「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その2

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宇田左近さんの著書「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」に書かせていただいた「解説」その2です。

【解説】異論を唱える義務―――私たち一人ひとりが「今」やらねばならないこと
元国会事故調査委員会委員長 黒川 清

2.国会事故調の根底を貫いた基本姿勢

ここで国会事故調の話に少し触れたい。
この委員会委員長の辞令を受けるにあたって、私の国会でのあいさつに運営の基本姿勢は示されている(註1)。私が委員長として、この「憲政史上初」という「国会事故調」をどう認識しているのか、国会という立法府、「国権の最高機関」から負託されたという事実の重みをどう捉え、どう実行していくのか――委員長の挨拶として、冒頭での「3分間」と最後の「2分間」で、国会議員、行政府の人たち、他の政府関係者、東電他の事故の関係者ばかりでなく、国会での辞令交付という最も重い「公」の場で、国民にも、各委員にも知っておいてもらうことが、極めて重要と考えていたからだ(何しろ委員の皆さんといろいろ議論している時間の余裕さえもなかったのだ)。

国会での辞令交付の時に私は、「国民」「未来」「世界」という3つのキーワードを共有し、「国民の、国民による、国民のための委員会」「過ちから学ぶ未来に向けた提言」「この事故を世界と共有する責任」、この3つの基本原則にのっとって、6か月にわたる活動をする旨述べた。

そして、当日最後の委員長挨拶で以下の要旨を述べた。

「今日は12月8日、真珠湾攻撃70周年の日である。毎年8月、太平洋戦争を経験し、生き残った方々の証言等について特集した番組がテレビで放送される。そこでは、その時々の責任ある立場の人たちの『わかっていたけれども言えなかった』という趣旨の発言が繰り返し出てくる。
この福島第一原子力発電所事故に際しても、元○○という肩書の方の発言が収録された特集番組がテレビ等で放送されている。そのコメントについて多くの国民が、『太平洋戦争に関する証言』とよく似ている、と直感的に感じていると思う。日本の責任ある立場の人たちは、また同じことを繰り返している、失敗から学んでいないのか、と。このことを考えてみたい」

註1.
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/025117920111208003.htm
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=41488&media_type= (両院議連合同協議会)

→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その1
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その2
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その3
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その4
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その5
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その6(1)
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その6(2)
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その7
→「なぜ、「異論」の出ない組織は間違うのか」、私の解説 その8