タヒチ-4 (吉田松陰のこと)

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Highland_s

先日のブログ「タヒチ-3」で、灯台の入り口にあるプレートの写真を掲載しましたが、そこには以下の一文が記されています。

“ Robert Louis Stevenson、Tahiti 1888
‘Great were the feelings of emotion as I stood with mother by my side and we looked upon the edifice designed by my father when I was sixteen and worked in his office during the summer of 1866.’”

これを見たときに、「これだ!」と感じたのです。

Robert Louis Stevenson(1850-94) は「宝島」、「ジキル博士とハイド氏」などで知られる英国の作家ですが、両親、そしてお祖父さんも灯台を作るエンジニアの一家なのです。Robertは身体が弱く、家族の期待には応えられなかったのですが、文学に才能を発揮します。1874年、フランスで病気療養中、10歳年上の子連れの米国人女性と恋仲になります。病弱で死にそうになりながら1879年に渡米し、Californiaにやってきます。そして1880年に結婚するのです。

Robert Stevensonは1880~87年に家族とともに英国に帰りますが、父親の死とともに母親と家族を連れて米国へ戻り、翌1888年に太平洋に旅立つのです。ここTahitiのプレートは1888年、その年なのです。

彼は1894年暮れに太平洋の島で44歳で亡くなります。Wikipediaなどで彼のことを調べて見ると実に面白いです。人間の歴史がここにあります。

このプレートを見て「これだ!」と感じたのは何か。それは吉田松陰(1830-59)のことです。この松陰とStevensonの奇妙な関係をいつか紹介したいなと、実は何年も考えていたところだったのです。2007年5月の「天皇陛下のリンネ誕生300年のご講演」についても、いつ紹介しようかと随分考えました。

近代日本を立ち上げる大事な精神的きっかけを作った一人が吉田松陰です。彼の松下村塾は、明治維新にいたる多くの志士を生み出しました。この松陰のことを初めて書いたのが、実はこのStevensonなのです。それは1880年3月に「Yoshida-Torajiro」(吉田寅次郎とは松陰の通称)というタイトルで書かれていて(Cornhill Magazine 41)、1882年に「Familiar Studies of Men and Books」として一冊の本にまとめられて出版されています。

これは、松陰の死後20年目に英語で書かれています。では、誰が松陰の話をしたのでしょうか。その答えはStevensonのエッセイの初めに書かれています。「Taizo Masaki」です。

正木退蔵、東京工業大学(当時の名前は違いますが)の初代学長です。正木とStevensonの関係について触れているサイトはいくつもありますので、調べてみてください(参考: 123456) 。

また、“よしだみどり”さんの本で「日本より先に書かれた謎の吉田松陰伝 烈々たる日本人―イギリスの文豪ステーヴンスンがなぜ?」(2000年)というものもあります。いろいろと調べてみて、この不思議な縁と、偉大な松陰のこと、そして“教育の本質”について考えてみてください。

混迷の今の日本に松陰はいずこに?

それにしても、Tahitiでこのご縁に出くわすとは思いませんでした。

独自の特徴を伸ばす

私は成蹊学園で中高6年間を過ごしました。このブログでも何度か触れていますが、この時期は人間形成にとってとても大事な時期だと思います。

去年の6月、同窓会総会にお招きを受け、成蹊学園の課題について話をいたしました。少し長いのですが、ご興味があればと思い、講演のPDF を掲載します。以前紹介しましたが、少し短いインタビュー記事もあるのでこちらも見てください。

グローバル時代に、学校もいかに独自の特徴、価値を伸ばすか、他と差別できるか、これが要、といういつもながらの話です。

しかし、そうは言っても伝統というものはそんなに簡単に構築できるものではありません。しかし、私立学校には、その建学の精神にきわめて普遍性の高いものが多いのです。そこに立ち返るということです。特にグローバルなフラットな世界でも認められる特徴、これが大事です。生徒の人間形成に決定的な役割を果たすと思います。

