Health Summit、そしてRio de Janeiroへ

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Paris-Bostonから一回りして東京に1週間、いろいろ忙しくしていましたが、22日には医療政策機構HGPI恒例のHealth Summit (1)開催。素晴らしい方たちのパネルと、素晴らしい方たちの参加で盛会のうちに終わりました。いろいろな方たちからお礼と、励ましの言葉をいただきました。2011年3月11日の東北大震災と福島原発事故からほぼ2年が経って、いくつかの日本の課題をテーマにフォーカスを当てたのが良かったのかもしれませんが、パネルの方たちが素晴らしかったですね。根本 匠復興担当大臣もごあいさつに来られ、また男女共同参画パネルについてはRoos米国大使夫人も参加してくださいました。Health SummitについてはHGPI のウェブサイトを訪ねてください。随時報告を掲載します。

24日の日曜から30時間をかけて真夏のRio de Janeiroへ。Copacabana日本学術会議の要請もあり、この10年ほど、私も深くかかわってきた「InterAcademy Panel」の総会でパネルに参加することになったのです。

今回はDubai経由で、成田―Dubaiが12時間、Dubai空港で2時間、そこからRio de Janeiroまで15時間の行程で、ともにEmirates、快適でした。時々眠り、いくつか映画を見て、疲れない旅でした。

Rioは30~35度の暑さですが、ほとんど会議場の中ですし、何人もの友人たちにも会えてよい時間を過ごせました。大きなテーマは「Grand Challenges and Integrated Innovation: Science for Poverty Eradication and Sustainable Development」です。午後最後のセッションから会場へ。CanadaのPeter Singerがひっぱっています。

翌朝はCopacabanaの海岸を1時間ほど速足で気持ち良く歩き、1日中会議に参加、夜は日本学術会議の大西会長、春日副会長ほか数人で食事のあと空港へ。午前2時過ぎのEmiratesで往路と同じ経路で帰路につきました。

多様に変化していく世界の変わりようから考えると、アカデミーの役割も多様な利害関係者の一つとしての意識がもっと高くなっていかないとちょっと物足りないように思いました。その点で英国のThe Royal Societyの報告書「Science as an Open Enterprize 2012」について、NatureのEditor-in―Chief Philip Campbell(彼もこの報告書の委員の一人です…)も参加した「非公式」セッションはなかなか良かったです。先駆的テーマについての報告書を次々と発表し、いろいろな形で世界へ広げようとするところが英国の科学者(政府も同様ですね、例えば「Stern Report」など…)の意識と行動力のすごいところです。 

ところで、今回の往復各24‐27時間の機内でみた映画で、私がよかったと思ったのは「Chasing Mavericks(米国) 」、「All About My Wife (韓国) 」でした。ビジネスクラスでもスクリーンは大きいし、ラインアップは沢山あるし、「Lincoln」(アカデミー主演男優賞、良かったですね)などはとっくに見ていますから。

しかし、往復とも成田-Dubai間がFirstでないので〝例のシャワー”体験ができなかったのが残念です。

 

パリのOECD会議

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2月11日、パリへ向かいました。13、14日のOECD Knowledge Based Capital のパネルにお招きを受けたのです。1日早い出発ですが、いろいろな方のお招きを受けているので、この機会にと出かけました。

午後5時にホテルへチェックイン、夜はOECD吉川大使公邸でディナーです。前任の服部大使の時にも訪れたところです。

12日の午前はTable For Twoの現地の活動をしているお2人とOECDへ。そこからWANO会長のLaurent Strickerさんと昼食へ、フランス原子力安全委員会委員のPhilippe Jametさんとは12月にも東京でお会いしています。

夜はAHPの関係で10人ほどのパリのフランス財界、日本企業の方たちと、Dominique Bouchetでちょっとしゃれたフランス料理でした。ここでの話題は国会事故調のことから、いろいろ広い話題でした。AHPのことはほとんど話題になりませんでしたが、多彩な方たちですから、とても楽しかったです。

翌日はOECD会議です。私は始まりのパネル、英国 Willetts大臣とSwedenのLjung大臣、そしてUSのLandefeldさんもご一緒で、司会はOECDのWyckoffさんです。ついつい立ち上がって10分ほど。参加者は主として官庁や政策の方たちのようなので、今の世界が大変化を起こしているという産業革命以来の大変化なのではないか、というプレゼンをしました。スライドは2枚、MIT Media LabのJoi Ito所長と三菱総研の小宮山理事長のスライドを修飾したものをお見せし、コピーを配布しました。

何人もの日本からの出向でOECDで活躍している方たちともお会いしました。去年まで2年間ここで活躍していた原山優子さんも英国からの帰りとかで、この会議へ出席。久しぶりにお会いしました。

