‘Be Movement’と私のインタビュー記事

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‘Be Movement’は、ウェブ時代の新しい形の「社会メディア」です。若い人たちが、グローバル時代の変化を受け取りながら、いろいろ試していることはうれしいことですね。
最近この「日本特集」が出ました。東北大震災+福島原発事故から3年を迎えたタイミングを意識した特集なのでしょう。

私も応援している“Table For Two”の小暮さんの記事が、私のインタビュー記事のすぐ後に
出ています。

このような時期ですから、国会事故調の問題も含めて、うまくまとめてくれています。

英語で数ページ、ちょっと長めかもしれませんが、時間のある時にちょっと目を通していただけると嬉しいです。

JAPAN’S SPIRIT -Strength through the Storm-
(be movement pp114-122)

Cassie Limさんとチームに感謝。

Safecast、新しい時代の放射能調査のあり方

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福島原発の事故以来、放射能のモニター、日本政府の公式発表などについては、“予測していなかった”事故とはいえ、世界からもその信頼性についていろいろ批判され、懸念されているところです。

事故の1週間後には放射能の測定を開始し、「勝手連的」に広く地元の人たちと情報共有しながら活動してきた一つに「Safecast」があります。先日、このblogでも触れたところです。

はじめは自分たちで測定器も作り上げ、測定値の正確性をチェックし、データをすぐにオープンにするという、素晴らしい発想と技術。透明性と公開性こそが信頼の基本と、すぐに活動を始めているのです。

世界の状況を反映するかのように、この測定器の作り方やWebへ掲載するところまで、どんどん自動化され、誰にでもできるので、世界に広く広がり始めているのです。

さらに素晴らしいことに、最近IAEAにも招かれ、この時代の流れを表すようにSafecastが高く評価されたのです。

その経過や様子などの報告については、以下の2つのサイトに目を通してください。
→ http://atomicreporters.com/2014/02/22/hans-brinker-the-iaea/
→ http://blog.safecast.org/2014/02/safecasting-the-iaea/

“No wonder Safecast has a following at the IAEA. Two random guys in Japan became more widely trusted by many than 60-years of UN-agency authority.”と、この“Atomic Reporter”レポートにあります。

ちょっと長いかもしれませんが、その時のIAEAの様子などがわかりやすいので、読んでみ
ることをお勧めします。IAEAの内部でも、多くのSafecastファンができたようです。

今のようなネットとハイテクの広がる時代の世界では、私が繰り返して主張している、「独立性、透明性、科学性、国際性」こそが信頼の根幹であることの証拠です。国会事故調も、その精神が基本でした。

では、日本政府や東京電力、行政、企業、メディア、大学等々、既存の組織の在り方、公開性、透明性、国際性などは、どんなものでしょうか?

このSafecastには、いろいろな形で参加も、応援もできます。自分たちで放射能測定器を組み立てる、それを使って測定に参加するとか。

Safecastの活動は、日本中に、そして世界にも広がっているのです。

3月11日前後

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3月11日のブログでも報告しましたが、この2週間ほどは東日本大震災と福島原発事故の「憲政史上初」の国会事故調の委員長といったことで、このテーマに関するといろいろな活動にお招きを受け、参加しています。

東大では伊東乾さんたちの企画1)がありましたが、残念ながら私は初めの20分で国会事故調のことなどをお話しして退出。その後、上野駅から東北新幹線で仙台へ。Impact Japanと仙台市の企画「Sendai for Startups! 2014」 に参加。ご当地の起業家たちのプレゼン、おいかわデニムの及川さん、私はというと、最後に私たちのImpact Japanが仙台と一緒に始めている「IntilaQ」を紹介しました。

その後もクラブ関東での講演、スイス大使館では2日続けて会合があり、週末には「わかりやすい事故調」「日本赤十字社」とのコラボで、多くの高校生、大学生などと、3重の大災害の避難者の生活、現状などのセッションに参加。その後、東京文京区、さらに震災後には石巻で新しい医療制度構築に素晴らしい成果を上げている武藤さんの主催する「研修」、日米医学医療交流財団で、ますます変化する世界と日本と視点で考える「日本のこれから」といった視点からの話をしました。