それにしても、昭和24年の発行、いまや95版を数える名著、慶應義塾池田潔教授の「自由と規律」、これはぜひ皆さん、特に教育に関心のある方に読んで欲しい本です。

人づくりこそが、国の根幹です。

「生物資源の保存」シンポジウム、天皇陛下のリンネの記念講演

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12月9日、神戸での学会で「生物資源保存」についてのシンポジウムがあり、基調講演(プログラムフルテキストPDF )にお招きいただきました。講演の前に、生物資源保存の展示 に伺いました。たくさんの資源が集められ、研究されていて、すばらしかったです。皆さん、とてもがんばっています。若い方たちに、「これだけ多いサンプルなのに、すべてに名前がついているのは不思議だと思わない?」と聞きました。

今回私は用意しておいた資料に沿ってお話しましたが(最近は、原則としてpowerpointを使わないことにしているのです)、講演の内容については、このブログを時々読んでくれている方には、見当がつくものだと思います。

資料の順序に沿って話しましたが、講演で特に伝えたかったのは後半部分です。

まず、去年(2007年)リンネの生誕300年にあたって、天皇皇后両陛下がSwedenをご訪問され(参照 1 2 3 )、Uppsala大学(1477年設立)の名誉会員になられました。これはSweden国王を含めて4人しかいないと聞きました。(こちらのサイトでも様々な写真が閲覧できます。

その後、Londonのリンネ学会にも訪問され(参照 1 2 )、陛下の格調高記念講演がありました。それを読んでみるととても感動します。この背景には国民が皇室を尊敬し、誇りに思う基本があると私は考えるのです。格調高い本当にすばらしい内容と構成です。多くの動植物種に学名がついていることのリンネの貢献についても触れられています。ぜひ読んでみてください。

Uppsala02写真: Uppsala大学長Hallbergさん一行が訪日のときにSweden大使館で。陛下の訪問が話題になりました。

この原稿は誰が書いたと思いますか?ほとんどが天皇陛下ご自身としか考えられません。本当にすごいことです。ご公務を考えれば、そのご努力がどれほど大変なものか、想像してみればすぐ理解できると思います。

この陛下のご講演をいつか皆さんにも読んでもらいたい、と思っていたのですが、今回は本当にいい機会でした。

もう一つは、「アメリカ大陸に最初に来たヒトはアイヌ?」という最近の話題です。資料はとにかく集めて整理しておくことが大事なのです。サンプルがなければいくら解析技術が進歩したところで何もできません。

科学でも何でもそうですが、私たちの現在は多くの先人の努力の積み重ねの上に成り立っているのです。小手先の「なんの役に立つのか?」などというばかりの学術政策、研究費配分、役所への陳情など、みな発想からして貧困です。

ガラパゴス化する日本の製造業

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「ガラパゴス化」という言葉が広く使われるようになってきましたね(この言葉をGoogleで検索すると、36万近いサイトが出てきます)。皆さんご存知ですよね。

ついに、「ガラパゴス化する日本の製造業」(東洋経済新報社)という、そのものずばりのタイトルの本が出ました。是非読んでみてください。特にビジネスに関わる方たちには、いろいろと参考になることが多い本です。

日本の強さは「ものづくり」とよくいいますが、それだけではダメです。このblogでも何度も言っているところですが、人の心をつかむ、動かす“ものがたり”が大事なのです。「ものづくり」は、「ものがたり」の一部でしかないのです。英語で言う「story telling」が大事なのです。そこで、目標、戦略を立ててドンドン行動する。60年代のSONYの盛田さんやホンダの本田宗一郎さんたちのような人はいま存在しますか?これがビジネス、特にグローバル時代にもっとも重要なことで、スピードをもって行動することです。国内だけに目を向けている人は、退場して欲しいです。若い人たちが育ちませんからね。

「技術は日本が一番」なんていつも言っている人たちがいますが、それでは世界にどの程度進出しているのでしょうか?来月はスペイン国王が、上り坂スペインのソーラーパネル企業をつれて日本にやって来ます。

