ナイロビからマサイ・マラへ

ちょうど10年前のことですが、ナイロビ訪問の機会にマサイ・マラを訪れました。

その時はWHOのコミッショナー(12)としてナイロビに来たのです。その時のキベラ・スラム(Kibera Slum)訪問オリンピック学校(Olympic School)の訪問がとても印象に残りっています。

4年前に、再度ナイロビを訪問した時も、このオリンピック学校を訪ねました

その時も今回と同じく、ノグチ・アフリカ賞のイベントを、第一回の受賞者であるウェアさん、グリーンウッド教授とご一緒に開催しました。UZIMA 財団の若者たちによるノグチ・ヒデヨの紙芝居などで歓迎してくれました。

この時は、現地で活躍する多くの日本の若者たち1)と会うことができて、とてもうれしかったことを覚えています。その中の何人かとは、その後も東京でもお会いする機会もありました。

さて、マサイ・マラですが、前回の訪問は6月で、多くの草食動物が来るGreat Migrationにはちょっと早かったのですが、今回はいい時期なのです。

ナイロビのWilson空港から1時間ほどのフライトで、ワン・ストップのあとで、マサイ・マラに到着です。今回は、Governors’ Camp Masai Maraという、ちょっとしゃれたキャンプの一つに2泊しました。何しろハイ・シーズンですし、予約が大変でした。ここは行き届いたサービス、従業員の対応がとても気持ちの良いもので、とても良かったです。

食事は、朝と昼は野外ですが、ディナーは大きな設営テントの中です。キャンプの横のマラ川には10頭ほどのカバが群れています。夜はキャンプの中にも来るのだそうです。「柵」があるわけではないので、夜の一人歩きはもちろん「不可」です。暗くなったらテントの中から懐中電灯で外を照らすと、いつでも誰かが来てくれるのです。さらに、銃を持ったガードが一晩中、キャンプの中を回っています。

マサイ・マラでは、朝6時30分から約100分ほどの草原ドライブ、キャンプにかえって朝食。90分ほど休憩して、また100分ほどのドライブ、そしてゆっくりと昼食。また、夕方から草原へといったスケジュールです。大体100分ごとぐらいのサイクルですね。第1日目は、一休みして昼食後のドライブに行きました。

2日目は朝食を持って、3時間ほどの特別メニューを作ってくれました。川辺でカバを見ながらのピクニックです。この時は、幸運にも、みなさんもおなじみのヌー(Gnu)の大群の川渡りに遭遇できました。毎日あるというわけでもないようで、2泊の滞在で出会ったのはラッキーだと言われました。

この草原ドライブは、4人が乗れるジープでした。フロリダからのご夫婦と、ナイロビで仕事をしている息子さんの三人家族と一緒でした。

ライオン、ゾウ、チーター、キリン、シマウマ、ヌー、ダチョウ、ガゼル(Gazelle)、インパラ(Impala)、ハイエナ、ヒヒ、水牛、などいろいろ見ることができました。 圧倒的に多かったのはヌーですね。

それにしても自然の環境のなかの動物は、美しい(Graceful)、気高い(Noble)、おごそか(Mejestic)、といった形容詞がよく似合います。感動的でさえあります。

しかし、この素晴らしい自然もいつまで続くのでしょうか

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐1

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東大での認知症の会議から帰宅して一休み。8月23日の夜中過ぎに羽田を出発、ドバイ経由で、ナイロビへ向かいました。

今回は、初めてアフリカで開催されることになった第6回のTICAD123)(8月27日、28日)に関連して26日に開催される3つのイベントに出席するためです。

羽田では真夜中なのに大勢の日本の方が、エミレーツ航空のカウンターに並んでいました。皆さん、そのほとんどがTICAD関係の方たちでしょう。こんなに長い列をエミレーツのドバイ行きで見たのは初めてです。受付でも「なぜなのでしょうね」と言っていました。別に秘密でも何でもないので、ちょっと説明をしました。

