UCLAへ再び


オスロからパリ経由で羽田に到着。

翌朝は早朝から沖縄へ、沖縄科学技術大学院大学の理事会に向かいました。この素敵な新しい、完全に世界にオープンな新しい研究大学院です。

しかし、このような前例のない計画にはいろいろと難しい課題があります。しかし、日本の「開国」には、このくらいのことをしないとなかなか進まないのも現実でしょう。生みの苦しみはいくつもありますが、みなさんのご理解と応援をいただきたいと思っています。

理事会の3日目を終わり、最終便で羽田に戻り、夜中に帰宅。

翌日は、一日中予定でいっぱいでした。久しぶりに元在日ノルウェー大使だったWalther氏の訪問などもありました。東京に24時間滞在、夜中の羽田出発の便でLAへ向かいました。

UCLAでは、去年お亡くなりになった旧友Dr. Terasakiの名前が付いた“Teriyaki Center for Japanese Studies”の主宰する「日本と移民政策」のフォーラム、翌日はこのCenterのAdvisary会議です。テラサキさんのご子息(医師です)もこの会議のメンバーとなりました。

快晴のロサンゼルスと旧友たち、時間の空いたところではキャンパスを歩いたり、また新しい友人にもお会いすることができました。キャンパスは卒業式の準備ができています。PGAツアーも開催される名門リヴィエラ・カントリー・クラブにも、メンバーさんとちょっとボールを打ちに。気持ちがいいですね。

22日(日)、Los Angeles空港を夜に出発、翌朝、早朝月曜日の5時に羽田に到着。この日は、久しぶりにゆっくり休みました。

5月8日(日)に成田からアムステルダムへ、さらに極寒のノルウェーへ。ちょっと東京を経由しながら、沖縄、ロスを経由して、23日(月)に帰国。変則的な長旅でした。