HLABの6年 – 若者たちの未来を拓く、若者たちによる活動

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HLABは、その創設の時から応援している若者たちの活動123)です。

創設者の小林くんの素晴らしい決心と活躍で、6年の時間を経てほんとにここまで来たか、というほどの成長と、日本の若者たちへのインパクトを与えるプログラムになってきています。さらに広げるいろいろな工夫も凝らしています。

今年は、Good Design Awardを受賞1)しました。

戦略的にも限られた資金の中で、仲間たちのみんなが毎日をとても忙しくすごしているようです。

今年の夏には、多くの国内外の大学生と協力して、250人ほどの高校生たちに素晴らしい機会を提供しましたし、さらに恒常的に機能する実験的な小さな「ハウス」を立ち上げています。

HLABのWebサイトも日英語でとても充実しています。みなさんも時々このサイトを訪ねて、この活動を広げ、応援し、参加してくれる人たちの輪を広げてください。

また、広報にも気を配っていて、今年は海外の学生ジャーナリストを招いて、彼らから見た日本、そしてHLABに関する記事を書いてもらう、という面白い企画も実行しています。

私も、初めからかかわっていたご縁もあって、HLABについて寄稿させてもらいました。

このような若者たちの自発的な素晴らしいい活動を、若者たちばかりでなく、多くの大人たち、そして社会も支援し広げていくことが、日本社会の変革を未来に向けて広げていってくれるのです。

皆さんの応援もよろしく。

 

日本の新しい医学教育を、人材の育成を通して進める

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12月18日(日)の午前、東大の農学部キャンパスにある弥生講堂で日本臨床疫学会の発足記念講演会がありました。

日本でもようやくこのような学会ができたのですね。新しい時代の医師に必要な素養の一つです。

この学会は、この分野の活動を進めてきたリーダーの一人である福原俊一さん(京都大学教授)の企画に始まるものです。福原さんはこの分野での活動を通して、新しい時代の医師の育成に熱心に取り組んできました。

日本の医学教育、学会の在り方、専門医の作り方、認定の在り方など、世界の時代の流れに比して、日本では20年は遅れていると確信しています。

私が行った20年前の東京大学での最終講義学会での講演医学教育の在り方1)などを見ても、日本の大学の教育がいかに変わっていないことが浮き彫りになってくると思います。

この学会の発足記念講演会の冒頭、ご挨拶の場をいただきましたので、1980年ごろから欧米では始まっていた、しかし、日本では理解されない、いくつかのプログラムを私と仲間たちが始めたことなどをお話ししました。

私の講演のビデオはこちらから見ることができます。また、この時の私のスライドはこちらです。

 

企業研究所での講演

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パナソニックヘルスケアは、四国松山を拠点としている会社で、10数年前に講演で一度行ったところです。

その後、パナソニックから独立。三洋電機と合併し、KKRという外資が80%の株主で、外から小谷さんという新しい社長を迎えて活動している企業です。最近、三井物産がKKRの株の一部(20%)を購入しました。

このパナソニックヘルスケアの群馬拠点で講演の機会をいただき、出かけてきました。500人ほどの技術者の方たちを対象に行った講演ですが、他の2カ所の研究開発拠点の方々も参加し、活気のあるセッションを持つことができました。

質疑応答も活発で、若い人たちにも元気が感じられました。ただ、ほとんどが男性で、しかも外国の方は中国のをはじめ、ほんのちょっとでした。これは困ったこと、というか弱みですね。

ここでお話ししたことは、”よその会社との合併、外資が大株主となり、外部から社長が来るという、日本で起こり始めた企業としての歴史、統治のあり方の変化が、みんなの気持ちの変化に出てきているのではないか。そしてこれらのあまりなじみのない会社の変化こそが、みんなの意識を全体としてはよい方向に変えてきるのではないか”、ということから始めて、「イノベーション」の意味、これからの課題などについて話をしました。

企業で行う講演は久しぶりでしたので、ちょっとわくわくしました。いい時間を過ごせたと思います。

皆さん、がんばってくださいね、期待していますよ。

会談などいろいろ

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20161117

このところ、いろいろな「ユニーク」な会食、パーティー、レセプションなどの機会をいただきました。私的なものは数えるほど無いのですが、大使館関係のものがいくつかありました。

BirdLife International恒例のファンドレイジング(名誉総裁の高円宮妃殿下は、三笠宮様の喪でご欠席)、フランスのPasteur研究所と東京大学、京都大学との新しい協定関係のセレモニー、仙台卸町(おろしまち)に設置されたカタールの東日本大震災復興義捐金によるIntilaqイノベーションハブ1)の開所式、ノルウェー大使館で外務大臣を迎えてのレセプション、フランス大使館、スイス大使館、オランダ大使館、英国関係のいくつかの会合などなど。

そこでちょっと感じたこと。

ある大使館から大臣訪問のランチにお招きを受けました。「10人ほどで」ということだったのですが、出かけてみるとなんと日本側は私一人で、後は大臣とそのご一行5人ほどと、駐日大使、大使館スタッフといった会でした。

しばらくお話を聞いていると、福島原発事故とその後についてもっと知りたいというものでした。このような経験は、国会の事故調査委員会を終えてから何度もあったことです。

ある時は国賓として訪日された国家のトップから、福島以後の日本の原発政策について政府の関係者や担当者たちに問いわせても、理解できるような説明がなく実に不可解である、との理由で、私に説明してほしいとお招きを受けたこともあります。

確かに、役所の担当者の説明は、通訳が入るにせよ、入らないにせよ、原発事故後の政策の説明は、もっと別次元の、実にわかりにくい理由があるのだろうと思います。わかりやすく説明しようがないほど、「理屈に合わない」こともいろいろありますからね。政府の担当者にとっては、わかるように説明のしようがないのだろうということでしょう。

しかし、福島原発事故のような「歴史的原発災害」について、世界共通の理屈で説明できないというのは困ったものです。

今年3月に出版した「規制の虜」にも書いているところですが、実に困った問題なのです。

これは、国家統治のありようの信頼の基本なのですから。

いろいろな会合

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9月の終わりから10月の初めは、沖縄科学技術大学院大学の理事会、東京でUCLAのBlock学長をお迎えしての同窓会、次いで京都でのSTS Forum (ここで大隅先生のノーベル賞受賞のニュースでインタビューが入りました)、GRIPSに戻って米国国務省の主任科学顧問だったColglazier氏のセミナーなど、いろいろとありました。

次いで、GHIT Fundの理事会の議長としてシンガポール経由でHyderabadへ。理事会では、現地の医療の現場の視察もあり、いろいろ参考になることが多かったです。この街は初めてですが、10年ほど前のニューデリーと比べても、活気もあるし、道路の整備状態も格段に良くなっています。また、公共鉄道の建築も見ることができました。

医療の現場はまだまだのようですが、ASHAなどの保健師さんのボトムアップの活動や、水道、携帯電話などが広く普及してきたこともあって、保健衛生のインフラは随分と整備されて来ているようでした。現地の医療関係者との会合や、研究所の視察もありましたが、まだまだとはいえ、随分と変わって来ています。

最終日の晩餐はTaj Falaknuma Palace1)でした。超豪華で、世界最長とかいう101人を迎えての晩さんテーブルなどもあります。

周囲とは、あまりの格差ですが、この建造物には大英帝国のしるしがここかしこにあります。帝国を運営する能力というか、歴史のありさまを見る思いがします。そこから空港へ、シンガポール経由で羽田に帰りました。

他にもいろいろと面談、会議、セミナーなどがあり、あれよあれよの2週間でした。