途中で抜けだして、フランスの放射能研究所(IRSN)へ。昼食を囲んでJacques Repussardさんと上級役員といろいろ議論しました。ここヘは去年の3月には国会事故調のメンバーの訪問もあったところです。オープンな意見交換はとても相互理解に訳に立つことです。

再びOECDへ戻り、最後の2つのパネルのあとレセプション、デイナーと続きホテルへ。ここでもいろいろな方とお話しする機会がありました。

何人もの方たちから、私の話はとてもよかった、といわれました。会議の始まりに、参加者の皆さんと大きくものを考える枠組みを提示したことがよかったのでしょうね。

明日の朝にはBostonへ向け出発です。

 

ダボス -1

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第1日(1月23日); 先週の終わりに風邪気味で、去年に続いて(国会事故調でそれどころではなかったので…)今年もダボス会議も失礼しようと考えていたのです。ところが、土曜日のパネルに出ることになり、躊躇していたのですが、23日木曜の午前のパネルにも出席を、ということになりました。しかし、フライトが問題ですね。幸いなことに水曜朝のスイス航空の直行便に空きがあったので、出かけることになりました。

Zurich空港に到着、常連の緒方貞子さん他、何人かのダボス会議に参加される方にお会いしました。ダボスには夜6時ごろ到着、登録を済ませホテルへ。何人かの友人とお会いしましたが、後はよく寝ました。

第2日(1月24日); 朝から会場へ。いろいろ多すぎて迷うのですが、9時から「Fostering Entrepreneurial Innovation」へ。ちょっと勉強したいこともあったのです。Clayton Christensenが出るのもその理由の一つでした。この3年ほどでしょうか、3つの大病をしているので心配していたのですが、一見してお元気そうで、言葉にも問題がなくて本当に良かったです。終わってから、彼の病気のこと、彼の最近の本「How will you measure your life」(日本語は「イノベーション・オブ・ライフ」という変な訳ですね…)は本当に素晴らしい本であり、若い人に勧めているという話をしました。2月にBostonに行くことを伝えると、ちょっとでも良いからぜひ会いに来てほしいということになりました。

その後は私も出るパネル「Catastrophic Risks in the 21st Century」へ。パネルのひとりJudith RodinIvy Leagueの大学で初めて女性で学長になった方です。前からお会いしたかった方ですが、私のPennsylvania大学時代の友人が何人もいて、パネル開始前ですが話が弾みました。パネリストのみなさんには「国会事故調」の英語のExecutive Summaryをお渡ししました。皆の評判の良かったDavid Cameronの講演には出れませんでしたが、いずれウェブで見ることができるかと思います。

午後はBBCの放送なのですが、Nik Gawingの司会で「Is Democracy Winning?」とても難しいテーマですが、4人のパネリスト、会場の質疑、あらかじめ指名していた何人かの人のコメントなど、とても素晴らしいものでした。このような議論は、日本ではとてもできないだろうな、と感じました。

今日の夜は恒例の「Japan Night」で、大勢の方がこられました。私は最初だけで抜け出し、韓国と、Indonesiaのレセプションへ行ってきました。色々な方たちにお会いし、そこからまたJapan Nightに帰りましたが、日本人が少なくなる中で、お客さんの方が圧倒的に多い状況でした。韓国、Indonesiaに比べても2倍以上の大勢の方たちで、もっぱらお酒とか食事ですね。あちらはエンターテインメントもありましたが。これでやはり日本は「ソフトパワー」だ、などと勘違いする人がいるようでは困るのですけどね。

いろいろダボスのサイト<http://www.weforum.org/>を訪ねてみてください。

 

大雪の日、Norman Minetaさんと昼食、AGOSで世界を目指す若者たちと対話

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1月14日、朝から雪が降り始めました。

ちょうど来日されている日系アメリカ人のリーダーのおひとりNorman Minetaさんとの昼食へ。MinetaさんはSan Jose市長、下院議員、そしてBushとClinton両政権でSecretary(大臣)を務められた方です。10月にWashington DCの米国議会Capitol Hillでもお会いしました。最近逝去されたDaniel Inouye上院議員のことなどから始まり、いろいろな話題が出ました。

Inouye上院議員とは奥様のIrene Hiranoさんとご一緒に、去年5月に国会事故調でWashington DCを訪問した時にお食事をする機会がありました。日米関係にとってほんとうに大事な方がなくなられました。

Mineta氏との朝食のあと、先日ご案内した留学支援プログラムAGOSで若い人たちとお話をする機会へ向かいましたが、とんでもない大雪が降り続き、なかなかタクシーもつかまらず、30分も遅れて到着。この雪で、参加予定の方々もかなり来られなかったのではないかと思います。

この会には国内外の大学実地検分と動向などの報告でその活躍が広く知られている山内太地さんも来られました。

外へ出てみると見えてくる「自分」、という視点での「休学のすすめ」、「留学のすすめ」、「グローバル世界」、「広がるネットワーク」などについて、セッションは主として対話式で進みました。AGOSの横山さんの進行係で、みなさんにも喜んでいただけたようです。

