2013年7月

日経産業新聞フォーラム2013
「レジリエントな対応力を強化するグローバル戦略」
~世界のCEO意識調査報告と海外市場で日本企業が対応すべき経営課題を探る~
日時: 2013年7月29日(月) 13:00~18:00
     *17:10-17:50 特別講演「世界の行方、日本はどうする」
場所: 日経カンファレンスルーム (東京都千代田区大手町1-3-7 日経ビル6F)
お申し込みはこちらから(7月19日(金)まで、定員300名)

 

第12回manabaセミナー
日時: 2013年7月5日(金)13:00-19:00
      *13:00-14:00で講演
               「Uncertain Times:あなたの選択~大改革の時代を生き抜くために~」
場所: 経団連会館 カンファレンス
        東京都千代田区大手町1-3-2
詳細はこちらから
お申し込みはこちらから

 

GWRA水ビジネスシンポジウム
~オールジャパン体制から4年 活動から見えた日本型水ビジネス~
日時: 2013年7月1日(月)13:40-14:30
      特別講演「21世紀のリスク」
場所: 日経ホール
     東京都千代田区大手町1-3-7 日経ビル3階
プログラムはこちら
お申し込みはこちらから
お問い合わせ: 一般社団法人 海外水循環システム協議会事務局
           TEL:03-5928-8198 FAX:03-5928-8777
           E-mail: gwra@hitachi-pt.com

  

「H-LAB」:海外の大学へ進学する高校生たち、実体験のインパクト

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2011年1)、2012年の8月に開催した、私もImpactJapanも、初めから応援している「H-LAB」

これはHarvard大学と日本のいくつかの大学の学部生が中心になって開催する、1週間ちょっとの「高校生たちを対象とする夏の合宿」です。

「リベラルアーツ」の大事さを高校生に感じ取ってほしいということなのです。これが英米流の大学教育の基本なのだ、ということも。

ところで、2011年に参加した高校2・3年生、2012年に参加した高校3年生たちは、この春ごろから進学先が順次決まり始め、みなさんが進学する大学がほぼ決まったようです。

その結果を見ると、この「夏の合宿」は若者たちに予想した以上のインパクトがあったようです。

参加した高校生の選択肢をまとめるてみると以下のようです。

男子高校生22人中11人が海外の大学へ!!
女子高校生32人中12人が海外の大学へ!!

海外の大学といっても米国を選んだ人が19名、英国2名、Canada1名、Australiaが1名。 皆さんがすぐに気にするようなHarvard、Yale、Imperialなどの合格者もいます。海外で複数受かって、選択に困っていた人も何人かいます。

東大に受かっている人も何人かいますが、東大(に学籍を置いているかもしれませんが)ではなく留学を選択した人も3名いるのです。

頭で考えている教育ではない実体験、しかも自分たちのちょっと年上の大学生との合宿は「Peer Mentoring」でもあり、高校生が自分のモチベーションを見つける、そこにこそインパクトがあるのでしょう。

このような海外への選択肢へ挑戦する高校生はこれからも広がっていくでしょう。楽しみです。

北岡伸一さんとの対談

北岡さんは日本政治外交史の学者ですが、国連代表部次席大使を務めたこともあるという点で、異色の体験・経験をされた学者です。もっとも諸国ではこんな任命は良くあることですが、、、。つまり、日本のような、極めて狭い「タテの単線路線エリート」人事で動いているというわけではない、適材適所の任官は、大使、外交官ばかりでなく、政府高官にでも当然のこととしてよくあることです。

奥様も社会活動に熱心で、MDGなどでも活躍しているJeff Sachs12)さんとも一緒になってアフリカ支援などにも参加しておられ、ご主人が国連大使でNew Yorkにおられる時でも、ご自分は別行動で、個人の身分でアフリカ諸国にも出かけられていたと思います。

「北岡さんとの対談」の企画を提案されましたので、このようなちょっと違った方との話は面白いでの、北岡さんが引き受けるのなら、と引き受けました。

対談に出かけてみると、この企画した方の思惑にあっているのか、私たち2人ともよくわからなくなりましたが、2人ともに、企画の方のほうからの質問には、忌憚のない議論をしましたので、それなりに楽しい時間でした。

対談を終わってから、北岡さんとは、「言いたい意見は、遠慮なく言えたし、これでいいか」ということにしました。

この対談の原稿を読まれるとわかるのですが、タイトルや見出し、添付の写真には、編集の専権事項ですから、こちらからは特に意見を出しませんでしたが、編集の方の苦労がうかがわれます。

私たちは2人とも素直なものですね。いかが思われますか?

