国会事故調 ‐9: 活動は続く、Swedenの視察団、取材記事など

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 国会事故調の報告書は「たなざらし」という意見、報道が多く聞かれます。

国会議員さんたちは、解散・選挙でそれどころではない様子ですし、竹島、尖閣などと、周辺国とのいざこざで、政府の対応も容易ではないでしょう。日本のことなどどうあっても世界はどんどん動いています。

先見を持ってしっかりと政府をリードしていく政治家、また官僚たちにもそれなりの責任感と覚悟があるはずとは思いますが、あまり感じられません、と多くの人が感じているのではと思います。

一方で、私たちの国会事故調報告書は、出版もされ書店でも販売され、アマゾンなどネットでも購入できます。より広く読まれる(全部ではなくてよいのですよ、、、)ことになるでしょう。

一方で、私たち委員、調査担当の方たちも機会をとらえて、国会事故調の意義、経過、報告書の骨格、これから国民の皆さんにしてほしいこと、などについて、広く知っていただけるよう、機会をとらえては(といっても限りがありますが、、、)講演会、テレビ、新聞などのインタビューなどにも対応しています。

岩波書店の「科学」にも、国会事故調の民主制度での私の意見が出ています。読んでいただけると、とてもうれしいです。

経済同友会、二本松での講演会などについても報告しました。このサイトの「記事・講演録の一覧」を見ていただけると、そのような活動の一部(他の記事などは「有料でないと掲載できない」とか、いろいろあるのです)をご覧にいただけます。このサイトでも8月16日のポスト以来、いくつもの報告をしています。

最近ではSweden大使館東北被災地のKamedo視察団(Topの写真はこの会見の時のものです)、再度の福島での講演、またいくつもの取材記事もあります。

皆さんと一緒に「国会事故調」を考え、一人ひとりに何ができるのか、これを考えながら、日本を変えていきたいですね。

 

国会事故調 -5: 事故調査委員会の始まりの頃の「意外な」応援メッセージ

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国会事故調は、何しろ「憲政史上初」ですから、立ち上げの頃には特にいろいろと苦労しました。

第1回が福島で12月18、19日。第2回は、1ヶ月もたった1月16日なのですから、当時の私たちが見えない先を模索している苦悩もご理解いただけると思います。

その第2回に参加していた英国のThe Economistの記者が、意外なこと(と言ってもこれは私たち事故調の狙いの一つだったのですが、、)を書いてくれました。

“Japan's nuclear crisis; The Meltdown and the media”という何とも刺激的なタイトルです。書いたのは、イニシャルからも第2回に出席していたKen Cukierさんですね。しかも同じ日付けという早業です。

世界に悪評の高い日本メディアの「記者クラブ」についてですが、私たちの委員会もそれを十分に意識して、委員会を誰にでも公開していたのです。しかも英語の同時通訳をつけて。世界にも見ていて貰いたいからです。

この点を的確に、タイムリーに書いてくれたので、私はとても嬉しかったです。

このサイトでも何回か書いていますが(12、他にもいくつもあると思います、このサイトの中で 'search' してみてください)、The Economist は私の好きな週刊誌です。

目のつけどころが「さすが」と思ったことでした。

Ken さん、ありがとう、ちょっと遅くなったけど。

 

Osloから、Kavli -2

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4日の午後、Oslo Concert Hall でのKavliの授賞式は国王の出席もあり、とても素晴らしいものでした。日本でも良く知られた俳優さんで、科学の理解への活動をしているAlan Aldaさん、地元のAse Klevelandさんの司会で進みます。しかも、若いいろいろなジャンルの芸術家を、途中にいれながらの進行です。

これもWeb(12)で見ることができます。とても良いテンポで進みました。一度、こんな式典を企画して見たいなあ、と思いました。

しかし、ステージにおられる国王とこれらの芸術家(クラシック、ジャズ、ラップなど歌ったりの他に、踊ったりもありますから、、、)の距離がとても近くなることがあり、日本ではとても考えられないような距離感でした。

全体として、特に若い人たちを励ます色彩が強いことに、この国の素晴らしい、何かを感じました。

夜は、Oslo City HallでNorway 政府主催の晩餐会に出席。ここでも国王も出席され、とても気楽にメインテーブルについておられます。ここでもいくつかの演奏や合唱などもとても素敵で、気取らず、楽しいものでした。

なにかこの国の頑固でも堅実で大人、しかし、なかなか気が利いているというか、何かがとても違うというお国柄を感じた4日間でした。

明日は朝早く出発して Bergen に行きます。はるばるここまできたのですからちょっと一足伸ばします。

 

