UCLA同窓会

またまたご無沙汰してしまいました。とっても忙しくて、どうしようもないですね。

ところで、先週文部科学省の幹部の方々のお招きを受けて、90分間の講演をさせてもらいました。日本の問題についてで、今年の医学会総会での特別講演と同じような内容です。日本の歴史、リーダーの歴史観の欠如とその背景と理由、「高学歴社会」とは「高卒の学歴社会」というような趣旨で、東洋医学での講演とも同じラインの内容です。

また今度、科学新聞に掲載された「黒川対談 第5弾」でJR東海社長の葛西氏と話した内容とも通じるものです。この対談はずいぶんとお褒めの電話や、メールをもらいました。ぜひ読んでください。どのように思われるでしょうか。感想もお寄せください。

ところで、14日の夜はUCLAの同窓会があり、欠席の予定でしたが、急遽今週の予定の渡米がキャンセルになったので出席して、UCLAからのお客さんや、学生さんたちとお会いしました。何人かの日本の学生さんもお客さん
で来ていましたが、アメリカの学生さんに比べるとなんとなく元気がないように感じたのはなぜでしょう?トルシエ監督の助手を務めたおなじみのフランス人、タバチー山河も来ていて、大変よい話をしてくれました。彼はなんとフランス人ですが、多くのフランス人と同じようにアメリカが好きで、大学はUCLAでした。驚きですね。大学は人生で自分の向上と、将来を見つめる大事な機会というとても感動的な話をしました。そして、サッカーのナカタが「私にとってサッカーは仕事だ。今一番したいことは大学で勉強したい。特にコロンビア大学へ行きたい」という明確な希望をもっていること、このような明確な希望をもつことの大切さ、自分を見つめ、若いときに「内なる燃える炎」を見つけることの大事さを強調していました。まだ29歳なのですよ。すばらしいですね。ちなみに彼は別にサッカーが好きというわけではなくて、アメフトとアイスホッケーが大好きだそうです。

一人一人は違うのです。何で、既存の価値観にとらわれるのでしょうか。それこそが「個」なのです。世界は広いのです。人生は一回限りです。若ければ若いほど可能性はあるのです。「バカの壁」に、とらわれずに大きな希望を見つけてほしいと思います。

卒後研修のマッチングの結果が発表されました。始まったばかりですから、問題はいろいろあります。だけどこれは第1歩に過ぎません。医学生、研修医、医師すべてが「他流試合」の推進に、前向きに取り組むきっかけと考えてくださいね。

最近、刺激的な文章を「文部科学教育通信」(No.87.11月10日号)に、教育、学術、世界の変化とその背景等についてのインタービュー記事が掲載されました。

日本の名医30人の肖像

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日本の名医30人の肖像

ドクターズマガジン (著)

日本人にとって、最近まで「山」といえば富士山でした。確かにその姿は美しく、我が国でもっとも高い山です。しかし、世界を見わたすと実にさまざまな山がある。標高の高いところでは、エベレスト、K2、キリマンジャロなど。富士山より高い山の数は、たぶん日本人の想像を越えているのではないでしょうか。

このように長い間、日本人は世界レベルでものごとを見てこなかった。見る余裕や必要性がなかったせいでしょう。しかし、現在のような国際社会では、外の世界を見ないではすまされません。日本が世界各国に取り残されず、先進国としてしっかりと役割を果たすためには、若い人材にどんどん外の世界を見せていかなければならないのです。世界に通用する優秀な人材を育てるのに必要なのは、カリキュラムの改訂でもゆとり教育でもありません。若いときに世界の高い山々を見せればいい。そういう機会をつくることこそ今、求められている教育であると思います。

私は、東京大学、東海大学の医学部で教鞭をとっていたときに、定期的に海外から教授や学生を招いたり、学生たちに短期留学をさせるなど、外の世界を見られる機会をつくってきました。そうしていると、アメリカでレジデントをしてみようかという気概ある学生も出てくる。押しつける必要はありません。見せれば、白然と広い視野は身についてくるものです。

