沖縄へ、アジアの若者たちの交流を支援する

English

福島を訪れた翌日は、朝から沖縄へ向かいます。

「アジアユース人材育成プログラム Asian Youth Developing Program in Okinawa (AYDPO)」(旧アジア青年の家 Asian Youth Exchange Program in Okinawa (AYEPO)は2011年より現在の名称に変わりました)の最終日に参加するためです。今までもこのサイトで紹介(資料)しているように14-16歳のアジアの若者たちが、沖縄で3週間の合宿をするのです。

私はこのプログラムの企画の時からかかわっているので、毎年のように出かけています。今年も最後の日に出かけました。このような企画から、素晴らしい将来のネットワークを持った若者たちがたくさん出てくるでしょう。過去の参加者と大学生のチューターは、皆さんがFacebookでつながっており、毎年この時期になると、最も楽しかった思い出として、盛り上がっています。みなさん、多様なキャリアを歩き始めていてとても楽しみです。もう今年で400人を超えるサークルになっています。

最終日の皆さんの準備 と発表はいつも感激的です。楽しんでください。このところは、毎年「水問題」を議論していますね。

そのあと私のClosing lectureです。「Uncertain Times Ahead; New leadership」というタイトルで話をしました。前回のカラムに書いた「Harvard-Liberal Arts Without Borders」での私の基調講演と同じような趣旨です。講演映像はこちらをご覧下さい(1時間31分50秒から始まります。)

参加の若者たちばかりでなく、多くの支援してくださっている方たちも参加して、楽しいレセプションでした。

こういう企画がもっともっと、いろいろなやり方で広がってほしいです。

明日には大きな台風が来るということで、夜に東京に帰ってきました。

 

国会事故調査委員会 -2

English

8月23日、国会事故調査委員会の報告書を提出してほぼ6週間、私は「元委員長」として、福島原発事故で被災されている12市町村の首長さんを訪ねています。お見舞いと調査へのご協力へのお礼のご挨拶です。皆さん、本当にご苦労されています。

今回は最終回で、2人のスタッフと出かけ郡山駅で蜂須賀(元)委員と合流、蜂須賀さんの車で1時間ほど、川内村の役場へ遠藤村長をたずねました。

そこからまた車で約2時間、大熊町の役場が避難している会津若松へ向かいます。途中で高速道路を降りてご当地のうどんの昼食、猪苗代湖を左に眺め、蕎麦の花の咲く広い畑などを眺めながら会津若松へ到着しました。

蜂須賀さんたちの避難している仮設住宅を訪ねてから大熊町役場へ、渡辺町長さんを訪問しました。とてもとても暑い日でしたが、仮の役場は冷房もなく、皆さん扇風機の中で忙しく働いておられます。皆さんとも何枚か写真を。

日常の生活基盤を瞬時に破壊されたまま、まだ先の見えない多くの方々を抱える首長さんたちと役場の方達のご苦労には、なんとも言えず辛い気持ちで胸がいっぱいになります。

私たちの報告書が、この状況を少しでも早く、良い方向へ向けることの役にたてば、と改めて思います。

東京駅に着いて、そのまま週刊朝日のネット上での国会事故調についてのセッションへ。70分ほどでしたが、有益なやり取りができたと思います。ぜひ見て、皆さんで考えてください。

福島の被災された12市町村の首長さん訪問をやっと終えて、何か気持ちがホッとしました。

 

St Gallenへのお誘い、参加してみないか?

St Gallen会議 について、私もこの数年、参加する機会があり、このサイトでも(資料)紹介しています。

世界のリーダーや若者たちのとの交流、そしてすばらしい町の大学キャンパスでの充実した時間をすごすことができます。

来年2012年のSt Gallen会議 に参加を考えてみませんか?参加の要綱は「こちら」です。それなりに厳しいハードルがありますが、チャレンジしてください。

 

台北へ、国内でもいろいろと

English

ソウル、沖縄の次の週末は台北へ。台湾内科学会での招請講演です。もう一人は米国内科学会の会長のVirginia Hood さん、今年の4月にSan Diego でもお会いしています。