この本の著者宮崎智彦さんは、東京大学理学部、理論物理の博士、野村證券での調査研究の成果に基づいたデータを示しながら、いろいろヒント出してくれています。この本を読んだら「できない理由」などは言えないでしょう。「やること」をしっかり考え、一人ひとりが行動しなくては。特に「リーダー」といわれるお立場の方たち、企業でも責任あるお立場の人たち、しっかり願います。若者のお手本になるように行動してください。日本そして世界の若者が見ているのです。

今年はダーウィンの「種の起源」出版から150年目です。ここでのメッセージは「生き残るのは一番強いものではない、一番賢いものでもない、環境の変化に適応したものだ」(私のスピーチも見てください)ということなのです。この適応へのスピードが、いまや勝負なのです。

日本は「グローバル化」、「フラットな世界」という環境の変化に適応できているのでしょうか?
石倉洋子さんのblogにも繰り返し出てくるテーマです。

教育でも独自の強みを生かす

わたしは成蹊学園に6年間在学し、中学高校を卒業しました。英国のPublic Schoolをモデルに100年前に作られた学校で、リベラルな、でも規律のある校風です。Public Schoolの雰囲気は、60年前に出版された、池田潔慶応大学教授の「自由と規律」 をお勧めします。もちろん日本での事情は大いに違いますが。

最近、母校へのメッセージを書きましたので、紹介します。

 成蹊学園広報 2008 Spring
 (成蹊学園広報のウェブサイト「SEIKEI WEB MAGAZINE」はこちら)

日本は島国

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最近Newsweek誌に“This Nation Is An Island”という記事が掲載されました。その主旨は、日本人の考え方が昔からいかに島国根性で、今も日本社会のあらゆるところにそれが残っているかというものでした。このメッセージは主要な外国雑誌(例えば2008/02, 2007/12)の過去の記事と良く呼応しますし、私の近著“イノベーション思考法”でも数例取り上げたように、いくつかの日本人による最近の著作のメッセージとも合致しています。
ブログのあちこちで言及していますが、私もこの意見に同意します。

このレポートでは日本は過去に何世紀も閉ざされてきており、外国人にとってはオフリミット(立ち入り禁止)で、このグローバル化が進んだフラットな時代にあっても、今も根本的には鎖国状態が続いていると強い調子で述べています。人類共通の利益に貢献するような新しい世界的秩序を追求すべく、日本が世界規模の活動の一員、プレーヤーとして参加することを助けてくれるような幅広い活躍の機会を持つ優秀な人材が沢山いるのに、日本がグローバルな場に出て行かないのを見るのは悲しすぎます。

日本は依然として世界で2番目に大きな経済力を持っていることを忘れないで下さい。ローカルに考え(ローカルな価値観や個性)グローバルに行動する起業家がもっともっと必要です。最近1960年代のソニーの盛田さんを想起させるようなビジネスマンを見たことがありますか?テクノロジーだけでは充分ではありません。世界の人々の心を捉えるのは全体としての企業活動なのです。

行った年2007年、来た年2008年、日本はどこへ

皆さんにはこのblog等を通して定期的に報告していましたが、皆さんもそうでしょうけど、2007年は私も大変な年でした。「イノベーション25」のまとめ、それに関連した国内外の講演等々があったからです(*注1)。皆さんからずいぶん勉強させてもらいました。そして、9月12日には安倍総理の退任、新総理選出等の政変の近くで仕事をしていたわけです。一方で、この10年の日本の衰退はどうしたものでしょう。

注1:このサイトで、どこへどんなことで行ったのか、主要なものはお知らせしていますが、2007年の海外出張日数は出発日と帰国日をあわせて1日と勘定して87日ほどでした。ちなみに、2006年は約75日、2005年は約100日でした。

