国連人権理事会の訪問

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2週間ほど前のことですが、国連の人権理事会の特別報告者 (Special Rapporteur) Anand Groverさんの一行が日本を訪問しました。今回のフクシマ原発とその被害の状況等についての調査の一部としてこられたのです。

フクシマの被災者や原発作業者などの状況についてよく調べておられ、約1時間にわたり多くの意見交換をしました。私たち国会事故調の報告書もよく読んでおられました。

日本政府の東北大震災・津波とともに、特にフクシマ原発の被害者対応についての報告プレスは、抑制的ではありますが、プラスも、また不十分なところも的確に指摘していると思います。

このプレス発表は日英語の両方で読むことができます。それほどは長くありませんので、時間のある時にでも目を通してください。以下にそれぞれのサイトをリンクしておきます。

日本語: http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/

英 語: http://unic.or.jp/unic/press_release/2869/#entry-english

ビデオ: http://www.youtube.com/watch?v=ET2dVWgOmC4&feature=plcp

 

国際社会は注意深く、多角的に日本の対応から学ぼうとしていると思います。

これは国家の信頼に直結する問題です。

 

国会事故調の1周年

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1年前の12月8日、国会事故調が正式に発足しました。

それから1年たった今日、多くの事故調チームの皆さんと午後3時間ほど集まりました。みんな、あの出口の見えない、しかし、極めて「テンション」の高い、「ハイ」な6ヶ月の厳しい試練を通りぬけてきた「チーム」の「同志」の気持ちを共有して、いろいろな話題で楽しい時間を過ごしました。

私はチームの皆さんに記念品を用意し、お渡ししました、私の感謝の気持ちです。

私たちの国会事故調は、最近このブログでもお知らせしたように、世界ではきわめて高く評価されています1)。

では、日本国内での反応はどうなのでしょうか?

国会事故調チームは、1年前はほとんどがお互いに知らない人たちばかり。社会人になって、こんな気持ちを共有できた数か月を体験することは、一人ひとりにとって、これからの人生で大事な経験と自信になることでしょう。皆さんから、そのような言葉が繰り返し聞かれました。

あの1年前のこの日、国会での挨拶の冒頭の言葉、そして締めくくりの言葉を、私は思い出しています。あの日は真珠湾攻撃の70周年の日だったのです。これらの言葉が、私も、誰でも、いつでも聞ける、こんなところが「情報時代」のすごいことです。この言葉にこの国会事故調を引き受けるにあたっての私の気持ちが素直に出ていると、今でも思います。

この1年間で、いろいろなことは決定的に変わりました、世界でも、日本でも。

でも、フクシマの現状はどうでしょうか?昨日の夕方、かなり大きな地震が東北であり、小さいけれども津波が来ましたね。みなさんは何を思いましたか?

日本では、今また選挙ですね、例のごとく。でもあまり希望が見えないような、、、どこが変なのでしょう。

一人ひとりが考え、変わるときです。国会事故調の「はじめに」にもあるように。

 

AAASのScientific Freedom and Responsibility 受賞の知らせ

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AAAS (American Association of Advancement of Science) は全米、というか世界の科学者の会員を擁する最大ともいえる科学者の組織です。その活動は多岐にわたりますが、世界でよく知られているのは、毎週発行する「Science」という科学誌で、編集長は米国科学アカデミーを12年間にわたって率いたBruce Alberts1)です。

このAAASにはいくつかの賞があります。
先日、事務局から電話連絡があり、私が受賞者の一人となり、“Scientific Freedom and Responsibility”を受賞することになりました。まったく「想定外」のことです。

受賞の理由がAAASの公式サイトに掲載されました。Richard Meserveさん1)、Sunil Chackoさん1)のコメントもあります。うれしいことです。

Sunil Chackoさんは、この受賞についてもHuffingpostに投稿もしてくれています。

GRIPSのホームページにも掲載されています。

年次総会で授賞式が行われるのですが、今年は2月中旬にBostonです。なんだか、思いがけなくうれしいことが続きました。

国会事故調で一緒に活動し、また支援してくれた多くの国内外の皆さんのおかげです。ありがとう。

 

