St Gallen会議に参加しないか?

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Swissの美しい街、St GallenにあるSt Gallen大学の学生さんたちが主催する会議があります。

政財界の多くのTop方が集まる、素晴らしい会です。私も、この何年か参加しています12)。

来年は5月の初めに開催されます。従来は学生が対象でしたが、3年前から、大学院生、Post-Docなど30歳以下の若者を招待します。ぜひ、参加しませんか?応募要稿については、St Gallen会議のサイト1)などを見てください。

素晴らしい機会です。私も来年もまた参加します。

St Gallenで会いましょう。

 

11月後半、日々の出来事

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私のブログを訪ねてくださる皆さん、いつも応援をありがとうございます。

ところで、最近の1、2週間で何度か石倉洋子さんとご一緒する機会がありました。そのたびに、石倉さんは素早くblogやtwitterで発信しているのですが、私のほうはこれがとても遅れていているのです。ほぼ1ヵ月遅れですね。

そこで、この間に私の参加していたことごとにちょっとまとめて触れておきます。

11月15日(木)にDubaiから帰国。これが2週間遅れでこのブログに出ていますが、帰国してからもほぼ毎日、朝から晩までとても忙しくしています。主なことだけですが、以下のような活動がありました。

16日(金)、Impact Japanの会議、GEW1)も終わりになりつつありますが、そのうちの“Venturing Overseas”(なかなか面白いセッションで、夜だけの3時間ほどの集まり)に参加。

17日(土)、これもいろいろな打ち合わせ等でしたが夜からSingaporeへ出発。

18日(日)~20日(火)までSingaporeでいろいろな方たちとお会いし、またNanyan Technological Univesityを訪問しました。活気がありますね、キャンパスも。3日間の訪問はなかなか良かったです。そのうちまた報告しましょう。

21日(水)早朝、成田に到着。昼からBBCの取材面会、午後は東京大学先端科学技術研究センター(一時「客員教授」で在籍していました)の理事会へ(この日は新所長の選考が主要案件でした)、夕方からFabCafeでMIT Media LabのJoi Itoさんと若者たちとのセッション(これは7月にも国会事故調の報告書提出直後にも、ここでJoi Itoさんと対談をしたのですが、、、このことは報告しませんでしたが、、)、そこからSwiss大使館へ向かいWEFのGlobal Shapers CommunitySt Gallen Symposium1)合同のレセプションへ、わたしもご挨拶。

22日(木)は、WEFの企画のJapan Gender Parity Task Forceに参加。私も一つのフォーカスとして発信している日本の最大の課題の一つですが、WEFの今年のGender Parity 報告書では、日本は世界130数か国のうちで102位なのです。最悪ですね。なぜでしょうか?よく考えてください。一人ひとりの次への行動です。

そのあと、国連のHuman RightsGroverさん他の訪問を受け、特に事故調の報告を受けて、フクシマの被災者、労働者たちへの政府の対応についての討議。よく現地なども調べておられ、厳しい質問がいくつもありました。Groverさんの報告書がいずれ出ることでしょう。記者会見もあったようですが、、。

その後は、日本学術会議のアジア学術会議の立ち位置についての面会、夜は、もとSONYの出井さんの75歳のお誕生日のお祝いの会に駆けつけ、それから別の夕食へ。

23日(金)は休日。久しぶりに友人たちと、今年2回目のゴルフへ。ちょっと雨でしたが、午後には雨もやみました。カートのないコースなので、コース全部を歩くわけで久しぶりでした。翌日にはなぜか足首が痛くなりました。

25日(日)は、石倉さんの主宰するGASの同窓会へ。私は2次会にも参加しました。

26日(月)は、朝がTeach For Japanの理事会。松田悠介くんたち本当に頑張っているのですが、まだまだ道は険しいです。皆さんの応援、支援、参加をよろしくお願いします。それから、Tokyo American Clubのインタビュー、外務省からの相談ごと、そして午後は米国議会による米国科学アカデミーのフクシマ事故調査委員会の訪問で、私がまず90分ほど、国会事故調の報告、そして“Q&A”でした。