日曜の午後、台北から車で40分ほどのところにあるJiufen (資料1)へ。映画「非情城市」のロケ地、また宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」のモデルにもなった建物や坂道の商店街など、話を伺いました。なかなか、面白いところで一度は訪問されるとよいところと思います。天気のよい日曜だったので、大勢の人、車で大変でしたが、、。  

あまり景気がよくないのでしょうか、昔に比べて、なんとなく台北も元気がないような気がしました。

この週末に前後して、例年の人間ドック検診、UCLAの同窓会、Canon財団の研究グラント審査、米国大使館での今年で2度目のThe Entrenpreneur Awards Japan 2011, Second Annual Awards Ceremonyなどに参加しました。Roos大使の肝いりのイヴェントのひとつです。

毎日があわただしく過ぎていきます、ちょっと困ったものです。

 

日曜日の仙台、TEDxTohokuへ

English

秋晴れのすがすがしい日曜日。朝から仙台へ出発。TEDxTohokuに参加です。

ImpactJapanは3年前からTEDxTokyoを主催していますが、チームのPatrick、Toddも久しぶり。今回の大震災を受けて、多くの若者が主催して、特別にTEDxTohokuとして開催されたものです。会場は仙台、東北大学の川内萩ホール。立派なホールです。

新幹線の中で、安倍元総理にばったりお会いしました。岩手の海岸のほうへ講演をかねてお出かけとのこと。「もし帰りがけに時間があれば、仙台にお寄りになり、チョッとお話しませんか?」とお誘いしましたが、いささか無理のようでした、当然ですね、でも残念。

それぞれの演者がすばらしい物語を語ってくださいました。これもライヴで皆さんUstreamで流しました。これらは、あとでネット上で皆さんも見れるようになると思います。皆さん「かたり」がお上手なのですね。特に、気仙沼のオイカワデニムの及川秀子女性社長さんと息子さん3人の話はとても胸を打たれる内容で、さらに話し方がトツトツとしてとてもよかったのです。最後は、Californiaから参加のIDEOのPaul Bennettさんの話。4つの動物のメタフォーで日本へのメッセージでした。パワポの具合がスムーズでなくてチョッと残念でした。

さすが杜の街、仙台。ホールの外は秋らしい天気でとても気持ちのよいものでした。レセプションに参加し、お先に退席し、東京へ。

多くの元気で、日本を災害の現場から変えようという若者との1日はとても楽しいものでした。

 

Project Hope理事会でスピーチ、Washington DC

English

東北再建支援で協力しているProject Hopeの理事会で、お礼のご挨拶とスピーチのためにAbu DhabiからWashington DCにきました。

Dubaiから早朝にWashington DCのDulles空港着。Mandarin Oriental Hotelへ。忙しく身支度を整えて、HGPIの乗竹くん、Project HopeのFred Garberさん(資料1)と合流して日本大使館へ、藤崎大使にご挨拶に向かいました。このProject Hopeと私達のImpact Japan - HGPIの作業は、「3.11」東北災害の後まもなく頂いたWashington DCの藤崎大使から私の携帯への電話から始まったのです。

大使館訪問の後、National Academy of Sciences、AAASの建物内にある、私も関与しているGlobal Knowledge Initiative へ。

Project Hopeの理事会は年4回ほど開催されるそうで、そのうちの2回はゲストをお招きして話をお聞きするのだそうです。Project Hopeは世界に展開する最大ともいえる災害医療チームですから、「どんな人たちがスピーチにきたのか?」と聞いたところ、最近では「James Jones 」だよ、といわれ気分としてチョッとあせりました。Jones氏はObama政権の安全保障の最高責任者National Security Advisorだったからです。また、Condoleezza Rice なども来たということです。

全部で40人ほど。カクテルのあとは同じテーブルの色々な方たちと話しながら、デザートの時間になり、Dr John Howeが私を紹介し、私の話しが始まります。私は20分ほど、東北の大災害とProject Hopeと藤崎大使と私達の活動、Operation Tomodachi、これからの計画、また日米関係の行方などについて話しました。ちょうど今年12月は「Pearl Harbor」から70年ですし、Washington DCの有名な桜の植樹から100年です。

