塩崎大臣との朝食会、アジアイノベーションフォーラム

2週間にわたる北米、カナダの講演の旅を終えて帰国、東京でも活動が待っています。

まずは塩崎厚生労働大臣をお迎えして、医療政策機構の朝食会です。塩崎大臣とは、当機構の小野崎理事がアドバイザーとしてお手伝いしていますし、G8の世界認知症委員会(World Demencia Council、WDC)などでもご協力をいただいているところです。新しいプロセスで出来てきた「日本の医療2035」の話など、いろいろの話題があり、会員の方たちからの活発な意見が出ました。私は最後のあいさつをするのですが、何しろ風邪で声が出ないので、一言だけにしました。

アジアイノベーションフォーラムは、元ソニーの出井伸之さんが2007年に福岡から始めた活動ですが、そのころからお手伝いしています。今年は虎ノ門ヒルズで開催。私は遅れて参加しましたが、ヤフーの安宅和人さんのビッグデータのプレゼンには間に合いました。彼の話の内容は最近の日本版「ハーバードビジネスレビュー」に出ています、一読をお勧めします。

私は最後のパネル(パート4)に参加しましたが、出井さん、富山和彦さんが、いつもながらの激しい意見を次々と出していました。私も激しい意見を言いましたが、後で、友人の英国人から以下のようなメールをもらました。うれしかったです。

‘Dear Kurokawa-san, This is just a quick note to say that I much enjoyed attending yesterday’s forum; it was interesting (and – if I may say so – encouraging) to have such a consistent message from you and others in support of ‘getting out there to see the world’, but also making the most of a huge available talent pool at hand already.’

世界はどんどん、しかも急速に変わっているのです。

ペンシルベニア大学

オタワから、次はフィラデルフィアへ向かいました。ペンシルべニア大学の法科大学院ロースクールのお招きです。

ペン大は、40数年前ことですが、私が初めて海外留学したところです。

2年ぶりのフィラデルフィアでしたが、以前ちょっと勘違いをしていたことに気が付いていたので、40数年前に住んでいた、郊外のアパートを尋ねてみました。名前こそ変わっていましたが、いまでも結構モダンな感じのままで、サイズは当時感じていたのよりも小さく感じました。貧しい日本から来たのですからそんなものなのでしょうね。

夜はちょっと遅くなったのですが、Havarford大学に留学している、HLABの第1回に高校1年生で参加した野村くんを夕食にお呼びして、いろいろ話を聞きました。このような若い人たちがいろいろと苦労をしながら活躍しているのは、頼もしい限りです。

さて、今回の訪問の主目的は、ペン大ロースクールでアジアフォーカスのプログラムを立ち上げ、その記念行事の一つとして、アジアでの「大災害と賠償」のテーマで、組まれたカンファです。

取り上げられたのは、中国の四川大地震、インドボパールのユニオンカーバイトの化学工場の大惨事、そして福島原発事故の3つです。もちろん、私は福島の原発事故の関係でお招きを受けたのです。

前夜にKenneth Feinbergさんの基調講演がありました。質疑応答を入れて約90分にもなるセッションでした。「9.11」、「英国石油BPのメキシコ湾の石油採掘災害」などの大災害の補償について、飽きることない、迫力といい、説得力といい、お人柄そのままの素晴らしい講演でした。彼の講演は、教育者として、また活動の実績からも大変な評判があるようです。

講演前にしばらくお話をしたのですが、このような大惨事の補償について、日本政府からも聞かれたことがあるけどね…、といったお話も伺いました。

2日目は、1日にわたるセッションで、なかなか良かったです。四川、ボパールはそれぞれ中国、インドの政治学者と演者とのパネルでした。私はロースクールで講演するのは初めてですので、皆さんあまりパワポを使わないとか、ちょっと戸惑ったのですが、MITの日本政治の研究者であり、福島原発事故後の日本について、「3.11: Disaster and Change of Japan」(2013)を著したRichard Samuelsさんとの二人でプレゼンとパネルを行いました。

夕方の1時間ほどペン大のキャンパスを巡り、昔の研究室のあたりには、医学部の活動の様子を映すように、いくつもの新しい建物があって、活躍ぶりがうかがえました。

最後の夜は友人と3人で夕食、翌日トロントで1泊後、羽田へ、11月9日(月)出発、23日(月)帰国という長旅でした。最後の日に風邪をひき、声が出なくなりました。

オタワへ

2015-11-17 08.58.20

トロントからカナダの首都オタワへ。今回の日本の外務省、カナダのアジア太平洋財団のご支援による講演の最後回です。

2日間とも雨だったバンクーバーと違って、オタワは快晴です。宿泊はLord Elgin Hotel。名門ですが、まだまだすることがありそうです、私の部屋のお風呂なども含めてね。そして、大使公邸で軽部公使ほかとの夕食。