若者たちが、世界を経験し、感じとり、自分を見つけ、「YOU」の目で自分を見る感性を獲得しながら、日本人であることをユニークな強みとして、一人ひとりが自分のキャリアを見つけてほしいと心からねがっています。

グローバル世界はとても広く、ユニークな自分への大きな機会があるのです。

 

国会事故調をめぐる記事いろいろ

国会事故調の意味については、このブログでも繰り返し問いかけているところです。

そうとう優秀な霞が関の官僚にもその本質を理解している人はかなり少ないように思います。

そんなところですから、「3.11」、そして「憲政史上初の国会事故調」を契機に日本が変わり始めるのにはかなりの時間がかかるように思います。

最近の衆議院の選挙でも、投票率は低いし、特に「第3極」などという多くの政党が出てきたことも紛らわしかったですね。投票所の現場からのtwitterなどの様子と、新聞などの報道ぶりには結構ギャップがあるようにも見受けられましたね。

今週は、再び「FACTA」1)に国会事故調をめぐる記事が掲載されています。

他にも産経新聞日経ビジネスONLINEの最近の記事1)を紹介します。重複があるかともと思いますが。でも大事なことなので。

皆さんで、日本の将来を考え、話し合い、行動しましょう。

 

原子力安全に関する福島閣僚会議、海外の一行の訪問

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「原子力安全に関する福島閣僚会議」が今週末12月15‐17日、福島県の郡山市で、日本国政府の主催、IAEAの共催で開催されます。

ちょうど衆議院選挙の時になってしまいましたね。

参加国は広範なもので、フクシマの原子力発電事故から学ぼうという趣旨です。

私は何人かの海外の識者からこの会議のことを10月ごろに知らされ、「参加するのでしょう?」と言われても、日本「政府」の立場もあり「ふんふん」と頷いていたのです。

1ヵ月ほど前にある国会議員さんが「政府」の担当者に連絡をして、「黒川さんに出席をお願いしないのか?」と言われたようで、外務省の方が見えられました。ちょっと困った様子でしたが、いろいろ話を聞いてみると、政府(「行政府」のことですが)では「私が出席する理由はない」と考えていたのでしょう、私が何かをするなどはプログラムにはない、出席も考えていないのですね。私が無理することもないので遠慮しました。

ところでこの2日間、3つの国の代表団が、別々に私に会いに来られたのです。国会事故調の報告はとても素晴らしい、いろいろ教えてくれ、議論したいということなのです。そして、皆さんがお互いに理解を深める時間を持てた、そして日本の役割、課題などについての意義ある意見交換ができた、と言っておられました。

前回のポストでの私と英米の方たちの反応、さらにこれらの国の国会事故調報告書への対応を見ていると、日本の「真の意味での国際化」の遅れ、というか、考え方の違いがまざまざと出ているように思います。

明日は選挙です。皆さん、必ず投票に行きましょう。いろいろな政党があって迷うでしょうが、候補者の資質を見極め投票することです。民主制度を動かすのは皆さんの一票なのです、すぐには変わらないでしょうけどね。

特に若い人たち、今度の選挙から、あなたたちも意識を変えて、投票することです。日本の将来はこれからのあなたたちが作っていくのですから。

民主制度を機能させるのは時間のかかることなのです。

 

国会事故調の意味、「立法府」国会の意味、選挙の意味

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「立法府」である国会は「国権の最高機関」と言われています。とはいっても皆さんにその実感がありますか?

国会事故調について、国会の機能についてなかなか鋭い指摘がありました。日経ビジネスオンラインの記事「国会議員の実力を高め、民間の英知を政策に反映するには?~「国権の最高機関」が聞いてあきれる国会活動のお寒い現状~」(2012年12月14日掲載)です。

民主制度の基本である「三権」分立の「立法府」である国会、「国権の最高機関」はその本来の機能をしていないのだと思います。機能させるのには、あなたたちが選挙で選ぶ議員さんに何を託すかなのです。時間のかかることですが、特に若い人たちは自分たちの将来がかかっているのです。

特に若い人たち、今度の選挙から、あなたたちも意識を変えて、投票することです。日本の将来はこれからのあなたたちが作っていくのですから。

民主制度を機能させるのは時間のかかることなのです。

よーく「眼」を開いて、候補者の「人となり」をあなたなりに見極めて、投票しよう。

まずは選挙に行くことです。

 

米国の「フクシマ国会事故調」、長崎大学、そして選挙と機能する民主制度

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国会事故調が始まって1年、報告書を提出して5か月がたちました。