いくつも質問が出て、盛り上がりました。あとで、Gerberさんから、「よかったよ、この理事会のスピーチで、こんなに質問がたくさん出ることはないのだけどね、、来てもらって本当によかった、、」と。

同じ時間にMandarin Oriental Hotel大会場では、訪米中の韓国Lee Mhung-Bak大統領歓迎会が開催されていました。こちらは多くの韓国の方達が集まっていたようで、夕方からロビーに、多くの嬉しそう、誇らしげな韓国の方達の長い列、大いに元気な様子でした。いいことですね。

Obama大統領も、Lee 大統領をState Visitの特別待遇 (資料1)でお迎えしたようですね。無理もないことです。うらやましいですね、この元気さは。勿論、問題はいくつもありますが。

韓国のお隣の日本は5年で6人の首相のありさまです、何をしたいのかさっぱりわかりませんし、大きなことは何の決断もできませんし、、、。 Lost Decadeは20年を過ぎ、EU, USに相当先行してはいますけど。

ちょうどその前の週にWashington DCでClinton国務長官がKeynote Remarksをされた、Daniel Inouye上院議員ほかが参加された日米の会議があったばかりですが、、、どんなものだったのでしょうか。

翌日は、朝早くからCSISとの共同Project  、そして11月にフクシマでの開催予定の会議など、今後の打ち合わせを済ませ、空港へ向かいました。

8日(土)の夜に成田空港出発、Abu DhabiとWashington DCでは一流ホテルで各一泊、機内で3泊して13日(木)成田着、という世界一周の旅でした。

機内ではよく眠りました。

 

GAC でAbu Dhabiへ、そしてWashington DC

English

10日の夜、成田からAbu Dhabiへ、Etihadの直行便です。World Economic Forum主催のGlobal Agenda Councilへ参加です。この会議は過去3回、Dubaiで開催されています。Abu Dhabi行きの同じフライトに、この会議に日本から参加する方が何人もおられます。

Abu Dhabiに早朝に到着。10月7-9日に鈴鹿で開催されているF1 Formula Car Race (資料1)が11月に開催される会場のYAS Hotel にチェックイン。すごい施設。

会議は丸2日間に参加、会場はHotelに隣接したFormula 1の会場の一部の建物です。私は「Japan Council」のsub-Chairで出ずっぱりでしたが、Boston Consulting Groupの御立さんをはじめとした方達が、議論をうまくまとめてくれました。「3.11」からあまり発信できていない(何しろこの5年で6人の首相の国ですから、、)日本からの課題提供ですからつらいところで、皆さんとの討論に苦労しましたが、多くの方達といい議論が出来ました。

レセプションは、レースの直線コースを見下ろすRoyal Tower、UAEの首相はじめの首脳もこられました。

私は、2日目をフルに出席して、車でDubaiへ、そこから深夜の便でWashington DCへ向かいました。

とても、あわただしい2日でした。

Parisから京都へ。STS Forum参加

English

秋晴れのパリを2日間楽しんで、10月2日(日)の朝、関西空港に到着。京都に向かいました。3日間のSTS Forum 資料1)に参加です。このSTS Forumnには第1回から参加しており、世界からの素晴らしい人たちの輪も広がります。何人か、素晴らしい方たちとお知り合いなりました。

今年はフクシマの件があり、はじめにエネルギー政策、原子力などのセッションが特別に扱われました。デイナーの時にはIAEAの天野事務局長の隣の席でしたので、色々お話が出来ました。

いくつも同時並行のセッションがあるので、私は教育のセッションを中心に参加しましたが、人間の行動変化(エネルギー、肥満など)ではパネルに登壇しました。

帰京して、4日夕方には何人かの政治家と夕食。翌朝はAmerican Hospital of Parisの関係者との朝食、午後はJETRO主催の講演会のパネルの司会を務めました。PanelistsはSTS Forum参加者の6人ですが、Ellis Rubinstein (NYAS、President)、Mohammad Hassan (TWAS Treasurer)、Risalia Arteaga (もとUquador大統領、女性)、Dr Annette Lraegelou (Leibniz Institute of New Materials)、Ananda Chakrabarty (Univ Illinois)、Sanwen Huang (Chinese Academy of Agricultural Sciences)。METI、 NEDO、JETROの方々の参加もあって、なかなか盛り上がった会になりました。