何年か前のことですが、門司大使には前任地のドーハでお会いして以来だったのですが、大使は急遽マニラのAPECに出席とのことで、「お会いできずにとても残念」との「メッセージ」を代理大使の軽部公使から伺いました。

翌日はオタワ大学で国際担当、研究担当などの方たちとお会いした後、夕方から講演会が開催されました。いろいろと議論、質問も出て、活気のある楽しい時間でした。

翌日は、カナダの原子力安全委員会へ向かい、幹部の方たち10人ほどと約1時間の会談の機会を持ちました。委員長のBinderさんは素晴らしい方で、鋭い質問をいくつも投げかけてきました。彼が最近行った講演録をいただきましたが、さすがと思われる指摘がいくつも見られます。

ことしの1月にも書いたのですが、カナダの原子力関係者との会合も、みなさんのフランクな意見交換など、お国柄を見るような議論でした。

このカナダの旅では、若い、新しいリーダーを迎えて、新しいカナダへの期待、またパリのテロ事件への対応などの不確定要素など、みなさんといろいろな議論の機会が持てました。

トロントで

11月13日(金)の夕方、トロントに到着、ホテルに向かいました。到着早々、テレビでは一斉にパリのテロのニュースです。

今回のカナダでの講演も、このような世界の不安定化の背景などにも触れたうえで、グローバルヘルスの話をするのです。

14日(土)は、2週間前に終わったばかりのGairdner賞の委員長をしているJohn Dirksご夫妻、現地の三菱電機の代表をしておられる二宮さんご夫妻、トロントで世界一ともいわれる肺移植の指揮を執っている安福先生、アジア太平洋財団のお世話をしているChris Nakamuraさんたちと昼食、いろいろな話題が出ました。夜は二宮さんのご友人と一緒にプロのIce Hokeyのゲーム観戦。ご当地のToronto Maple LeafsがVancouver Canucksを「4-2」で接戦を制し、みなさん大喜びでした。

今年は、メジャーベースボールで地元のBlue Jaysが惜しいところでWorld Seriesへ行けず、川崎選手のいるチームですから、日本の皆さんもたいへんがっかりされたことでしょう。

16日(日)はSanta Clausパレードで、私の泊まっているホテルの前を通り、私の部屋からもよく見えて、なかなか楽しいものでした。夜は総領事館で中山総領事主催の夕食会があり、明日講演をするトロント大学のMunk School of Global Affairsの方もお見えになりました。Munk Schoolは、最近かなり名が知られるようになってきているように思いますが、現在、私が在籍している政策研究大学院大学と MOU2)を結んでいます。

翌日はMunk Schoolで久しぶりの講演1)。テーマがグローバルヘルスですのでGrand Challenge Canadaを率いているPeter Singerさんも参加してくれました。私もこのプログラムの一員を当初から務めています。

講演終了後、しばしの歓談後、オタワに向かいました。

シアトルへ

久しぶりにシアトルに来ました。ゲイツ財団GHITファンドの理事会を開催するのです。今回の理事会に対応するのは、2013年はニューヨーク2014年はロンドンで、やはり11月に行われました。宿泊は エコのブルーを売り物にしているHyatt at Olive 8

シアトルは、今や「グローバルヘルス」の世界の中心のような様子もあります。ゲイツ財団ばかりでなく、PATH、またワシントン大学のグローバルヘルスプログラムなどによるものです。

理事会では、活動の広がりと進捗も順調、さらに理事ほかの方々の適切な指摘などもあり、無事に済ませることができました。

夕方から大村総領事主催のレセプション。60名ほどのお客様もお招きし、簡単なGHITの紹介もありました。長いお付き合いのある、前ゲイツ財団グローバルヘルス代表、さらに武田薬品のタチ山田ご夫妻とも久しぶりにお会いできました。シアトル在であることをすっかり忘れていました。その後は総領事ほかとの会食。いろいろと総領事館の方たちにお世話になりました。

翌日は、ワシントン大学のキャンパスへ出かけてみました。世界の大学ランキングでも上位にランクされている米国の公立大学の一つです。広大なキャンパスの中心に見事な桜が植えてあり、春には見事な眺めでしょう。図書館も多くありますが、その中心でもある Suzzallo and Allen Libraries に行ってみました。さすがに立派なものです。

シアトルは水と緑に囲まれた美しい街です。Starbucks 発信の地でもあり、やたらと、このマークが目につきますが、それだけでなくてもカフェが多いように感じました。いまAmazon本社など建設中とかで、とても活気があるようです。

