朝河貫一先生のことなど

最近大変興味のある本を読みましたので紹介します。いつも言っていることをまたもや確認するものでしたし、とても参考になりました。

その本とはJohn Dower MIT教授による「Embracing Defeat」(1999年)で、邦訳は「敗北を抱きしめて」(2001年:岩波書店)です。Puritzer賞も受賞した、アメリカ占領下の日本を描いたノンフィクションです。このような本が、日本の学者によって書かれていないことに日本の基本的な問題があると思いますが、すばらしい記録と記述の学術書です。

いつも書いていることですが、私の日本に対する基本的認識は、ルース・ベネディクトの「菊と刀」、池上英子氏の「名誉と順応」、野中郁次郎らの「失敗の本質」等の延長線にあるのかも知れません。日露戦争以降の日本の「リーダー」の「志(こころざし)の低いこと」、「責任感の欠如」を示して、「リーダー」たちのみっともなさが目につきます。日本人は全体としては優れているのですが、とにかく、国のことを考え「身を賭けても」という「リーダー」がいないのです。わが身かわいい「リーダー」ではどうしようもないでしょう。調子のよい時はともかく、困難な時にこそ「リーダー」の本質が出てしまうもの。今の日本でも、「責任ある立場」でいながら「評論家」ばかりで困ったものです。銀行、大企業、行政、政治、大学、どこにいる「リーダー」も評論家ばかり。自分たちの問題であるにもかかわらず、ひとごとのようなことばかり言っている「評論家」です。普段は威張り、困難が来るとまず逃げる、これが日本の「リーダー」たちと言えるのではないでしょうか。「Embracing Defeat」、ぜひ読んでください。これについては、また機会があれば書きたいと思います。

ところでもっとすごいのが、朝河貫一教授の著書です。朝河先生は、明治6年(1973)に福島に生まれ、早稲田の前身を主席で卒業。その後渡米し、Dartmouthで学び、YaleでPhD、後にYaleの歴史学教授になります。日本人としては、アメリカのアイビーリーグはもとより、Majorな大学で初めて教授となった人です。Yale名誉教授として1948年に亡くなっておられます。

朝河先生は1904年、日露の衝突が進行中、まだ陸軍は乃木大将が203高地攻略中、バルチック艦隊はまだ喜望峰を回っている頃、まだこの戦争の顛末はなんとも言えない時に、政治的、軍事的、経済的側面から諸種の状況を分析し、「この戦いは日本に正義」のあることを解析した論文を英米で出版しました(31歳の時です)。ロシアの満州侵攻の不当性と日本がこれを阻止する正当性を主張したのです。そして、この本が、英米が日本を支援する根拠となり、日本が奇跡的な勝利した後のルーズベルト大統領の仲介によるポーツマス条約を成立させる要因となりました。朝河先生もこの条約にはオブザーバーとして出席したそうです。その後、小村寿太郎が外交手腕を発揮します。この時、日本はかなり「危ない」状況であったことは、今となっては周知の事実でしょう。しかし当時、これを「理解」しない「大衆」によって「日比谷暴動」が起こります。煽動した帝国大学教授がいたことも有名です。

さて、そのような状況の中で、さらに朝河先生のすごいのは、日露戦争の後の日本の満州での行動が、政治的、軍事的、経済的側面で解析すると、日露戦争での日本の正当性を主張したその根本理念そのものに反していることを指摘するところです。そして、日本がすぐに満州での行動を正さない限り、日本は国際社会での信用を失い、必ずアメリカとの衝突をむかえ、アメリカに負けるであろうと喝破し、日本の「リーダーたち」に訴えるべく『日本の禍機』と題して1909年に日本語で本を出版しました(講談社学術文庫784、昭和62年発行)。日露戦争のわずか4年後です。ぜひ読んでみてください。

あの時代、情報源も今に比べればはるかに限られているにもかかわらず、大量のデータを集め分析している歴史学の朝河先生。彼の、在米で日本を思う気持ち、「外」にいるからこそ見える日本の実情(「岡目八目」とはよく言ったものです)、切々と訴える愛国心が、私にはよく理解できる。先生の著書は、独りよがりで、国際的視野でものを見たり、考えたりできない日本の「リーダーたち」に日本の国際的視点の欠如等々を訴えかけています。これを読んで、本当に明治にはすごい日本人がいたのだなと、つくづく思い知りました。このような立派な人がいたことはもちろん外務省の人間は知っています。小渕さんが外務大臣の頃の演説で、国会でちゃんと朝河先生のことにちょっとですが触れていました。ただ、知っているというだけで、これだけの器量の人が今の外務省には残念ながら、以内のです。