これについてはまた別に報告しますが、この訪問自体からも、日本にとって画期的なことがいくつも明確に提示されました。

ちょっと追いつきました、まだまだです。

 

Foreign Policy: 100 Top Global Thinkers

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「Foreign Policy」という、外交政策関係の専門家にはよく読まれている月刊誌があります。同じ読者層に読まれるに「Foreign Affairs」という2か月ごとに発行される雑誌があります。どちらも、私が好きな雑誌の一つです。

4年前から、この「Foreign Policy」が「100 Top Global Thinkers」という人たちを選んで、毎年12月に発表しています。

なんと2012年、つまり今年の「100 Top Global Thinkers 2012」の一人に私が選ばれたのです。私の国会事故調の委員長としての活動が評価 されたのです。このリストで何人かはペアなので必ずしも全部で100人というわけではありませんが、思想の影響ということでは政治家が多いのは致し方ないですね。今年のトップはMyanmarのAung San Suu KyiさんとThein Seinです。もう一人、日本から村上春樹さんです。

去年2011年のリストをチョット見てみると、さすがにトップあたりは「アラブの春」の関係です。日本人では、フクシマ原発ですね、福島瑞穂さんとご主人。そしてMIT Media Lab所長に就任したJoi Itoさん、Global GivingのMari Kuraishiさんの3人がいます。

2010年はどうでしょうか。多分、日本からは「ナシ」だと思います。

2009年は?と探すのも楽しいと思います。何か見つけたら教えてください。

しかし、編集はさすがプロですね、それぞれのCitationがなかなかいいのです。

今年のトップの2人には、

For showing that change can happen anywhere, even in one of the world's most repressive states.


村上さんには

?For his vast imagination of a globalized world.

私には

For daring to tell a complacent country that groupthink can kill.

国会事故調は海外ではそれなりに評価されているようですが、国内ではちょっと…。なぜでしょうか。

 

Dubaiへ: Global Agenda Council of World Economic Forum

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台北から帰った翌日の夜、成田へ。Dubaiへ向かうのです。

成田からの便は、先日、Dubaiから搭乗した「空の上、12,000メートルでシャワーを浴びる」の機体がDubaiへ戻る便、機体A380です。

今回はビジネスクラス。しかもビジネクラスもファーストも満杯。多くの方たちが私の参加するWorld Economic Forum (WEF)のGlobal Agenda Council (GAC)に参加される方たちのようで、石倉洋子さんはじめ、おなじみの方たちが何人もおられました。

現地に朝早く到着してJumeira Al Qasrにチェックイン。WEF-GACでは今回、従来より20%近く参加者の数を増やしたようです。Councilも依然より増えて80を超える数になり、運用の仕方にもいろいろ新しい工夫がそこかしこにみられます。それだけ世界の課題が複雑に山積しているということでしょう。

このCouncilでは、国別のCouncilが10ヵ国ほどあり、日本もその一つです。そのChairが私なのですが、Japan Councilは日本の方が圧倒的に多く、しかも東京でも数回の会合があるので、課題については参加する前からかなりまとまっています。それでも近年の「日本」の状況は特に発信できる良いメッセージがないので、訪問者も少ないという状態です。でも、私は訪れる方がいると対応するのが当然ですので、かなりの時間をJapan Councilで過ごしました。でもあまりここには来られませんね、残念ながら。日本は注目度も、期待度も「いまいち」なのです。

でも、フクシマ原発事故については別ですね。私たち国会事故調のことでは、個人的レベルが多いのですが、多くの問い合わせがありました。

私は会議の合間にも、この2、3年はChina CouncilKorea CouncilのChairと個人的にもいろいろ話をしているのですが、今回は特に両国とも新しい方がChairとなったので、大事な時でもあり、いろいろ意見交換をしました。皆さんとてもフランクで、双方向の多面的な交流が必要であることを強く認識し、希望しておられます。いろいろ有益な意見交換ができました。

