お正月のいろいろ

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おくればせながら、あけましておめでとうございます。

新春は3日まで休日、4~6日は仕事回りのご挨拶、7~9日は週末でまた休み。

休みが続くのは、なんとなく本を読んだりして、それなりに充実してはいるけど、なんとなしに疲れる。

その間にも認知症の世界審議会に対応して、日本の政策を作る作業でHGPIのチームは大忙し。参加をお願いする要人、関係者へのご挨拶、連絡など。チームの一人は年末年始にかけてロンドンに3日間で往復する強行軍。

そして、HGPIの新春初めの恒例の私のセミナー。多くの皆さんに来ていただき、感謝です。

オーストラリアのミラー大使がいよいよ帰国で、レセプション。カナダ大使館では新春のレセプション。

その間に大相撲初場所の切符をいただき、2度も出かける幸運。

そして、SafeCast1)の新春レセプション。世界に広がる素晴らしい活動で、福島は言うまでもなく、日本中ばかりか、世界にひろがる市民による科学的アプローチ、Citizen-Scienceの信頼は世界に広がっているし、またIAEAにも高く評価されています。

その他にも、新しい時代を開いていく何人もの若者たちといろいろ相談事もあって、応援団としては、これがまた楽しい。

今年はどんな年になるのでしょう。「Post-Truth」とかで、トランプ大統領の就任式を見ているとちょっと心配です。

最近は、私もFacebookにいろいろ書くようにしています。

みなさん、今年もよろしく。

 

会談などいろいろ

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20161117

このところ、いろいろな「ユニーク」な会食、パーティー、レセプションなどの機会をいただきました。私的なものは数えるほど無いのですが、大使館関係のものがいくつかありました。

BirdLife International恒例のファンドレイジング(名誉総裁の高円宮妃殿下は、三笠宮様の喪でご欠席)、フランスのPasteur研究所と東京大学、京都大学との新しい協定関係のセレモニー、仙台卸町(おろしまち)に設置されたカタールの東日本大震災復興義捐金によるIntilaqイノベーションハブ1)の開所式、ノルウェー大使館で外務大臣を迎えてのレセプション、フランス大使館、スイス大使館、オランダ大使館、英国関係のいくつかの会合などなど。

そこでちょっと感じたこと。

ある大使館から大臣訪問のランチにお招きを受けました。「10人ほどで」ということだったのですが、出かけてみるとなんと日本側は私一人で、後は大臣とそのご一行5人ほどと、駐日大使、大使館スタッフといった会でした。

しばらくお話を聞いていると、福島原発事故とその後についてもっと知りたいというものでした。このような経験は、国会の事故調査委員会を終えてから何度もあったことです。

ある時は国賓として訪日された国家のトップから、福島以後の日本の原発政策について政府の関係者や担当者たちに問いわせても、理解できるような説明がなく実に不可解である、との理由で、私に説明してほしいとお招きを受けたこともあります。

確かに、役所の担当者の説明は、通訳が入るにせよ、入らないにせよ、原発事故後の政策の説明は、もっと別次元の、実にわかりにくい理由があるのだろうと思います。わかりやすく説明しようがないほど、「理屈に合わない」こともいろいろありますからね。政府の担当者にとっては、わかるように説明のしようがないのだろうということでしょう。

しかし、福島原発事故のような「歴史的原発災害」について、世界共通の理屈で説明できないというのは困ったものです。

今年3月に出版した「規制の虜」にも書いているところですが、実に困った問題なのです。

これは、国家統治のありようの信頼の基本なのですから。

神戸、G7保健・厚生大臣サミット、サイドイベントへ

孫さんの自然エネルギー財団の翌日は、神戸に向かいました。G7保健・厚生大臣サミットの関連イベントに参加するのです。

一つは、認知症関係でWHOと厚生労働省の共催によるものです。WDCメンバーのAlzheimer’s Societyの Jeremy HughさんAlzheimer’s Disease InternationalMarc Wortmannさんなど、WDC “仲間” としておなじみの方が何人もおられます。

このパネルでは、「WDCと日本のチャレンジ」というようなテーマで10分ほどのプレゼン。今回は認知症の患者さんとサポートとしている家族、NGO、自治体などの参加もあり、皆さんのご苦労をシェアできるような時間でした。