朝河先生は日本の封建主義や荘園とヨーロッパとの比較研究等で多くの世界的な学術貢献をされています。朝河先生は渡米後、2回しか日本に帰られなかったそうです。

明日4日には、日本医学会総会(博多)で「21世紀:日本の課題」という特別講演をしますが、この2冊についても話をしたいと思います。

医療制度の基本的な問題

早いものでもう3月になり、温暖化のせいで桜ももうすぐです。4月の入学式の頃は桜は散ってしまっているでしょう。いよいよ医師国家試験も始まりました。皆がんばってください。ご健闘を祈っています。

今一番の問題はアメリカのイランへの侵攻と、北朝鮮の問題でしょう。そしてこれらの不確定要素のもたらす経済への影響ではないでしょうか。世界中が「デフレ」問題に苦慮しています。日本では新しい日本銀行総裁人事がしばらくの間は話題になっていましたが、蓋を開けてみれば福井総裁。しかも武藤前財務省事務次官が副総裁ですから相変わらず財務省主導になるでしょうし、思い切った財政政策ができるのか疑問です。それにしても日本の経済は悪いですね。産業人もあまりにも責任感が薄いですね。何しろ、日産のゴーンさんも「皆さんは日産の奇跡的な回復といいますが、この間の日産の社員99%は日本人で以前からいた日産の社員なのです」と言っているぐらい、明らかに問題はリーダーにあるのです。歴史観も無い、世界観も無い、自己保身ばかりのリーダーには早く退出してもらいたいですね。政府ばかりが無策なのではないのです。

医療制度はますます改悪が明白です。皆な不安でお金をためて、いざというときに備えるだけです。心配で心配でしょうがないのです。85歳の人がお亡くなりになって、「たんす」から4,000万円も出てきたなどという話を聞くと本当に悲しいですね。笑い話ではないのです。何にもつかわずに心配でお金を使わないで貯めているのです。これでは消費が上向くはずもありません。医療は社会基盤資本ですからもっと公的資金を投入すべきなのです。公的病院に個室等は要りません。公的病院は地域別に診療科を再編成して、無駄をすくなくする必要もあるでしょう。

例えばどうしてすべての公的病院が「自己完結型」で主要診療科を何故全部そろえていなければいけないのでしょうか。どこの病院にも消化器内科、循環器内科、整形外科、消化器外科とか持っている必要は無いのです。その地域での人口と、人口構成の必要等に応じた調整を市民のニーズから算出して再編すればよいのです。そして余計なベッドは減らし、当分人員数はそのままとしておく。サービスはよくなるし、救急以外では少し待たされたりして不便かもしれないけど、そのかわり公的病院では自己負担は10%程度でよいのです。これでいまよりははるかに安心して生活できます。

こうした上で、公的病院でなければ「混合診療」を導入するなどして選択肢を広げればよいのです。「医療特区」では「公的医療保険」を使わないのは当然ですが、こうした上でなら「医療特区」はあっても良いのです。保険の掛け金値上げ、自己負担3割へ、さらに混合診療とくれば皆不安が増すばかり。当たり前ですよね。まず心配ばかりなのですから。お金は使いたくても心配で使えませんよね。皆さんもこのような医療制度の基本的な問題を患者さんや患者さんの家族、あなたの住んでいるコミュニティーと対話を進めてください。結局、医療は医師をはじめとする医療にかかわる人達と患者、そして社会で築き上げるものですからね。

もっともっと社会とあるべき医療制度を討論し政策提案をしないと医療は大変なことになります。先日も、日本医師会の医療制度会議でこの点について「カンカンガクガク」議論してきました。皆さんのご意見をお寄せください。

“Asian Pacific Congress of Nephrology” in Pattaya, Thailand.

前回「ダボス会議」についてお知らせしましたが、NHK-BSでも90分の特集として先日放送されていましたのでごらんになった方も多いのではないでしょうか(最後の“Blueprint for Japan”のところで私が最前列でちょっと写っていました)。前回紹介したReuterについで、伊藤穣一君(株式会社ネオテニー代表取締役社長)の報告がSouth China Morning Postにも出ていましたので参考にして下さい。私が常日頃から指摘している日本の問題が良く把握されています。

先週は、タイのPattayaで開催された「Asian Pacific Congress of Nephrology」に参加してきました。アジア各国から1,200人程度の参加がありましたが、日本からは80人程の参加があり、参加者はみんな喜んでいました。アジアでの学会等には日本が積極的に参加すべきだといつも言っていますが、今回は大変嬉しかったです。日本はアジアの一員であるのですから、将来へ向けてもっともっとアジアに目を向けてもらいたいものです。

Just ran in the South China Morning Post
Thursday, February 20, 2003
Behind the mask, a new Japan is pushing for change

JOICHI ITO

Does growth in sophisticated economies require democracy? Do advanced economies thrive with more democracy? This age-old debate is more relevant than ever today. Doubters should look to Japan for reams of evidence that growth, especially when economic change is necessary, comes easier with democracy.