Osloへ、Kavli PrizeとKavli Science Forum

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9月1日、成田を出発、Osloへ向かいました。今年は国会事故調があったので、海外は5月のWashington DC 以来、2度目です。

Copenhagenで乗り換え、素晴らしい快晴のOsloへ夕方に到着。今回はKavli財団の授賞式と、Kavli Science Forumへの出席です。

さっそく、Grand Hotel Osloにチェックイン。このホテルはノーベル平和賞受賞者が宿泊し、公園に面した2階のバルコニーに出てきて皆さんにご挨拶する由緒あるホテルです。駐日Norway大使 A. Waltherさんとそばの国立劇場近くのレストランで軽い夜食。

翌日の2日も快晴。久しぶりにゆっくり休んで、午後のレセプションへ。このホテル最上階の素晴らしいスイートと、外の屋上をつかったものです。夜は米国大使の公邸でのディナー。これがまた素晴らしい由緒正しい建物でした。

3日の午前はOslo大学のキャンパスで7人の受賞者の講演会。天文学が3人、ナノサイエンスが1人、脳科学が3人。しかも4人が女性、6人が米国で、そのうちMITから3人でした。講演はさすがですが、このキャンパスも緑が多く、大きな木に囲まれてとても美しいです。

午後は私の他全部で4人の“Global Health”のパネル1)。まず、首相がこられて素晴らしい開会の講演をされました。パネルの皆さんはお互いに知っている人たちで、私の現在の仕事でもいろいろと関係のある人たちです。司会はBBCの科学担当ジャーナリストとしても知られたPallab Ghoshさん。On-lineですべて見れると思います。

夜はNorwayの科学アカデミーでレセプション。東大のKavli IPMU 所長の村山 斉さんも到着しました。

2008年の第1回のKavli賞受賞の飯島さん、Caltech Kavli Professsorの大栗さん、日本学術会議から春日副会長が参加しました。

Osloはなかなか落ち着いて、何か頑固で、でも洗練された街です。

 

国会事故調 -4: 報告書が一般書店で発売へ

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私達の国会事故調の報告書は、国会で衆参両院議長に提出とともに、ウェブ上に掲載されました。

しかし、その内容の量が大きいので、多くの方達が読むのに不便であり、この内容を広く知っていただくのは難しいと感じています。

しかし、朗報です。

国会事故調査委員会報告書が徳間書店から出版されることになりました。

事故が起こってから1年半の来週9月11日に多くの書店で買い求めることができます。またAmazonからも注文できます。税込で1680円です。参考資料、委員会議事録はCD-ROMで付けてあります。

ぜひ皆さんも、この報告書に目を通し、事実に立脚する内容、そこからの「立法府への7つ提言」として、これらを生かすことへの行動を考えていただけると嬉しいです。

また一歩前進です。

 

国会の福島原発事故調査委員会 -2

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元旦にこのサイトでお知らせしたように、去年12月8日に発令された「国会の福島原発事故調査委員会」(動画はこちら)。この8日には国会で衆参両院長からの辞令交付、さらに国会内で、この委員会の10人の委員の発言と、さらに各政党を代表する議員によるこの委員会への思いを述べるセッションがありました。

これらは国会内からライブで放映されました。当日の全委員の発言、及び国会議員からの申し入れの発言の動画は「衆議院TV」でご覧いただけるのです。私の発言は、委員の先頭としてと、また各党の代表のこの委員会への「申し入れ」の後、一番最後です。この日、12月8日は日本帝国海軍による真珠湾攻撃に始まる第2次世界大戦へ日本参戦の70周年の日でした。日本の大悲劇の始まりでした。この偶然の日の国会ですから、これと関連づけて福島原発事故についてちょっと触れました。

また、この委員会の立ち上げの中心人物、官房長官も務めた自民党の塩崎恭久議員は、何回かこの件についてblogで書いておられますし、12月の半ばにはその記録「「国会原発事故調査委員会」立法府からの挑戦状」を出版されました。

しかし、大変な1年の初めです。

 

熱い夏、街の行事、「おとなしい」日本人

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暑い夏が来ました。岩手、宮城の方たちは大変だと思います。住むところの確保、夏の衛生状態、食料の保存など、大きな問題があります。津波が来た3月には雪が降ったりしていましたが、時間の経つのは早いものです。

今回で見えたのはわたしたち日本の「強さ」と「弱さ」が、情報伝達の手法の発達で世界に広く知れ渡ったということでしょう。このサイトでも繰り返し指摘 (資料1)しているところです。