夕方、バンクーバーへ向かいました。

長崎で Pugwash 会議

「Holy Mother in Nagasaki」
https://www.google.co.jp/search?q=holy+mother+in+nagasaki&rlz=1C1CAFB_enJP633JP633&espv=2&biw=1440&bih=799&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CCYQsARqFQoTCO-0noyn-MgCFeMcpgod1McGxw&dpr=1#imgrc=A-oWpQ8RAuYZuM%3A

Pugwash 会議が、戦後70年の今年、初めて長崎で開催されました。私もパネルで話しをする機会をいただきました。

Pugwash 会議は Einstein などの科学者が、原爆による広島・長崎での悲惨な有様から、”核のない世界を”という趣旨で、1955年の有名な「Russel- Einstein Manifesto」 から始まった、核兵器をはじめとする大量殺戮兵器の廃絶に向けた「科学者の良心」とも言われる自発的な会議です。 この宣言にサインをした11人の科学者、そのうちの一人が湯川先生、10人がノーベル賞受賞者です。

第一回の会議は1957年、Pugwash, Nova Scotia, Canada で開催されました。

戦後50年の1995年、原爆被爆国の日本ではじめて、そして60年の2005年には広島で開催されています。そして戦後70年の今年、長崎で開催されたのです。この1995年にはこの Pugwash 会議と Sir Joseph Rotblat ノーベル平和賞を受賞しています。

私は3日目の11月3日に長崎へ、2年前にもうかがった長崎大学医学部が会場です。パネル「Risk of Civil Use of Nuclear Energy」は、と Princeton の Frank von Hippel のプレゼン、旧知の CSIS の Ms Sharon Squassoni とインドの Prof Ramamurti Rajaraman のコメントという構成でした。

私のプレゼンは20分、テンポは速いのですが、その後二日の間に多くの方たちから好評をいただきました。日本のメディアの英語版1)でも早速取り上げてくれました。これは良かったです。

その後、長崎出身で、ノーベル賞受賞者の下村さん1)から被爆者であるからこその感動的な話がありました。そのうち、これも紹介できると思います。

夜は特別に、会場のステージで、私も良く知っている日本を代表する免疫学者で、文筆家でもあり、著書も多く、創作「能」など幅広い活動をされた多田富雄さん(2010年、享年76歳で没、残念です)の能の一つ、「長崎の聖母」(Holy Mother in Nagaskai)1)が演じられました。グレゴリオ歌は地元の名門「純心女子高校音楽部」。ほんとうに感動的な時間でした。

夜は Glaver 邸1)でのレセプッション。河野洋平元衆議院議長からご挨拶をいただきました。

翌日、もう一日参加。会場は伊王島のホテル。午後の講演では MIT の PhD でもある、イランの原発の専門家で外務大臣も勤めた Dr Ali Akbal Salehi の「Twelve Years of the Iranian Nuclear Controversy and Negotiations: Lesson Learned」がなかなかのもので、多くのするどい質問が出ましたが、丁寧に答えられていました。さすが外交官でもあり、感心しました。

長崎は快晴でしたが、外を尋ねる時間がなく残念。しかし、なかなか充実した時間でもありました。

ところで、今年も二人の日本人がノーベル賞を受賞しました。広島、長崎、Pugwash、ノーベル受賞者とその意義、湯川博士の受賞のメッセージ、ノーベル平和賞などなど、ノーベル賞にはそれなりの大きな社会的、世界的なメッセージが明示的に込められていると思います。興味のある人は、例えば伊東乾さんの「日本にノーベル賞が来る理由」を読むのもいいですよ。

今回の Pugwash 会議も原爆、広島、長崎、湯川さんπ中間子の発見、核の時代の冷戦などなど、深い思考的メッセージがあると思います。

Kavli賞受賞者の講演会とNorway大使館でのレセプション

Kavli賞とは、2010年に始まり、2年ごとに天文学、ナノ材料、神経科学の分野の研究者を顕彰する新しい科学賞です。創設者のKavli氏は昨年亡くなられましたが、日本からはカーボンナノチューブの飯島澄男先生が、その第一回の受賞者の一人です。また、世界の優秀な研究所が「Kavli」の冠(カンムリ)のEndowmentを受けており、この分野では、広く世界に知られています。

日本でも、東京大学の村山先生の率いるIPMUが「Kavli」の名前を付けていますし、CalTechの大栗教授もKavliの名前の教授です。他のKavli研究所のリストはこちらで見ることができます。

2014年の受賞者のお二人、Big Banの膨張のMITのAlan Ruthさん 、ナノ物質のThomas Ebbesenさん(NECのつくば研究所での活躍が、この受賞の対象の始まりでした)をお招きしての講演会が、10月31日、東京で開催されました。