Post-war Japan consolidated power in the ruling party. Perhaps this was efficient at the time, as there was consensus on the appropriate direction of the country, but it created a super-powerful bureaucracy lording it over the country. People were educated to be obedient. Harmony was maintained by co-opting or disabling people or organizations that could threaten the system. Diversity in the media, a strong judiciary, diversity in education and politics were all stifled to maintain harmony.

While Japan was growing, it could afford to fund the ever-growing political machine. It could also afford not to change. However, today, Japan faces huge challenges both externally and internally. Ageing Japan now faces a competitive Asian manufacturing sector and a shift in resource allocation in the economy towards the service sector. However, the domestic services sector is inefficient and unable to compete globally because it has grown up protected by the bureaucracy and, thus, never had to compete. The markets are dysfunctional and unable to reallocate resources.

This harmony and consensus-bound process that once protected the happiness of Japan’s citizens is now the primary barrier to change. The system is self-perpetuating and extremely resistant to change. It hides behind the powerful and complex bureaucracy and the monolithic media that does not give voice to a diversity of opinions. In short, Japan is stuck with a system pointing in the wrong direction, without the ability to change course. The political system is unable to lead the nation. The lack of real democracy is the root problems.

Japan has a constitution and almost all of the laws required of a functioning democracy. In a democracy, there should be multiple points of authority, the ability to criticize power without fear of retribution, critical debate and a competition of ideas. Japan’s "market for ideas" is far from this. Japan must build a modern democracy and empower the people to participate. The situation is so bleak that some say a revolution is needed.

If it does happen, the revolution does not need to overthrow the government. It must, however, consolidate the will of the people to force the elite to allow authority to be distributed and democracy to function.

There are many signs of change in Japan – signs that a silent majority is pushing for a true democracy. Nagano Governor Yasuo Tanaka, an independent promising to shut down public works and crack down on graft, was voted into office by people upset by corruption and willing to suffer short term pain in order to fight it. He was ousted by the prefectural council in the first no-confidence vote in the history of modern Japanese politics, which did not involve a crime or a scandal. He ran again and won a landslide victory. He is now cleaning up the politics of Nagano prefecture.

Across Japan, people are voting more and more for independent, anti-corruption governors. When Minister for Economic and Fiscal Policy Heizo Takenaka presented his aggressive plan to restructure the non-performing loans problem last October, the mass media criticized him, bureaucrats were not supportive and the ruling party tried to stop him. And yet a poll run by Monex showed that 87 per cent of people supported him. This support was not reported in the mass media. The collusion between the bureaucracy and the media has been built up over decades, but the time has come for it to end. We should also remember that it under-represents the views of a large, silent majority.

In business – the traditional backbone of the bureaucracy – change is also afoot. Carlos Ghosn has been able to take Nissan, a failing Japanese company, and turn it around with 99 per cent of the original Japanese staff. Ripplewood, a foreign fund, has been able to buy the ailing Shinsei Bank (formerly the Long Term Credit Bank of Japan) and make it a success.

Many of the problems can be solved by ignoring the complex network of personal indebtedness (including lifetime employment) and exercising an ethic of transparency. The exciting thing about Nissan and Shinsei Bank is that the people working in these companies quickly embraced the new ethic and were able to use the foreign influence as a positive catalyst.

There are many isolated examples of average citizens pushing for change and embracing a new ethic of transparency and activism, but again, they are marginalized by the mass media.

As more of these individuals begin to express their opinions and organize themselves on the Internet, the number and size of these incidents should increase.

The Internet, and the "blogs" (Web log services) in particular, provide opportunities for the passive Japanese public to wake up before the catastrophe. The Internet is also a way to enable the youth of Japan, currently silenced by the older generation and destined to get stuck with supporting them, to speak up and organize themselves before it is too late. This is critical both for themselves and for Japan as a whole.

It is frightening to know that the collapse of brand-name corporations and the failure of the government to engage the people have largely caused many of the country’s youths to lose faith in the system.

Many have merely dropped out, but there is an increasing number of young Japanese organizing themselves with the help of tools such as mobile phones and the Internet.

For the first time since the student uprisings in the 1960s and 1970s, which made activism "unfashionable", young people are becoming more active. This is crucial, because if they do not, they will be rebuilding Japan from the ashes of a total economic collapse several years from now.

Historically, a catastrophe or a shock of some sort has been necessary for Japan to change. A sensible plan for rebuilding the democracy would be a good start, though. The Blueprint for Japan, which has been put together by a group of elected officials, businesspeople (ourselves included) and professors, identifies some key factors for a new system. These include: empowering prefectural governments and improving the fairness of voter representation; allowing more political appointees in the bureaucracy; breaking up the press clubs that tightly control access to key political figures; increasing the size and power of the judiciary; supporting more direct democracy and educational reforms; and increasing diversity through more immigration.

Of course, this is just a start and may not be without flaws. However, we also know that change has never happened without someone taking the first step. The Japanese people who make up the silent majority need to wake up and realize that change starts with them.