米国議会は独立したフクシマ事故調査委員会を科学アカデミーに依頼して立ち上げて、この7月に活動を開始しました(委員のリストはこちら)。

この活動はウェブでも見ることができます。

その第3回は日本で開催され、東京とフクシマ視察の行程です。これは立法府によるも独立委員会ですから、米国側は基本的に、日本側の行政府も関わらないと判断しているようでした。

東京の第1日目は、GRIPSで私のプレゼンと討論に始まる3日間の会議、ヒアリングなどが行われました。各委員も私たちの報告書を詳しく見ていて、国会事故調の評価がとても高いことがわかりました。

基本的に公開ですが、質問は委員に限られていました。この様子はちょっとだけ朝日新聞などに報道されました。

別の日にはDaiwa Capital Markets Conferenceで、「Global Agenda in Post-Fukushima」という基調講演をしました。講演者も参加者も半分以上が日本人ではないので、英語が使用言語のようでした。私は「「国会事故調」は立法府である国会による、憲政史上初めての独立検証委員会」と紹介し、私の話を始めました。

講演後、ある方がこられ、「私は英国で10年ほど大蔵省勤務の公務員、その後は私企業にいるが…」と自己紹介をして、「このような立法府による独立した検証委員会が初めてなんて信じられない…今、英国では2つ委員会が動いているよ…」と伝えに来られました。

海外の評価に比べて、日本では反応が弱いようですが、それは多くの国民も、多くの議員さんたちも、役所の人たちも、民主制度の機能についてよく理解していないのでしょうね。8月16日のブログでも指摘したところです。

また、別の日には、長崎大学に講演で参りました。多くの若者たちが参加しました。結構な数の高校生も参加していいて、高校生たちがすばらしい感想を大学に寄せてきました。

この若者たちが、この国会事故調というプロセスは、立法府の機能強化の一つであり、これが民主制度の基本にあるということを理解できた、ということなのです。

選挙に参加するということはこういう意味なのです。すぐには国の姿は変わらないでしょうけどね。機能する民主制度の構築には時間がかかるのです。

だからこそ、若い人たちはよく考え、選挙に参加し、投票しなくてはいけないのです。日本の将来のためにも、あなたたちの将来のためにも。

 

国会事故調報告書の売れ行きは良好、民主制度は動くのか?

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国会事故調の報告書の売れ行きは悪くないという記事が出て、うれしくなりました。みんなが、チームとしてがんばった成果ですから。

皆さんの私たちへの評価はいかがでしょうか? 海外では信じられないほど評価が高いのです(1)。

皆さん一人ひとりが、選挙の時にも、また皆さんの選んだ国会議員さんたちに、この報告書に書いてある「提案」を実現しようとしているのか、日常的に問いかけてください。

そうして皆さんと議員さんの間に、なんとなく「その雰囲気」が浸透してくるのが、民主制度を機能させる、立法府を動かす、ということなのです。

この選挙というプロセスで、少しずつでも、あなたたちの将来を、日本を、変えていくのです。

選挙は、国の政治へ関与する、国民一人ひとりの大事な行為です。 

 

国会事故調の1周年

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1年前の12月8日、国会事故調が正式に発足しました。

それから1年たった今日、多くの事故調チームの皆さんと午後3時間ほど集まりました。みんな、あの出口の見えない、しかし、極めて「テンション」の高い、「ハイ」な6ヶ月の厳しい試練を通りぬけてきた「チーム」の「同志」の気持ちを共有して、いろいろな話題で楽しい時間を過ごしました。

私はチームの皆さんに記念品を用意し、お渡ししました、私の感謝の気持ちです。

私たちの国会事故調は、最近このブログでもお知らせしたように、世界ではきわめて高く評価されています1)。

では、日本国内での反応はどうなのでしょうか?

国会事故調チームは、1年前はほとんどがお互いに知らない人たちばかり。社会人になって、こんな気持ちを共有できた数か月を体験することは、一人ひとりにとって、これからの人生で大事な経験と自信になることでしょう。皆さんから、そのような言葉が繰り返し聞かれました。

あの1年前のこの日、国会での挨拶の冒頭の言葉、そして締めくくりの言葉を、私は思い出しています。あの日は真珠湾攻撃の70周年の日だったのです。これらの言葉が、私も、誰でも、いつでも聞ける、こんなところが「情報時代」のすごいことです。この言葉にこの国会事故調を引き受けるにあたっての私の気持ちが素直に出ていると、今でも思います。

この1年間で、いろいろなことは決定的に変わりました、世界でも、日本でも。

でも、フクシマの現状はどうでしょうか?昨日の夕方、かなり大きな地震が東北であり、小さいけれども津波が来ましたね。みなさんは何を思いましたか?

日本では、今また選挙ですね、例のごとく。でもあまり希望が見えないような、、、どこが変なのでしょう。

一人ひとりが考え、変わるときです。国会事故調の「はじめに」にもあるように。