ところで七夕の時期を迎え熱い日々が続きます。私の住んでいる町でも、例年のコトですが七夕の時期に合わせて「リオ・カーニバル」、暑い夏にふさわしいパレードが開催されました。

とても暑い日曜日、出てみると道路の両側は一杯の人。多くの露店も出て狭いところがさらに暑い感じがします。

パレードが始まります。リオと同じような(規模ははるかに小さいですが、、)騒々しいぐらいの音楽、打楽器の音、着飾った男女が踊りながらのパレード、なかなかのものです。皆さん沿道から携帯のカメラでパチパチ。リオのように着飾った(といっても、身に着けるものは少ないですが、、)踊り子さんたちも沿道の子供達に手を振りながら、また一緒に写真を撮る人たちも大勢います。

私の友人の韓国の新聞記者もお子さんを連れてきていて、ばったり会いました。

夕方電話で話をしましたが、こう言われました。「日本の人たちはこんな明るいお祭りでも静かですね、声を出さないし。私はずいぶん「bonita」とか、掛け声をかけたのですけど。皆さん写真はとっているのですけど、、」と。

じつは、私もあまり感じなかったのですが、よその国の人たちからは奇妙に見えるでしょうね。パレードの人たちは、周りの人たちと一緒になって、お祭り気分を盛り立てようとしているのでしょうが、ここにも日本人の「周りに合わせようとしすぎる、目立ちたくない、、」という行動様式が出ているのでしょうね。

災害に遭われている岩手、宮城、福島の方達の「強さ」、「忍耐強さ」は、普段からの日本人の行動様式の一部に組み込まれている、それが今回の災害で海外の方達からは「stoic」として賞賛はされていますが、リーダーにとっては時には都合がいいように働いているともいえるでしょう。

「感情を出すより、押さえてしまう、周囲と合わせてしまう」傾向は確かに日本人には他の国の方達より大きいとも思います。でも、行き過ぎるのはよくないですね。

特にうれしい、楽しい感情はもっともっと出してもいいと思います。

今回のような大災害には、ストイックだけでは不十分なのです。しっかりしたリーダーシップが必要なのです。 

東大が変わる?東大の社会的責任

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最近のことですが、東京大学が秋卒を検討するというニュースがありました。

これは何を意味するのでしょうか?勿論、世界の多くの国の主流大学での入学・卒業に合わせるという意義があるでしょう。特に大学間の国際交流を推進する、国境を越えた大学途中での転校Transferを可能にする、とか、いろいろな意味合いがあります。

実はこのような試みは行政当局も全面的に容認したわけではないですが、セメスター制度の導入を可能にし、したがって秋卒(秋入学も)を可能にしていたのです。一部の大学では、一部の学生に秋卒(卒業式も、、)、秋入学を導入していましたが、これらの大学は日本社会に所詮は大きな影響を与えません。しかも、そのような大学での秋卒の学生はどのような就職状況になるでしょうか?

新卒の一括採用などという旧態依然とした大企業のドグマに対して、大学は大して抵抗できませんでした。せめて、内定の決まらない学生を1年間卒業延期して「新卒」というタイトルにするとかくらいです。このところ大学生でも(高卒は言わずもがな、、)就職難(中身は「就社」ですが、、)なのです。大学が大々的に秋卒検討など出来るわけがありません。

社会制度が「4月入学、3月卒業」で出来てきているので、国際化などと言っていても、所詮は出来ない相談なのです。大学と国際社会のミスマッチです。

その意味で、東大が秋卒の検討を始めることは、このグローバル化、日本社会と秋卒ミスマッチへのチャレンジともいえるのです。本当の理由は違うところから始まったのかも知れません。でも、結果としてはそのようなインパクトがあるのです。

この点を指摘している考察が、その「反骨精神」「若者への本物の気持ち」に私も感心して私もこの何年か影で応援 している城 繁幸さんから出ています。さすが城さんですね。鋭い考察です。

つまり、日本の大学とその制度、社会への変革の圧力を与えるには東大が始めることが大事なのです。同じことを他の大学が検討を始めてもニュースにもならない、だからメデイアも取り上げない、だから社会へのインパクトもほとんどないのです。

つまりは、グローバル世界への日本社会制度の適応は、それぞれが出来ることをする、しかもそれが従来の日本社会での「一番の権威」、大学であれは東大、が動かなければ、何も起こらないのです。これが「リーダー」と思われている機関の責任なのです。私が「東大総長機関説」などという言葉を講演などでも使っているのも、これが理由です。

医療制度改革(「健康制度改革」というべきですが、、)での大学病院の役割についても、同じ理屈で、拙著「大学病院革命」で提言しているところです。ほとんど話題になりませんが、、、。