11月後半、日々の出来事

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私のブログを訪ねてくださる皆さん、いつも応援をありがとうございます。

ところで、最近の1、2週間で何度か石倉洋子さんとご一緒する機会がありました。そのたびに、石倉さんは素早くblogやtwitterで発信しているのですが、私のほうはこれがとても遅れていているのです。ほぼ1ヵ月遅れですね。

そこで、この間に私の参加していたことごとにちょっとまとめて触れておきます。

11月15日(木)にDubaiから帰国。これが2週間遅れでこのブログに出ていますが、帰国してからもほぼ毎日、朝から晩までとても忙しくしています。主なことだけですが、以下のような活動がありました。

16日(金)、Impact Japanの会議、GEW1)も終わりになりつつありますが、そのうちの“Venturing Overseas”(なかなか面白いセッションで、夜だけの3時間ほどの集まり)に参加。

17日(土)、これもいろいろな打ち合わせ等でしたが夜からSingaporeへ出発。

18日(日)~20日(火)までSingaporeでいろいろな方たちとお会いし、またNanyan Technological Univesityを訪問しました。活気がありますね、キャンパスも。3日間の訪問はなかなか良かったです。そのうちまた報告しましょう。

21日(水)早朝、成田に到着。昼からBBCの取材面会、午後は東京大学先端科学技術研究センター(一時「客員教授」で在籍していました)の理事会へ(この日は新所長の選考が主要案件でした)、夕方からFabCafeでMIT Media LabのJoi Itoさんと若者たちとのセッション(これは7月にも国会事故調の報告書提出直後にも、ここでJoi Itoさんと対談をしたのですが、、、このことは報告しませんでしたが、、)、そこからSwiss大使館へ向かいWEFのGlobal Shapers CommunitySt Gallen Symposium1)合同のレセプションへ、わたしもご挨拶。

22日(木)は、WEFの企画のJapan Gender Parity Task Forceに参加。私も一つのフォーカスとして発信している日本の最大の課題の一つですが、WEFの今年のGender Parity 報告書では、日本は世界130数か国のうちで102位なのです。最悪ですね。なぜでしょうか?よく考えてください。一人ひとりの次への行動です。

そのあと、国連のHuman RightsGroverさん他の訪問を受け、特に事故調の報告を受けて、フクシマの被災者、労働者たちへの政府の対応についての討議。よく現地なども調べておられ、厳しい質問がいくつもありました。Groverさんの報告書がいずれ出ることでしょう。記者会見もあったようですが、、。

その後は、日本学術会議のアジア学術会議の立ち位置についての面会、夜は、もとSONYの出井さんの75歳のお誕生日のお祝いの会に駆けつけ、それから別の夕食へ。

23日(金)は休日。久しぶりに友人たちと、今年2回目のゴルフへ。ちょっと雨でしたが、午後には雨もやみました。カートのないコースなので、コース全部を歩くわけで久しぶりでした。翌日にはなぜか足首が痛くなりました。

25日(日)は、石倉さんの主宰するGASの同窓会へ。私は2次会にも参加しました。

26日(月)は、朝がTeach For Japanの理事会。松田悠介くんたち本当に頑張っているのですが、まだまだ道は険しいです。皆さんの応援、支援、参加をよろしくお願いします。それから、Tokyo American Clubのインタビュー、外務省からの相談ごと、そして午後は米国議会による米国科学アカデミーのフクシマ事故調査委員会の訪問で、私がまず90分ほど、国会事故調の報告、そして“Q&A”でした。

これについてはまた別に報告しますが、この訪問自体からも、日本にとって画期的なことがいくつも明確に提示されました。

ちょっと追いつきました、まだまだです。

 