中国も韓国も政府のトップが交代ですし、と思っていたら、なんと最後の日の夕方に、日本では衆議院が解散になる、というニュースが入りました。やれやれですね。

ところで、韓国のChairはGuen Leeさん。話をしていると、なんとお父さんは私の良く知っている人ではありませんか。韓国科学アカデミー(KAS、Korean Academy of Sciences)の会長だったLee (Ho-Wang) 先生の息子さんなのでした。このブログにもお父上との写真がありました。このお父上との出会いが、朱先生との出会いになり、後々に続く感激的な日韓医学史123)へと発展するのです。

トップはこのGuen Leeさんとご一緒の写真ですが、あの有名なBurj Al Arabの26階での晩餐会での記念です。

帰国してから、Leeさんから「お父上がとてもよろこんでおられた」とメールがありました。人とのご縁とは面白いものです。

 

国会事故調の私の考え方: 民主制度を機能させる

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国会事故調については、いろいろとこのサイトでも、また他のメディアでも意見を発表しています。

今度のフクシマの教訓から学び、社会のいろいろな制度疲労を変えられなければ、日本は沈没しかねないと思っています。産経新聞10月11日の私のコメント、「今回変わらねば日本沈没」にあるとおりです。

最近の東京新聞(中日新聞にも)の11月8日に掲載された「そこのけお手盛り人事、原子力ムラ支配復活」にも私のコメントが出ています。

確かに、フクシマ原発事故以来の日本の事故への対応、エネルギー政策と原子力発電の方向、新しい原子力規制委員会、使用済み核燃料棒処理等々、原子力関係の議論も政策も、どこへ向かっているのかよく分かりません。

時間をかけて議論が必要なのは言うまでもありませんが、どうも「「脱原発」か「原発容認」か」、という狭い視野の議論になっているように思われます。

そして、原発関係のいろいろなことがうやむやの中で進んでいるようにも思われます。相も変わらず発想は近視眼的、透明性も低いのです。

皆さんはどうお考えですか?

私たちの国会事故調報告書の中心は、国会という「立法府」が、原子力に関するいろいろな問題について「行政府」をしっかり監視しろ、ということです。

三権分立は民主制度の基本ですが、日本では基本的には行政府の各省庁が政策を作り、それら執行しているのです。なにか変ですね。政府としての統治が機能していないのです。

最近でも、司法が選挙の1票の格差の「1:5」は「違憲」である、としているのに、立法府は何もしてきませんでしたね。国民も立法府も一票の差「1:3、1:4」などを容認していたのです。今までは司法もずいぶん弱腰でした、そして立法府も責任ある対応をしていなかったということです。なぜなのか、考えてください。

私のこれらのコメントについても考えて頂き、皆さんが、皆さんの選んでいる、そしてこれからの選挙で選ぶ国会議員に対して、国会事故調の提言の実現へ向けるよう、行動を起こしてほしいのです。

このような意識と行動こそが日本の民主制度を機能させる大事な基本の一つなのです。

 

2日間でMalaysiaとNorwayの首相にお会いする

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Malaysiaの首相Mohd Najib Abdul Razak1)は「科学とイノベーションのグローバル顧問会議」を設置、私も委員に招聘を受けています。

今回は、11月1-3日にわたってKuala LumpurとJohor Bahruで開催。10月31日の朝に成田を出発。Kuala Lumpur空港から1時間半ほどかかってホテルへ到着、夜のレセプションに参加。

翌11月1日の第1日はKuala Lumpurの首相官邸での会議。首相のほかにも関係閣僚も数名出席、Food Security、Nutritionと環境の問題などのいくつかの進捗の報告など、活発な意見交換と政策への反映などが議論され、指示されました。特に今回はJohor Bahruを中心とした「Iskandar Malaysia Smart City Framework」の現地視察も兼ねた会議でしたが、私は残念ながら2日、3日の現地視察は失礼することとし、1日の夜にはKuala Lumpurを出発、2日の早朝に成田へ戻りました。

帰宅後、一息ついて、昼はNorwayのJens Stoltenberg首相1)との会食、日本側は私だけで、フクシマ原発の国会事故調の報告書と、去年の夏のNorwayで多数の死者が出た乱射事件でのNorwayの独立委員会の報告を踏まえた、リスクと政府の対応などについて意見交換という趣旨です。