しかし、物事はわからないものですね。ひょんなことから、「羽田–ドバイ–ナイロビ」とファーストクラスになりました。本当にラッキーなことです。

羽田、ドバイ空港でも何人かの方にお会いしました、みなさんナイロビ行きです。

予定どおりにナイロビに到着。ホテルはヒルトンです。

良い天気、軽井沢のような気候(標高1,800m程度なので)、人も多いし、でも十分に注意ということです。

25日は、現場の視察。26日に私が参加する「Hideyo Noguchi Africa Prize」担当の内閣府の人たちと、またGHIT Fund 関係者などと最後のチェックをしました。

夕方から40年も現地で活躍しておられる佐藤芳之さん12)のご自宅へお招きを受けて訪問。行ってみると何人かのお客さんがおられると思っていたのですが、私だけということでした。

5,000坪ほどの緑豊かな土地に、二階建て300坪ほどのご自宅ということでした。奥様の手料理ですが、これがほとんど自家製のものばかり。ワインも、陶器のお皿も、花も。肉はさすがにお買いになったそうですが、別に500頭ほど飼っておられて、これは市場へ、ということでした。

この広々としたところで生活していると、気持ちも、自宅も、自然に小さいのは息苦しいのでしょうね。わかるような気がします。

北緯78度のノルウェー領へ

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アムステルダムでの蘭日貿易協会の方たちとの夕食の後、スキポール空港を出発。90分ほどでオスロに到着し、ここで一泊。翌朝、140人ほどを乗せたチャーター機で北へ約3時間ほど、今回の目的のLongyearbyenへ到着しました。北緯78度に位置します。

この小さな町はSvalbard諸島の中心であるSpitzbergen島にあり、ノルウェー領です。その歴史からも、ノルウェー、ロシア、米国などの参加もある統治構造になっているようです。最近になって、世界の課題の一つでのある北極への足掛かりの一つですね。

この会はAurora Borealis Foundation1)主催の集まりです。Tallberg会議のBo Eckman氏が中心になって企画したようです。

2013年のことですが、福島原発事故の国会事故調の委員長をした関係で、北欧の主要電力会社のVattenhall社のお招きを受けてストックホルムを訪問した時に、このTallberg会議に参加しました。

今回の会議では日本からはソニーの所さんも参加されていて、私もちょっとホッとしました。台湾メディア出身のChristopher ChuangさんとEckmanさんの共同主催の形で、中国からの参加者が多かったのですが、プログラム、話の内容からいっても、かなりリベラルな発言の方が多い印象でした。数人で行われたブレストなどもなかなか良かったです。

このブレストのメンバーで、グロ-バルヘルスで活躍しているちょっと変わった経歴のDr. Eric Rasmussenと知り合いになりました。いろいろと私の活動と重なるところも多く、これは特に有意義な議論の時間でした。

3日目は、いくつかオプションがあったのですが、船で片道約2時間半弱のBerentsburgへ行きました。ここでもなかなか良い時間を過ごすことができました。

中国人の方で、とても変わった帽子をかぶったユニ-クな男性がいました。どこかで見た人だなと思っていたのですが、あちらもそのように思っていたようです。

著名なデザイナーの方で、去年の12月にノーベル賞の授賞式に参加した時に、会場やホテルで何度も見かけたので、お互いに「おや?」と思ったのですね。大村先生と一緒に受賞した中国のYouYu Tuさんのスタイリストだったのです。イケメンのお弟子さんと一緒で、またお会いする機会があるのを楽しみにしたいです。

帰りは小雪の降る中、空港近くにあるGlobal Seed Vaultに立ちよりました。チャーター便でしたが、多くの方たちがOsloに滞在するようで、遅れるのです。私はOslo空港から、ぎりぎり間に合って、パリ経由で羽田へ向かいました。

荷物はOslo空港に置き去りになりましたが、3日後に東京に着きました。

Napa Valley Wine Auction

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6月7日の午前0時5分に羽田を出発、San FranciscoからNapa Valleyへ向かいました。うれしいことにNapa ValleyのWine Auctionにお招きを受けたのです。

ディナーに少し遅れて到着。夕方のひと時を旧くからの、また新しい友人たちと楽しく過ごしました。夜の星が東京では考えられないほど多いことに気づきます。

翌日の午前は、私たちを招いてくださった方のWineryを案内していただきました。午後からWine Auctionへ。陽射しが強く、100°F近い暑さの中、会場へ向かいます。