Foreign Policy: 100 Top Global Thinkers

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「Foreign Policy」という、外交政策関係の専門家にはよく読まれている月刊誌があります。同じ読者層に読まれるに「Foreign Affairs」という2か月ごとに発行される雑誌があります。どちらも、私が好きな雑誌の一つです。

4年前から、この「Foreign Policy」が「100 Top Global Thinkers」という人たちを選んで、毎年12月に発表しています。

なんと2012年、つまり今年の「100 Top Global Thinkers 2012」の一人に私が選ばれたのです。私の国会事故調の委員長としての活動が評価 されたのです。このリストで何人かはペアなので必ずしも全部で100人というわけではありませんが、思想の影響ということでは政治家が多いのは致し方ないですね。今年のトップはMyanmarのAung San Suu KyiさんとThein Seinです。もう一人、日本から村上春樹さんです。

去年2011年のリストをチョット見てみると、さすがにトップあたりは「アラブの春」の関係です。日本人では、フクシマ原発ですね、福島瑞穂さんとご主人。そしてMIT Media Lab所長に就任したJoi Itoさん、Global GivingのMari Kuraishiさんの3人がいます。

2010年はどうでしょうか。多分、日本からは「ナシ」だと思います。

2009年は?と探すのも楽しいと思います。何か見つけたら教えてください。

しかし、編集はさすがプロですね、それぞれのCitationがなかなかいいのです。

今年のトップの2人には、

For showing that change can happen anywhere, even in one of the world's most repressive states.


村上さんには

?For his vast imagination of a globalized world.

私には

For daring to tell a complacent country that groupthink can kill.

国会事故調は海外ではそれなりに評価されているようですが、国内ではちょっと…。なぜでしょうか。

 

Dubaiへ: Global Agenda Council of World Economic Forum

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台北から帰った翌日の夜、成田へ。Dubaiへ向かうのです。

成田からの便は、先日、Dubaiから搭乗した「空の上、12,000メートルでシャワーを浴びる」の機体がDubaiへ戻る便、機体A380です。

今回はビジネスクラス。しかもビジネクラスもファーストも満杯。多くの方たちが私の参加するWorld Economic Forum (WEF)のGlobal Agenda Council (GAC)に参加される方たちのようで、石倉洋子さんはじめ、おなじみの方たちが何人もおられました。

現地に朝早く到着してJumeira Al Qasrにチェックイン。WEF-GACでは今回、従来より20%近く参加者の数を増やしたようです。Councilも依然より増えて80を超える数になり、運用の仕方にもいろいろ新しい工夫がそこかしこにみられます。それだけ世界の課題が複雑に山積しているということでしょう。

このCouncilでは、国別のCouncilが10ヵ国ほどあり、日本もその一つです。そのChairが私なのですが、Japan Councilは日本の方が圧倒的に多く、しかも東京でも数回の会合があるので、課題については参加する前からかなりまとまっています。それでも近年の「日本」の状況は特に発信できる良いメッセージがないので、訪問者も少ないという状態です。でも、私は訪れる方がいると対応するのが当然ですので、かなりの時間をJapan Councilで過ごしました。でもあまりここには来られませんね、残念ながら。日本は注目度も、期待度も「いまいち」なのです。

でも、フクシマ原発事故については別ですね。私たち国会事故調のことでは、個人的レベルが多いのですが、多くの問い合わせがありました。

私は会議の合間にも、この2、3年はChina CouncilKorea CouncilのChairと個人的にもいろいろ話をしているのですが、今回は特に両国とも新しい方がChairとなったので、大事な時でもあり、いろいろ意見交換をしました。皆さんとてもフランクで、双方向の多面的な交流が必要であることを強く認識し、希望しておられます。いろいろ有益な意見交換ができました。