“Bula”、Fijiから

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Manabaに参加して翌日の7月6日、羽田を出発、Hong Kong経由で翌日にFijiのNadiへ。そこからさらに乗り継いで首都Suvaに来ました。

Pacific Science AssociationInter-Congress1)に参加です。

どこでもまずは‘Bula’。「こんにちわ」のように皆の使う挨拶です。

この学会は1920年に発足し、私も2003年からかなり関わることになり、いろいろ仕事をさせてもらいました。このサイトでは沖縄1234、吉田松陰の秘話も出てきます)、そして2011年の大震災の後のKuala Lumpurでの活動があります。

今回の会場はThe University of The South Pacificで、大勢の学生さんたちがVolunteersとして運営に関わっていて、なかなか素敵な雰囲気です。ここで教鞭をとっておられる日本の先生たちにもお会いしました。

翌日の開会式典にはRatu Epeli Nailatikau大統領もご出席、力強いスピーチをされました。開会式では、わたし、そして次にProf Nordin Hasan, Director of Asia Pacific Regional Office of ICSUが基調講演をしました。ご当地の大嶋英一大使も出席されました。

私を含めた何人かがテレビのインタビューを受け、夕方のニュースで取り上げられたということでした。翌日の新聞でもかなり取り上げられていました。

2日目、3日目は分科会を中心にしていろいろな活動がありました。私は、3時間ほどは観光、USP Vice-Chancellor and President Chandraさんとの夕食、また大嶋大使から昼食のお招きを受け、大使館の方々、ご当地で活躍している日本の方々の活動などについてお話を伺いました。UNDP職員として、Pakistan、Sudan、Fujiと活躍してこられた日本の女性にもお会いできました。

ここの日本大使公邸は20年ほど前に購入したそうですが、Fijiの首都Suvaでも一等地にあり、素晴らしい眺めです。

Fijiは歴史的に英国領、インドとの関係、最近では中国、韓国の活動も顕著です。マグロ取りの中国の漁船が何艘も来ています。日本の活動は現地でも知られているのですが、ここでもあまり日本人の姿が見えない、ということのようです。

大使のご苦労はこの辺にもあるようです。

Manabaセミナー + 基調講演と飯吉さんのパネル

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Manabaとは教育の新しいplatformを提供する企業で、このサービスは世界の大学へも広がっています。なかなか意欲的な試みです。

大学や学校の先生たち、事務の方たちを主要な対象としたセミナーが7月5日に東京で開催されました。大勢の方たちが参加されました。

プログラムはManabaを実際に使用している大学の試み、などが主体ですが、私は全体の「世界の動向、それは何故なのか」という視点で、1時間の基調講演の機会をいただきました。現場で活動している人たち、いろいろ試行錯誤し、学生さんたちのために、大きな枠組みを提示する、そのうえで自分たちがしていることの大きな流れを考えてもらう、これが私のしたいことですから。

参加の方たちは、教育、就職など広範にわたる大学の関係者が多く、後のパネルでの質疑からして日常的に苦闘している方たちが多かったようです。

私の講演のタイトルは「Uncertain Times; あなたの選択」です。私のスライドはもちろん映像と文字はすべて英語、でっかい文字を使います。

大きな流れをなんとなくでよいので、感じ取ったうえで、みなさんに「自分の立場で果たすべき責任」を感じ取ってもらいたい、という趣旨です。

あっという間に1時間が過ぎました。しかし、私のメッセージを皆さんも感じ取ってくれたらしいことは、最後のパネル、レセプションなど、後でよくわかりました。

最後のパネルは久しぶりの飯吉さん1)。飯吉さんは教育とは「狂気だ」と繰り返す。私も“Crazy Ones”1)が世界を変える、と主張する。そして文部科学省では異色の佐藤くん、そして経済産業省の福岡くん。飯吉さんの厳しいパンチ、「狂気」が次々と飛んできます。パネルの二人の官僚も、「ふつう」とは変わった「若手官僚」です。参加の方たちからも、苦闘する教育界の現場の悩み、良心のような質問がいくつか出てきました。皆さん苦闘していますね。