今までの日本の価値観は画一的で、国内の序列で一流とされる大学を出た人間ばかりがもてはやされてきました。めざすべき人間像に関しても、決まりきった単一のものしか示されてこなかった。しかし、グローバリゼーションの時代では、いろいろな生き様の価値観が提示され、それぞれの価値観を認める社会が大事。いろいろな選択肢があり、自分は何をしたいのか、選択肢を与えることが肝心です。

医師についても、医療界は閉鎖社会で、一般の方はどのような医師が日本にいるのかを知らず、医療界に身を置く者でさえ、特に若い医学生などは医局講座制の狭い社会の中で志はあっても確固たる目標を持てずにきました。そのような中、必要とされているのは、外の世界を見せるメディアです。私は、教職を辞した今でも自分の大きな役割のひとつは、それだと考えて活動をしています。めざすは、大リーグで活躍する野茂投手やイチロー選手の姿をライブで伝えるBS放送のようなメディアの役割です。

『ドクターズマガジン』の「ドクターの肖像」では、既成のレールや価値観に縛られずに自らの力で道を切り拓いたさまざまな医師の生き様が紹介されています。日本のさまざまな山を見せてくれるメディアとして共感を覚えずにはいられません。今回、それがまとめられて単行本となったのは、たいへん喜ばしいこと。一般の読者の方には、日本にも実に多彩に活躍する、すばらしい医師がいることを知るきっかけとなるでしょうし、医療界の人間にとっては、医師の生き方は決して決められたレールを歩くだけの選択肢しかないのではないと勇気づけられるはずです。

Blueprint for Japan 2002

私が「日本の問題」の根源について何度も書いているのはご存知の通りです。「内科学会総会」(平成13年9月、日本内科学会雑誌90巻臨時増刊号「日本のチャレンジ」)、「医学生のお勉強」等でくり返し指摘していることです。

ところで、これに関する大変面白く、また示唆に富んだ本が出ました。ぜひ読んで下さい。大変な日本通のアレックス・カー氏 (Yale Universityで日本学を専攻、日本に長期滞在し仕事をしておられます)による“Dogs and Demons”(2001年)という題ですが、「犬と鬼」 というタイトルで 講談社 から邦訳が今年出ました。いかに日本が土建国家であるか、その異常さと何がおこっているのか、何故変えられないかまでも、鋭く指摘しいています。何故日本は変われないのでしょうか。長野県でようやく今回の田中知事騒動で変わりそうですが、抵抗は強いでしょうね。三重県、宮城県、高知県、鳥取県だけが少しずつですが変化しています。なぜか考えたことがありますか?先日三重県の北川知事にお会いしてきました。何が問題なのかをみんなが一人一人自分の問題として考えて下さいね。

そこで、これからの具体的な課題として、来年1月にスイスで開催されるいわゆる「ダボス会議」(私は去年から参加しています)での発表に向けて、日本の若手のリーダー達が中心になって「Blueprint for Japan 2002」という提言を作成すべく活動を開始しています。私はソニーの出井さんや、東芝の西室会長とともにこれらの若手のリーダー達の応援団として参加しているのです。

Non-Fiction小説 “All the Shah’s Men”

すっかりご無沙汰してしまい、申し訳ありません。講演の予定などもこちらのサイトに掲載しているので、もしかしたらお会いしている方もいるのでしょうか。声をかけてくださいね。

この7月に臨床医師としては初めて、日本学術会議の会長に選出いただきましたが、この5年ばかりは科学アカデミーの国際的な動きがきわめて活発で(その理由などは「学術の動向」に書いています)、韓国アカデミーの訪問、尾身、細田両大臣とアメリカのワシントンへアカデミー訪問、それからサンデイエゴ、10月はジュネーブ、すぐに沖縄(新大学院のシンポジウム)、そして北京と行ってきました。その間にも国内各地にも行っています。また内閣府の総合科学技術議員もしていますので、毎週のように出かけては仕事をしています。

このサイトでご案内しているように、講演だとか、執筆の依頼は相変わらず増えています。そこでこれらを簡単に検索できるように、サイト内検索機能を付けました。利用してください。特に最近に出たものですが、東洋医学会での講演(2001年6月名古屋での講演)は歴史的な視点が協調されていて、ぜひ読んでほしいと思います。また、後日アップしますが、「科学新聞」にJR東海の葛西社長との「黒川対談 第5弾」が出ます。教育問題についてお話したので、是非読んでみてください。