さてどうなるか。日本改造の旗手になれるか、学の頂点、東京大学。

野中郁次郎さんとの対話: UCB-UCLA同窓会のイヴェント

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日本のイノベーションの大御所ともいえる野中郁次郎さん。世界的にも高く評価され、私も尊敬している学者です。多くの素晴らしい著書があり、私もいくつも好きな本があります。「失敗の本質」、「イノベーションの本質」、「イノベーションの作法」、「美徳の経営」などなど、調査分析と聞き取り、そこから「ことの本質」を見つけていくところがすばらしいのです。

つまり、先生の本や講義では、通常のビジネススクール的な分析と「ノウハウ」だけではなくて、むしろ本質を追及する人間らしさに裏打ちされた「リーダーシップ」と「共通の哲学」の追及があるからだと思います。いわゆるアリストテレスの言っている「フロネシス」の大切さです。言って見れば、日本のPeter Drucker的な方です。事実、野中さんは「First Distinguished Drucker Scholar in Residence at the Drucker School and Institute, Claremont Graduate University」 なのです。

以前からちょっとご相談していたことですが、野中さんがUniversity of California at Berkeley (UCB)の日本同窓会長になられ、私がUCLAの日本同窓会長ですので、色々な企画をご一緒に、とお話していたのです。

7月1日、それが実現しました。「3.11震災後のイノベーション」をテーマに「野中さんと私」の対談を企画しました。大勢の方の参加を頂き、とてもExcitingで盛り上がった会になりました。夕方6時半から開始で、レセプションが10時まで続きました。野中さんは明日から大連、ということで早めにお帰りになりました。

一橋ビジネスレヴュー、最近出た「夏号Summer Issue」 は「野中郁次郎大いに語る: 知識経営の最前線」が特集です。

私がまず30分、「Setting the tone」的に、私がこのサイトでも繰り返し述べている「3.11で世界に丸見えになった日本の強さと弱さ、その原因の本質」資料1)について話しました。

野中さんは、一橋大学「ビジネススクール」を立ち上げて10年、去年Harvard大学へ戻った竹内弘高さんとの共著論文「The Wise Leader」がHarvard Business Review、May issueに出たばかり。これで30分の話を始め、その後は参加者とも60分ほど質疑応答があり、とても知的興奮に満ちた時間が経っていったと思います。

野中さんも私も、知識ではなく、「リベラルアーツの大事」から感じ取っている志(こころざし)、思想と共通善といった価値観、そして実践、行動、判断から学ぶ英知、経験知といった点を強調していたように思います。

ちょうど「Voice」7月号が「菅政権、失敗の本質」という特集であり、その筆頭に野中さんが「リアリズムなき政治家が国を壊す」という論文を書かれています。野中さんは話の途中で、「3.11」以後、何故か「失敗の本質」の議論が盛り上がったんですよ、といわれました。「今回3.11 後の日本の対応は「失敗の本質」と同じことを繰り返している、「リーダー」たちは何も学んでいない」と私を含め何人かが指摘し、twitterなどで発信していましたよ、とお答えしました。

いずれビデオなどの形でこの対談をお見せできると思いますのでそのときにまたお知らせします。

参加者からもいくつものtwitterやメールをいただきましたし、またBlogにも書いていただいています。

DSCN1825 

「This is Liberal Arts: Summer Course 2011」の発案者で去年この構想をBostonで始めた小林くんとその仲間の鹿野くん、さらに安居くん、UCLA OBの横山さんたちと、その後一杯(写真)。

皆さんと充実した数時間で一日が終わりました。

 

NBRとのインタヴュー

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「3.11」東北大災害の地震・津波災害、さらにフクシマ事故への日本の対応についての私の意見がNBRに掲載されました。「Moving Forward: Relief Efforts, Health System Reforms, and Japan’s Role in Global Aid」というタイトルです

この中でも、日本の信用低下と風評被害を止めるためにも「独立した、国際的なタスクフォース」の設立を述べています。政治が、早急にアクションを起こすべきです。そして「失敗から学ぶ」、世界とその「教訓を共有しよう」という姿勢こそが大事なのです。

皆さまはこのインターヴューから、何を、どのように感じ取られたでしょうか?

何人か、私の友人のインタビュー (資料1)も掲載されています。素晴らしいことです。日本からの少なくとも英語での対外発信があまりにも少ない、だから何が起こっているのかがわからない、不安だ、というのが一般的な世界の反応ですから。

新しい色々な発信ツールがあります。twitterも半分で良いので英語で出してみましょう。