Auctionに提示されたのは50近いアイテムがあり。見ていると最低10万ドル程度から40~50万ドルの間でした。40近くAuctionが進んだところで失礼しましたが、多分3~4百万ドルが集まったのではないかと思います。このお金は、会場に来る途中で立ち寄った病院や、子供たちの活動に寄付されるそうです。

翌日は、Napaでゴルフを楽しみ、夕方にはAppletonの友人のところへ向かいました。この辺まで90分ほどのドライブですが、ハイウェイの両側にはWineryが次々と現れます。小さな町のThe Rose Hotelというこじんまりとした素敵なホテルに泊まりました。このような小さな町が米国の良さでもありますが、私のような都会育ちには1週間程度しか耐えられないかもしれませんね。

しかし、外の気温は100°Fを超える猛暑。もちろんこの辺りでも珍しいようで、「気候変動」でしょうね。

この辺りから、California Wineが始まったのだ、という話も聞きました。

国会事故調 -10: Harvard Club of Japanで講演

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Harvard Club of Japanから国会事故調についての講演に招かれました。60人ほどの方がこられ、70~80%程度が日本の方という印象でしょうか。日本の方は多くが大学院での留学した方たちですが、何人かカレッジ(学部)で勉強された方もいました。

びっくりしたことに、Mike Yoshino Business School名誉教授も参加され、私について素晴らしい紹介をしてくださいました。うれしい「サプライズ」でした。Yoshino先生とは5、6年前から東京大学President Councilでご一緒しており、その海外での会議でNew York、Genevaなど何度かご一緒しています。

私の講演の後の質疑も活発で、良い時間を過ごせました。終わってからも、何人もからさらに質問、提案がありました。

盛り上がりが続いていましたので、終わってから、吉野先生と国会事故調の“Jikocho’s Angels”(Charlie’s Angelsのもじりですが、、、)のお2人を加えた4人でチョット一杯の楽しい時間を過ごしました。

翌日から、参加の方たちから以下のようなメールを、間接(1)、直接(2~4)、、いただきました。

1) Thank you for arranging the presentation and introducing me to Kurokawa sensei.  It was a great chance to hear his anecdotes and get a sense of his mission and perception of the issues.  I was impressed with his compassion, integrity and sense of hope that things can change in Japan for the benefit of not the few but for the many.  I hope he can continue, despite his age, to speak out and energize Japanese to get more involved in their affairs of the country. 

2) Your presentation was titled Independent Commission on Fukushima, but its message was more broad.  I believe you have some important transformational ideas as well as a healthy appreciation for the need to change.  I hope the recommendation for an annual (3/11) event to measure progress will both cause action and help keep public engaged and knowledgeable.

3) I wish to take this opportunity for your most stimulating and thoughtful provoking presentation yesterday evening.  Although I have read what is already available on the analysis and recommendations your commission has made, it is quite a different matter to directly hear your thoughts, commitment and above all your passion to the work of the Commission.  It is indeed one of the blackest chapter in the history of Japan, but your presentation has clearly pointed out the opportunity to seize on the accident to change Japan.

Throughout the discussion period after your presentation, I have heard numerous comments from the audience that they found your presentation the best they have heard or read on this Fukushima accident.

I am also very encouraged that not only do you have further plans to publish your results in English but, you are going around the world to share your report to the interested and concerned audience.

4) I apologize for the lateness of this e-mail, but I just wanted to thank you and your team again for last week’s event.

Your insightful comments, presentation of the thinking and process that went into this report, and your far-reaching conclusions gave us all much to think about.

Having lived in Japan for much of the lost decade(s), I have heard the call “for change” many times from different quarters.  I personally think it is up to all of us who live and work here to do what we can in our own ways to build the foundations and environment for a new era in the society and history of Japan. Promoting connected-ness between individuals of like minds both domestically and overseas, sharing of information and an awareness and curiosity about new ideas and ways of doing things, and a spirit encouraging challenges to the status quo by those who have new ideas and new outlooks ? these are the traits that I think will help to bring renewed vigor and power to the people, society, and culture of Japan.

国会事故調を進める意義を共有する、広げることができたと思います。

毎日が忙しいですが、充実した時間で一日が終わりました。