Joichi Ito is president and chief executive of venture capital firm Neoteny in Japan and a member of the Blueprint for Japan 2020, organized by the World Economic Forum.

病院は医師の育成を

2月18日の朝日新聞に私のコメントが掲載されましたので紹介します。

「医局」が存在するのは、日本だけです。東海大でも医局単位ではなく、医学部長が医師を派遣する方式を取ろうと考えています。ただ、教授たちは反対するでしょうね。人事権を学部長に握られると、多くの既得椎を手放さなければならないと考えるからです。既得権の一つに、博士号の授与権があります。これが、関連病院と医局の結びつきを強めてきました。博士号をもらうためには、大学とのコネクションが必要だからです。医学部卒業生全員に博士号を与えれば、この問題は解決します。

昔は大学病院しかできない検査や治療があり、患者を転院させる必要があったことも、関運病院が大学とつながりを持ちたかった理由です。今は、そんなに頼らずに済む時代です。患者に対する情報公開が進んでいます。患者がいい医師を選べるようになれば、大学の人事に依存した病院では立ちゆかなくなっていく。病院が自前で医師を育てたり、スカウトしようとしたりすれば、医局の役割は小さくなっていくでしょう。

ただ、医局が完全に無くなるのは難しいでしょうね。日本は個人が組織の一員としてしか存在していない。そういう杜会の構造が変わらなければ、医局廃止とはならないと思います。

ダボス会議から

前回、「ダボス会議」での日本のプレゼンスは低いと報告しましたが、そのあたりの雰囲気は、「日本経済新聞」で結構報道されていましたね。

「Blueprint for Japan 2020」については、日本でほとんど報道されませんでしたが、かなりラジカルなものでした。日産のゴーン氏、ソニーの出井氏、ネオテニーの伊藤氏、マネックスの松本氏、慶応の田村教授、民主党の古川(元久)氏がパネルで議論しましたが、Reuterで下記の記事が出されていました。かなり参考になります。日本で報道されない理由も理解できるような気がしませんか。そこに日本の問題があるのです。この若手達のかなり「ハード」な意見は、同日の午後に行われた、日本経済の「定番」パネルに比べてかなり元気がありました。本当のことを理解し、発言する人たちが、日本の若手にもやっと出てきたのかなという“ほのかな希望”が参加者に伝わったように思います。もっとも日本の経済問題に関するセッションの参加者は年々減ってきています。毎年同じことばかり言っていて、実際には何もできないというので、もう同じ話は聞き飽きたと言う“諦め”の感じです。竹中大臣が4時間程頑張って政策の説明(言い訳?)をしていましたが、例の「インフレターゲット論」のプリンストン大学 クルーグマン教授は日本をかなり見放したような発言をしていました。

DAVOS-Japan needs to end bureaucracy’s power-elite group
Fri January 24, 2003 09:12 AM ET
By Lucas van Grinsven

DAVOS, Switzerland, Jan 24 (Reuters) – Japanese businessmen, academics and politicians cast aside their traditional reserve on Friday and called for an oriental version of the Boston Tea Party to end the bureaucratic elite’s grip on power in Tokyo.

The call, by a group of Japanese at the World Economic Forum, an annual high-profile gathering of the world’s powerful, reflected their frustration at a decade of economic stagnation.

The group has just published a paper called "Blueprint for Japan", aimed at laying bare some of the underlying causes of the country’s problems such as high debt and lack of competition.

The group said the radical changes needed would only be possible if the Japanese population, still affluent and content despite a decade of economic stagnation, really found out how their taxes were wasted and government corruption flourished.

"We need some kind of a revolution," said Jiro Tamura, a law professor at Keio University.

"For the Boston Tea Party to happen, which it will, people will have to understand the tax system and corruption," said Joichi Ito, chief executive of venture capitalist firm Neoteny, referring to the dispute over tea taxes which triggered the U.S. fight for independence from Britain.

To change the bureaucratic machine from the top is an almost impossible task and not a very appealing one, said Nobuyuki Idei the chief executive of Sony Corp 6758.T , the world’s largest electronics maker.

"No Japanese businessman running a company wants to be the candidate for the top political position in this country. It is an impossible system we have," Idei said.

"If Japan were a company, it would be bankrupt," he added.

Motohisa Furukawa, an Member of Parliament and policy maker for the opposition Democratic Party, said the government should be decentralized and power should be taken away from the bureaucratic elite who effectively manage the country.

"We lack transparency and accountability and this has contributed to the chain of discontent," he said.
"One of the core issues is that Japan is not a democracy. It has really a single body of power. It doesn’t have multiple points of authority, diversity and critical debate," Ito said.

Tamura said Japan was not a law-governed state but a bureaucrat-governed state. The absence of a strong legal system, with only 20,000 lawyers for the entire country of 125 million people, meant that public authorities ruled on disputes they were involved in, he said.

All speakers said the risk-averse Japanese educational system continued to power this development.

