話題になりませんでしたが、多彩な方たちですから、とても楽しかったです。

翌日はOECD会議です。私は始まりのパネル、英国 Willetts大臣とSwedenのLjung大臣、そしてUSのLandefeldさんもご一緒で、司会はOECDのWyckoffさんです。ついつい立ち上がって10分ほど。参加者は主として官庁や政策の方たちのようなので、今の世界が大変化を起こしているという産業革命以来の大変化なのではないか、というプレゼンをしました。スライドは2枚、MIT Media LabのJoi Ito所長と三菱総研の小宮山理事長のスライドを修飾したものをお見せし、コピーを配布しました。

何人もの日本からの出向でOECDで活躍している方たちともお会いしました。去年まで2年間ここで活躍していた原山優子さんも英国からの帰りとかで、この会議へ出席。久しぶりにお会いしました。

途中で抜けだして、フランスの放射能研究所(IRSN)へ。昼食を囲んでJacques Repussardさんと上級役員といろいろ議論しました。ここヘは去年の3月には国会事故調のメンバーの訪問もあったところです。オープンな意見交換はとても相互理解に訳に立つことです。

再びOECDへ戻り、最後の2つのパネルのあとレセプション、デイナーと続きホテルへ。ここでもいろいろな方とお話しする機会がありました。

何人もの方たちから、私の話はとてもよかった、といわれました。会議の始まりに、参加者の皆さんと大きくものを考える枠組みを提示したことがよかったのでしょうね。

明日の朝にはBostonへ向け出発です。