中国も韓国も政府のトップが交代ですし、と思っていたら、なんと最後の日の夕方に、日本では衆議院が解散になる、というニュースが入りました。やれやれですね。

ところで、韓国のChairはGuen Leeさん。話をしていると、なんとお父さんは私の良く知っている人ではありませんか。韓国科学アカデミー(KAS、Korean Academy of Sciences)の会長だったLee (Ho-Wang) 先生の息子さんなのでした。このブログにもお父上との写真がありました。このお父上との出会いが、朱先生との出会いになり、後々に続く感激的な日韓医学史123)へと発展するのです。

トップはこのGuen Leeさんとご一緒の写真ですが、あの有名なBurj Al Arabの26階での晩餐会での記念です。

帰国してから、Leeさんから「お父上がとてもよろこんでおられた」とメールがありました。人とのご縁とは面白いものです。

 

国会事故調の私の考え方: 民主制度を機能させる

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国会事故調については、いろいろとこのサイトでも、また他のメディアでも意見を発表しています。

今度のフクシマの教訓から学び、社会のいろいろな制度疲労を変えられなければ、日本は沈没しかねないと思っています。産経新聞10月11日の私のコメント、「今回変わらねば日本沈没」にあるとおりです。

最近の東京新聞(中日新聞にも)の11月8日に掲載された「そこのけお手盛り人事、原子力ムラ支配復活」にも私のコメントが出ています。

確かに、フクシマ原発事故以来の日本の事故への対応、エネルギー政策と原子力発電の方向、新しい原子力規制委員会、使用済み核燃料棒処理等々、原子力関係の議論も政策も、どこへ向かっているのかよく分かりません。

時間をかけて議論が必要なのは言うまでもありませんが、どうも「「脱原発」か「原発容認」か」、という狭い視野の議論になっているように思われます。

そして、原発関係のいろいろなことがうやむやの中で進んでいるようにも思われます。相も変わらず発想は近視眼的、透明性も低いのです。

皆さんはどうお考えですか?

私たちの国会事故調報告書の中心は、国会という「立法府」が、原子力に関するいろいろな問題について「行政府」をしっかり監視しろ、ということです。

三権分立は民主制度の基本ですが、日本では基本的には行政府の各省庁が政策を作り、それら執行しているのです。なにか変ですね。政府としての統治が機能していないのです。

最近でも、司法が選挙の1票の格差の「1:5」は「違憲」である、としているのに、立法府は何もしてきませんでしたね。国民も立法府も一票の差「1:3、1:4」などを容認していたのです。今までは司法もずいぶん弱腰でした、そして立法府も責任ある対応をしていなかったということです。なぜなのか、考えてください。

私のこれらのコメントについても考えて頂き、皆さんが、皆さんの選んでいる、そしてこれからの選挙で選ぶ国会議員に対して、国会事故調の提言の実現へ向けるよう、行動を起こしてほしいのです。

このような意識と行動こそが日本の民主制度を機能させる大事な基本の一つなのです。

 

2日間でMalaysiaとNorwayの首相にお会いする

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Malaysiaの首相Mohd Najib Abdul Razak1)は「科学とイノベーションのグローバル顧問会議」を設置、私も委員に招聘を受けています。

今回は、11月1-3日にわたってKuala LumpurとJohor Bahruで開催。10月31日の朝に成田を出発。Kuala Lumpur空港から1時間半ほどかかってホテルへ到着、夜のレセプションに参加。

翌11月1日の第1日はKuala Lumpurの首相官邸での会議。首相のほかにも関係閣僚も数名出席、Food Security、Nutritionと環境の問題などのいくつかの進捗の報告など、活発な意見交換と政策への反映などが議論され、指示されました。特に今回はJohor Bahruを中心とした「Iskandar Malaysia Smart City Framework」の現地視察も兼ねた会議でしたが、私は残念ながら2日、3日の現地視察は失礼することとし、1日の夜にはKuala Lumpurを出発、2日の早朝に成田へ戻りました。

帰宅後、一息ついて、昼はNorwayのJens Stoltenberg首相1)との会食、日本側は私だけで、フクシマ原発の国会事故調の報告書と、去年の夏のNorwayで多数の死者が出た乱射事件でのNorwayの独立委員会の報告を踏まえた、リスクと政府の対応などについて意見交換という趣旨です。