ところで最近また強烈に面白い本を読みました。英語ですが実に面白い。なぜ、アメリカとイギリスが「イスラム国家の民主化」といっていることにイスラムが反発しているかを考えさせる、歴史物のNon-fictionです。“All the Shah’s Men”という最近出版されたもので、著者はNY Timesの記者です。来年あたり日本語で訳され出版されると期待します。こうしたNon-fictionが、このタイミングで出版されるということもすごいと思いますね。アメリカの健全なところです。はじまりはイランでの1953年のイギリス(チャーチル首相)とアメリカ(アイゼンハワー大統領)によるクーデター(これを行ったCIAのエージェントはルーズベルト大統領の孫なのです)によって、初めて民主的プロセスで選ばれたモサデク大統領を追い出し、Shahを英米の言いなりの国王にもどした事件です。このShahは圧政を敷き、結局24年後には追い出され、ホメイニ師が帰国、イランはきわめて宗教教条色の強い国になります。だから、イランやイラクの人たちはアメリカやイギリスの言う「イスラムの民主化」には何かおかしいと感じているのです。特に「インテリ層」は53年に起こったことを覚えているでしょうからね。さらに、91年の湾岸戦争を指揮したシュワルツコフ大将の父親は、この53年頃に10年にわたってイラン、イラクにいた軍人(元はNew Jerseyの警官でリンドバーグの子供の誘拐事件にかかわったそうです)で、Shahの父親の軍隊や秘密警察を作ったり、訓練していたのです。だから、人によっては「またシュワルツコフが戻ってきた!」と思ったかもしれません。「事実は小説よりも奇なり」とはよく言ったものです。

「アメリカ医学校サバイバルレポート」

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アメリカ医学校サバイバルレポート

荒田 智史 (著)

最近になって急に医学教育や臨床研修が大きな話題になっている。なぜか。それは私が何度も書いているように、情報の国際的な広がりとともに、広く国民の間で従来の「権威」に対する疑問が次々と表明されてきたことにあるといえる。世界的な広がりを持つ情報の交流は「隠し事」を許さなくなってきたのである。政治のみならず、官僚、大企業、警察等々のスキャンダルに事欠かないことを考えれば理解できよう。

従来の医学界は本当に「医師免許」を付託するだけの知識と臨床能力と心構えを持った医師を卒業させ、育成してきたのか、そのような目標で教育、研究をしてきたのか等々が疑問視されるようになってきた。

太平洋戦争後のアメリカ占領下、日本の医学教育、医学制度のあり方が「研究重視、臨床軽視」であることは指摘されていたにもかかわらず、根本的な改革はなされなかった「ツケ」が「情報化時代」になって噴出してきたのである。

これは何も医学に限ったことではない。大学教育についても多くの注文が出始めている。なぜか。それは国も社会も「良い大学―国の順序と偏差値重視」に入学することに価値を置いていたからにほかならない。「よい大学」へ進学すればよいのであって、大学教育へはそれほど社会は価値を置いていなかったからだ。入社してから教育するから、といっていたのはまさに社会であり、会社であったではないか。大学に責任を転嫁するのは間違っている。日本社会全体がこのような価値観で今まで人材育成の価値を見出し、期待してきたのだから。

しかし、医師は患者と「一対一」で対応し、多くの判断を求められる。時には待ったなしの「生きるか死ぬか」の判断が求められる。そこに「医師免許」というものの「重さ」があるのである。「眼科」だから、「皮膚科」だから対応できない、で済ませられる問題なのだろうか。

この数年に、アメリカで臨床研修を受けたり、医学教育を受けた人たちの報告や本(1)~(9)が広く話題になっている。なぜか。それは私がいつも言っているように、いわゆる「国際基準」ともいえるアングロアメリカンの実践的で優れた臨床能力を備えた医師の養成のプロセスがまざまざと見て取れるからであろう。

医師が、社会が、医師を一緒に育てていく心構えとそのプロセスは簡単にはできてこないであろう。アメリカでも20世紀初頭のフレクスナー報告までは、かなり質の悪い医科大学も多くあった。しかし、このような医師たち自身による医学教育への大改革を経て、いまやアメリカの医師の育成(医療制度は多くの問題を抱えてはいるが)は、国際的にも高い評価を受けている。しかもなお恒常的な改革が継続的に行われている。