本当に、本当に重い政治的課題です。

その後、場所を移してWorld Economic Forum Tokyo Officeが開催する長寿・高齢社会についてのセッションに参加しました。GHITも参加です。

高齢社会も難題ですね。いろいろな意見の交換は、いい”ブレスト”になります。

夜は、塩崎厚生労働大臣の主宰によるディナー。WHOのMargaret Chang事務局長(このお二人とはナイロビでもお会いしたばかりですが…)の他、数か国の厚生・保健大臣もご参加でした。

翌日は早々に帰京の途に就きました。

自然エネルギー構想の5年、孫 正義さんのすごさ

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東日本大震災をうけて、新しいエネルギー構想を打ち上げ、財団も設立、さらに、ご自身の事業でも世界を駆け巡り、超大な構想で世界を駆け回る孫正義さん。

話題提供者としてこれほどの人は、日本ではもちろん、世界のビジネス界でもなかなかいないでしょうね。批判するのはやさしいですが、自分のこととして考えるとどんなものでしょう。

孫さんは、福島原発事故後に始めた新エネルギー構想でも、休んでいるわけではないのです。9月9日に開催された、この財団の講演会にお呼びいただき、パネルに参加しました。

こちらの自然エネルギー財団のサイトで、基調講演他いろいろ見ながら聞くことができます。
http://www.renewable-ei.org/activities/events_20160909.php

久しぶりにお会いする、コーぺリエル理事長、ロビンスさん(トップのビデオの14分あたりから)、そして孫さんのスピーチ(同じく43分あたりからと、上から2つ目のビデオのはじめから)と、どれも素晴らしいものです。特に孫さんの考え、着想、行動力、話の構成など、そして質疑への回答など、見事なものです。

その後の世界や、米中ほかの動向、政策などを聞く、そしてよく考えてみても、日本が世界の潮流に取り残されていくのが感じられると思います。

悲しいことですね、国の中からしか世界を俯瞰できない、エネルギー政策に責任ある、そして日本の責任ある立場の人たちの貧しい精神構造。

生かせる技術は優れたものをたくさん持っているのが日本なのですが…。生かさなければ技術は寝ているだけ。

福島原発事故という世界史に残る大事故からも何も学べない、大きな構想を描けない悲しさ、ご都合主義のエリートたちの政治と政府とメディア、そして学者たち。「辺境の国」の人々の”マインドセット”でしょうか。

まだまだ、日本の電力政策の「規制の虜」状態は続きます。

当日は、私の近著「規制の虜」を出版社から「即売」していただいたのですが、予想を超えて、あっという間に売れてしまったようです。皆さん、ありがとうございます。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐3;GHITファンドのカンファレンス、そしてアニャンゴさん

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ヒルトンでのノグチ・アフリカ賞のカンファレンスの終了とともに、以前からの約束で、違うホテルで開催されるアフリカの”NCD”(Non Communicable Disease)のカンファレンスの基調講演に向かいました。講演終了後のパネルの途中で退席(参加者は医師が多かったのですが、後からメールがあり、予想しないような話でとてもよかったと、感想をいただきました。)、再びヒルトンに戻って、午後に予定されているGHITのカンファに出席しました。

登壇者には午前のノグチ・アフリカ賞のグリーンウッド博士、コルチイーオ博士も参加して、盛り上がりました。私は遅れて到着したので、皆さんのパネルが終わってから最後の挨拶を済ませ、プ-ルサイドで準備していたGHITファンドのレセプションに皆さんと移動しました。

このプ-ルサイドのレセプションには、若い日本の女性アーティストのアニャンゴさんにお越しいただきました。彼女はアフリカの音楽に魅せられて一人でケニアへ渡り、修行を積んで、女性には許されていなかった”楽器”の演奏の免許皆伝をもらったという、とても素晴らしい頑張り屋さんです。

彼女は、この音楽で世界を回り、DVDも出しています。今度の件で東京の事務所に連絡をしたところ、8月の終わりはケニアに行っている予定と聞いたので、早速お願いをしてこのようなことになったのです。