フクシマ原発の国会事故調報告書は世界でかなり広く読まれているようで、意見交換に興味のある方が、多くの国の要職にある方たちにもおられるのはうれしいことです。

さらにStoltenberg首相は「Global Health」についての意見交換という提案です。特にNorwayはこの分野ではGAVI1)などへの積極的な支援で知られ、首相も大いにこれを推進されているのです。私たちの主宰するHGPIも、先日GAVIと共催で会議を開催したばかりでしたし、9月初めに私も参加したOsloでのKavli Science Forumでも、首相はこの点を強調されておられたのは報告したとおりです。

あっという間に時間がたち、そのあとはNorwayのテレビ局と共同通信の取材などが続きました。

夜はStoltenberg首相歓迎のレセプションへ。平野復興大臣も出席され、大勢の関係者が出席され、Salmonなど海産物料理を皆さんで楽しみました。

2日続けて、お2人の首相にお会いするなど、考えもしないことでした。

 

国会事故調 -12: New York Cityへ、Japan Societyでの講演、そして世界へチャレンジ

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Photo credit to Mr. Ken Levinson for 3 photos at Japan Society Lecture, and to Dr. Y. Kuwama for 6 photos at its private reception.

Washington DCでの2日間の後は、New York Cityへ移動。Japan Societyで講演です。

もちろんフクシマ原発と私たちの国会事故調は世界に共通して関心が高いテーマですから、日米の多くの方がこられました。

私の講演は「Yoko Makino Policy Series」としてThomson ReutersのDaniel Basesの司会で進行。私は30分ほど国会事故調のグローバル世界での意義、活動の内容、報告書とその提言などについてお話ししました。その後はBasesさんと私の2人で2、3の意見交換後はご来場の方たちとの質疑応答でした。

この講演のビデオはhttp://www.japansociety.org/(Adobe Flash Player が必要です)で見ることが出来ます。日本英語ですが何とかですね(関連記事はこちら)。

大変に盛り上がったセッションで、私も皆さんと一緒に充実した時間を持つことができました。ちょうど1週間前には私の“部下(?)”のWilliam 斎藤さん(そのあとWashington DCで私に合流)もここで講演をしていて、日本社会の問題について私と同じことを指摘していた、ということでした。皆さん、かなり刺激を受けたようでした。Japan Societyの桜井理事長、Yoko Makinoさんにはいろいろお世話になりました。

参加者の中には、10年余前に、西元さんの努力で始まった(一部なのですが私もちょっと関与している、、)、New Yorkの病院での臨床研修プログラムで活動している日本の若いお医者さんたち、そして、彼らの先輩で私の東大時代の学生さんの一人で、今は臨床医としてNew Yorkで活躍している、Dr. Kuwama もいました。Japan Societyのレセプション、そのあとはTrump Towerの40階あたりの、Manhattanを見下ろす素敵なコンドのPrivate Receptionにもお招きいただきました、私が主賓でしたが、、、。

翌日は快晴で、気持ちの良い秋のNew Yorkの散歩を楽しみ、昼は廣木総領事と広報センターの金子さんと昼食といろいろな会話を楽しみました。

夕方はHarvard Clubで、Yoko Makinoさん、ご当地の若いお医者さんも参加して、その後は、Makinoさんのお友達3人とでBroadwayの「Chicago」へ。素晴らしいプロの仕事ですね。

この「Chicago」に、この夏と思いますが米倉涼子さん12)がRoxy役で出演したのですが、それに備えて1年ほどの猛練習をしておられたとか。これは並大抵の努力ではできない仕事ですね。何しろ世界のプロの競争の中での出演ですから。お相手はAmra-Faye Wrigh1)です。

でも、このチャレンジで米倉さんにとっては一皮むけたというか、とてつもなく大きく一つステップアップしたという感じだったのではないでしょうか。世界のトップ舞台での実体験は、何物にも代えがたい大きな自信になったと思います。世界での他流試合なのですから。