フクシマ原発の国会事故調報告書は世界でかなり広く読まれているようで、意見交換に興味のある方が、多くの国の要職にある方たちにもおられるのはうれしいことです。

さらにStoltenberg首相は「Global Health」についての意見交換という提案です。特にNorwayはこの分野ではGAVI1)などへの積極的な支援で知られ、首相も大いにこれを推進されているのです。私たちの主宰するHGPIも、先日GAVIと共催で会議を開催したばかりでしたし、9月初めに私も参加したOsloでのKavli Science Forumでも、首相はこの点を強調されておられたのは報告したとおりです。

あっという間に時間がたち、そのあとはNorwayのテレビ局と共同通信の取材などが続きました。

夜はStoltenberg首相歓迎のレセプションへ。平野復興大臣も出席され、大勢の関係者が出席され、Salmonなど海産物料理を皆さんで楽しみました。

2日続けて、お2人の首相にお会いするなど、考えもしないことでした。

 

Nairobiから -3: Olympic Schoolを再び訪れる、外交の基本はこんなところから

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Nairobi の3日目。今日、会議での私の出番はないので、UZIMAの方にお願いしてOlympic School1)へ行きました。ここは「世界最大」といわれるKiberaスラムの端っこにある、ここの子供たちの公立の学校です。

私がWHO Commissionerの時、6年前(2006年6月)のことですが、ここを訪問してとても感動したのです。何しろケニアの公立小学校(8年生までで、200校程度あるそうです)ですが、ケニア全国でトップ(本当に全国1番、最近はすこし落ちてきて、でもトップ10番)の成績、その成績で公立高校へ進学できるのです。その中の成績トップの10%程度の生徒が公立の高等学校(4年制)進学できるのだそうです。

この10年間で、生徒の数も1700人程度から3000人ほどに増えており、先生の数は26人でとても大変そうです。教室いっぱいの生徒たち、1冊の教科書(家に-といってもスラムの中です-教科書はもって帰れません)を6~8人程度で一緒に使いながら勉強しています。電灯もないのでずいぶん暗い部屋もありますが、部屋に一杯の生徒たち。1クラスに70~90人ほどの生徒ということです。

昼休みも40分ほどで、昼食はトウモロコシ(Maize)を煮たもの。ちょっと試食しましたが、大変なものですよ、これでよく、、、と思います。このような世界のあることを実際に体験して知ること、は大事なことですね。

いくつかの教室を訪ねると、生徒のみなさんが先生と一緒にご挨拶。しつけもしっかりしています。

6年前に私が訪問した時の2006年の記帳ノートがなかなか見つからないので、今回、また同じようなメッセージを記帳してきました。私の知っている、日本から世界へ、アフリカへ行く若者たちが、時々メールやツイートで「Nairobiへ、、、」という時には、この学校へ行くことを勧めています。そして私の記帳も見てもらったことが2、3回あります。

そこに私が書いたことは、

Most moving experience of my life

I saw the future of the nation

(人生で最も感動した体験、この国の将来を見た)

と書いたのです。

Kenyaに行ったらぜひOlympic Schoolを訪ねてみてください。

午後はKanyaのNCST(National Council of Science and Technology)のCEO、Prof. Shaukat Abdulrazak1)さんを訪ねました。ちょうど理事会会長Prof. Vasey Mwajaさんも来られて1時間ほど歓談しました(写真)。お2人とも日本留学・滞在の体験者です。日本への思いが伝わります。これらが国際貢献の一番の価値になるプロセスですね。

私の今の活動基盤の1つのGRIPS 政策研究大学院大学はそんな大学院大学です。

Nairobi滞在もそろそろ終わり。あと数時間で ホテルを出発、帰国の途に就きます。

 

London、そしてNairobiへ: Hideyo Noguchi Africa Prizeの話をする

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Photos in Nairobi by Mr O.T. Belarga of Osaka University Graduate School of Human Sciences.