アニャンゴさんと現地のバンド演奏で、みなさん歌を一緒に歌いはじめ、踊りはじめるという素敵なイベントになりました。

ところで、最近のテレビでも彼女の素敵な取材が放送されました

夜は、今回のノグチ・アフリカ賞のイベントでお世話になった内閣府の方たちと、ちょっとした慰労をかねたの夕食会。ホテルのレストランで一時を過ごしました。

レストランでは日本から参加されていたいろいろな方にお会いしました。26日は朝からとても充実したナイロビの一日でした。

ナイロビへ、TICAD6に参加 ‐2

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8月26日の午前には、ナイロビのヒルトン・ホテルで、私が委員長を務めているHideyo Noguchi Africa Prizeカンファレンスを開催しました。

これには第1回(2003年)と第2回(2008年)の受賞者4名のうち、3名の方が参加してくれました。現地の準備は第1回の受賞者の一人で、ここナイロビで活動しているウェレ(Miriam Were)博士にお願いし、WHO‐AFROの協力を得て開催しました。特にノグチ・アフリカ賞の性格から、アフリカで公衆衛生の分野で活躍している若い人たちをお招きするようにお願いしました。

このノグチ・アフリカ賞の特徴としてアフリカの保健・公衆衛生分野での活躍、貢献があり、受賞者にはケニアのウェレ(Were)博士、ウガンダのコルチイーオ(Coutinho)博士がいらっしゃいます。このお二人は、この分野で活動しているアフリカの若い人たちにとっては、憧れでもあり、また目標となる素晴らしいロールモデルであると考えたからです。もう一人の受賞者Peter Piot博士が参加できなかったことは、以下の私の挨拶にでてきます。

会場は100人ほどで、満員、立ち見の方も多く、熱気にあふれています。私の挨拶、ケニアの保健大臣(代理)、塩崎厚生労働大臣の挨拶、WHO-AFRO代表(代理)の挨拶のあと、今回作成したノグチ・アフリカ賞のビデオ(約6分間のビデオ。英語版で、フランス語の同時通訳付き、日本語の字幕版でした)を上映しました。その後に、ウェレ博士の基調講演、ウェレ博士が主宰するUZIMA財団関係の若者たちのカラテ演武と続きました。

短いブレークのあと、2つのパネル。司会は受賞者のグリーンウッド博士とコルチイーオ博士ですが、お二人の人柄ですね、とても「熱い議論」が続きました。

朝8時半から1時間にわたって、このお二方と議論をした20人ほどのアフリカの若手の方たち、その代表の二人が、この2つのパネルの議論を最後にまとめて、パネルを終わりました。これはとても素晴らしいものでした。みなさんとても優秀です。

終わりには、日本・アフリカ議員連盟会長の逢沢一郎議員にもご挨拶いただきました。

受賞者たちのいつまでも全く変わらない、たぎるような情熱が、特に素晴らしかったですね。これが一番大事なのだな、改めて感じました。

この後は、次の「ナイロビ、TICAD6に参加 -3」に続きます。

東大で認知症の会議、夜はナイロビへ向かう

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8月23日、午後から東大の伊藤記念講堂へ。早期認知症の画像診断と4年間ほどにわたって追跡する米国の「A4」臨床研究に、日本も参加するという、東大医学部の岩坪教授による「お披露目」の会です。

私は始まりの基調講演の担当で、私が世界認知症会議(World Dementia Council)(1)のメンバーであることからです。伊藤謝恩ホールは200人を超える参加者で、多くの関係される方たちの興味を引いているようでした。

私は、WDCの由来と経過について説明し、EUのEPADや米国のGAPのような「政産官」の、しかも世界に広がるマインドで行動するような「プラットフォーム」を日本でも形成することの大事さを、強く主張しました。こんなことが実現するとうれしいのですが、どうなるでしょう。

このようなプラットフォームは大事で、しかも喫緊に必要なことなのですが、日本では大きなチャレンジでもあり、楽しみでもあります。

後日、これに参加していた英国大使館の方から、英国が2013年のG8サミットで始めたこのWDC世界認知症審議会をわかりやすく紹介してくれたと言って、お礼のメールをいただきました。

トロントへ再び

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今年になって、トロントはすでに3回目です。今回は2013年の英国G8サミットで合意されたWorld Dementia Councilを継承した新たなに組織の会合です。