なかなか変われない日本ですが、若い人たちの間の変化は、注目できるものがいくつも出てきていると思います。

がんばれ、日本の若者たち。

「原子力の安全」:米国GAO報告書と国会事故調報告書

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民主制度では「三権分立」が基本であり、政府(行政府)の仕事をチェックする独立した機構とその機能は大変大事なプロセスです。

米国ではGAO(Government Accountability Office)という機関があります。これは立法府の議会のもとにあり、2004年まではGeneral Accounting Office(日本では「会計検査院」)でしたが、2004年に「General Accountability Office」と改名しています。この GAOが議会-立法府-のもとにあり、行政府のチェック機構になっています。

つい最近のことですが、GAOから“Nuclear Safety:Countries’ Regulatory Bodies Have Made Changes in Response to the Fukushima Daiichi Accident”という報告書が出ました。この中で国会事故調の報告書が6、7回引用されています。

日本の統治機構の改革に、「憲政史上初」である国会事故調がお役に立つと思うと、私たちチームはとてもうれしいです。従来の日本の統治機構の脆弱さを見せたのが国会事故調だったのです。いうなれば、患者さんの「全身CTスキャン」で、からだの内部の問題を見つけてあげたのです。どうする?と患者さんに問いかけているのだと言えるでしょう。だから、海外からも高く評価されているのだと思います。

ところで国会事故調で「日本の文化」、「マインドセット」という言葉を使ったので、結構批判されました。しかし、このGAO報告書もそうですが、さらにIAEAでは、4月8日-11日に「Workshop on Global Safety Culture – National Factors Relevant to Safety Culture」を開催されます。福島の事故を受けての企画ですが、このような切り口からの会議は初めてということです。

私には日本政府等からも、IAEAからも、連絡もお招きも受けませんでした。なぜでしょうね。私は海外の専門家から、この会議の件を知らされました。

2012年にも同じようなことがありました。なぜなのか、考えてください。

3年を迎えた3月11日

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このところご無沙汰ばかりですが、申し訳ありません。

今日は書かないといけないですね。多くの人々がとんでもない被害を受け、受け続けている3年前の「3.11」東北大震災と福島原子力発電所の大事故。そしてこの大事故をきかっけに、日本の憲政史上初の国会による「独立した福島原発事故調査委員会」が始まり、報告書が国会の両院議長に提出されて1年8ヵ月が経過しました。私はこの「国会事故調」の委員長でした。

その間にも国内外で大きな変化が起こっています。シリア、ウクライナなどなど、急変する世界の状況です。日本の状況は、あれだけのことが起こっても、基本的にはほとんど何も変わらない「政産官」の状況と世界では思われている「フシ」があります。アベノミックスは例外的ですが。

昨日の10日は午後からプレスセンターで、報道関係の方が多いのですが、事故当時の米国原子力規制委員会委員長だったG. Jaczkoさん、政府の事故調の畑村委員長、いわゆる「民間事故調」の北沢委員長、そして私の4人が参加して2時間ほどの討論会でした。この様子はYouTubeでも見ることができます(日英語が音声の右左で選べます)。

私は、まず6分程度と時間もないので、初めに「わかりやすい国会事故調」の「国会事故調ってなに?」をお見せして、国会の事故調と他の事故調やその他の数多くの報告書、出版物との違いを理解してもらおうとしました。さらにアカウンタビリティーの意味などを説明しました。細部よりは、「大きな民主国家統治の枠組み、変わる世界と日本」を知ってもらいたいと思って討論に参加しました。いろいろな議論がありましたが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。

私は、社会的により権限ある人たちの責任感と覚悟を問いかけ、さらに、皆さん一人ひとりが、この事故から何を学び、何を感じとり、何をするのかを問いかけようと考えました。さらに、お集まりの方は主にメディア関係者ですから、その方たちは何を考え、どう行動しているのかを問いかけようと考えたのです。

また、South China Morning Post にインタビュー記事も掲載されました。
1)http://www.scmp.com/news/asia/article/1443158/japanese-investigator-says-lessons-fukushima-disaster-ignored

ここには、「わかりやすい国会事故調」のビデオも紹介されていますね。うれしいことです。

2)Safecastについても私のコメントが入っています。

福島原発の事故とその日本の対応を世界はウォッチしています。何しろ世界には440基ほどの原子力発電所があり、また70基ほどが建設中なのですから。

情報がどこにでも広がるグローバル世界では、国家も、政府も、企業も、メディアも、大学も、透明性は信頼の基本です。失われた信頼を回復するのは容易なことではないのです。