東海大学ではもう何年も前から5年生を毎年15人程度、主として英米、そしてオーストラリアの医科大学へ、3~6ヶ月間派遣し、クリニカルクラークシップ(臨床実習)へ参加させている。情報時代の便利さで、彼らとは日常的にe-mailを交換している。私はいつも短くても学生への返事を最優先させている。このリアルタイムでの交流で、私が楽しみにし、強く感じることは、例外なく、学生の目がぐんぐんと開けていくさまが手にとるようにわかるということである。そして、医師としての自信をつけていくさまが身近にいるように感じられる。本当にすばらしい教育環境にどっぷり漬かっているのが実感されるのである。毎日毎晩、寝る間もない「サバイバル」の忙しさの中で、学生は疲れることを感じないで、自分達の成長を実感し、楽しんでいる。こんな教育が今までの日本の大学教育にあっただろうか。教育の違い、重要性がひしひしと感じられる。私も日米で長い間にわたって医学教育にたずさわってきたからこそ、この違いを身近に感じられるのである。

荒田君も頻繁にレポートをメールで送ってきてくれた。その観察眼、考察はなかなか的をついているし、また自分なりの評価点をつけたりして「創造的」であり、大いに楽しませてもらった。「荒田レポート」の一部は、東海大学の市村公一君が学生時代に立ち上げ、いまや全国に大きな広がりを見せている学生や若手の医師の情報交換の場となった「college-med」(10)にも、荒田君の許可を得て私なりに修飾した上で、皆さんにお送りした。楽しんでくれた人たちも多いと思う。もっと多くの人に読んでもらいたいと思ってここに一冊の本にして出版となった。

低迷する日本の将来は若い人材の育成にかかっている。若い人たちに広い世界の多くを見せ、実体験させて、それぞれの目標の選択肢を与えること。これこそが教育の基本である。決して古い人たちの価値観を押し付けてはならない。何しろ日本の「リーダー」たちは過去の人なのだから。世界はダイナミックに、しかも急速に動いているのだ。

日本学術会議について

6月にヨーロッパで書いたブログから2ヶ月が経ち、早いものでもう8月になってしまいました。いろんなことが起こり、とても忙しかったのです。

知っている人も多いと思いますが、先日、日本学術会議の会長に選出されました。3年前に副会長に選出されたときも、50数年の歴史で臨床系の医師が三役に選出されるのは初めてのことでしたのでびっくりしましたが、今回も更なる驚きでした。

日本学術会議の月刊誌「学術の動向」にいくつも発言していますが、会員の方々が、こうした私の発言や活動を評価してくれたのだと思います。この数年で科学アカデミーが世界的に栄誉機関としてではなく、機能的に現在の地球的課題に広く発言を求められてきたのです。たまたま私は国際的にもその中心に近いところでこの3年活動していましたからよくわかります。このような活動、国際的な動きについてはときどき書いているところです。現在とこれからの学術会議、そして科学者の社会的責任等の課題についての見解は、もうすぐ「学術の動向」に掲載される予定ですので、またお知らせします。

また、一月前に学術会議が出した報告「科学者の不正行為」については、Science(7月11日号)でも取り上げてくれました。このような報告が学術会議という科学者の代表集団から出てくることが大切なのです。

卒後臨床研修もいよいよ発足しますね。厚生省医療政策局長の話では、これから予算獲得への国会での運動ということです。前にも言いましたが、これは変革への第1歩です。「混ざる」ことの大切さを活かすのも、活かさず「ムラ社会」のままでいるのも、医療関係者、研修医すべてにかかっています。医療人としての「社会的責任」を感じとりながら、より良い医師を育成する新しい出発点としたいものです。

しばらく苦労すると思いますが、5年も経てばかなり良いシステムになる可能性を秘めていると思います。

ロンドンにて(2)