It was left to Carlos Ghosn, not a Japanese but a Frenchman, to point to what could be achieved.

Ghosn has breathed new life into car maker Nissan 7201.T after he took over the helm in 1999. Under his tenure, the company has cut debt, raised profit margins and market share and seen its share price multiply.

"Nissan is a perfect example that change is possible in Japan," he said.
"And it was done by 99 percent of the old employees."

Ghosn acknowledged he had had an advantage in that there already was a sense of urgency when he took over, as everyone agreed at the time that Nissan was in a dire state.
MP Furukawa said this sense of urgency for economic or state reforms was not yet clear among the Japanese population.

"People are reluctant to change. It’s still just too comfortable for us," he said.

世界の動きの現実と乖離した「リーダー達」の問題

久しぶりです。もっと頻繁に書くべきであることはわかっていますが、何しろやたらと忙しくて時間がないのです。申し訳ありません。

経済再生、産業再生、不良債権問題等々どうでしょう。あまり明るい出口が見えませんね。1989年のベルリンの壁の崩壊に始まる、東西冷戦構造の終焉、そして情報と交通の発展による「グローバリゼーション」の時代。そんな急変する時代になぜか取り残されてきた感のある日本。1980年代半ばには「Japan as Number One」などと言い、1990年代のはじめでも「政産官の鉄のトライアングル」、「政治家は三流、官僚は一流」などと言っていた人たちは誰でしょう。もう忘れたのでしょうか。現在の日本の低迷には、「なぜ取り残されたのか」が理解できない、歴史観、世界観のない、世界の動きの現実と乖離した「リーダー達」の問題が底辺にあると考えています。これらの理由についてはいくつかこのHPでも書いてありますので参考にしてください。

低迷は徐々に進んでいくものですが、表面的には、あるとき突然、明らかな形で現れてきます。これに、きちんと気がつくか、これが「リーダー」として、大きな歴史の「うねり」が見えるかどうかの洞察力なのです。ほとんどの人は大きな「うねり」が見えず、「うねり」の上の小さな「波」しか見えず、これらの「小波」にしか反応しません。 世界的な経済学者の宇沢弘文先生(文化勲章受賞、本来は数学者です)によると、社会の基盤は教育、医療、農村、都会、金融と言います。これらの社会基盤資本はいったん崩壊すると、回復には10~20年の年月を要するものです。1990年以降の「グローバリゼーション」とともに、日本の低迷が始まりました。今もこの低迷はさらに深まり、問題はさらに大きくなっています。これらを象徴するような大事件が1995年に次々と起こっています。

まず、1月の神戸大震災。これは自然現象ですが、問題は高速道路等の崩壊です。その前年のロサンゼルスの地震で高速道路が壊れましたが、日本の技術は優れているから「こんなことはない」などと嘯(うそぶいて)いていましたね。自分達の技術におごり、過信があったのです。「技術立国日本」の根元が腐ってきていることが示されました。この後に起こった多くのスキャンダル、JR西日本のトンネル落石事故多発、東海村原子力、東芝のパソコンの顧客からのクレームへの対応、三菱自動車、雪印、日本ハム、三井物産、東京電力、みな根元は同じ問題なのです。次々に起こる技術と企業経営者の経営能力、管理能力の崩壊がここに現れていたのです。

次は3月のオウムサリン事件です。これはオウムの問題というより教育の崩壊の象徴です。私の教え子の一人も都庁事件で有罪となり、控訴審では私も証言しましたが、15年という判決で服役しています。悲しいことです。その後の現在にいたるまでの教育の崩壊の現状は皆さんご存知のとおりです。

次に起こったのが「住専問題」です。7000億円弱の公的資金投入について国会で大論争があり、結局この額の公金が使われました。それからは、山一證券、北拓銀行、長銀、日債銀と次々と破産、破綻し、ただただ大きくなるだけの銀行合併劇がつつき、しかし、これらメガバンクもかなり危ないとも言われています。ついに不良債権は50兆円ともいう額になって、今では「数兆円」の公的資金投入などはなんでもないような雰囲気になっていますね。この不良債権も本当は200兆円とも300兆円とも言われていますが、国内と国外での報道される額には大きな隔たりがあります。よく見てくださいよ。

ことほどさように、「事の本質」を見抜けずに、これらの事件を「個別の事件」のように扱い、その時その時の手当てで済まそうとしてきた、責任をとろうともしない、時代の大きな「うねり」の見えない「リーダー」達。このような「リーダー達」の歴史認識、計画変更への決断力、俯瞰的視点、国民への結果責任(※註)意識等の欠如は戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎らによる「失敗の本質:日本軍の組織論的研究」(1984年、ダイヤモンド社:1991年、中央公論社 [文庫本] )、最近では文芸春秋12月号に掲載された立花隆の「戦艦大和と第二の敗戦」、先日私のコラムで紹介したアレックス・カー氏の「犬と鬼」(2002年、講談社)等にも明らかです(※註:これが「Accountability」の本当の意味であり、「説明責任」は明白な誤訳です)。