12月、いろいろな交流、忙しい日常

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12月に入り2日のGarrettさんのセミナーに続いて、世界銀行と日本政府主催のUniversal Health Care1)に参加(5、6日)。素晴らしい基調講演をされたJim Yong Kim総裁とも2人でお話しする機会をいただきました。Kim総裁がWHOに勤務していた時に私がWHO Commissionerをしていたこともあり、お互いに間接的に知っていたのです。

6日の夕方は数年ぶりに東海大学医学部へ向かい講演、7日は東大で公共政策大主催のコロンビア大学、シンガポール等の7つの公共政策大学院の「GPPN」で、100人弱の学生さんたちと福島原発事故後のグローバルリスクについて、司会はエネルギー政策の国際派の田中伸男さん

9日はフランス大使館で、フランスの「エイズ、及び、伝染病対策担当大使」を務めるPhilippe MEUNIER大使をお迎えして数人での昼食。

11日は米国マサチュセッツ州のPatrick知事とご一行をお迎えして、医療政策機構1)の主催で議員会館国際会議場でHarvard大学のJohn Hamalka教授もSkypeで参加。これはとても素晴らしい会議となり、知事も大満足でした。夜は知事をお迎えして米国大使館でレセプション、ホストがケネディ大使、大勢の方を迎えて大変でした。

12、13日は出井さんたちとのAsian Innovation Forumで、これはもう報告しましたね。

14日からカリファ大学の理事会へ、3週間前に数日間に渡って滞在していたアブダビに向かいました。15日にカリファ大学学長から、海外からの理事3名への報告、翌日の理事会はよい議論と前向きの計画が進みました。

昼食後、素晴らしいYas Linksでゴルフをたのしみ、空港へ向かいました。

17日に帰国。帰宅して一休み、夜はNorway大使館でErik Solheimさんを迎えたディナー。Solheimさんは若くして政治家をめざし、大臣も経験、しかも世界的に大事な活動もしています。

やたらと忙しいのですが、いろいろな出会いがあります。

11月の海外いろいろ -4: 台北、医師の教育の話題

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春頃でしょうか、台湾の内科学会から講演のご招待を受けました。その後、台湾の原子力関係からもご招待を受けました。ちょうど日にちが3・4日ずれていたので、何とか摺合せをお願いして今回の訪問になりました。

22日にアブダビから帰国し、家で久しぶりに一泊。翌日、台北へ向かいました。内科学会総会には2年前にも参加しましたが、今回は米国内科学会オレゴン支部からのThomas Cooneyさんとご一緒でした。根っからの教育者です。

医師の教育の話題だったので、映画「The Doctor」について私がコメントしたところ、そのモデルはDr Edward Rosenbaumで、立派な医師のご一家です。同じオレゴン大学病院で勤務、またご子息(といっても年配ですが、、)もオレゴンでの同僚の一人で、お孫さんは Univ Penn のDr Liza Rosenbaum、New Yorkerにも寄稿しているよく知られたカラムニストでもあるのです。何でも話題を出してみることですね。いい話を聞きました。

お互いに講演が前後でしたが、医学教育・研究に本当に立派な見識を持って、実践されています。

翌日は台湾の原子力関係者との交流、講演ですが、私のほかにも国会事故調で協力してくれた方も参加してくれました。

「わかりやすい国会事故調」の6部のビデオは大好評でした。「字幕は漢字だからわかるし、英語のナレーションでよくわかった」よ、と言われました。

大事故の教訓を共有することは大事なことです。

福島原発の現状、Washington Postの記事

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福島原発の事故から2年半を超える時間がたっていますが、この事故が収束状態などと考える人はいないでしょう。メディアは地下水の問題で騒ぐ、汚染水がもれては騒ぐ、大雨が降れば騒ぐ。福島原発事故は、現在も大きな日本の、そして世界の大きな問題なのです。

東電の能力、日本政府が何を考え、行動しているのか、これには国民も、世界もかなりの懸念を持っています。政府も国際廃炉研究開発機構という、いつものような政府の得意なやり方の組織を作っていますが、どれだけ開放的か、透明性と国際性が高いか、みなさんもよく見ていましょう。