「発想の枠組み」を変えてみることです。出る杭、異論、枠を超えて考えてみることです。

グローバル世界での日本の将来は若者にしかありません。このことをどのくらい一人ひとりの日本の「責任ある立場」の人たちが、自分のこととして考え、行動しているのでしょうか。

世界の変化の本質を、肌で、心で、下腹(ガッツ)で直感的に感じ取っている、日本国でより大きな責任ある立場にあって、グローバル世界での日本へ向けた「その役職の責任を実行している人」はそれほどいないのですね。もっとも「学歴エリート」、「東大話法」の人たちが多いですから、所詮は無理なことなのでしょうか。

問題を認識したとしても、まず「できない理由」がいくつも頭に浮かぶ人のほうがはるかに多いのです。それが日本の現状です。考えながら、実行してみることです、難しいでしょうけど。

国連大学の卒業式でスピーチ

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東京青山にある国連大学。ここでは、世界に広がる研究所群と横浜にある高等研究所と、ほかのいくつかの大学とも連携して正式な修士課程が新しく設置されていますが、7月3日に卒業式が開催されました。

私は日本学術会議に関わったころから、日本の科学者コミュニティと国連大学との関係を強くしようと積極的にいろいろと協力してきました。過去2代の学長さんともいろいろお手伝いをさせていただきましたし、今度着任したDavid Malone 学長ともCanadaに共通の友人もおり、着任前からいろいろコンタクトができていました。

この10年ほどのことですが、ここで開催されるいろいろな会議でも話をする機会が、数多くありました。

国連大学の大学院の発足は2010年の9月ですから、極めて新しい大学院ですし、まだ規模は小さいのです。今年、12か国からの12人(最大の多様性ですね)の修士課程修了(あと数人が春に卒業していることのことでした、、)の学生さんたちを送り出す卒業式に、私はCommencement Speechのお招きを受けました。うれしいことです。

私のSpeech原稿はこちらです。

皆さんとてもうれしそうな素敵な卒業式でした。Malone学長は急用で海外となり、ビデオでのメッセージ、竹内副学長の挨拶、私のSpeech、学位授与式、そして卒業生3人のSpeechなどがあり、レセプションで終了しました。

新しい門出をする若者たちを世界に送り出すのは、何とも言えない感動の時間です。

MITで

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Washington DCから21日(土)にいったん帰国。日曜は休んで、月曜はいろいろ会議などが入って忙しくすごし、25日(火)の朝から、再び米国東海岸のBostonへ向かいます。成田からの直行便、去年、日本製バッテリー発火問題でいろいろ騒がれたBoeing787です。

25日の昼に現地到着。一休みしてMIT Media Labへ。これが今回の目的ではないのですが、所長のJoi Itoさん(1)、副所長の石井さん1、 twitterは@ishii_mit)もBostonにいたので4時過ぎから出かけ、いくつかのプロジェクトを紹介してもらいました。ちょうど坂本龍一さんも来てコラボの話題になりました。いろいろ面白いことをやっていますね。夜は石井さんと奥様(私はこのご夫妻2人のtwitterをフォローしているのです、奥様はジャーナリスト、去年のHarvardのNiemann fellowです)、そして秘書さんと夕食をごちそうになりました。

翌日は、以前から交流のあるRichard Lester教授、今回、私を招いた方です。彼はMIT Nuclear Science and Engineeringの所長で、今年2回に分けてInternational Nuclear Leadership Education Programという各2週間のコースを開催し、私にも来てほしいというところから、今回のMIT訪問の話が始まったのです。私はこの1日だけですが、朝8時から夕方まで参加しました。もちろん私の話は「Lessons of Fukushima Nuclear Accident」で、90分の時間がありましたが、まだ時間が足りない感じでした。話題がいろいろあり、たくさんの質問が出ましたから。参加者の皆さん、特に欧米の方たちは原子力のエクスパート、日本やIAEAとの関係ある方も多いですし、Vietnam、 Abu Dhabi、Kenya、Mongolia、Nigeriaの方たちは資格もあり、これからその道を進もうという方たちですから、議論はとても楽しかったです。

国会事故調の報告書は、その英語版は良く知られている「Executive Summary」のほかにも、本文も去年の10月から英語でWebに出ていますから、本当によかったです。世界の専門家の間で、皆さんがそれぞれに私たちの報告書を検討、評価することができますから。

夜はMuseum of Science of Bostonでレセプション。翌朝、帰国の途に就きました。