世界の仲間との議論は、勉強にもなりますし、いつも楽しいですね、

秋のパリ

English

羽田を夜中に出発、秋のパリに朝6時に到着しました。L’Oreal -UNESCO Women In Scienceの最終選考会です。迎えの車でHotel Concorde Opera にチェックイン。季節のせいでしょうか、日本からの団体の観光の方々が結構おられます。素晴らしい秋晴れ、雲ひとつなく、気温は25,6度でしょうか。先週までとても寒かったそうです。

ランチは、ひさしぶりにお会いするUNESCO大使の木曽さんの公邸で。以前にも伺ったことのあるところです。Sorbonneの学長(37歳の若さで就任)でもあった数学者、今はUNESCOのGeorges Haddadさんも参加、このHaddadさん、とにかく話題に事欠かない、日本のこともよく知っていて、楽しい話に花が咲きました。

夜は、最近評判が高い「Kei」でAmerican Hospital of Parisの三村ご夫妻とデイナー。Keiさんこと小林圭さん 、キャリアがすごいですね。料理の味といい、すばらしいプレゼンです。さすがの評判だけのことはあります。パリにお出かけの時には、ぜひお寄りください。

翌日は2012年のL’Oreal受賞者の最終選考です。皆さんと昼食をはさんで7時間ほどの長丁場になりました。最終的には素晴らしい方々5人を選ぶことができて、とてもハッピー。こういう場所での議論はなかなか参考になります。

夜は恒例のコンサートへ。この秋シーズンのOrchestre Philharmonique de Radio Franceの音楽監督をしている韓国の人気指揮者Myung-WHun Chungさんの指揮でZoltan Kodaly, Samuel Barber (PianoはGarrick Ohlsson), Bela Bartokの3作品。Chungさんの指揮ぶりはいつもキビキビして、シャープで気持ちがいいですね。

コンサート終了後、10時からDrouantへ。午前1時すぎになってお開きになり、長い1日でした。

しかし、パリはいつ来ても素敵な街ですね。あまり太った人はいないし、道でもカフェでもタバコを吸っている人が多い、女性は年齢に関係なく、おしゃれ、というかシックな装いの人をよく見かけます。

来年の3月にL’Oreal-UNESCO賞の授賞式がありますので、また来る予定です。とても楽しみです。

 

Sydney Opera House

English


 

<上:Australiaにて、Hayman、Sydney、Bondi Beachの写真>

ADC Forumが終わりHayman島を出ると、時間の都合からSydneyで一泊。

翌日は快晴。次の予定まで半日の時間が。そこで行く先はモチロン、まずはOpera House。そこで、ゆったりした時間をすごしました。

このOpera House。見れば見るみるほど、外側も内側も、このプロジェクトの将来ヴィジョン、それへ向けた全体構想,そして出来た建物だけではなく、そこに現在にも続く、しかも世界を引くつけるコンテンツ、プログラムの素晴らしさ。長期の展望から生まれる、すばらしい「引力」です。

日本の国家政策は、どちらかといえば、このOpera Houseのような、世界での自分達の存在とその将来を見据えた大きな構想力に欠けているように思います。なんのかんの言っても基本的には各省庁由来の「ムラ社会発想」であり、そこが内田 樹さんによれば「日本辺境論」(資料1)である所以(ゆえん)なのだと思います。

残りの時間はあまりないので、Bondi Beach へ出かけてイタリアン・レストランでランチ。経営者はIsraelから来たユダヤ人の若者、いろいろな話が出来ました。Bondi Beachは Life Saving Club Icebergs などでも有名な海岸です。

ホテルで荷物をPick-upして空港へ、Singaporeへ向かいます。