どの分野でもよいのです、日本の若者たちが、もっともっと多くの人たちが、日本からどんどん世界のトップの中で、自分の力で挑戦してほしいです。その体験は、どんなにつらくても、そして結果としてうまくいかなくても、何事にも代えられない貴重な経験になって将来の人生に大きな自信となり、自分を、そして自分の進路を見つめる良い機会になるしょう。

もっと多くの日本の人たちが世界で活躍できるのは間違いないことです。さあ挑戦してみよう、決してマイナスにはならないよ。もっと世界はグローバルに広がるよ。

 

国会事故調 -11: The U.S. CapitolとCSISでの講演、国会事故調英語版がウェブへ

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毎日、忙しい時間が過ぎていきます。事故調のスタッフの何人かは事務局仕舞いに忙しくしています。

私といえば、15日の午前11時直後に成田を出発、Chicago O’Hare空港経由でWashington DCに、同じ15日の午後1時30分に到着。

さっそくCSISへ向かい明日の講演、現在継続中の活動の打ち合わせなど。さらに国会事故調の第5回委員会にも参加し、いろいろと知見を頂いたCarnegie InstituteのRichard Meserveさんを訪問、そしてさらにNational Academyで米国議会の設定した福島原発事故調査委員会の活動について、委員長 Dr. Norman Neureiterとそれをまとめる主任Dr. Kevin Crowleyといろいろ議論をしました。以前に一緒に仕事をした、日本大使館勤務になっている次田さんたちがアテンドしてくれて、大変に助かりました。夜は次田さんのお宅でご馳走になりました。

国会事故調報告の英語版が、この日にウェブサイトに乗せられたのはとてもよかったです。このチームの方たちが本当によく仕事をしてくれました。そして、世界の皆さんが待っていたのです。

翌日の午前はU.S. Capitol1)へ。US-Japan CouncilとNBRの主催で国会事故調の報告1)です。Clinton、Bush両大統領の下で大臣Secretaryを務めたNorman Mineta さんも来られ、ご挨拶をいたしました。皆さん熱心に聞いてくれて質疑応答など、反応はとてもよかったと思います。

午後には、CSISでの講演で、国会事故調の報告です。会場が少し狭かったので、部屋いっぱいの方がこられ、ドアの外にも席が設けられました。80-90人ほどだったのでしょうか。この講演1) については、日本でもNHKのニュースがあったようです。

あと3週間で任期を終え、帰国される藤崎大使公邸へご挨拶。日米関係についてはいろいろ予測もしない事件がいくつも起こった大変な時の駐米大使、本当にご苦労様でした。

夜はこちらにいる、JETプログラムで日本を体験している数人の若い多様な米国人たちと、ご一緒。このような日本ファンを増やしていくことこそが、安全保障の根幹ですね。実感します。

今日の一日でも、私たちの国会事故調報告書とその背景、目的や意味が国内外に広がるのは、とてもうれしいことです。

翌日、主催者の方から以下のようなメールをいただきました。すこしでもお役にたててうれしいです。

Dear Kurokawa-sensei,

It was our great pleasure to host you at the Capitol Hill briefing on Tuesday on the findings of the Diet of Japan’s NAIIC report on Fukushima and a treat to moderate such an interesting and important exchange. We are deeply appreciative of your leadership and willingness to share your views on these findings with the Washington, D.C. policy community. It was a very powerful demonstration of the high standard of transparency that the Commission brought to the proceedings and your personal commitment to preventing future nuclear disasters.

We have received tremendous feedback on the discussion from those who attended and NBR, the U.S.-Japan Council, the Congressional Study Group on Japan, and the Senate Committee on Environment and Public Works were all honored to host you.

Thank you for your many contributions to global policy. We look forward to future opportunities and in the meantime, please let us know if there is anything we can do to support your work.

Best regards,