本質を見て、対策を立てていくことこそが「リーダー」の責任なのに、日本のリーダー達は腐っているのです。何かが間違っているのです。「なぜか」がわからないこと、これが問題なのです。これらの社会基盤の崩壊からの回復には20~30年かかるでしょう。

医療も同じです。頻発する医療事故は何を意味するのか。根本の問題に早く手を打たないとこれももっと大きなことになりますよ。そして、問題が大きなことになってからでは、医療の崩壊の回復には人材の育成を含めて、これも20~30年かかるのです。だからこそ私は嫌われても、そして多くの「既得権の大きい」人たちの耳には痛いかもしれない「辛口」の発言をしているのです。それでなければ、私達の次の世代、その次の世代はどうなるのでしょうか。これが今の世代の責任なのです。

次の機会には、20世紀後半の日本の驚異的な経済成長の秘密についても考えてみましょう。皆さんも考えてくださいね。そして未来への方策を考えてください。1月には日本学術会議から「日本の計画」という冊子を出版します。このような課題、提言が論じられています。またご案内しますね。では良いお年をお迎えください。

「医療の質」 谷間を越えて21世紀システムへ

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医療の質-谷間を越えて21世紀システムへ

米国医療の質委員会/医学研究所 著
日本評論社 A5判 (2002/07) 3,200

医療の事故が毎日のように話題になる。より複雑になる医療、高度医療の要因ばかりではない。医療人の能力、日進月歩の医療と医学、複雑化する医療のシステムのあり方が問われている。

情報化の時代に、患者の医療への期待と患者の権利の要求はさらに高くなる一方で、医療提供者の側としては、これらに対応できない医療制度、医療経済、医師の教育と研修の課題がある。

また、従来のような医師と患者の関係は劇的に変化してきている。これらを背景としていくつかの画期的な研究成果が発表され、医療事故と対策が大きな社会的課題になった。

1999年末に、米国医学研究所(Institute of Medicine of the Na-tional Academies, USA)は医療事故の現状へと目を向けるTo Err is Humanという画期的な報告を発表し、世界的な注目を集めた。これは本書と同じく医学ジャーナリスト協会訳(『人は誰でも間違える』)によって、日本評論社から出版され、多くの人に読まれている。

この報告によると、毎年米国で医療事故で死亡する患者数は交通事故死より多く、4万~9万人程度と推測されるというおどろくべき数であることを明確にしたうえで、原因についての解析と、いくつかの具体的な対策、提言を行なった。

これを受けて当時のクリントン大統領は、医療事故を「5年で半減させよう」という具体的政策提言を行ない、予算化し、政策を実行に移している。この特別予算措置は、医療事故で失われる経済的損失に比べればほんの些細なものであるという分析もなされているのである。しかも、ヒトのすることに事故はつきものであるという大前提をまず認識することに、この報告と政策は立脚しているのである。

日本でも医療事故は最近大きな話題になっており、この米国の報告とほぼ同時期に日本学術会議は「安全学」の重要性を提言している。さらに日本学術会議はその機関誌である『学術の動向』2000年2月号ですでに「安全の特集」を組んでおり、私も児玉安司氏とともに「医療の安全」について寄稿しているが、まさに原稿執筆中に発表された米国医学研究所のこの報告に気がつき、インターネットで検索、検討し、これを引用している。

さて、この本はその続編ともいうべきもので、医学研究所による原著は、Crossing the Quality Chasm : A New Health System for the 21st Century と題され、「谷間を越えて21世紀システムへ」という和訳の副題になっている。

本書の要旨として、「安全性、有効性、患者中心志向、適時性、効率性、公正性」の6項目について、本来あるべき水準からみて明らかに劣っているであろうと認識し、改善目標を提案している。そして、今後3~5年間に毎年10億ドル(総医療費の約0.1%程度)の予算措置が必要であることを明確にしている。 また、医療サービス提供には以下の6つの課題をいかに克服するかが問われるとしている。

すなわち、
  ・慢性疾患、症状に対するケア、プロセスの再設計、
  ・臨床情報処理の自動化を通した医師相互間、患者と医師間のタイムリーなコミュニケーションの確立、
  ・医学、医療の知識の的確な管理運用と教育、研修、生涯教育の充実と評価、
  ・終始連携のとれた一貫性のある医療サービスを提供できるシステムの構築、
  ・チーム医療の有効性を高める継続的な努力、
  ・日々の業務に医療プロセスとその結果を測定評価する手段を組み込むこと、であるとする。

さらに、これらの医療改革には医療を囲む外部環境の改革が必要であるとしている。これらの医療を囲む外部環境とは、
  ・新しい医学、医療知識と技術を医療現場に浸透させるインフラ、
  ・情報技術のインフラ、
  ・診療報酬支払方式、
  ・医療従事者育成への支援、である。