東電も国際的な諮問委員をお招きしてはいますが、どれだけ真剣に学び、意見を取りいれ、実行しようとしているのか、このプロセス全体の透明性が大事です。これにもずいぶん問題があると聞いています。その一人、東電の福島原発の監視委員会副委員長Lady Judgeの東電の対応について不満が10月22日の日経新聞朝刊16ページにも出ていました。

10月21日のWashington Postの10月21日号では、1面トップから3ページという大きな扱いは、9日4日のNew York Timesの扱いと同じと思います。Washington Post(PDF)とOn-line版では体裁も違いますし、それぞれに見る人へのインパクトがちょっと違いますが、on-line版のイラストは、なかなかの出来ですね。このあたりが新聞紙面と違うところです。これらの米国主要紙の扱いは、福島原発の現状への懸念の大きさを意味しているのです。世界の見る目は厳しいです。

ところで海外の主要報道の日本語訳を毎日1本作成している小林順一さんのblog(Twitterは@idonochawan)があります。最近は福島関係が多いのは致し方ないですが、「世界の日本を見る目」を感じ取るのにもとても良いと思います。

大変な努力ですが、ありがたいことです。

「無鉄砲娘」の活躍つづく、そして私の意見も

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国会事故調に参加してから、ずいぶん違ったキャリアを選び始めた人たちがいます。先日のコラムで紹介した椎名くん、石橋さん、「無鉄砲娘」相川さんの3人はそんな人たちです。

相川さんの本「避難弱者」は、広く読まれているようですが、最近ウェブにも記事が出ています。彼女のメッセージが広がるのはうれしいです。「若い者たちは行動する」のです。大したものです。

ところで、この3人のことも含めて、国会事故調のその後の在り様を、外国記者クラブの発行する機関誌「Number 1」 (英語)で紹介しました

国会事故調は、日本では「憲政史上初」です。「初」ということは、政治家も、官僚たちも、メディアも、学者も、広く国民もですが、この「国会事故調」が何を意味しているのか、あまり理解していないのでしょう。日本国内の反応は、海外の反応12)に比べればはるかに小さいですしね。

民主制度を機能させるのは、時間のかかることなのです。

私も福島のことは本当に心配です。そして世界では日本のことを本気で心配している人たちも多いことをお忘れなく。

いろいろなところへ

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大阪で行われたMansfield財団による原子力の日米協力のパネル(10月1日)の後は、すぐに沖縄へ。OISTの理事会へ向かいました。

ここでは2泊(10月2、3日)の予定でしたが、風邪気味で、2日目を終わって東京へもどり、翌日4日はテレビ会議で参加しました。いろいろな課題はありますが、10年でここまで来たのは素晴らしいことです。しかし、これからが一つの転換期になるように思います。

5日の午前中は日本腎臓学会の「男女共同参画のパネル」に参加、その後は京都へ、STS Forum(10月5日~8日)です。これも今年で10周年を迎えました。素晴らしいことです。参加者も1,000人ほどと増加し、安倍総理のスピーチに始まる良い出だしでした。私も「ICTと教育」というセッションのパネルに出ました。期間中に多くの友人にお会いしますが、今年はQatar財団の方々も初めて見えられ、会談のほかにも、日本から協力していただけそうな何人かの研究者をご紹介しました。

8日、京都から帰ってからは、東京で某外資系企業の役員と会食。9日、10日はオリエンタル技研の35周年で2日にわたってOISTの設計を担当したKen Kornbergと講演をしました。彼はノーベル医学・生理学賞を受賞したArther Kornbergの息子さんで、お兄さんのRoger Kornbergはノーベル化学賞を受賞しています。
もう一人のお兄さんThomasもすごい分子生物学者です。

11日は自民党で新しい原子力規制委員会の在り方について議論、その後HGPI主催のグローバルヘルスの夏のセミナーでお世話になった「IOCA」のアトリエを訪問。これは企業役員などにも評価されているということで、一度は参加してみようと思いました。

夜はスイス大使館で、環境・交通・エネルギー・通信を担当する実力大臣Mrs Doris Leuthardさんを迎えて、主として原子力についての話題をめぐってお招きを受けました。

相も変わらずいろいろと忙しくしていますが、私が何かの成果が出しているのか(?)、貢献をしているのか(?)、といわれるとちょっと考えてしまいます。