福島原発、地震と津波再び:福島原発の事故から何を学ぶのか?

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11月22日(火)の早朝、東日本沿岸でまたM7.4の地震があり、場所によっては1.4Mに達する津波もありました。あの大災害、そして歴史的な福島原発大惨事から5年半のことです。

言うまでもなく、5年前の大惨事に比べれば、幸いにしてそれほどの被害の状況ではありませんが、福島第2原発ではちょっとした事故がありました。その3号基では、保管されている約2,500本の使用済燃料棒を冷やしている水の循環が約100分の間、止まったとのことです。

あまりメディアなどでは取り上げられていませんが、この福島第2原発の事故は、あまり軽く見ることはできないと思いました。

第1に、日本は地震大国という事実です。世界で起こるM6以上の地震の約20%は、日本の周辺で起こっているのです。「地震、かみなり、火事、おやじ」、地震は予測できませんし、「2011.3.11」のような大きな地震の後は地盤の動きが続くので、地震、火山活動は当分のあいだ油断できないということになります。

政府は、南海トラフで大地震が起こるとの想定でいろいろと対策をしているということです。しかも、11月5日が「世界津波の日」となり、この11月26日には高知・黒潮町で世界30か国の360人もの若者の集まりが開催されました。

第2に、日本には、まだ50基という多くの原発があり、その中に多くの使用済燃料棒が原発建屋で水の中に保管されているということです。今回の福島第2原発は、5年以上も止まっていたので、使用済燃料棒の熱もそれほど高くはなかったという幸運もありました。3.11の事故の時には、米国は停止中の福島第1原発4号基で「使用済み燃料棒を冷やす水」の喪失に大きな懸念を持っていたことはよく知られています。

第3に、今度の地震のユレは100ガル以下のものでした。日本の原発は400~600ガル以上の地震にも耐えるように設計され、その対策(”バックフィット”)がされている”建前”になっているのですが、それがどこまで本当に想定されているのでしょうか?「使用済燃料棒の対応」については想定外なのかも?まさかね?とは思いますが。大体、「使用済燃料棒」は建屋の上の方にあるので、地震によるユレは、地表に比べれば、相当なものになるはずです。この「燃料棒を冷やす水」は大丈夫なのでしょうか?

これらの対策にしても、日本の原発は、福島の教訓として何か対応がなされているのでしょうか?川内では?ほかの再稼働予定のものでは?大いに心配です。

あまり聞いたことがないような気もしますね。たとえば「ドライキャストで...」などと時々つぶやいているようですが、具体的に何か進んでいるとも思えませんね。形だけの議論は、その都度しているようにも聞きますが...。

原発の再稼働ばかりを言っている割には、しっかりと対策を進めているような気もしません。今度の事件で、いい加減な対策の一部が、世界の関係者にまたまた「バレてしまった」とも言えます。

ところで、私が委員長を務めた「国会事故調」の報告書の最後に、私のメッセージとして、以下のように記しています。

「...私たちの身近に教訓となり得る現実がある。2004年12月にマグニチュード(M)9.1を記録したスマトラ島沖地震では、翌年にM8.6の地震が、今年(註;2017年7月時点です)も8.6という大地震が起きている。同じことが、今回の東北地方太平洋沖地震で起こらない保証はない。脆弱な福島原子力発電所は言うまでもないが、安全基準が整っていない原子力発電所への対策は、時間との競争である。...」、と。

今回の地震については、New York Timesの記事にも、私のコメントの一部が掲載されています。

日本は、けっこうお粗末な状態なのです。外からは、いろいろ聞こえてきますし、いろいろと聞かれるのですが...。

ベルツ先生の教え

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今年は、日本に近代医学、医学教育の基礎を築くのに指導的な立場で貢献してくれた医学者、ベルツ先生が来日して140年になります。

そして、1901年(明治34年)11月22日はベルツ先生の滞在25周年を記念した大祝賀会が行われた日なのです。

この11月22日のことは「ベルツの日記」にも記述があり、多くの人に引用される大事なメッセージが残されています。

偶然なのですが、「医学界新聞」という医学関係の方たちに広く読まれている週刊新聞の11月21日号に、ベルツの先生について非常に詳しい自治医大学長の永井良三さん、ベルツ先生の弟のひ孫のモリツ・ベルツさんと私の鼎談PDF)が掲載されました。そしてこの出版日が、ちょうどこの講演の115年の日だったのです。偶然ですね。

この企画は、1年前から始まり、今年の春ごろから具体化したものなので、この発行日が11月21日になったのはまったくの偶然なのですが、何か不思議な気持ちになります。

特に医学、臨床医学、診療、そして医学研究など、広く社会で医学、医療に関係している方たち、そして多くの医学生たちにも、ぜひぜひ読んでもらいたいので、ここに掲載します。

この鼎談について何か感想などあったら、お寄せください。

人生には、ベルツさんとの出会い、この鼎談の出版日など、本当にいろいろな偶然があるものですね。

会談などいろいろ

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20161117

このところ、いろいろな「ユニーク」な会食、パーティー、レセプションなどの機会をいただきました。私的なものは数えるほど無いのですが、大使館関係のものがいくつかありました。

BirdLife International恒例のファンドレイジング(名誉総裁の高円宮妃殿下は、三笠宮様の喪でご欠席)、フランスのPasteur研究所と東京大学、京都大学との新しい協定関係のセレモニー、仙台卸町(おろしまち)に設置されたカタールの東日本大震災復興義捐金によるIntilaqイノベーションハブ1)の開所式、ノルウェー大使館で外務大臣を迎えてのレセプション、フランス大使館、スイス大使館、オランダ大使館、英国関係のいくつかの会合などなど。

そこでちょっと感じたこと。

ある大使館から大臣訪問のランチにお招きを受けました。「10人ほどで」ということだったのですが、出かけてみるとなんと日本側は私一人で、後は大臣とそのご一行5人ほどと、駐日大使、大使館スタッフといった会でした。

しばらくお話を聞いていると、福島原発事故とその後についてもっと知りたいというものでした。このような経験は、国会の事故調査委員会を終えてから何度もあったことです。

ある時は国賓として訪日された国家のトップから、福島以後の日本の原発政策について政府の関係者や担当者たちに問いわせても、理解できるような説明がなく実に不可解である、との理由で、私に説明してほしいとお招きを受けたこともあります。

確かに、役所の担当者の説明は、通訳が入るにせよ、入らないにせよ、原発事故後の政策の説明は、もっと別次元の、実にわかりにくい理由があるのだろうと思います。わかりやすく説明しようがないほど、「理屈に合わない」こともいろいろありますからね。政府の担当者にとっては、わかるように説明のしようがないのだろうということでしょう。

しかし、福島原発事故のような「歴史的原発災害」について、世界共通の理屈で説明できないというのは困ったものです。

今年3月に出版した「規制の虜」にも書いているところですが、実に困った問題なのです。

これは、国家統治のありようの信頼の基本なのですから。

お知らせ

先日、このブログでも紹介した福島での「『シン・ゴジラ』映画鑑賞後トークイベント」(ゴジラvsガチリン)の様子が毎日新聞福島版(2016年10月24日26・29面)に掲載されました。

記事はこちらです。
http://mainichi.jp/articles/20161024/ddl/k07/040/020000c

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