New YorkからLondonへのフライトの出発が遅れたので、LondonのHeathrow到着前にNairobi への便には間に合わないと告げられました。幸いにNairobiでの時間には余裕があったので、あわてることなくHeathrowに隣接するSofitelで一泊。夕食はLondonで、連絡のついた友人1家族と、国会事故調でインターン、秋からOxford大学院でPolitical Sciencesの勉強を始めた留学生と日本食レストランへ。いろいろな話題に花が咲きました(写真)。

翌日は、Nairobiへ。夜9時過ぎに現地に到着、外務省からのお迎えの方とともに、ホテルに。明日から4日間、第8回母子手帳の国際会議です。これは大阪大学の中村安秀教授とHANDSが中心となって活動している会議です。

母子手帳は、皆さんもご存知の、日本のODAとしてアジアで成功したものの1つです。これをAfricaにも広めようという趣旨です。

Kenya政府も、4年前の第1回 Hideyo Noguchi Africa Prize受賞のDr. Miriam Wereさんも、かなり気合を入れて準備に対応してくれた、と伺っています。いくつかの国際関係機関ばかりでなく、アフリカ諸国、アジア諸国、Palestineからも代表が参加されました。全部で30数か国からの参加があるようです。

翌朝早くから会議場のMultimedia University of Kenyaへ。KenyaではMinistry of Public Health and Sanitation (MPHS)  とMinistry of Medical Servicesが別になっているようですが、なかなか理にかなった体制と思いました。

私はこの始まりのOpening Plenary Panelで、Wereさん、Minister of Public Health and Sanitation Honorable Beth Mugo大臣などと参加。在Kenya山田公使がご自分の母子手帳を見せながらの話されたのは、なかなか良かったです。私はこのOpening Plenary Panelで、「Japan Support for Global Health and the Hideyo Noguchi Africa Prize」について25分ほど講演しました。

お休みの時にいろいろな国の方にもお会いしましたが、Africaのいろいろなところで活躍している日本の方たち(やはり若い女性が圧倒的に多いのです)にお会いしました。その中には私がJICAのタイのパヤオのAIDS対策プログラムを統括していた時に、現地でお手伝いいただいた看護師さんもおられ、彼女はその後アフリカで活躍しているということです。このような出会いがある世界は素晴らしいですね。そして日本の若者たちの生き生きとした活躍がうれしいです。

明日の夕方には「Hideyo Noguchi Africa Prize, 4th Anniversary」セッションがあり、私も前回、また現在進行中の来年のTICAD5に向けた今回も委員長をしていますので、もちろん参加です。

広がる世界、そして日本の立ち位置などを考え、多くの方たちにお会いできる良い機会です。

 

国会事故調 -11: The U.S. CapitolとCSISでの講演、国会事故調英語版がウェブへ

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毎日、忙しい時間が過ぎていきます。事故調のスタッフの何人かは事務局仕舞いに忙しくしています。

私といえば、15日の午前11時直後に成田を出発、Chicago O’Hare空港経由でWashington DCに、同じ15日の午後1時30分に到着。

さっそくCSISへ向かい明日の講演、現在継続中の活動の打ち合わせなど。さらに国会事故調の第5回委員会にも参加し、いろいろと知見を頂いたCarnegie InstituteのRichard Meserveさんを訪問、そしてさらにNational Academyで米国議会の設定した福島原発事故調査委員会の活動について、委員長 Dr. Norman Neureiterとそれをまとめる主任Dr. Kevin Crowleyといろいろ議論をしました。以前に一緒に仕事をした、日本大使館勤務になっている次田さんたちがアテンドしてくれて、大変に助かりました。夜は次田さんのお宅でご馳走になりました。

国会事故調報告の英語版が、この日にウェブサイトに乗せられたのはとてもよかったです。このチームの方たちが本当によく仕事をしてくれました。そして、世界の皆さんが待っていたのです。

翌日の午前はU.S. Capitol1)へ。US-Japan CouncilとNBRの主催で国会事故調の報告1)です。Clinton、Bush両大統領の下で大臣Secretaryを務めたNorman Mineta さんも来られ、ご挨拶をいたしました。皆さん熱心に聞いてくれて質疑応答など、反応はとてもよかったと思います。