今はロンドンに来ています。

ロンドンは今が1年で一番良い気候の時です。アスコット、ウィンブルドン、そしてジ・オープンと続くのです。秋から冬はとても暗いですから、このような太陽がさんさんと降り注ぐ時が来ると、皆うきうきするのは、日本ではなかなか理解できない感情かもしれません。しかしこのような自然環境の人間に与える影響が、多くの文化や芸術の背景にあるのでしょう。いまのような「国際化」の時代には想像もつかないかも知れませんが、それぞれの文化の違いの理由を理解できるような気がします。歴史や哲学の由来を理解しようとする心持も大切でしょう。お互いの違いへの理解を深めますからね。歴史や哲学の本をいくつも読んでください。

ロンドンに来る前は、国際学術会議の仕事でパリに滞在しました。American Hospital of Paris(AHP)を訪ねて、岡田正人先生とも会ってきました。大阪市立大学医学部の6年生の学生さんも勉強に来ていました。岡田先生はパリに来て6年目ですが、アメリカで内科専門医に、そしてエール大学でリウマチの専門医の資格を取り、パリに来たのです。とてもすばらしい先生で、ここの病院やパリの日本人社会でとても信頼されています。このように多くの若い人たちが国際的な場所で活躍していることをもっと多くの人たちに知ってもらい、あとに続く人たちが出てくることを期待したいですね。

パリでは岡田先生、大阪市立大学医学部の学生さんとオペラ座で「L’Histoire de Manon(マノンの生涯)」というオペラを観ましたし、ロンドンでは南へ車で50分のところにあるGlyndebourneで、オペラ「La Boheme」を観てきました。こうした時間も大切ですね。

この夏の予定はなんですか?楽しく充実したひと時をもってください。

ロンドンにて

ご無沙汰しました。しかし国内外でいろいろなことが起こっており、忙しくしています。特に学術や科学政策では国際的な動きがどんどん進んでいるのですが、日本ではこのような動きがあまり認識されていないのも気がかりです。

前回からもいろいろなことが起こっていますが、それらにも時には触れながらもっと頻繁に更新していきます。

去年の9月、ヨハネスブルグで開催された世界環境サミット(WSSD)は、前回のリオデジャネイロから10年ぶりとなる開催でした。南北問題等の根本的な問題は、政治的な解決は何もできませんでした。しかし、科学者社会を代表する、ICSU等が、いろいろなパネルに招かれ、意見、提言を求められたことは画期的なことです(Science, Sept. 13th, 2002, issue に報告されています)。

小泉首相が途上国の教育への経済的援助を約束し、国連では昨年12月の総会で2005年からの10年を「教育の10年」とするスローガンを承認しました。UNESCOが中心となってプログラムを推進していくことになるでしょう。しかし、教育にはどんな問題があり、どうすればよいのかについては各国とも夫々の問題を抱えており、なかなか解決策を見出せないでいるようです。これが学術に関わる我々の責任です。

そこで、学術会議の主催で1月に沖縄で国際会議を開催し、UNESCOほか多くの参加を得て、情報交換等で大変参考になる結果が得られました。さらに、WSSDでは“Ubuntu宣言”という教育への提言がされ、日本学術会議が中心になって2年前に結成したアジア学術会議が、この宣言にサインした世界11の組織の1つになりました。これは大変なことです。これにともなって次のステップへの戦略会議を、この宣言にサインした11の組織が集まって、2日間に渡り東京の国連大学でブレーンストーミングをしました。その結果、5月始めに開催された国連の委員会で「科学者と教育者」の重要性が新たな“Stakeholders”として認められる文章になるまでにこぎつけました。大変なプロセスでしたが、国際政治の複雑なプロセスにどのように働きかけるかなど、だいぶ勉強になりました。

医学部の学生さん、特に6年生には来年の卒後研修義務化に心配が集中しているのではないでしょうか。たしかに、このような大きな問題を扱っているにしては、厚生労働省の情報提供が少なすぎます。思い切ってマッチングは3年程度延期するとか、今なら実行できるのに。とにかく、全研修病院、施設が参加しなければ「マッチング」はうまくいきません。新しいことは、時間をかけて、情報を充分に公開しながら進めるのが肝要です。従来は考えられなかったようなことですが、政府の政策形成には国民、関係者とのオープンな会話と、開かれた情報が必須です。良いシステムは関連者皆で作り上げていくものです。