これにつづいて、「21世紀の新しい医療システム」、「医療システムをどのように改善するか」、「医療の再設計と質改善に資する新しい原則」、「最初の一歩を」、「改革に向けた組織的支援の構築」、「医療サービスにエビデンスを反映する」、「情報技術の活用」、「質の改善に整合する報酬支払方式」、「21世紀医療システムに求められる医療従事者の養成」の9章において問題がくわしく論じられている。

このように総括的で、具体的、しかも短期的、長期的視点をもあわせ、予算についてもふれた総合的対策が出てくるところが、いろいろ問題はあろうがアメリカのすごいところであろう。

わが国の現状と比べると、政府の責任者たちは医療の安全は求めても、医療従事者への注文ばかりで、総合的な対策がとれず、総医療費を切り詰めることばかり考えている。これでは医療も患者も社会も泣けてくるというものではあるまいか。日本でも医療事故対策、卒後臨床研修義務化、医学教育改革、医療のマンパワー不足等々、問題は山積している。21世紀を迎えて、高齢化社会、モノあまり社会にあって、思い切った政策転換と、公共投資の土木から健康への転換が求められているのに、それができない。

この本はすべての医療にかかわる人たち、とくに医療政策にかかわる人たちにぜひ読んでいただきたい一冊である。

医療政策、臨床治験、科学と社会について

内閣改造が行われました。意外な人事もありますがさてどうなりますかね。

小泉首相の北朝鮮訪問では外務省がまた醜態を見せました。国民や国家よりは自分達の理屈、都合で考え、行動しているとしか思えません。国内では何とかごまかせると思っているのかもしれませんが、世界中が見ているという現実をどう考えているのでしょうか。このようなことが積み重なって、世界が日本という国を見る眼が形成され、日本国の信用になるのですからたまったものではありません。この後をしっかりフォローしてもらいたいものです。台風21号も近づいています。

9月19日、The Economist主催のHealthcare Reform in Japanで厚生労働省の中村秀一局長等とともに基調講演をしました。日本の「医療政策改革」は、日本の構造改革そのもの、「Japan Inc.」の問題であり、いつも言っているように公共投資の政策転換とともに、日本という国の「ありよう」の基本問題そのものであることを強調しました。主催者としては、日本ではあまり本音の話が聞けることが少ないので、大変良かったといって喜んでくれました。これを受けて何か「外」からの「変化」も期待したいところです。私なりにフォローしてみますが。

これもすでにお知らせしましたが、私が議長を務めることになった日本医師会の医療政策会議では、第2回の会議が8月28日に開催され、「混合診療、自由診療、公私ミックス、特定医療費」等について集中的に議論しました。医師会常任理事やこの会議委員との活発な意見交換によって、この課題に関する理解、問題点の共有化と論点が明確になったと思います。この会議の議論の成果を、これからの医療制度の提案としてどのように国民の信を問い、国民のサポートを得られるように提示していくかの戦略が重要と認識しています。ご意見、ご支援をいただければと思います。議論の内容等についてはできるだけ早くこのサイトでも報告したいと考えています。次回は、公的医療機関についてデータをもとに議論してみる予定です。

9月21日には、日本医師会主催の医療政策についてのシンポジウムが日本医師会会館で開催されました。私と、宇沢弘文先生(本来数学者ですが経済学者、文化勲章受賞、東京大学名誉教授等の世界的に本当に著名な経済学者です)、経済研究者の紺屋典子両氏と私が基調講演をしました。医療政策について宇沢先生は私とほとんど同じスタンスで、私の意見を全面的にサポートしてくださいました。うれしかったです。

日本の新薬開発の臨床治験がなかなか進まないことについて、多くの議論があるのはよくご存知かと思います。これに関するいくつもの委員会(当然ですが厚生労働省関係が多い)、会議があり、私もいくつかに参加しています。厚生労働省の「大規模臨床治験」の委員会(まだ2回しか開催していませんが)は私が委員長です。関心のある方は時々厚生労働省のサイトでも見てください。臨床治験については、9月18日はアジアでの臨床治験の課題についてAPEC主催の会議があり、私も「RENAAL」について講演しました。「RENAAL」は日本も参加した初めての国際的大規模治験で、糖尿病腎症の進行にアンジテンシンⅡ阻害薬Losartanが有効であることを示したものです。結果はNew England Journal of Medicineの2001年9月20日号に発表されており、私はSteering Committeeのメンバーとして、また日本から参加された先生も全員の名前が出ています。翌19日は、上に述べたThe Economistの会議に出席した後、厚生労働省主催の臨床治験の会議にでて、また「RENAAL」について講演しました。これに関連しては、9月から、科学新聞に不定期ですが「黒川対談」を連載することになりました。第1、2回は、今回の薬事法改正のポイントを中心に厚生労働省医薬局の宮島局長と対談しています。臨床治験のことも触れられています。