このWDCの前の数日にわたって、世界認知症学会がトロントで開催されていたので、この日程になったのです。

到着後ホテルにチェックインしてから、ご当地のToronto Blue JaysとSan Diego PadresのMLBゲームがあるので観戦に行きました。ほぼ満員の球場で、外野のかなり上の、急峻な場所の席しかありませんでした。私は7回の表で球場を後にしましたが、翌日の新聞を見ると、なんと12回までの延長戦、しかも12回表の2点差を”劇的な経過”で3点を取って勝ったサヨナラゲーム。みなさん大興奮だったと想像できます。

このゲーム経過などについては以下の記事とビデオをご覧ください。

さて、新しいWDCの会合ですが、いくつかのアジェンダについての小委員会の提案発表、それらのまとめ、そして次へのプロセスなど1)について議論しました。

今までは「英国政府の委員会」という立場でした。しかし今回からは独立している立場になったのですが、それをどのように広く関係各所に認識してもらうのか、という戦略的視点が不足しているように思いました。その点についてはいくつかコメントしました。これは考える以上に大変な課題であり、これからの活動に大事な基本的認識と思います。

高齢化社会先進国の日本はどのようにこの世界的課題である「認知症」に対応していくのでしょうか。5月の伊勢志摩でのG7サミット宣言の「2. 2. 5」で「認知症」も取り上げられています。9月の神戸でのG7厚生大臣サミットでも、この確認が必要です。何しろ認知症は「確実に予測される津波」なのですから。

Gairdner財団のJohn DirksGrand Challenge Canadaを率いるPeter Singer他の方たちにもお会いし、また中山総領事とは公邸で歓談の時間をいただきました。

特に今回は、2009年から始まったGairdner賞に創設されたGlobal Health賞(ノーベル賞の大村先生も2014年に受賞しています)に、今年で引退するDirks氏の名前が付けられることになった、個人的なお祝いの意味もあったのです。→English

UCLAへ再び


オスロからパリ経由で羽田に到着。

翌朝は早朝から沖縄へ、沖縄科学技術大学院大学の理事会に向かいました。この素敵な新しい、完全に世界にオープンな新しい研究大学院です。

しかし、このような前例のない計画にはいろいろと難しい課題があります。しかし、日本の「開国」には、このくらいのことをしないとなかなか進まないのも現実でしょう。生みの苦しみはいくつもありますが、みなさんのご理解と応援をいただきたいと思っています。

理事会の3日目を終わり、最終便で羽田に戻り、夜中に帰宅。

翌日は、一日中予定でいっぱいでした。久しぶりに元在日ノルウェー大使だったWalther氏の訪問などもありました。東京に24時間滞在、夜中の羽田出発の便でLAへ向かいました。

UCLAでは、去年お亡くなりになった旧友Dr. Terasakiの名前が付いた“Teriyaki Center for Japanese Studies”の主宰する「日本と移民政策」のフォーラム、翌日はこのCenterのAdvisary会議です。テラサキさんのご子息(医師です)もこの会議のメンバーとなりました。

快晴のロサンゼルスと旧友たち、時間の空いたところではキャンパスを歩いたり、また新しい友人にもお会いすることができました。キャンパスは卒業式の準備ができています。PGAツアーも開催される名門リヴィエラ・カントリー・クラブにも、メンバーさんとちょっとボールを打ちに。気持ちがいいですね。

22日(日)、Los Angeles空港を夜に出発、翌朝、早朝月曜日の5時に羽田に到着。この日は、久しぶりにゆっくり休みました。

5月8日(日)に成田からアムステルダムへ、さらに極寒のノルウェーへ。ちょっと東京を経由しながら、沖縄、ロスを経由して、23日(月)に帰国。変則的な長旅でした。

伊勢志摩G7サミット

2008年の福田総理主催による洞爺湖サミット以来ですが、安倍総理主催のG7サミットが伊勢志摩で開催されています。

サミットで配布される資料の一つに、トロント大学 Munk SchoolのG7/G20リサーチグループによる、イラストもきれいに仕上がった約100ページ超の報告書が提出されています。

ここに、私の寄稿も掲載されていますのでご紹介します。
タイトルは“Japan Must Retain its Position As A Health Leader”です。

ノーベル賞の大村先生の写真も出ていますね。