その前夜に大使館でレセプションディナーがあり、私もお招きを受けました。私も2013年にKavli受賞式のScience Forum1)にお招きを受けて、授賞式にも参加しました。Kavli財団を引き継いでいる Bob Connさんにも久しぶりにお会いしました。

Arne Walther 前大使の時には、そのお人柄もあって、特にはディナーにクジラの肉が、シンボリックに出されていたのですが、最近はあまり見ませんね。

認知症について二つのセッション

https://www.google.ae/search?q=dutch+dementia+village&rlz=1C1CAFB_enJP633JP633&espv=2&biw=1440&bih=799&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0CBoQsARqFQoTCLmzxsfy3MgCFUNaFAodw_kJ0Q&dpr=1

 

この2年ほど、認知症に少しばかりかかわっています1)。先日のポストでも、WHOで高齢社会の課題についての報告をしたばかりです。

その翌週のことですが、横浜で開催された恒例の「Bio Japan」でも、国立長寿医療研究センターの鳥羽総長と認知症をテーマに対談をいたしました。鳥羽さんは、私の大学の後輩で、先生の医学博士論文の審査では、私が委員長だったということでした -私は覚えていませんでしたが。なかなかの論客です。

パネルの司会は、日本医療政策機構を動かしている小野崎さん。快調にすすんだ90分のパネルで、300人ほどの参加者の方からの評判も良かったようです。参加者の何人かからメールもいただきました。

数日後、オランダ大使館に10人ほどでお招きを受けました。オランダ政府の厚生省副大臣 Martin van Rijn 氏の来日の機会に、認知症の話を20分ほどいたしました。6月にハーグの「認知症村:Hogewey」に行ったときにお会いしていましたので、再会ということです。40分ほどセミナーの後のディナーでは、いろいろな方との意見交換という形で、一日を終えることになりました。

これは、本当に大変な世界的課題です。

科学者の社会と世界、京都と神戸の会議

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例年のことですが、10月4日〜6日は京都で開催された、世界の科学者、科学政策の関係者などが集まる STS Forum(Science and Technology in Society Forum)に参加しました。今年も多くのすばらしいセッションがありました。

2日目の夜に、大村さんのノーベル賞受賞の発表がありました。

私は、2日目の「途上国の人材育成」のパネルに出ることになっていました。座長は、旧友であり、現在はマレーシアの首相科学顧問である Zakir さん1)。 パネルでは、私のいつもの主張ですが、若者の国境を越える交流の大事さを強調しました。これは、多くの共通の共感を得て、多くの参加者が引用してくれました。私の「多層に渡る国際交流」、つまりは「Brain Circulation」の私の資料も、みなさんに配布しました。

6日には京都から神戸へ。7日からの神戸にある WHO Center での「Global Forum: Innovation for Ageing Populations」 に参加。主催の Alex Ross 氏の Japan Times への寄稿 もあります。私は2日目の「High-Level Policymaker Panel」の司会です。日米欧中と米シンクタンクというパネリスト構成で、短い時間でそれぞれに意見を出していただき、さらに会場からもいくつかQ&Aを。時間内に進めるのは至難のことでしたが、何とか「仕切る」ことができました。

ここでは、最近の WHO 、米、欧 WEF などからの報告書の配布もありました。

私の好きな IDEO からの参加があるのは時代の流れでしょうか。Gretchen Addi さんの参加するパネルでは、初対面での立ち話ですが、「The Powerful Now」とか、ホワイトハウスでの会議など、その取り組みが楽しみです。

「アラブからのメッセージ」

DSCF8711ハムダさん

「アラブからのメッセージ ─東日本大震災後の日本へUAEが届けた求愛─」を著したハムダなおこさん。メルマガもあります。

今回この本が、潮(ウシオ)出版社の「潮アジア・太平洋ノンフィクション賞」1)を受賞されました。ハムダさんは、2年前にも「アラブからこんにちは」という著書を出版しています。

この潮出版の授賞式が開催され、わたしもお招きを受けて出席してきました。ハムダさんとは、ご長男が日本の大学に留学していて、いよいよ来年は卒業なのですが、そのご縁で、ご相談なども引き受けていて、この何年かの付き合いがあるのです。ご長女、ご次男は、二人ともわたしが理事を務めているアブダビのカリファ大学で勉強していて、去年の卒業式でもお会いしているのです。

また、ご自分でアブダビに「日本文化センター」を設立しておられ、日本の広報、紹介もしておられます。ありがたいことです。

今回の授賞式では、彼女のご主人と、日本におられるご両親にもお会いすることができました。本当に優しそうなご主人。このような方たちの活動が、「民間外交」でも大事なことですし、本当の相互理解、外交の基本になるのです。