9月22~30日はRio de Janeiroに行ってきました。国際学術会議(International Council for Science-ICSU)に日本代表として出席したのです。日本学術会議の吉川弘之会長がこの国際会議の会長もされているので、日本学術会議副会長の私が日本代表ということになったのです。日本の先生たちも何人かが分野別国際会議(Science Unions)の代表として参加されており、日本のプレゼンスも結構ありました。すばらしいことです。科学や学術がこれからの世界的な問題、課題の解決の糸口へ向けての政策等に欠かせないという認識が世界レベルで高まっており、このICSUはつい先日Johannesburgで開催されたWorld Summit for Sustainable Development (WSSD)でも科学者の代表として大きな存在を示していました。このWSSDは1992年のRioで行なわれた環境問題のWorld Summitを受けて、「Rio-10」として10年ごとに開催される環境問題に関する2回目の世界会議なのです。日本からは小泉首相はじめ多くの参加があり、これからの環境問題、食料問題等の多くの国際問題が討議されました。

これらの問題を見ればすぐに理解されるように、これからの世界の問題、人工、環境、南北等の地球規模の大きな問題の対策には、当然のことですが科学の役割はきわめて大きいのです。このような理解と認識は世界中にかなりに広まっています。ICSUのほかにも、世界80数ヵ国の科学アカデミーの連合体InterAcademy Panel(IAP)や、さらに小回りのきく15ヵ国の科学アカデミーで構成されるInterAcademy Council(IAC)のような学術の活動主体がこの数年に結成され、活動をはじめています。今週にはUgandaで国連事務総長の要請に対応して「Food Security of Africa Study Panel」の第1回目の会議が行われています。このような国際的な学術と科学者の対応に呼応して、日本の「科学者コミュニティー」(実はこういう観念が日本にはないようなのですが、この点については「学術の動向」に掲載された私の論文等に述べていますし、もうすぐ同じ「学術の動向」に「学術会議は考える」という論文も掲載されます)の代表機関としての日本学術会議でも「日本の計画 Japan Perspective」という報告書を今月10月に発表します。ちなみに、私が委員長を務めました。結構忙しいのです。

将来の日本の医療をになう人たちの育成に・・・

台風がいくつか過ぎ、いつのまにか秋らしさをそこここに感じられるようになりました。

日本を巡る環境は相変わらず厳しい状況ですが、医療制度についても今年4月に改定された「改革」でも、手術件数での診療報酬の変更等の不適切さについてはすでに見直しがあるようです。なんという見通しの悪さ、というかみっともないことこのうえない。こんなことで毎年のように医療制度「改革」が行なわれては、現場はたまったものではありません。また、卒後臨床研修は制度も経済的支援計画も不透明なままです。将来の日本の医療をになう人たちの育成にこんなことでは困ったことです。なんとかしてほしいものですね。

ご存じかと思いますが、日本医師会の坪井会長のお招きを受けて、日本医師会の「医療政策会議」の議長をお引き受けしました。第1回が終わり、第2回が来週開催されます。これからの医療制度について、責任ある、将来を見据えた、大きな政策提言が医師側から国民に対してできれば、と考えています。日本医事新報の6月1日と15日号に掲載された鈴木厚先生の基本的認識に立ちたいと考えます。鈴木先生にも先日お会いしました。昭和36年からの「国民健康保険制度」は経済成長を経た後の経済の低迷、日本の公共事業へのニーズの変化(土木建築から健康医療バイオ産業へ)、疾病構造の変化等に対応しておらず、行き当たりばったりの対応は完全に行きづまっています。今の医療の「無駄」はどこにあるのか、医療の質はどう保証するのか、患者と国民の選択は何か等々、多くの課題に取り組んでいきたいと考えています。いろいろご意見をお寄せください。会議の進捗状況も適宜お知らせします。さしあたり「自由診療-混合診療」、「医師免許更新制度」、「公的医療機関のセーフティーネットとしての整理、整備」等を検討課題として提案しています。「国際化時代」の日本にあって、社会に責任ある医療提供者としての医師会であることを大きな座標軸にしたいと思います。私の基本的認識と考えは、このサイトで明らかにしていきたいと考えています。

来月9月19日、The Economist主催による第3回「日本のヘルスケア改革 円卓会議」がホテルオークラで開催されます。私は「ヘルスケア改革に取り組む場合の礎となる基本的課題」というセッションで厚生労働省の中村秀一審議官(8月30日付けで老健局長に就任予定)と米国先進医療技術工業会のMs. Baileyとともに基調講演をします。午後は別の場所で行なわれるAPECの新薬開発に関する会議で講演することなっており、全部をきけないのは残念です。

ところで、5月26~30日、京都で国際内科学会を開催させていただきました。その時の講演(英語ですが)の評判が良かったので後日このサイトにもアップしますね。ぜひ読んで下さい。