国内では「いざなぎ景気以来」とか、結構な景気づけの声も聞かれていましたが、本当のところはどうなのでしょうか。単なるデフレでそう見えるのでしょうか。サブプライムの問題を言う人もいますが、日本の場合はどの程度までが本当でしょうか。国際情勢とは反対に東証株価は下落で終わりました。日経新聞の年末シリーズ「越年する経済政策課題」(特にその4)は本質的な指摘が多くされています。要するに、精神的な鎖国です。志向も、行動も外へ出たくない、外と付き合いたくないのです。自信がないのですね。「内弁慶」の「男性社会」ということなのです。

「週刊 東洋経済」12月29日/1月5日迎春合併号の「10賢人が語る世界の大変革」で、私の意見が出ています 。この“10人”の根拠はわかりませんが、私というのはちょっとね・・・。でも、光栄なことです。日本のGDPは依然として世界第2位ですが、この10年でOECD諸国のGDPが増えているのに比べ、日本だけはGDPが増えていないのです。一人当たりのGDPは一時の世界第2、3位のあたりから、今や18位に。これはさらに落ちると予測されています。これでは国内に閉塞感があるのは無理ないことと理解できるでしょう。

この成長できない産業、経済はなぜでしょう。何をどうしたらいいのでしょう。ここに「カギ」があります。政界、財界、行政、学会、メディア等々、全ての社会構造の「リーダー」といわれる職責にある人たち、しっかりとしてください。いつまでも、精神的鎖国ではダメですよ。これは、このblogの底流に常にあるメッセージです。

グローバル社会では、国内外の格差は広がっていきます。最近のプロ野球ではメジャーに移籍する選手が増え、彼らの年俸を見ていれば、この「格差」は歴然としてはいませんか?国のGDP、つまり分ける「パイ」が増えなければ、貧困者が増えるのは理の当然です。これをどうするかは国家の役割です。相変わらず地方への同じ種類の公共事業というのは策がなさ過ぎます。雇用をどう守るのか、これも大事な政策課題です。従来の社会制度、例えば、年功序列、一生涯同じ企業勤めが常識という社会制度ではうまくいきません。なぜ、今まではうまく行ったのでしょうか?

最近の国際的ジャーナルに日本経済特集が出ましたが、時を同じくして、「週刊 東洋経済」12月第2週号では「iPod」の特集がありました。日本の「強さ、弱さ」を正確に指摘しています。林信行さんの「iPhoneショック」も素晴らしいです。また、多くのいわゆる国際派の方々の論評では、日本は急速に衰退しているという指摘が多いのです。その原因の指摘についてもみな同じです。

冨山和彦さんの2冊の本、立花隆さんの「滅びゆく国家、日本はどこへ向かうのか」、船橋洋一さんの「日本孤立」、ウォルフレンさんの「もう一つの鎖国、日本は世界で孤立する」、高城剛さんの「「ひきこもり国家」日本」、そして再び林信行さんの「iPhoneショック」などはそれらの典型といえましょう。結局は、最近注目された白洲次郎と、そのエッセイ集「プリンシプルのない日本」で指摘されているところが、基本的にそのまま続いているのです。

世界には日本びいきの応援団は大勢いらっしゃいます。皆、気にしているのです。特に「リーダー」といわれるような社会的地位の人たちはしっかりしてください。

さあ、2008年はどんな年になるでしょう。5月はTICAD、7月はG8サミットと世界の注目の的となる日本です。このグローバル時代、従来の社会経済構造ではいくつもあるでしょう「できない理由」は横において、どうしたらいいのか、何をするべきか、それぞれ一人ひとりが、「従来からの常識の枠を超えて」、「考え抜いて(「考える」では不十分です)」、「失敗を恐れず」、「行動する」ことです。私の持論でもありますが、Charles Murreyの「Human Accomplishments」にも明示されているように、いつも「時代の変人」が、時代を変えるのです。

さて、ここで2008年の宿題。2007年最大の明るいニュースは、京都大学の山中さんの遺伝子操作で生まれた新しい幹細胞「iPS」でした。これはどうしたらいいでしょうか?どうなるか注目して見て行きましょう。この設問は、私は、これこそが日本の基本的課題の一つの典型例だと思うからです。いずれまた議論いたしましょう。