午後には、CSISでの講演で、国会事故調の報告です。会場が少し狭かったので、部屋いっぱいの方がこられ、ドアの外にも席が設けられました。80-90人ほどだったのでしょうか。この講演1) については、日本でもNHKのニュースがあったようです。

あと3週間で任期を終え、帰国される藤崎大使公邸へご挨拶。日米関係についてはいろいろ予測もしない事件がいくつも起こった大変な時の駐米大使、本当にご苦労様でした。

夜はこちらにいる、JETプログラムで日本を体験している数人の若い多様な米国人たちと、ご一緒。このような日本ファンを増やしていくことこそが、安全保障の根幹ですね。実感します。

今日の一日でも、私たちの国会事故調報告書とその背景、目的や意味が国内外に広がるのは、とてもうれしいことです。

翌日、主催者の方から以下のようなメールをいただきました。すこしでもお役にたててうれしいです。

Dear Kurokawa-sensei,

It was our great pleasure to host you at the Capitol Hill briefing on Tuesday on the findings of the Diet of Japan’s NAIIC report on Fukushima and a treat to moderate such an interesting and important exchange. We are deeply appreciative of your leadership and willingness to share your views on these findings with the Washington, D.C. policy community. It was a very powerful demonstration of the high standard of transparency that the Commission brought to the proceedings and your personal commitment to preventing future nuclear disasters.

We have received tremendous feedback on the discussion from those who attended and NBR, the U.S.-Japan Council, the Congressional Study Group on Japan, and the Senate Committee on Environment and Public Works were all honored to host you.

Thank you for your many contributions to global policy. We look forward to future opportunities and in the meantime, please let us know if there is anything we can do to support your work.

Best regards,

 

京都のSTS Forum、広がる世界、山中さんのノーベル賞など

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STS Forum1)では、例年のことですが、たくさんの友人に再会し、新しい知人もできます。

私は前日午後に開催された「EU-Japan」で国会事故調の成果と意味について講演、趣旨、内容、意義について話しましたが、皆さんとても喜んでくれました。特に世界各国の原子力発電事業者連合 WANO (World Association of Nuclear Operators)のLauren Stricker会長がとても大事な報告だ、大変参考になる、とコメントしてくれました。

夜はフランスの高等教育大臣Genevieve Fioraso さんを迎えてMasset駐日フランス大使はじめとしたフランス関係者20名ほどのディナーにお招きを受け、大臣とWANOのStricker会長に挟まれた「一等席」に座ることになっていました。ありがたいことです。しかも初めに挨拶もするように頼まれました。フランスの関係者の私たちの国会事故調の認識であり、評価ともいえます。

STS Forumの公式プログラム第1日目はいくつかのPlenary Panelがあり、みな素晴らしものでした。フクシマ原発問題があったのでエネルギーは注目の案件です。

Global HealthではiPSの京都大学の山中伸弥さん もパネルに。司会者はKarolinska Instituteの学長のHarriet Wallberg-Henrikssonです。 翌日の夜のレセプションの始まる時に山中さんノーベル賞受賞の発表とは、予測はしていた人も多かったでしょうしょうけど、素晴らしいことでした。もちろん山中さんはその場にはいませんでしたけど。

第2日、出席できなくなった方がいて、代理で私が「Capacity Building」のセッションの司会を任されました。場所の設定、パネリストの背景、どの程度の人が参加してくれるのか、いろいろ考えながら、その場でかなり違ったやり方を工夫して運営しました。皆さんとてもハッピーで、「よかった、、」という実感で過ごせたようでした。しかし、皆さんそれぞれが違う背景で、違う課題を持っているので、この辺が苦労するところです。ケニアの科学技術担当大臣ほかの関係者も何人かおられたので、私が数年前に訪問したNairobiのKiberaスラムのOlympic Schoolについてもちょっと触れ、私が今月の22日からナイロビへ行く予定であることもお話ししました。「ぜひ、、」と言って頂きましたが、その時にお会いできるかもしれませんね。

いろいろな機会に人との出会いが、大きく変わりながら広がる世界とどうつながっていくのか、そういう意味でもこのような機会はとても貴重です。